2009年8月29日土曜日

芸術家とは その資質

芸術家というのは、一般の人とは違う別の領域に生息する特別な存在。そんな風に子供の頃は漠然と思っていた記憶がある。学校を出たり、何かを学んだらなれるというものでは無い—つまり、職業ではないと感じていた。
だからこそ、高校生卒業後の進路が問題になる年の頃に、芸術大学があることを知って驚いた。芸術家とは学校にいってなれるものなのかと。
そして、芸術大学に入学が許されるとそれでもう自分は芸術家なのだと、言い換えれば、その資格と才能があると認められたのだと信じてしまった。十代後半は、何か自分に秀でたものが欲しいと思う年代だ。その頃に、「芸術家」という何か普通ではないレッテルが与えられることは、若い自尊心を多いに満足させるものだった。

しかし、そういった思い込みと現実の落差を、卒業後に知る事になる。つまり、芸術大学を出たら芸術家ということは全くない、ということを知らされるのだ。その意味では、小さい頃に抱いていた芸術家の概念が正しかった事になる。美大を出ても芸術家にはなれない。

芸術家とは、自分で決められるカテゴリーではないのだ。ある人の生き様を見て、他人が「あの人は芸術家だ」と思う。それが大衆となることで、周囲から芸術家と認められるようになるものである。
自ら、「私は芸術家です」と言うような人物がいたら、少し間を持って接するのが良い。

芸術家という呼び名の他に、画家、彫刻家などという呼び方があるが、これは、ずっと職業的な雰囲気を帯びていて、芸術家という呼称と対応するものではないので、「私は画家です」や、「私は彫刻家です」と自らを紹介しても何ら違和感を覚えない。

世の中に画家や彫刻家はあまた居る。しかし、そのなかに芸術家と呼べる人物がどれだけいるだろう。それは、計る事が出来ないのかもしれない。美術の歴史を見ても、生前は全く顧みられなかった巨匠は多い。

自分がしていること(制作)は、どこに行き着くのか。その答えは分からないまま、自分が信じる色彩、形体を追い続けるというのは、どこか宗教を感じさせもする。

芸術の発展には宗教は切り離せなかった。アートがそれらから自由になり、個人の感覚発表の場となっても、芸術を追い求めるために要求される資質—信心—は変わりがないのだ。

芸術家たる資質として求められる第一にして根源的なもの。
「あなたは芸術を信じ、それに生きますか」

2009年8月25日火曜日

かたち、かたち、かたち

かたちについて深く洞察する彫刻家が少なくなっていないか。
物体が存在することが人間に与える影響を考えるということを。

今は彫刻家が、バソコンをつくっているようなものだ。

バソコンはそこに存在する。しかし、重要なのはその物体ではなく、それによって得られる情報(インターネットなど)だ。バソコンはそのためのデバイスでしかない。

人間は、そこに在る物体そのものに心を動かされるのだという事実を忘れてはいないだろうか。

美には、文脈と構造の二つに分けられる。

そのうち構造の美をダイナミックに取り扱うのが彫刻の本質だった。
それは時代を超える美である。人類が存在しているうちは受け継がれる。

かたちはありふれている。そして、捉えきれない。

今の彫刻家は、落ちている石ころに美を見いだしているか。
木の幹や枝振りに、広がる雲に、川の渦に、そしてひとの形に美を見いだしているか。

それは、心象ではない。かたちそのものが持つ美しさであろう。

かたちに怠けた彫刻というものがあれば、それは本質的におかしい。

彫刻のあり方 空間内に存在するということ

私たちが普段何か対象を指せば、それはその物本体を意味している。そんなことは当たり前だが、彫刻はその事をもう一歩踏み込んで考えなければならない。

例えば人体の彫刻がある。それは、ある空間内において、その像がその空間を引き裂いて(もしくは押し退けて)存在しているのである。一方、同様のテーマの絵画があるとしても、その中の人体は絵画中での仮想的空間に存在しているのであって実空間を問題としない。このことが、彫刻と絵画を分ける絶対的な違いの一つだ。

人物画を描くには、それが収まるだけの画布が必要だ。それが無ければ絵画中に人物は存在出来ない。それと同じことが、彫刻でも言えるのである。彫刻が存在するには、それが収まるだけの空間を必要とするのだから。

しかし、私たちが普段あるものを指し示す時、その物体はそれが取り囲まれているものがあって初めて成り立っているのだとは意識しないために、彫刻の作品としての魅力はその作品そのものだけで成り立つと考えてしまっているのが実情ではないだろうか。

存在は、それを取り囲むもの(マトリクス)とは、切り離せない。この、一見当たり前の、禅問答のような真実を常に意識しなくては、空間に生きる彫刻は本来存在し得ない。

それを意識しないものは、彫刻とは呼ばず、人形やおもちゃと呼ばれる。彼らは、そもそもが動かされ、消費されるもので、それが取り囲まれる空間を意識して存在することが出来ない。

