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2020年5月21日木曜日

芸術の質と共有

   深刻な悩みの原因というのは、本来個人的なものであるはずだったが、現在のいわゆるコロナ禍では、それが共有されるものとなった。つまり季節の移ろいや一日の昼夜といった、皆が知っていて当たり前の現象の仲間入りをしたということだ。共有されるものは伝えることができる。たとえば、私たちはシンプルに夏の暑さと聞いただけでも、蒸し暑さやセミの鳴き声や白く強い光を思い出すことができる。それは、言葉が放つを共有しているからだ。言語で表せるならば質を記録することさえ可能だ。およそ1000年前に書かれた枕草子の「夏は夜」の一言でさえ、その質を共有し体感できる。
   もちろん質の共有がむずかしいものもある。文化や時代によって大きく変わっている概念の質は、今の捉え方で代替して感じるほかない。質は不変ではない。たとえば、古代ギリシアの神々の像が放っていた質は現代の私たちには感じようがない。それが東洋人の私ともなれば、文化史的な実感など不可能であると言わざるを得ない。コントラポストやプロポーションを鑑賞して欲しかったはずではないことは分かるけれども。
   不変ではないのだから時や場所が変われば、その物が放つ質は、そこに生きる人のものにすっかり取って変えられることも往々にしてある。日本の仏像も、かつては神仏そのものとして信仰されていたものが、今では、美術館を巡回展示される鑑賞物となった。美術館で見る運慶仏と薄暗い寺院の堂内に居る運慶仏とは、物質として同一であっても、全く異なる質のものであり、両者の間にはほとんど別物であると言えるほどの断絶があることは忘れてはいけないだろう。

   対象が放つ質は、それが生まれた(作られた)場所と時間の生さを本来は宿しているのである。それらは、たとえばそれが仏像だとして、それが建立される必要があった時代性に則しているもので、時代が移ろえばその質は過去のものとして乾いてしまう。現代人は、言わばその干物が放つにおいを本質としてそれぞれが嗅ぎ取っているようなものである。
   ところが、ある時それが蘇ることがある。干物がにわかに生に戻るようなことが起こる得る。今回のコロナ禍はまさにそれが起こった稀有なことである。
   突然に昨日と違う今日となり、今日の連続としての明日が見えなくなり、先の見えない不安が、誰かひとりの身にではなく、全てのひとに一辺に降りかかった。その時、私の不安は他者のものとなり他者の不安は私のものとなった。私たちは一斉に底知れぬ不安を共有したのだ。科学の時代に生きる私たちは、全ての出来事は、科学的に説明できると信じている。大抵の自然現象も制御可能か予測可能で人類はそれに対処可能だと信じている。ところが、大地震や今回のコロナが起こると、その人類が信じていたもののか弱さと頼りなさが露呈する。科学が信じられなくなったとき、ひとはどうするか。そういう問いは、科学が機能してそれを使いこなす人類の全能感を引き立てている間は、全く現実味を持たない。その現実味を実感するのが、今のような状況下である。それで、どうなるのか。一言で言うなら、原始性が顔をもたげるのである。私たちはどのような状況であれ、今日の先、将来がどうなるのかを知りたいのだ。その指針を示していた科学が不能となれば、科学以前に人類が心の拠り所としていた原始的思想に再び寄り添おうとするのである。それがすなわち、占い、呪術、物語、宗教そして芸術である。占いは端的に将来を語ってくれる。呪術はそこに何らかの能動的な働きを施して将来を理想に導こうとする。物語とは過去のことだが、それは経験の記録であり、現状と似た物語があれば、その顛末を今に当てはめてみることができる。宗教はそれら全てがセットになったようなものだ。そして芸術は、ショックを受けている現在の心情に扉を開き、まるで同情するようである。それは恐怖と恐れを前に、どう振る舞って良いかさえ分からない心情に具体的な対処法を示す感情の導き手となる。
   この時、これら過去につくられた物語、宗教、芸術の、それまで乾いていた質が生さを取り戻したのだ。それはいつか手の届かなくなった過去の遺物ではもはやなくなり、現在進行形の物語となった。かつて宗教を求めた人々の切実は今のものとなり、やむなくつくられた芸術が放つ切羽詰まった心情の出どころは、今や作品からなのか自らの内なるものか分からず渾然一体と化している。このような時は、人間もまごう事なき生物に立ち還っている。生物とは運命に抗う物体だ。それが動物であれば抗いは力を増す。そして人間だけが抗いを振りかえり、その質を岩に刻み付けるのだ。
   
   この春、カミュの『ペスト』が爆発的に売れているという。過去30年の出版部数を1ヶ月で超えたほどだという。そこには、感染症に襲われこの先どうなるのか分からない状況下で、物語でもいいから未来を見せてほしいという切実な要求が、それも個人を超えた人類的な本能の要求がはたらいているように思えてならない。大事なことは、誰もこの物語のようにことが進むと考えたり、そう願ったりして手に取っているのではないことだ。むしろ未知の恐怖に置かれたときに、人はどう感じ、考え、ふるまうべきなのかを見せてほしくて手に取るのだと思う。

