人類の芸術における普遍のテーマは「人間」に他ならない。彫刻家は、それを空間上に様々な素材で再現してきた。彫刻家が作り出すのは、人間ではなく人間のかたちだ。
それは、かたちに過ぎないかもしれないが、そこに、かたち以上のもの、すなわち人間そのものを宿らせようと、作家は様々なトリックを操る。そのトリックが最も際立つには、とにかく、かたちがきちんとしていることが大前提である。
私たちは、生まれた時から人間だから、自分自身のかたちについて、それほど興味を持たない。せいぜい、あの人はスタイルが良いだとか、美人だとかとニュアンスで捉えるだけだ。もちろん、それは高度な認知作業だが。
彫刻家は、ニュアンスだけ捉えていたのでは、いつまでも人間のかたちを捉えられないから、一歩踏み込んだ、客観的な視点を持って人間をみつめなければならない。
客観的とはすなわち、外からの視点である。人間を、人間以外の視点から見つめてみるということだ。
よく、海外に出ると日本という国が違って見えると言うが、それと似ているかもしれない。
どうようのことを、解剖学者もしている。人間を他の生き物と比べることで、その特性や意味合いを見つけようとするもので、比較解剖学という。
そうして見ていくと、私たちの体が他の動物と違いという形で浮かび上がってくる。二本脚で立っていることの不思議や、大きな頭部。そんな目立つ事以外にも、肩が横へ張っていることや、胸郭が前後に扁平なことなど、当然だと思っている形が、進化によって変形してきた人類独自の構造であることが分かってくる。
まだまだ、私たちの体について数多くの知見が先人達によって見いだされている。それらは、私たち自身についての再発見を促し、私たちは何者なのか、という根源的疑問にも別の光を与えるだろう。そして、彫刻家には、人間というかたちを見つめる、新しいツールにさえなり得るものである。
私たち自身という存在のかたち。そこに飽くなき興味を持ち続けるのが、彫刻家であり、解剖学者たちである。
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