さて、この彫刻とマトリクスの関係性は、西洋に置いては古くから意識されて来ていた。現在の西洋彫刻の起源とも呼べるギリシアに置いて、そもそも彫刻は建築物の一部を担っていた。そこで見られる「カリアティード」などは、その人物が置かれる状態をポーズで示し、かつ実際にも加重に耐えうる形状をなしている。これなどは、空間ではなく物理的なマトリクスに覆われている彫刻とでも言えるだろう。やがて、建築物から離れて彫刻が存在するようになっても、やはり、そのものが置かれる空間は必ず意識されてきた。
近代では、ヘンリー・ムアが、作品を取り巻く空間を意識的に捉えたものをいくつも発表した。彼は、作品が置かれる場所(つまり空間)にこだわり、現在もその効果をマッチハダムの屋外展示で見る事が出来る。

芸術としての彫刻を考える歴史が浅い日本では、そもそも、その物を取り囲む空間という概念が薄かったのか、未だにこのことに無関心であるように見える。
美術館などでの彫刻の展示を見ればそれは一目瞭然だ。狭い角の壁際などにぴったりと置かれたもの。隣り同士、満員列車のように並べられたものなどが目につく。作品”だけ”を見てください、と言わんばかりだ。

全ての存在は、それだけでは存在できないという大前提は、美術においても同様に働いている。そのことに、作家も、展示者ももう少し気を配るべきではないだろうか。

2009年8月24日月曜日

東洋と西洋 見方のちがい

今日、途中から見たテレビ番組で、西洋人と東洋人の対象の捉え方の違いについてやっていた。簡単なテストをさせるのだが、その答えに大きな差が出るそうだ。
例えば、複数の笑顔の人物の中心で微笑んでいる人がいる絵と、複数の不機嫌そうな人物の中心で微笑んでいる人がいる絵。東洋人は、始めの絵の人物は幸せそうだが、2枚目はそうではないと答える。西洋人は、どちらの絵も微笑んでいる人物は幸せそうだと答える。
別の例では、猿、パンダ、バナナの絵で、二つをくくりなさい、というもの。東洋人は、猿とバナナをくくるが、西洋人は猿とパンダをくくる。
これらから見えてくるのは、東洋は関係性を重視するのに対して、西洋人は区別を重視するというものだ。こういう性質の違いは経験上、納得している人は多いだろう。それが、こういう実験で明確に表されるのが興味深い。

解剖学や、科学が西洋において早期に発展したことも、同列で説明ができるだろう。江戸時代の腑分け図の描き方もなるほど典型的な東洋の見方だと言える。
宗教画で、九相図というのがある。人の死体が腐って骨になる様を段階を追って描いているのだが、それは、死体が墓場に置き捨てられている様が描かれている。つまり、死体とそれが腐るのに必要なフィールドが分けられていない。この、「関係性を断たない」見方も、東洋的なのだと実感した。

2009年8月22日土曜日

プラスティネーション 

生き物は死ぬと、速やかに腐敗し始める。宗教上の理由などから死体を保存したいと考えて来た人類は、様々な方法を研究、発見してきた。
もっとも古くからある技術は、ミイラ化することだ。ミイラ化は、言い換えれば脱水保存で、現在のフリーズドライ食品などは食品のミイラ化である。ミイラ化の利点としては、その保存が比較的容易であることだ。乾燥状態さえ保てば数千年の保存が可能である事は歴史が証明している。
乾燥させない保存方法として、思い浮かぶのは、ホルマリンなどの溶液につけ込む液浸標本だろう。これは、ホルマリンによって体のタンパク質を変質させ腐敗を止め、乾燥しないようにアルコールなどに浸すもので、組織が液体を保っているという意味で、ミイラ化と反対を行く方法と言える。しかしこれは、標本の管理に手間がかかる。

これらの死体保存方法に共通していることは、体内の水分を除くというもので、つまりは、生きている間は欠かせない水分が、死んだ後は腐敗を呼ぶ要因ともなるのだ。
ミイラ化は、単純に水を抜く方法で、液浸標本は水の代わりにアルコールなどを浸透させるのである。

ミイラはそのまま置いておけ、液浸は形を保っている。この両者の長所を合わせたような標本技術が、だ。
つまり、体内の水分をシリコーンに置き換えて、それを硬化させることで、外に置いておけ、形も保ったままにすることが可能になった。
この方法を考え、特許を取り、世界に広げたのがドイツのハーゲンス博士だ。彼は、その技術を用いて人体標本を数多く作成し、その展覧会を世界中で開催して成功させた。当然ながら倫理面で大きな物議を醸してもいる。その理由の一つとして、その標本達のポーズがある。彼らは、実にアクティブだ。バスケットをしていたりチェスを指していたり、ダンスをしたり。そうしながら、内臓を晒し、胎内の赤ちゃんを見せている。

ハーゲンス博士はいつもハットを被っている。その姿から、ドイツのカリスマ的アーティストのボイスを意識しているのではないかとも言われる。それが正しいかは分からないが、前衛的であることは確かだ。死体にあのようなポーズを取らせ、切り刻んで見せるという、そのアイデアと実行力は、ドイツだから出来たというのもあろうが、ドイツでも良く出来たとも言えるだろう。

