形は死、形成が生。私たちは形を通して動きを捉える。その「形の動くさま」に命を見る。だから両者は切り離せない。対象の形だけを切り取るならばそこには生は存在しない。私たちが生きているのは時の流れの中で動いているからであって、だから仮に、瞬間瞬間を切り取れるならば、その瞬間ごとは止まっているのだから生は見られないのである。
では、止まった形を表す絵画や彫刻たちは皆死んでいるのか。ここまでの意味合いならば死んでいるのである。実際それらは息をしていない。しかし、私達は芸術に命を見る。実はそここそが芸術表現の本質なのだ。芸術が自然の模倣ではなく翻訳であると言われる所以はここにある。良い芸術は止まっていながら生を"感じさせる"ものである。そのためには単なる形の模倣ではならず(それは死体である)、止まっていながら前後の時間の流れを感じさせなければならない。それは写真機で撮影するのとは違う。写真機が切り取るのは時間の一瞬であって、言わばそれは死に近いものだ。カメラが発明されるまで、人類の目は静止した日常など目撃したことなど無かった事を思い出さなければならない。動くもの(生きているもの)を見て、そのものとして再現を試みた絵画や彫刻が写真よりずっと我々が生きたものとして自然に捉えられるのはそういった理由もあるに違いない。
現代は写真が生活に身近になった。それでも生は動きにあることに変わりない。生を表そうとするならば、自分の目で生きたものを見なければならない。安易に写真を見て造形するなら、それは容易く命のない形だけの物になってしまうだろう。
2016年7月14日記す
0 件のコメント:
コメントを投稿