   今は芸術が生の価値を放っている。今ほど芸術の価値を生命との距離感によって、それも個人の状況ではなく全人類的な状況において、実感することが可能な時代はなかっただろう。今とあってはミケランジェロの彫刻も、もはや大理性かどうかは問題ではなく、コントラポストという単語も無意味な響きであり、それが放つ死と隣り合わせの今という生を反射する姿だけが鮮やかによみがえっている。これこそが芸術のあるべき姿であろう。平和な時代に良い芸術は生まれないというが、それは仕方のないことだ。人という生物は襲われてはじめて抗うのだから。そして芸術の本質とは生物的抗いの人類的様式であるのだ。
   この瞬間も、新しい芸術が生まれているだろう。この先遠くない将来に、芸術の動向が大きく変わるようなことがあるかも知れない。これはきっと思い違いではない。今とあっては、私の予感は私だけのものではないはずだから。

2019年7月2日火曜日

芸術と言葉

   意識の起源は記憶の獲得にある。記憶は組み立てられるもの。そこに構造がある。そうして言語化される。言語は世界の見方が現れる。いや、言語的にしか世界は見えない。ただし、言語の表象の隙間が無数に生まれる。自然は本来は、恐らく、区切りがないからだ(要考察)。言語を知らない幼児が見る世界は曖昧だ。同様に、言語で区切らない芸術もその隙間を表すことができるが、それが決して確固たるものにはなり得ないのは自明のことなのだ。認識が捉える世界は形から始まるのではなく、言語からかもしれない。もちろん、それが何語かは副次的な問題で、言語的認識とでも言えるものである。そうであるなら、言語野の破壊は認識の破壊を意味する。幼児は直線と言う図形や概念を知る以前に指差しをするが、そこには直線の概念が既存していなければならない。
なぜ、意識を振り返ること(記憶)ができるのか。語るためだ。もちろん、他者に語るのである。他者と語ることで認識の幅を広がるのは、表現の幅か広がるからである。認識を広げるには他者との対話が不可欠なのだ。そして、それを体系立てたものを学問と言う。

   用語なき解剖図は決して決定しない。解剖図は言語の図像化に他ならない。ポリュクレイトスは数値を人体に当てはめたが、そのキャノンと彫像の間に言語が介在する事は言うまでもないだろう。だからギリシア芸術を真に理解するには古代ギリシア語を知る必要がある。ギリシャ彫刻は、語れること以外は作られていないと言える。論理学や哲学、数学が発達した時代、世界の対象は言語的に構築し捕らえられていた。その厳密さは現代を凌ぐだろう。リアーチェの戦士像を見ただけで彫刻が上手になったと坂東先生が言ったが、これは含蓄ある言葉である。ギリシア彫刻に分からないけれども作ってみたは無いのだ。全てが論理的に組み上げられた、いわば芸術的な言語なのである。それゆえ、その言葉を読み取れる者にとっては見ることは読むこと、聞くことなのである。

   このように考えると、芸術家に言葉が求められるのも理解できる。少なくともその芸術家は、語れるところまでは表現できるのだから。彼らは常に先端に立っているから、既存の言葉では足りないかも知れない。ならば新たな言葉を作れば良いのだ。いや、そうしなければ、新たな地平へは進めない。ミケランジェロがフィギュラ セルペンティナータと言わなければ、それは無かったのだ。
   これは、美術解剖学とて同じで、形態認識の固定化も言語によってのみ可能なのだから、本質的には図像ではなく記述、言語なのである。言語化されていない部位や形状はあくまでも認識の隙間で流れ行く不確定なもの、動きの間に現れるブレのようなものでしかない。

2018年7月29日日曜日

ミケランジェロと解剖学

   28日(土)は関東地方へ大型台風が近づく中、新宿の朝日カルチャセンターで「解剖学的に観るミケランジェロの人体表現」と題した講義を行った。天候が荒れる可能性があるにも関わらず、多くの方が聴講に来て下さった。同じ興味を抱く者として、芸術に対するその情熱を嬉しく感じる。
   この講座は、上野の西洋美術館で開催中のミケランジェロ展を意識している。ミケランジェロの人体造形には、人体解剖の知識が存分に活かされている。神の如きの半分は解剖学が担っている。それほどに大きな要素であるにも関わらず、この展覧会ではそこに触れていない。サブタイトルに「理想の身体」とあるように、彼が生きたルネサンス期の最たる、そして理解しやすい特徴である、古代との表現の連続性(およそ1000年の隔絶があるにせよ)に焦点を当てている。それゆえ講義では、彼の芸術がある側面において古代を凌駕することを可能にした、この当時最新の科学(的手法)である解剖学との関係性に焦点を当てた。


 ルネサンスの解剖学は、現代よりも自由だった。皮膚を剥ぎ取った内側に現れる構造は隠されていたもう1つの大自然の組み立てである。それをどのように見て、捉えて、認識するのか。芸術家が執刀するとき、それは芸術家に委ねられた。結局はそこなのだ。ミケランジェロもレオナルドも、そしてヴェサリウスも解剖をした。それぞれが見た内部構造は、それぞれ異なっていたのである。医学は体系化することで知識の均一化を志す。しかし芸術は違う。均一化した芸術は現代ではあり得ない。つまり、本質的な意味での、美術解剖学というのは成り立ち得ないのだ。解剖学も結局は、人体という自然の見方であり、その見方の革新性こそを重んじる芸術では、それぞれが開拓することが求められる内容なのだ。ミケランジェロが解剖から何を得たのかはレオナルドのような手縞がないので具体的ではないが、彼の作品を見れば重要な点はほぼ伝わる。ミケランジェロ的解剖学は彼によって、彼だけのために構築されたのである。もし、ミケランジェロ的解剖学たるものが、彼の後にまとめ上げられたならどうなるだろうか。それは彼以降おとずれた人体の捉え方の潮流であるマニエリスムを見れば大体は想像できる。つまりは、そう上手くいくとは思えない。体系としての「美術解剖学」が存在しないのは、そういう根本的性質に起因しているのだ。