その標本達—かつては生きていた人たち—は、その生き生きとした姿勢によって、私たちが持つ死のイメージから免れさせられている。腐らず、動いているのだ。
腐らずに永遠に存在し続け、その形に「命」を宿らせたい。この欲求こそが、芸術の根源にあり、それを立体—つまりより実際に近い—に表したのが彫刻だ。もちろん、石材やブロンズに命はない。だから、その姿勢に命を感じさせるようにさせた。私たちはその姿勢に永遠の命を見る。
作品に感情移入するには、それが相応に現実味を持っていなければならないという要求から、芸術家は解剖学を取り入れ、内部構造を正確に表そうとした。
ハーゲンス博士がここに表したものでは、作家は内部構造に苦心する必要は無いが、生き生きとした姿勢を取らせ、命を感じさせようとしている。この意味において、これらは従来の芸術の列に乗っていると言える。
しかし、元来が無生命(木材もここではそう考える)である素材から作られた彫刻とは違い、標本達の存在は、かつて生きていたという絶対的事実を強調し続けるのだ。生き生きさせるほどに際立つ死がそこにある。その意味では、これらは芸術とは違う、生命を直に手触りしているような違和感が感じられる。

死体をいじるという行為への潜在的嫌悪感もあるのか、倫理的問題からの逃避があるのか、芸術系のメディアでは、ハーゲンス博士の仕事が取り上げられる事はほとんどない。
芸術のテーマは、人類の起源からいままで、手を変え品を変えつつも常に「いのち」に関係している。にも関わらず、あまりに直接的にそこに触れられると、少し尻込みしてしまう。死に直接触れるのには芸術家はナイーブ過ぎるのだろうか。

また、プラスティネーション標本は、立体として存在しているものの、それを彫刻とは呼べない。彼らは、言わば、彫刻を模しているのだ。彫刻のやり方に沿って存在している標本とも呼べるだろう。
細かく見れば、標本の筋は弛緩しているので生体のような収縮による緊張も見られない。彫刻家が操る、動きに伴った量の移動なども表現出来ない。まず体ありきである故に、表現に規制があるのだ。

プラスティネーションが芸術として見られるならば、これは壮大なコンセプチュアル・アートに区分けされるだろう。体、個の人生、医学、芸術、それらを取り込んで、考えさせる門を開いているのである。

ともあれ、立ち上がり再び芸術に向かって振り返っているような標本たちは、人体観の新しいマイルストーンとして、歴史に刻まれたことは間違いない。

2009年8月19日水曜日

生物のかたち

生物には、螺旋(らせん)形状がよく見られる。巻貝など文字通り螺旋そのものだし、DNAも二重螺旋構造である。植物のツタなども螺旋状にのびてゆくし、杉や桜なども幹に螺旋状のねじれを見る事が出来る。
螺旋形状は、典型的な回転体形状だ。つまり、丸を描いてその端を軸に回転させながら上または下に移動させ、その軌跡をたどることでその形は作られる。
つまり、螺旋形状が出来るには、基本となる単純形状とその運動時間が必要だ。

時代を通して、生物と非生物の違いが議論されてきた。生物も分解すれば非生物であるが、では、どの段階から「命」を持つ生物になるのか?いつ、非生物が生命現象を持つようになるのか。そこが問題である。
この疑問は、私たち自身が生物であるということによってより難しいものになっているが、冷静に見れば、生命現象も、物理現象に括られることに気付く。そこで、自立し意思を持つ生命現象は、どのような物理現象なのかが問題となる。生物のかたちもその疑問のうちの一つと言える。
生物のかたちは、言い換えれば、生物の存在を意味している。形がなければ存在し得ないという意味において、この疑問は根源的であると言えるだろう。

生物の特徴の一つとして、種の継続性がある。個々の生物は寿命を持ち、一定期間で死んでゆくが、生殖行動によって種そのものは継続されるというものだ。虫のアリはいつも庭を這っているが、実際には毎年一定の割合で入れ替わっている訳で、私たちが「アリ」と呼ぶ時それは種としてのアリを指している。それは私たち人間も全く同様だ。

私たち個人は、当然ながら生まれてから死ぬまで変わらず自分自身だ。しかし、分子レベルで見れば、体を構成している成分は常に置き換えられている。これは動的平衡(定常状態)と言われる。例えるなら川の流れを同じ場所で眺めるのに似て、同じ流れを見ているようで、その水は常に入れ替わっている。

生命の運動体形状と、種の継続性と、動的平衡。この3つは、生物のかたちを考える上で重要なキーワードである気がする。全て、ある単純な要素とその運動(つまり時間)が関係している。

これは、先日、東京ミッドタウン内の水場で見た人工的な水の渦を見ていて感じたことで、その渦の内側に螺旋形状を見たのがそもそもだ。かたちと運動(時間)の関係性は興味深い。時間なくして、私たちの生命はあり得ない。形ない生命もまたありえない。
「運動時間による形の振る舞い」これが、生物のかたちだと言える。そして、それは同時に生命現象という振る舞いを起こす。
この関係性をもう少し考えていきたい。

言葉という道具 言語優位性

私たちの社会では、言葉がきちんと使える事が、その立場において非常に重要な要素となっている。立場と状況に応じて、適した言葉を選んで使い、意思を明確に伝えられるかどうかで、その人の知性と社会的地位が計られる。
海外に旅行に行くと、言葉が使えないが為だけに、ひどく自分が劣った人間のように思えるものだし、逆に、拙い日本語を使っている外国人を見ると、何だか自分より劣っているように感じてしまう。
もちろん、人間の知性などは、言語だけで計れるものではないのに、なぜ、そう感じてしまうのか。そこには、人類にとっての言語優位性という性質が見て取れる。

