2009年5月21日木曜日

構造にひそむ美

構造に美は隠されている。厳密に言えば、ひとは構造に美を見いだす。それは絵画も彫刻も同じだ。しかし、実空間に重さを持って存在させなければならない彫刻は、構造への制約が多く、またそれが作家に構造への注意を向けさせる事にもなるので、結果的に彫刻家は構造に敏感になる。

実空間に見られる構造美は、それこそ身の回り全てといってもいいくらいあふれているのだ。まず、有機的構造として植物がある。大きな樹木になれば、重力に耐えるために強靭な枝を張り根元の量感もすさまじい。散歩している犬や猫にも構造美がある。ただ、身近になると構造美に目が行く前に「かわいい」など別の感情に振られてしまうので気がつかないことがある。これは私たち人間を見るときもそうだ。
都心部では、有機的な構造よりも無機的構造のほうが目につく。つまり、建物や自動車などの人工物だ。最近は、巨大な廃墟やプラントを見て回る人がいるが、それらも構造の美しさをさらしている。自動車などは最終的な外見は見た目を意識したデザインで覆われているので、それはそれでかっこいいが、むしろ早さの為だけの形であるレーシングカーや、専門的な作業の為のクレーン車などのほうが構造美としては美しいように思う。そのように、構造美に機能美が加わるとより魅力的になる。新幹線や飛行機や船などがそうだろう。戦闘機などはその美しさに引かれる人も多い。

さて、先にも言ったが、人を見る時はあまりに身近ゆえに構造美を見いだす事が難しい。人格を見てしまうからだろう。そういう時は、全体を見てしまわずに、ある特定の部位の構造を考えるといい。例えば腕の付け根など。どのように付いているのか、起伏はどこからきているかと見ていると、客観的に観察できていることに気がつく。それを全身に広げていけば身近な人体に構造的な美の連続を見いだせる。さらに深みにはまりたくなったら、そこからは解剖学の領域になってくる。そして、本当はここからが本当の面白さ、美しさ、驚きの始まりなのだ。皮膚一枚の内側は、スゴいことになっている。まさに、構造美と機能美の連続体、複合体である。

私たちは常に、何か美しいものを探しているが、それが自分の体内にあり、その組み立ての最外層が自分の外見だとはあまり考えない。美を追い求めるなら、一度、解剖学に目を向けてみるのも面白いことだと思う。

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