 解剖学と芸術家との関係性において、重要な事実はこういうことだ。すなわち、解剖学がミケランジェロの芸術を引き上げたのではなく、彼の芸術性が解剖学を最大限に活かしたのである。

   

2018年2月12日月曜日

システィーナのアダム いつから人か

   先日の朝カルで受講生の方から、システィーナ礼拝堂の天井画のアダムについて洞察に満ちた意見を聞いた。

   当日のモデルポーズでは、左腕を左脚の膝に預けるように置いてもらった。そうしないと、長時間の静止は難しいと考えたからである。実際、天井画のアダムも腕と膝とは重なって描かれ、置いているように見えなくもない。しかし、膝に腕を置いたモデルポーズでは腕がアダムのように上昇して行かず水平位に近いものになる。

   その方は、モデルポーズとアダムの姿勢を比べて、手を伸ばしている腕の角度こそ重要であると気付いた。そして、アダムの左肩から上腕にかけての筋の強い収縮とそれに相対する左手の力の抜けた表現から、生き始めたアダムの体が大きい筋から徐々に動かせるようになるさまを見て取った。たしかに実際の成長過程でも、手指の細かな制御は遅れて可能になる。この「アダムの創造」の天井画は、互いの人差し指が触れ合う印象が強いが、実際は指を伸ばしているのは神だけで、アダムの手首から先は力が入っていないのである。
   
   その指摘を受けてから改めてアダムを見ると、それまで姿勢と構図だけを見ていたこの人物の中に、確かに“力”つまり生命感の抑揚が表現されている事に気付く。アダムの全身を左右に分けるなら、地面に近い右半身は伸ばされ、対側の神に近い左半身は縮むか力が込められている。命を与える、もしくは与えた神の方に筋収縮という生命の証を割り当てているかのようだ。

 芸術作品は何かを雄弁に語りかけてくるように見えて、その実、読み取る側に全て任されているものだと感じさせられた。メッセージはそれを聞く用意のある者にだけ届けられる。


   ところで、この天井画の元になっている創世記では、神はアダムに命を与える方法として、鼻に息を吹き入れる。聖書に従うなら、この天井画は命を与えている場面ではない。それでは、このアダムはどの状況が描かれているのか。そもそもミケランジェロは聖書の単なる説明画としてなど描くつもりはなかったのかもしれないが、それでも実はこれは命が与えられた瞬間ではないのかもしれない。私には次に述べるストーリーが見えるような気がする。

   両者の目線を追うと、アダムは神の顔を見ているのに対して、神はアダムの左手を見ている。指先にまで力が入り、かつ意識がそこまで行き届いているのは神の方だ。つまり、神はアダムの手を掴もうと意識を集中しているのである。アダムは地面に横たわっているのだから止まっているが、神は宙に浮いている。それもどうやら彼自身で浮かんでいるというより、周りに群がっている若い人物たちに支えられている。彼らを見ると、神の左手を肩に担いでいる者は体を神と反対側に向けて顔だけ振り返っている。さらに神の脚の上方にいて画面外へ視線を送る少年は、神の左腕を担ぐ若者の膝に手を回し、神とは反対側へと引っ張っている。つまり、神を浮かばせているとおぼしき若者たちのうち少なくとも2人は、神をアダムから引き離そうとしているようなのだ。これは、宙に浮かぶ神が、あたかも水面に浮かぶ船のようにゆらゆらと安定しない様を表しているのだろう。神の周りの人物たちはそれぞれの方向に神を引っ張って、ちょうどオールで舟の向きを調節するように、アダムの手に神の手が“接岸”するように調節しているのである。神の肩周りにいる少年たちは「今まさに届くぞ」と言わんばかりにその瞬間を凝視している。神と反対を向いてその左腕を担いでいる若者もそうだ。彼(彼女にも見える)は、次の瞬間に訪れる自らの仕事に神経を集中している。それは、神がアダムの右手を掴んだ時に、その腕を引っ張って力の向きを変える事である。そうすることで、神はアダムを立たせようとしているのだ。
   土から作られたアダムはすでに命を与えられている。だが、命を与えられてもその肉体をどう使えばいいのかまだ分からない。両脚が立つためにあることさえも。命を得ても立てないアダムを見かねた神が、その手を取り引き上げて立たせようとする、まさしくその直前が描かれた光景である。そうして、二本の脚で立ち上がる事で初めて彼は“立ち上がった者”となるのである(adam erectus)。