言語を扱う動物は人間しかいない。人類がいつ言語を使うようになったのかは正確には知る由もないが、その取得過程には、道具の使用と関連性があるように思う。
言葉を持たない動物も、鳴き声などで相手に意思を疎通するが、それは、発声した時のみの単純な伝達に過ぎず、「ここ」、「向こう」、「逃げろ」、などのように、掛け声のようなものだ。
やがて、言語取得初期の人類は、「お前、あそこ、私、ここ、追う、お前、出る、私、お前、捉える」という感じで、増えた語彙をいくつも重ね始め、間を埋めるように、文法が出来ていったのだろう。これは、例えば、綿密に狩りの計画などを立てることを可能にした。協力し合って狩りをする動物は、オオカミなど人類以外にもいるが、彼らのそれは進化によって身につけた固定されたものであるのに対して、言語が可能にした共同作業はどのようにでも変更をすることが出来る点で、本質的に全く違うものだと言う事が出来る。
この、進化的に身につけたものではなく様々に変更が可能であるというのは、人類が身につけた「道具」と同じなのだ。その意味で、言語は道具であり、その取得時期は道具の使用時期と近い可能性が考えられるのではないか。

実際の道具と言語では、物質と概念という大きな違いがある。言語は形を持たないため、行動や思想など形のないものも表す事が出来る。
しかし、それを的確に操るためには、意識(脳)が明晰である必要が有る。言葉が物事に呼び名を付ける事で明確化し、それによって、思考が明晰になっていった。私たちは、物事を考える時に言語を必要とする。
こういった理由から、言語を高度に操れる人は意識が明晰であると判断する事が出来る。また、どんな動物も固有の身体的能力を持っているが、人類にとってのそれは、高度な意識(脳)の表出である道具とその一種である言語であり、それが優れている者が集団の長に付く事が出来るのは各動物種におけるヒエラルキー構造と何ら違いが無い。
つまり、私たちが、相手を言葉遣いで判断するのは、言語を持つ人類としての本能のようなものなのだ。的確な言語は、作戦を正確に伝達させることで狩り(または、農耕など)を成功に導き、集団を保護する。そうやってきた記憶が私たちに刻み込まれているのではないだろうか。

人類とマトリックス 宇宙への進出

マトリックスという映画があった。主人公が生活している世界は全てコンピューターが作り出した偽物だったという話しだが、そこでは、主人公のいる「偽の世界」のことをマトリックスと指している。日本語では、基盤とか母岩という意味だが、全体を取り囲むものというニュアンスがある。

さて、私たちを含む全ての存在は、それを取り囲むマトリックスから独立して存在することは出来ない。しかし、”動き回れる”動物である私たちは、環境から違う環境へ移動できるために、そのことを忘れがちだ。いや、むしろマトリックスとは関係なく存在出来ると思っている人のほうが多いかもしれない(というか、そんなことは意識もしない)。その点は、”動けない”植物たちのほうが、一見、肝に座っている。なぜ、「一見」かと言えば、植物の多様性を見る限り、彼らも動物とは違う方法で「動き」、環境への適応を計っていると言えるからだ。

私たち人類は、進化を辿れば、かつて水中の生き物だった。そう教育されなければ、全く信じられないような話しだが、実際、私たちの体内には「魚」だったころの名残が各所に残っている。いや、むしろ「魚の変形版」であると言っていいほどなのだ。

私たちが「魚」だったころ、マトリックスは海水だった。しかしやがて、勇気ある者が新天地である陸を目指した。そのとき彼らは、マトリックスである海水を手放す事はしなかった。いや、出来なかった。それを体内に取り込んで、陸に上がったのである。それが体液だ。
そのころの体の作りもそのままに、ただそれを改変することで使い回して来た。エラはあごに。ヒレを手足に。かつて水中で物を見ていた眼は今でも濡らさなければ使えない。水の匂いを嗅いでいた鼻も濡らしたままだ。今や、空気の振動を音として聞いている耳だが、その奥ではわざわざ液体振動に変換しているのだ。

かつてのマトリックスを体内に取り込み、陸上に進出した私たちの祖先。その後、「道具を作り、使う」という能力を得た人類は、肉体的な改変を止めた。進化という時間とエネルギーの膨大なコストを「発明」によって補うことにしたのだ。

人類は、地上の生物として、次のステージを目指している。宇宙への進出だ。そこには、今までの私たちを取り囲んでいたマトリックスが存在しない。しかし、進化という身体の改変を待つ事はしない。宇宙服という道具を身にまとい、その中に、地球上のマトリックスを閉じ込めた。
この部分が、生物が今まで行って来た進化との大きな違いだ。

道具による肉体の延長。宇宙基地という人工的なマトリックス。今、人類が宇宙進出にあたって行っている行為は、進出エリアにマトリックスを広げていくという作業だ。これは、今までの進化のやり方と全く逆を行く新しい概念と言える。
しかし、進出エリアの全ての場所にマトリックスを作らなければならないこの方法は、広いエリアへの展開には不利である。この部分で、今後人類はどういう方法を選択するのか。興味どころではある。

