2009年3月29日日曜日

美術解剖学と解剖学との差異

美術解剖学は、「解剖学」という強力な色眼鏡を外す努力をしなければならない。レオナルドの解剖図をその思いを持ちつつ、見返してみよう。彼もまた、「解剖学」という眼鏡を通して人体を見たのであろうか。
美術解剖学は、解剖学の知識を応用している。この「応用」がくせ者で、ほとんど全ての美術解剖学を利用している人間(”美術解剖学者”や講師、純粋に利用するひとなど全て)が今や自分の目で人体を見ない。もちろん、解剖はほぼ不可能である。彼らはその知識を解剖学書から得る。それは、医学利用を前提に作られた物で、造形家が欲する情報がそこにあるとは限らない。
批評のための美術解剖学でなく、本当の意味での美術解剖学(Anatomy for Artist)の本当の姿はここに隠されている。「解剖学」の眼鏡を外し、「For Art」という強力な自己の眼を持って、解剖を見つめよう。芸術の為に、解剖学を再編纂しよう。

2009年3月14日土曜日

骨の美


骨の形は美しい。ありがちな感想だが、実際にそうなのだから仕方がない。しかし、私にとっての骨の魅力は、単にその形状だけではない。それは、手に取ったときに分かる。表面の質感。冷たさ。重量とそのバランス。それらの要素の全てが絡んで、「骨という物体」の魅力となっている。

考えてみれば、何でも「本物」が良いということなのだ。キャストの骨しか知らないひとは、本物の骨の美しさを知ることはない。本物を手に持たなければ分からない。