   このように見ていくと、そこに”人は人の形をしているから人であるわけではない”という示唆が読み取れる。それがどういう事なのか、聖書の記述と共に見ていきたい。
   創世記(新共同訳)では「土の塵で人を形づくり」とある。“人を形づくり”の部分は英語標準訳では“formed the man”である。もちろん、形作られる元は神自身の姿である。しかし、この段階ではあくまでも人の形の土像、神自身の塑像であって、そこに命は無い。そこで神は像の鼻に息を吹き込むことで、「生きる者(living creature)」となる。これはまだ人ではない。次に神は、この“生きる者”の環境を作り、そこに彼を置くのである。さらに彼にそこを維持する事を命じる。システィーナのアダムはこの直前の時系列に位置する。

   神によって形作られ、命が与えられ、立たされ、環境に置かれ、そして生きる理由(園を守る)が与えられる。次に神は、動物たちを彼の周りに放ち、その命名を彼に任せる。アダムは動物たちに名前を付けた。この時、アダムは“立ち上がった生きる者”から“人”になったのである。なぜなら命名とは分離であり、その行為は自分は彼ら動物“ではない”という認識が先だってなければならないのだから。彼は動物に名を付ける事で自己との違いを言葉で刻印していったのだ。明確に違いが明らかとなった今、それらは彼を助ける存在とはなり得ないことを知る。そうして、それ故、アダム自身からイヴが作られることとなる。

 なるほど人は、その形故にそう存在するものでは無く、精神的活動を伴って、自らを環境から分ける自意識を持つことで人となったのだ。


2018年2月5日月曜日

名作のポーズを男性モデルに取らせて

 カルチャーセンターで先週末、男性モデルに名作と同じポーズを取ってもらう試み。
 今回は、ミケランジェロ『反抗する奴隷』と『システィーナ礼拝堂天井画のアダム』、ロダン『アダム』、ダ・ヴィンチ『聖ヒエロニムス』、古代ローマ『ラオコーン』、パルテノン神殿ペディメント彫像『河の神』。バリエーションとして、立ち、座り、寝ポーズをそれぞれ2つずつという設定。

 『反抗する奴隷』は、体幹部つまり骨盤と胸郭の間での捻れがとても強いことが改めて分かる。彫像と同じ姿勢を生きたモデルで継続的に静止していることはできない。また、深く曲げた右脚の膝頭は左脚側へと向けられているが、このようにするとバランスが崩れて静止できない。安定させるには右膝頭は右側へと振り出さざるを得ない。それにしても、強い捻れに支配されているこの像は、骨盤正面から見ると身体の右側が上下に直線的に裁ち落とされていることが分かる。恐らく原石がそこまでしか無かったのだろう。つまり、この像は右膝頭を生きたモデルのように右側へと振り出すような姿勢には物理的にも不可能だったと考えられる。しかしもちろん、それが可能だったとしてもこの芸術家はそのポーズは選ばなかっただろう。像の身体を貫く捻れの動勢が乱れるからである。ところで、この像の肩から頭部までの動勢と造形は、ブルータス胸像とそっくりな事に今まで気付かなかった。

Adam ロダン『アダム』は、システィーナ礼拝堂天井画のアダムへのオマージュであることはその姿勢からも明らかだ。身体の全てが強い緊張と捻れで支配されており、生きたモデルでは厳しいだろうと思っていたが、ポーズ後にモデルに聞くと「私も厳しいと思ったが、意外と辛くなかった」との事。今回は拘れなかったが、像では足の指まで力がみなぎっている。左足の指などは全て強く曲げられ、『考える人』のそれを思い出させる。アダムの曲げられた右膝が左へと向けられているのは『反抗する奴隷』を彷彿とさせる。





 『聖ヒエロニムス』は、状態の良くない未完成画で、ヒエロニムスの体幹は影であることも重なって形態が明確では無い。左肩から地面へと続く布の襞が、光が当たったように白く、それが右脚と連動することで一見するとしゃがむように腰掛けているように見える。だが、目を凝らすと、尻の下に左足があることが分かる。つまり、彼は腰掛けているのでは無く、左膝を地面についているのだ。ヒエロニムスの頭部から、伸ばされた右腕の付け根辺りの描写は細部まで見える。そこで目立つのは、頚部から上腕の中部までの描写である。頚部には縦に走る広頚筋の襞が浮かび、口角を横に広げた表情と破綻無く連動している。また、鎖骨から上腕へピンと張った筋の束が浮き立っていて、これは大胸筋の鎖骨部である。モデルにポーズを取ってもらうと、静止した状態ではこの絵のように大胸筋鎖骨部は浮き立たなかった。そこで、この姿勢のまま、私が出した手を前へと押してもらうと、これが浮き立った。この筋束は、腕を前方へ振り出すような運動の際に強く働く。つまり、この絵の人物は右腕を強く振り出す運動をしている最中、もしくはその直前である。彼の手は何かを握っているので、それと関係しているのだろうか。そう思うと、ヒエロニムスの体は全体的に絵の右側へ傾いている。身体がその方向への運動を示唆しているのかもしれない。このポーズは一見楽に見えるが、横に伸ばした右肩の負担は相当なもので、モデルは頻繁に右腕を下に降ろして休ませなければならなかった。