体の内側にマトリックスを取り込んだ今までのやり方。体の外側にマトリックスをまとう新しいやり方。
両者の折衷案がやがて登場するのだろうか。

2009年8月9日日曜日

画家と彫刻家 見え方の違い

朝、眠りから覚め、目を開けた瞬間から、見慣れた部屋の光景が目に飛び込んでくる。それは、あまりにも当たり前の事で、見えるという事実に驚く者はいない。
個人が、見るという努力をせずとも、目を開ければ半ば強制的に光景が見えることから、「見る」ということは、受動的な現象だと信じられて来た。つまり、「見えて当然」ということだ。実際に今でもそう信じている人が大半だろう。
しかし、脳の構造や機能から、見るという行為が分析されるに至って、「見える」とは、それほど単純なものではないことが明らかになった。見るという行為のなかで、従来通り、受動的と言っていいのは、まぶたを開けて、光線が瞳孔を通り網膜に到達するまでに過ぎない。しかし、この段階では、単に視細胞が興奮した状態であるだけで、「見える」という感覚からはほど遠い。ここから多くの行程を経て、情報が取捨され再構成されて初めて「見える」のである。つまり、「見る」とは、実に能動的行為と言えるのだ。
だからこそ、「見れども見えず」になったり、無いはずのものをそこに見る事もある。また驚く事に、「見えずとも見れる」ことさえある事が分かっている。

さて、このように、見るという行為は能動的なのであるから、見え方も状況次第で、様々に違うのである。芸術では、大きく二つに分けられると思う。すなわち、「画家的視覚」と「彫刻家的視覚」とに。
まず、「画家的視覚」だが、これは比較的、一般の人の見え方に近いだろう。ただ、一般よりも圧倒的に色覚分析が優れている。目に映る光景に含まれる色彩を強調して捉えようとし、また、色彩のみから形状を読み取ろうとする。この見方が優れている人は、より色彩の鮮やかなものに目がいくだろうし、実際にも、ガラスや水面の反射のような、形状に束縛されない光を捉えて表現する事に秀でている。一方で、物体の形状や構造を的確に捉える事を苦手とする向きがあるようだ。これは、対象を表面の光線からのみ認識しようとするからだろう。
「彫刻家的視覚」は、ちょうど上記の画家のものと逆である。彼らは、極端に言えば視覚から色彩を消去する。まず、対象の形状と構造の分析を行うのだ。だから、複雑に見える形状から隠された構造的一貫性を見いだすことに秀で、また、その美しさを発見し、再構成することが出来る。しかし、色彩に関しては、不得意とする向きがある。

これらの相反するような二つの視覚は、実は誰でも持っているもので、普段からどちらも駆使されている。だが、「画家的視覚」で重要となる色覚の認識は脳内での伝達順序から見て、より初原的であると言えるだろう。つまり、より理解しやすい。それに比べると、「彫刻家的視覚」で重要となる距離覚、つまり立体感覚は、より高度な情報処理を必要とするので、専門的な訓練をより必要とするだろう。
これはつまり、一部が隠れていたり、斜めからしか見えていない対象の全体の形状が見て分かるとか、複数置かれている物体のお互いの位置と距離を認識できるとか、一見複雑な構造物から形状的な秩序を見いだせるとか、そういうものだ。

さて、そう見てみると、人体という構造物の形をより理解しやすくするための美術解剖学とは、「画家的視覚」よりも「彫刻家的視覚」に訴えるものであることがわかる。同時に、人体の形状を理解する為には、美術解剖学的な知識よりも前に、彫刻家的視覚を訓練する必要性があるということも分かる。

書店にならぶ解剖図譜を見ても、多くの人がそれを形状的に理解する事が難しいのは、そのあたりに理由の一端もあるのだろう。

美術解剖学の分類

美術解剖学というネーミングは、実に絶妙だ。なぜなら、それを読んだ瞬間に感覚的にどんなものか理解できる気がする。
だが、具体的にどんなものかをその名前から理解しようとすると、とたんにつかみどころが無くなる。「美術」も「解剖」もその指し示している対称が幅広く、そのどこなのかが分からないからだ。また、この単語をどこで区切るのかで、意味合いも変わってしまう。
数式的に示す。

(美術)+(解剖学)
{(美術)+(解剖)}+(学)
(美術解剖)+(学)

上記の3様が考えられる。

美術解剖学は、明治時代に西洋から輸入された概念で、当初は「芸用解剖学」とも呼ばれた。つまり、「芸術に用いるところの、解剖学」という意味だ。これは、現在でも西洋で表される「Anatomy for Artist」からの訳だろうか。
しかし、やがて呼び名は現在のものとなり定着したわけだが、これは、やはり当時、多く参考にされたフランスの書「Anatomie Artistique」の訳が関係しているのかもしれない。

