2009年8月19日水曜日

生物のかたち

生物には、螺旋(らせん)形状がよく見られる。巻貝など文字通り螺旋そのものだし、DNAも二重螺旋構造である。植物のツタなども螺旋状にのびてゆくし、杉や桜なども幹に螺旋状のねじれを見る事が出来る。
螺旋形状は、典型的な回転体形状だ。つまり、丸を描いてその端を軸に回転させながら上または下に移動させ、その軌跡をたどることでその形は作られる。
つまり、螺旋形状が出来るには、基本となる単純形状とその運動時間が必要だ。

時代を通して、生物と非生物の違いが議論されてきた。生物も分解すれば非生物であるが、では、どの段階から「命」を持つ生物になるのか?いつ、非生物が生命現象を持つようになるのか。そこが問題である。
この疑問は、私たち自身が生物であるということによってより難しいものになっているが、冷静に見れば、生命現象も、物理現象に括られることに気付く。そこで、自立し意思を持つ生命現象は、どのような物理現象なのかが問題となる。生物のかたちもその疑問のうちの一つと言える。
生物のかたちは、言い換えれば、生物の存在を意味している。形がなければ存在し得ないという意味において、この疑問は根源的であると言えるだろう。

生物の特徴の一つとして、種の継続性がある。個々の生物は寿命を持ち、一定期間で死んでゆくが、生殖行動によって種そのものは継続されるというものだ。虫のアリはいつも庭を這っているが、実際には毎年一定の割合で入れ替わっている訳で、私たちが「アリ」と呼ぶ時それは種としてのアリを指している。それは私たち人間も全く同様だ。

私たち個人は、当然ながら生まれてから死ぬまで変わらず自分自身だ。しかし、分子レベルで見れば、体を構成している成分は常に置き換えられている。これは動的平衡(定常状態)と言われる。例えるなら川の流れを同じ場所で眺めるのに似て、同じ流れを見ているようで、その水は常に入れ替わっている。

生命の運動体形状と、種の継続性と、動的平衡。この3つは、生物のかたちを考える上で重要なキーワードである気がする。全て、ある単純な要素とその運動(つまり時間)が関係している。

これは、先日、東京ミッドタウン内の水場で見た人工的な水の渦を見ていて感じたことで、その渦の内側に螺旋形状を見たのがそもそもだ。かたちと運動(時間)の関係性は興味深い。時間なくして、私たちの生命はあり得ない。形ない生命もまたありえない。
「運動時間による形の振る舞い」これが、生物のかたちだと言える。そして、それは同時に生命現象という振る舞いを起こす。
この関係性をもう少し考えていきたい。

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