 『ラオコーン』は、座って上体を反らしているだけではなく、胸郭は強く右へ旋回している。それでも、像ほどに胸部がせり出したようにはならなかった。像の胸郭左側面には小さな起伏が幾つも見える。それは縦に3列で、最も後列が前鋸筋で、残り2列は外腹斜筋とその深層の肋骨の起伏が重なったものである。とはいえ、その位置描写は誇張があって人体構造的に正確ではない。例えば、前鋸筋の肋骨付着位置は後ろ側に過ぎる。同様の違和感は膝にもあり、手足の描写も若干観点的である。一方で、肩に浮き立つ橈側皮静脈や脚に見える大伏在静脈などは確かにそのように見える位置にある。この像は、観念と写実表現が入り交じっている。像と同じように胸郭を右回旋しつつ反らせたまま固定し続けることは難しかった。像は左下から右上へと強い動勢が表されているがこれは静止ポーズではできない。像の男性は激しい動きの只中にある。

 システィーナ礼拝堂天井画の『アダム』は、寝ポーズのひとつとして取り上げたが、斜面に横たわっているので、モデルポーズの際にはビーチチェアーを用いた。折り曲げた左脚の膝と、そのすぐ上に来る左腕の位置関係は実際には不可能である。このフレスコ画の腹部は二次元的な歪みを持って曲げられており、構造的に見ようとすると不安を覚える描写である。ここが実際のモデルの姿勢とどれほど異なるのかが興味深いところであったが、実際には、全く異なるというものではなかった。ただ、自然にこの姿勢を取ってもらうと、画中の男性ほど胴体が横に曲がらない。意識して胸郭を左へ曲げてもらうと絵のような強い側方弯曲になった。伸ばした左腕は、膝との位置関係を合わせようとすると、画中のようなわずかな上向きにはならず、ほぼ水平位になる。その腕は膝に休ませるような姿勢を取ったが、画中のアダムはそうではないので、左腕と左膝との間には奥行き方向のずれがあると考えられる。なお男性器が右大腿部に乗っかっているが、実際にもこのようになった。

 パルテノン神殿彫像の『河の神』は素晴らしい像だが損壊しているので、復元像の姿勢をモデルには取ってもらった。左腕を地面について、頭部も左を向いている。この像はかつては神殿の屋根の下の横に伸びた三角形(ペディメント)の端の角に位置していたので、上下に窮屈な姿勢である。不思議なもので、復元姿勢よりトルソと化している現状の方がより彫刻的な魅力を増している。システィーナ礼拝堂天井画のアダムと同様に、モデルの自然なポーズではこの像のように胴体が横に曲がらない。あえて曲げてもらうと、右の肋骨弓の外側部が側腹部に食い込むようになり、そこの肉は溜まって深い溝が2条現れた。大理石像では、そのような溝は表されていない。正面性の強いポーズに見えるが、足側から見ても、十分空間的な豊かさを保持していた。ギリシア彫刻には、この胸郭に見られるように、「曲がるところ」と「歪むところ」が明確に区分されている。この時代は人体の解剖の記録が無いというが、その身体の捉え方は、現在とほとんど同様である。それはこの時代が先進的だったとも言えるし、芸術から分かる身体の捉え方は既にこの時代の見方で十分に満たされているのだとも言えるだろう。


 筋肉質の男性モデルでは、皮下の運動器の起伏を直接的に外見から追うことができる。それにしても、皮膚に覆われた内側で躍動する構造を、冷静に捉え、正確に破綻を来さないようにするだけでなく、芸術的な調和に中に再構築するところまで高めた古代ギリシアの表現には感嘆を新たにする。まったく、現代においては、そこに至る道筋を想像することも難しいほどだ。ただ1つ言えることは、知識と技術だけでは決してそこへたどり着かないと言うことである。それらが素晴らしい二頭の馬とするなら、それらを操る巧みな御者こそが必要なのだ。

2017年9月15日金曜日

ミケランジェロのワックスモデル再び

 2回目の「レオナルド×ミケランジェロ展」に行った。今回は閉館1時間前を切っていて、満足するほどゆっくり見られなかったが、館内はガラガラで、1つの作品を1人で鑑賞する贅沢さがあった。今回は近距離双眼鏡を持参して、これが大活躍だった。これで見ると、肉眼での鑑賞との情報量の差が凄まじく、鑑賞が数倍楽しくなる。
 看板作品になっているミケランジェロの素描では、紙葉の左下にペンの試し書き線が2つある。それが始まりのカーブが逆向きで、もしかしたら1つがミケでもう1つは弟子が真似したのではないか、などと想像して楽しい。レオナルドの看板作品の素描は、サイズが小さいので、肉眼では拡大印刷されているもののようには見えない。これも双眼鏡を使うと、1本1本の筆致がハッキリ見える。左頬には白色でハイライトが入れられているのだが、それだけではなく、修正でもしたようなシミがそこに見られる。