いずれにせよ、当時の概念では、「解剖学の知識を、美術造形の参考とする」というもので、上記の式の一番目に相当する。そして、これが現在でも原点であると言えよう。
しかしながら、医学のために編纂された解剖学は、必ずしも造形の手引きとして便利であるとは限らない。構造的や臨床的に意味のある部位が重点的に記載される医学解剖学だが、美術家にとっては、それよりも、外見上で意味をなす構造が価値を持っている。そこで、解剖学からより造形に意味のある項目を集中的に再編纂することで、より積極的に美術と解剖の関係性を強める方向性が出来てくる。それが、上記の式の2番目になる。現在、書店などで良く目にする書籍はほとんどこのスタンスで書かれている。

こうして、現在においてこれらの知識を得たいと思う人は、予め用意された”美術解剖”の知識を手にする事が出来るようになった。そこに示されているのは、多くの造形家や画家が知りたいと思う部分だけが抽出され示されているのである。このことには、良い部分と悪い部分がある。良い部分としては、情報が整理されているということだ。解剖学というのは、言わば体の地図帳(アトラス)であり、そこには方向性がない。その膨大な情報から、造形に役立つであろう部分のみを指し示してあるので、彼らは”道に迷わなくて済む”。悪い部分は、これも実は同様に、情報が整理されているということなのだ。このことで、人はその情報以外を見ようとはしなくなる。人体とは、「そういうものだ」と思い込んでしまうようになる。芸術家は、本来自由な観察眼を持ち続けるべきで、人体を数値や言語で捉えるような「生理学者的視点」は持つべきではない。

このような、相反する感情は、発展した学問、技術などには付き物で、結局は、使う側が利、不利を認識して使いこなすしか無いのかもしれない。

ところで、ここまでで使われている「解剖」の情報は常に医学の解剖学から拝借しており、美術解剖はそれを再編纂しているに過ぎない。この意味において、美術解剖学は、応用解剖学の一つとされるのである。
このような理由から、実は「美術解剖学を学ぶ」という言葉は、あまり本質的ではない。解剖学を学ばなければ、美術解剖学は理解できないからである。

上記の式の3つ目は、「美術解剖」という新たなジャンルを示しており、 以外の2つとは趣が異なることに注意すべきだ。広く考えるなら、上記の2つを包括した上での新ジャンルとも言えるかもしれないが、これは「美術」でも「解剖」でもない「美術解剖」であると捉えるべきだと思う。
これは、「美術(作品)を、解剖的視点を通して見る」というもので、あくまで鑑賞者的視点であり、上記の別の2つが制作者的視点であるところから、両者は決定的に違うと言えるのである。そして、そこに「学」が着く事で、鑑賞者的視点は、批評者的視点へと変化する。
近代以前の西洋芸術の主題の多くは具象で、人体も多い。16世紀以降では、写実的表現が標準だから、そこに解剖学的な分析的視点をぶつけることが可能だ。そして、そこから各時代の人の見方といった様々な情報を読み取る事が出来る。そこに、解剖学という科学的な視点を持ち込む事で客観的に作品を分析しようとする試みである。

このように、現在言われる「美術解剖学」は、その対称が制作者か鑑賞者かで、2つに分けられるのである。
しかし、最後の「鑑賞者」側にたつものを積極的に「美術解剖学」と呼ぶのは、恐らく日本だけではないだろうか。本来は、芸術学、美学の1ジャンルに分けられるものだろう。

2009年8月6日木曜日

人類進化の方向性 はだかの由来

私たちは、初めからこの形で存在していたのではない。私たちではないものから進化して、現在ここに至る。
だから、私たちの体は、私たちではなかった時代のものから作られているわけで、それを丹念に見る事で、由来の大体を知る事が出来るのだ。

私たちは、立ち上がり、道具を使うようになった。そして、常に仲間と群れる。これらの特徴は全てが繋がり合っていて、切り離す事が出来ない。
道具を使うのには、高度な知能が必要で、それは大きな脳と関連がある。大きく重い脳を頭のてっぺんに奥には、頭をまっすぐ垂直にしなくては首に負担が掛かってしまう。インドなどの女性が頭頂に物を乗せて運ぶが、人体構造的には理にかなっていると言えるだろう。
道具を使うことで、人間はマルチになった。身体に足りないものは道具で補えば良いのである。だから、私たちは、身体能力では、これといった秀でたものが無い。走りも、泳ぎも、木登りも、攻撃や防御も裸の体では自然界において全くお話しにならないレベルだ。
道具を開発し、使用することで、私たちはどんな動物よりも優位に立つ事に成功した。しかし、人類の皆が全ての道具を開発するのではない。それは非効率というもので、私たちは、大勢で集まって、分業を「発見」し、これを効率的におこなった。

こうして群れることで、私たちは「人類」としての最大のパフォーマンスを発揮することができる。某先生が言う「人という字はお互いに助け合う様を云々・・」は、人類進化的に言っても正しいのだ。

さて、人類の特徴で、とても目立つはずなのに比較的無視されがちなものがある。それは、私たちが「裸」であるということだ。人類以外のほ乳類を見回せば、裸がいかにマイナーな存在かが分かる。にもかかわらず、私たちはその「変」さに無頓着である。
そして、実際、この理由についてはっきりしたことは分かっていない。いったい、いつから裸なのか・・。良く聞く説としてサバンナ説というのがあり、端折って言うなら、発汗に都合が良いからとか、そんな感じだった気がする。対して、ユニークなものとしてアクア説というものがあり、それは、人類が一度水辺に適応したため、体毛を失ったというものだ。もちろんアイデアの発端には、海棲哺乳類が無毛であるというのがあるのだろう。これは、ロマンと意外性に満ちて魅力的ではあるが、殆ど支持されていないのが実情である。

