かたちについて深く洞察する彫刻家が少なくなっていないか。
物体が存在することが人間に与える影響を考えるということを。
今は彫刻家が、バソコンをつくっているようなものだ。
バソコンはそこに存在する。しかし、重要なのはその物体ではなく、それによって得られる情報(インターネットなど)だ。バソコンはそのためのデバイスでしかない。
人間は、そこに在る物体そのものに心を動かされるのだという事実を忘れてはいないだろうか。
美には、文脈と構造の二つに分けられる。
そのうち構造の美をダイナミックに取り扱うのが彫刻の本質だった。
それは時代を超える美である。人類が存在しているうちは受け継がれる。
かたちはありふれている。そして、捉えきれない。
今の彫刻家は、落ちている石ころに美を見いだしているか。
木の幹や枝振りに、広がる雲に、川の渦に、そしてひとの形に美を見いだしているか。
それは、心象ではない。かたちそのものが持つ美しさであろう。
かたちに怠けた彫刻というものがあれば、それは本質的におかしい。
0 件のコメント:
コメントを投稿