最も鑑賞に時間を当てたのは、ミケランジェロのワックスモデルである。肉眼で見ても素晴らしいが、今回、双眼鏡を使うことで、目の前に等身大ほどに拡大された彫刻があるかのように鑑賞することができた。像の右大腿部や左の腰部などに、指紋がはっきりと残っている。ミケランジェロの指紋である!指でしっかりとワックスを押し込んだことが分かるし、指紋が残るほどに柔らかい状態で造形したことも伝わってくる。また、背中の辺りには、ヘラで付けたような段々のへこみがある。他には、肘を突いている右腕の付け根、つまり肩のところは、ワックスを伸ばしてなじませた跡が見られる。胴体とは別に腕を造形して、それを接合したのかもしれないし、造形過程で割れて取れてしまった腕を再接合したのかもしれない。また、背中には背骨にそって溝があるのだが、溝の底が鋭利である。双眼鏡で見ると、爪痕が溝の底に沿って残っている。腹部側の造形の細かさと比べると背中は若干荒さが残るのも興味深い。
 横向きで、右脚の付け根を下にした横向きの姿勢だが、胸郭から肩にかけて大きく回転運動しており、左肩は前方(腹部側)へ覆い被さるように傾いている。この捻れは写真や画像では全く伝わってこない。全身が作り出す大きなねじれの運動が素晴らしい。斜め後ろから見ると、腰の前傾は、腸骨陵の上の外腹斜筋の膨らみも同一の量塊として捉えているように見えた。脚は左脚の大腿の造形が素晴らしい。膝に来ると粗付けだが、膝下部分の大きな形の捉え方はかえって分かりやすい。それはスネの前縁を強調するような形の捉え方である。
 実に、この小さなワックスモデルは、サイズを超えて、ミケランジェロ彫刻の要素を直接的に伝えてくる。この展覧会で、彫刻家ミケランジェロの真髄が最も伝わるのが本作品である。「Divine」な造形とはこれを言うのだ。

 あと1週間ほどでこの展覧会は終わってしまうが、もう一度、時間を作って見に行きたい。

2017年9月5日火曜日

ミケランジェロ『夜』のポーズをモデルに取らせて

先日、カルチャーセンターの講座で、モデルにミケランジェロの『夜』のポーズを取ってもらった。ビーチチェアを置いて、そこに横たわってもらう。彫刻の右脚は膝が曲がっているのだが、ビーチチェアでは伸ばさざるを得なかった。このポーズの見せ場は、当然ながら体幹部のねじれである。右肘を左ももに付けるという、ストレッチ体操のようなねじれの姿勢を取っている。この姿勢をモデルが10分間維持できるか未知だった。結果は、やはり数分するとねじれが徐々にほどけてくる。

 ミケランジェロの作品には、この作品と同様に、過度に身体をねじった表現が多い。鑑賞者もそれを見ると、ああ窮屈な姿勢だなと思う。緊張した、押し込まれた状態のバネのような、そういうものを感じる。そして、それこそが作家が狙った効果だろう。その時、鑑賞者は誰もこれが冷たく硬く不動の岩石でできていることを忘れている。この強い捻れの姿勢は、ロダンの『考える人』にも採用され、その動勢を鑑賞者へ伝えている。
 『夜』の腹部には大きく3つのひだができている。腹部は屈曲しているので、皮下脂肪が集まって緩んでいる。左の腿の付け根には、もう1つのひだが見える。腹の一番下のひだとこのひだの間には若干の隙間が表現されている。ここが骨盤の最上部である。脚の付け根、もしくは尻の横面が大きく見えており、そこには3つの膨らみが造形されている。これは上から、大腿筋膜張筋、大転子、そして大殿筋である。太い大腿部の側面には近位側に溝が2条見えるが、これは上が腸脛靭帯で下が外側広筋とハムストの境界であろう。殿部を構成する大殿筋の遠位部の表現は若干特徴的で、立位の時の殿部の印象が表されている。つまり、印象としての、もしくは記号化された尻がそこにある。
 乳房は、見れば分かるが、まったく現実味のない表現物で、分厚い大胸筋の上にできた腫瘍の様だ。この乳房はその醜さから返って目に付く。なんとなれば、後世の芸術家がこれを削り去って大胸筋だけの胸部へと修正しやすいように、境界を明確にしておいたのではないか・・などと想像してしまう。
 
 ミケランジェロは、この作品を作るに当たって、もはやモデルを見ていなかったのではないだろうか。そう感じさせるくらいに、理想化と観念性が強い造形である。

2017年8月8日火曜日

ミケランジェロのダヴィデ像のポーズをモデルに取らせて

 2017年8月5日に朝日カルチャーセンターで行った、ミケランジェロのダヴィデ像のポーズを男性モデルに取ってもらいそれを観察する講座では、興味深い発見が幾つかあった。

 ダヴィデ像は、特徴的で人々の記憶に残りやすい姿勢をしている。いわゆる片脚重心の姿勢で、休めの姿勢とも普通に言われる。美術用語ではコントラポストとも言われるこの姿勢は、古代ギリシア時代の彫刻に初めて採用されてから、現代まで選ばれ続ける、立位ポーズの”黄金基準”である。ミケランジェロの他の作品では、彫刻でも絵画でも、これよりずっと激しく身をよじったポーズが多い。その中にあってダヴィデ像が比較的静かなポーズなのは、この像が掘り出される前の大理石の原石が、すでに切り出され、別の彫刻家によって掘り始められた途中でうち捨てられていたという原因がある。幅に対して厚みが無く、一部には穴が開けられた状態だった原石から、この作品は制作された。厚みが無ければ、鑑賞される方向が限定され、正面性の強い作品となる。実際、この像は腹側から見られることがほとんどで、背中側や横から見られることはあまりない。