わたしは、そんなに難しくないところに答えがあると思う。今の私たちを見ればよいのだ。今の私たちは、過去の私たちから続いているのだから。
わたしたちは、裸ではあるが、そのままでは外に出ない。人類にとって、裸と衣類は常に一緒にある。これには、大きな利点がある。すなわち、衣類による保温性の調節が可能であるということだ。野生動物には、夏毛と冬毛を生え変わらせるものがいるが、当然それは年に一度のみであり、生息域が変わらないからそれでよいが、逆に言えば、それは生きる範囲を固定してしまっているとも言える。もし、その生息域に住めなくなった時、彼らは生き続ける術を持たない。
だが、私たちは衣類を変える事で、さまざまな状況下で生活することを可能にした。現在の人類が地球のあらゆるところへ生活域を広げる事が出来たのは、裸になり、服を手に入れた事が大きな要因と言えるのだ。

体毛は、そもそも表皮の変化したもので、アルマジロやセンザンコウのように堅くなって体を保護したり、ヤマアラシのように攻撃性を持つようにも進化している。そうでなくとも、生息域に準じて体毛の質は変化しており、それぞれの動物においてなくてはならない特殊能力と言っても良いものだ。つまりそれは、チータの俊足や、ライオンの牙などと並べてもよい、各動物固有の能力である。
そのように見た時、身体の特殊能力を必要としなくなった人類には、速い脚も鋭い牙もいらないように、全身を覆う体毛も必要ではなくなったのだ、と言えるだろう。
牙を誇るライオンは、一生、それに頼って生かざるを得ず、チータは生涯走り続けなければならない。その能力を失えばそれは死を意味する。
同様に、ホッキョクグマはその体毛故に生活域を限られ、裸のゾウは北に上る事はできないのだ。
つまり、身体の特殊能力は、考え方を変えれば、その能力故にその動物を縛り付けていると言える。
人類は、その身体的な縛りをことごとく手放す事で、圧倒的な自由を手に入れたのである。体毛のその一つに過ぎない。

ただ、裸が先か、服が先か。そこは分からない。
道具が先か、脳が先か、の問題と同じように。

人間のかたち

人類の芸術における普遍のテーマは「人間」に他ならない。彫刻家は、それを空間上に様々な素材で再現してきた。彫刻家が作り出すのは、人間ではなく人間のかたちだ。
それは、かたちに過ぎないかもしれないが、そこに、かたち以上のもの、すなわち人間そのものを宿らせようと、作家は様々なトリックを操る。そのトリックが最も際立つには、とにかく、かたちがきちんとしていることが大前提である。

私たちは、生まれた時から人間だから、自分自身のかたちについて、それほど興味を持たない。せいぜい、あの人はスタイルが良いだとか、美人だとかとニュアンスで捉えるだけだ。もちろん、それは高度な認知作業だが。
彫刻家は、ニュアンスだけ捉えていたのでは、いつまでも人間のかたちを捉えられないから、一歩踏み込んだ、客観的な視点を持って人間をみつめなければならない。
客観的とはすなわち、外からの視点である。人間を、人間以外の視点から見つめてみるということだ。
よく、海外に出ると日本という国が違って見えると言うが、それと似ているかもしれない。
どうようのことを、解剖学者もしている。人間を他の生き物と比べることで、その特性や意味合いを見つけようとするもので、比較解剖学という。
そうして見ていくと、私たちの体が他の動物と違いという形で浮かび上がってくる。二本脚で立っていることの不思議や、大きな頭部。そんな目立つ事以外にも、肩が横へ張っていることや、胸郭が前後に扁平なことなど、当然だと思っている形が、進化によって変形してきた人類独自の構造であることが分かってくる。
まだまだ、私たちの体について数多くの知見が先人達によって見いだされている。それらは、私たち自身についての再発見を促し、私たちは何者なのか、という根源的疑問にも別の光を与えるだろう。そして、彫刻家には、人間というかたちを見つめる、新しいツールにさえなり得るものである。

私たち自身という存在のかたち。そこに飽くなき興味を持ち続けるのが、彫刻家であり、解剖学者たちである。

2009年8月5日水曜日

彫刻美術と肉眼解剖の衰退の原因

数字至上社会について書いたことで思ったことを記す。

解剖学(肉眼解剖学)というのは、すでに終わった学問だと言われることがある。この、終わったとは、既に終了して過去の物というのではなくて、とりあえず目で見えて記載できるものは一通り済んだ、という意味だ。とはいえ、肉眼的に人体を探索している研究者は世界中に居るし、彼らにとっては人体はまだまだその余地を残しているフィールドであることも事実だ。

現代の解剖学は、その原点である肉眼解剖学から、さらに微細な顕微解剖学や、分子解剖学へと広がり、また、人体の別の見え方を探る応用解剖学へと発展している。
それでも、肉眼解剖学は全ての根幹として機能し続け、それは、人体を探求する基本的姿勢を現在も示し続けている。
彼らは、いつも目の前にある人体の形状に忠実であろうとする。個々の所見に重きを置く。
この姿勢は、自然を観察する芸術家のそれに似ている。彼らは、一般に広がっている偏見を持たずに目の前の景色を見ようとする。なんと言おうと、自分の目に映るそれが真実である。