 今回、男性モデルに同じ姿勢を取ってもらって、すぐに気付いたことは、静止状態では重心の位置が異なるという事実である。ダヴィデ像と同じ右脚重心であるにも関わらず、腰から上の体は像よりずっと左側にある。つまり、腰から上は左右の脚の間に乗っているようにある。それだけではない。モデルの骨盤の前面はダヴィデ像より左を向いている。つまり、左の股関節から下腹部前面は遠ざかるように回旋していて、言い換えれば、右脚は骨盤に対して外旋位を取っている。通常なら、休めの姿勢を取ると、立脚に対して骨盤は内旋するのである。しかしそれはささやかな動きなので、身体部位の重量が異なる個人では外旋に転じることもあるのかも知れない。また、今回のポーズは左脚を投げ出しているので、そちらに重量が引っ張られて外旋したのかも知れない。一方のダヴィデ像では、腹部前面はモデルほど外旋せずにいる。
 この2つの要素、すなわち、左側に寄った上体の重心と、左脚側を向いた上体を、ダヴィデ像のように修正しようとすると、それは”一瞬なら”できるが、そのままで立ち続けることはできないことが分かった。無理にこのポーズを維持しようとすると、それはもはや片脚重心とは言い難い、自然に反したものである。これから推測されることは、ダヴィデ像は休めの姿勢を取っているのではないという事実である。確かに、巨人ゴリアテとこれから闘おうとしている人物が、のんびり休んでいるはずがない。彼の姿勢は、意識的に力を入れて、巨人がいるのとは反対側へ体重を移動させた、その瞬間が表されているのである。この姿勢で、右脚側に重心が乗っているのはほんの一瞬だけだろう。次の瞬間には重心は再び左側へと揺らいでいく。ちょうど、振り子が揺れて、反対側へと動き出す一瞬前に止まる、あの一時である。

 ミケランジェロは革新的なポーズの数々を生み出した芸術家だが、このダヴィデ像もまた、素晴らしい創意が込められているようだ。それを、このように調和的なポーズにまとめ上げるセンスは唯一無二である。
 ところで、ダヴィデの手をよく見たことがあるだろうか。全身をぱっと見ただけだと、裸の若者が立っているだけにも見えるが、その両手は軽く握られている。また、あまり見られない背中を見るとそこには左肩から右腰にかけてベルトのようなものが斜めに掛けられていることが分かる。ダヴィデはこの後に始まる戦いのために、投石器(スリング)を持っているのである。肩まで持ち上げられた左手には、石を挟んだスリングを持ち、降ろした右手にはスリング両端をまとめた部分を隠し持っている。この事から、ダヴィデは右利きだと分かる。次の瞬間には、狙いを定めて左手を離し右手でスリングを振り回したかと思うとその片端を指から離す。それと同時に遠心力から解き放たれた石は凄まじい速度で敵の巨人へと飛んでいくのである。
 ミケランジェロは投石器を正面から一切目に入らないようにしている。もし、スリングが体の前面にあったなら、視覚的に非常に説明的なポーズとなり、現在のような感動を呼ぶものにはならなかった。多くの芸術家は、作品に語らせようと努力しすぎる余り、そういった失敗に陥りがちである。彫刻は動かず鑑賞者は動く、という当然の前提を信じることが、ダヴィデ像のような鑑賞の幅を維持した作品を産むのだろう。

 また、ダヴィデ像との関連性とは別に、今回の男性モデルは、外腹斜筋の上部(第5、6、7肋骨起始部)が鍛えられており、肋骨弓をまたぐように筋尖のひとつひとつが目立った。肋骨弓を筋尖で割る表現は古代ギリシアでもあまりなく、ダヴィデ像もそれほど強調されていない。この肋骨弓部の外側には、外腹斜筋と前鋸筋の交差部がある。これらの要素がひとまとまりになると、大胸筋の下の胸郭部に特徴的な小さな起伏の繰り返しが現れる。それは、お寺の門にいる仁王像の胸筋下の亀甲模様の起伏を彷彿とさせる。実際この男性モデルは、典型的な東洋人体型で、すらりとした逆三角形のダヴィデ体型と言うより、仁王像や金剛力士像を思い出させた。地方の小さなお寺の仁王像では、この前鋸筋と外腹斜筋の交差部の表現がすっかり様式化して六角形のタイルがはめ込まれているようなものも多く、タイルのピースが一列多いのじゃないか、などと思ったりもしていたのが、実際にそう見える事もあるという、新鮮な発見であった。

2015年12月29日火曜日

小さな男性トルソ像

 鋳造屋へ行くと、鋳造師が小さなブロンズのトルソ像を持ってくる。以前に私がそういうのが好きだと話していたのを覚えていたので出してきてくれたのだ。高さ12センチほどの小品で御影石の台にとりつけてある。この原作はミケランジェロだと聞いていると鋳造師。確かにその頃の人体描写にも見える。何度も型取りを繰り返してきたであろう、細部はまったく甘くなっている。ただそれだけに大きな構造が強調されて、かえって作品の芯の強さが立ち現れているように思う。凹凸の誇張された表現は、それが黒茶色のブロンズであることからも、ロダンを思い出させる。ロダンの作品だと言われても信じてしまうだろう。実際、ミケランジェロだとすると若干線が細いようにも思う。いずれにせよ、人体構造と造形力、表現力のどれをとっても素晴らしいものですっかり気に入ってしまい、結局、安価で譲って頂いた。鋳造に出している自分の作品よりこちらの方がよほど気に入った。