現在の、数字至上社会は、良く言われる情報社会とリンクしているだろう。情報とは、皆が共有できる普遍性を持っていなければならず、それを可能にするのが数字だからだ。情報の代名詞「インターネット」もデジタルという数字に置き換える事で成り立っている。

なぜ、社会はこのように進んで来ているのか?具体的にはいくつも答えを考え出せるが、全体として言えるのは、人類がそれを望むから、である。
私たちの脳は、全てを概念化して取り扱っている。脳にはそうしかできないし、それが実際に効率的だからだ。より効率性を高める為には、そもそもの世の中を、概念的に変化させた方が良い。そういう作用が働いているのではないだろうか。
ともかく、コンピューターは人類に受け入れられ、ネット社会も受け入れられた。情報ビジネスも当たり前になった。

それに呼応するように、美術表現も物質的なものから情報的なものが主体になり、いまや、あえて「コンセプチュアル・アート」などと呼び分ける必要も無い。

肉眼解剖学という、数値ではなく物質を扱う領域が過去と呼ばれることと、物質的な美を探って来た美術、ことに彫刻の衰退とに共通の情報化という原因を見る気がする。

数値至上主義の弊害

私たちの身の回りには数字が溢れている。数字が表す「数」の概念が発見されなければ、現在の文明は間違いなくなかっただろう。
数がもたらす最大の恩恵は、概念の共有性にある。つまり、その数値は誰にとっても同様であるということ。1は、世界中の誰にとっても1に他ならない。この、絶対的とも思える数の「拘束力」は、それを操る数学を生み、様々な法則を発見することになった。数は概念であるから、何にでも当てはめることができる。量、距離、重さ・・。
そして、どれだけ必要とされているかを計ることにも数が割り当てられた。値段である。価値という、目に見えないものを数字で表す事が可能になり、物々交換が主だった取引は突然に大きく変化した。今まで交換対象ではなかったものも交換が可能になった。
数値で取引をする「貨幣経済」は、今や、取引の基本である。全ての商品は、その価値を数値化される。このことに慣れ切った私たちは、ものごとの価値は全て数値化が可能で、その表された数こそが、そのものの真の価値であると信じ切ってしまう。日常生活の買い物などでは、それでも問題はないだろう。しかし、世の中には、数値で割り切れないものがあるのも事実である。その一つに、芸術がある。
芸術は、そもそも、「割り切る」といった概念と非常に馴染まない。芸術を言葉で表現することが難しく、また、時に馬鹿げているのもそのせいである。言語化とは、多くの情報を捨てるという行為の上にあるのだから。
同様に、芸術の価値(芸術的価値)を値段という数値に置き換える事も非常に無理のある行為だ。まず、その作品が生み出される行程を数値化できない。多くの作品にとって最も重要なのは、作家が何を表現したかという「作家の主観性」であって、そこに原価が幾らかかっているのかなど算出は不可能だ。そして、それを鑑賞する側がそこに見いだす価値も「鑑賞者の主観」に他ならず、それは、鑑賞者個々で大きく変化する。ある絵に1000万円を付ける人もあれば、1円で十分だと言う人もいる。
このように、芸術作品に付けられる値段は、正に、あってないようなもの、なのだ。
しかし、多くの人はそのことには考えが及ばずに、付けられた値段がその作品の芸術的価値を示しているのだと思い込んでいる。だからこそ、誰々の作品に幾らの高額が付いたというような「数値」主体の記事が新聞などには載るのだ。この値段という数値は、あくまでも取引の為のものに過ぎないことを、忘れてはいけない。殊に芸術家を名乗るならば。
この「数」に縛られて、高価な作品ほど良い芸術だと言い切ってしまうようならば、その人は芸術家には向いていない。むしろ、画商などが良いだろう。

趣が変わるが、数の弊害としてもう一つ思うのは、成績という数値だ。
子供の学力は、テストによって点数という数に還元される。私たちは、小学校から大学まで、この数値に縛られる。その子の出来、不出来は、この数値でのみ推し量られる。多くの親が、それが全てだと信じ切っている。この数値で、子供を分類するシステムが出来上がっているから、信じてしまった方が楽というのもあるだろう。だから、数値化できない音楽や美術の授業は削られている。体育は、スポーツに分類され、それは点数を競う競技だから、問題ではない。
それでも、私たちは感覚的に気付いているはずだ。だから、学校でも虫取りが上手だったり、動物に詳しかったりなど、数値化できない能力に対して憧れたりする。芸術家や歌手に大人が憧れるのも同様だろう。

話しを戻すが、芸術の本質は、隙間にある。いや、本来、芸術は全てを満たしていた。しかし、人間は言語を生み、数を生むことで、感覚を、心を、分節化したことで、芸術はあたかも、節と節の隙間にあるように見えるようになったまでである。
芸術家は、いつも、ゆるやかに行間を行き来し、概念の隙間をさらさらと自由に流れる心で世界を見つめているひとのことだ。
本当は、皆がそうであればいいのかもしれないが。