 鋳造師は面白い小話を教えてくれた。日本の近現代彫刻の有名な作家(物故)もこの作品を持っていて、ほとんどそのまま拡大しただけの作品があるという。あとでネットで調べると確かにほとんど拡大模刻の作品があった。ただ、この小品が持つ躍動感や造形のダイナミズムはすっかり失われていた。もしこれが、何かと「不正コピー」にうるさい現代であったら、同作の発表ははばかられただろう。

 この小作品は背中の表現が特に優れていて、通常正面とされる腹部よりそちらを見せたかったのではないかと思われるほどだ。肩の上部には肩甲骨がその筋肉を率いて、胸郭のうえに更に量塊を形成している。この造形を見たときにある別の作品を思い出していた。それはロダンで、彼の腕から型取った手が小さな女性のトルソを持っているという作品である。その女性トルソは、たしか別の作品の一部だが、軽く背中をまるめて両腕は背中側へ向けている。脚は膝上までが作られている。この作品の背中上部、胸郭と肩甲骨との造形が、今回の男性トルソのそれとよく似ている。また、胸郭と骨盤部とのつなげ方、つまり腰のくびれ表現までもが、両作品で似ているのである。人体というおなじモチーフ、そして彫刻造形への同様の理想を持った作家であれば、偶然似るということもあるだろう。ただ一方で、有名な作品が実はそれより以前に作られた別の作品の影響をつよく受けていたという例も多い。そういう見方で遡っていけば、結局は古代ギリシアという大河へ帰り着いてしまうのだけども、今回の男性トルソ像との類似性については、もっと具体的な一事例についての話である。もしかしたら、ロダンもこの小トルソ像のコピーを所有していて、そこから別の自作を作成したこともあるのではなかろうか。そんな空想が拡がる。
 そんな空想の確実性を高めるためにはこの小トルソ像の由来が重要になってくるわけだが、ネットでそれらしいキーワードで検索しても一向にヒットしない。いくつもの複製が作られているのだから、知られざるヒット作なのだけども。

 コピーかオリジナルかという議論が昨今の我が国では賑やかだが、そもそも、日本の西洋美術は明治初期にほとんど西洋表現の真似から始まっている。彫刻の近代化は、”大ロダン”の作品が高村光太郎や荻原碌山や白樺派によって「輸入」されてからと言えるだろう。その後は何人もの日本人彫刻家によって具象表現が表されてきたが、今見ると、言葉は悪いが「西洋作家の劣化コピー」にしか見えない物もあるのが事実である。ではそれらは否定されるべきものかと言うと、そうではないとも思う。明治から戦後の高度経済成長期まで、西洋の美術動向を我が目で見ることができた日本人がどれだけいただろうか。その時代の芸術家たちは、自分の表現を追求しながらも、彼らの作品を通して世界の美術動向を伝える役割も”結果的に”していたのだと思う。それは、あたかも西洋美術を「日本人向けに翻訳して」表現しているようなものだった。こういった流れは、なにも美術に限らず音楽や文学などどこでも見られることだろう。

 「オリジナルか否か」という問いそのものが、表現領域においてはナンセンスなものとして響くことがある。そんなことまでも改めて考えるきっかけにもなった、この小さなトルソ像。どこからやってきたのか今は分からないけれども、いつか知るときが来るだろうとも思う。

2014年4月7日月曜日

見る業、作る業

目を開けた瞬間から、対象が視界に「飛び込んでくる」。その視覚的な見え方は、透視図法という技法を通して再現が可能だ。透視図法に繋がる技法に、レンズを用いて光線を屈折させて紙に投影させるものがある(カメラと同原理)。より単純には、単に小さな孔を開ける方法もあるが、いずれにせよ、普段自分の目で見ているのと同じ光景が、壁なり紙なりの上にあるというのは、純粋な驚きをもたらす。いわゆる「映像」に慣れきっている現代の私たちでも、映画や立体映像など視覚的な刺激には心を躍らせるものだ。自分の目で見える世界がレンズや孔を通した投影像と同じだという事実は、視覚は受動的であるという感覚を補強する。
 しかし、視覚が受動的ではないことが現在では知られている。外光がレンズで屈折して投影されるという光学的現象は、目の水晶体(レンズ)で屈折し眼球の後ろの内壁の網膜に結像するまでの話だ。その壁には無数の視細胞があり、各自が光線のスペクトルと光量に応じて興奮反応を示す。そして、光線を細胞が受け取ったこの時点から、網膜に映った映像は分解され必要とされる情報へと変質される。その後は脳へ運ばれ更に要素へ分けられていく。私たちが意識としてイメージする主観的映像は、それら分解された情報を必要に応じて再合成したものと言える。つまり、視覚は受動ではなく能動的行為なのだ。だからこそ、同じ光景を前にしても、最終的な心象風景として何が見えているのかはそれぞれが違うのだ。
 
 心に思い浮かぶ心象風景を描出した景観画には作家の個性に基づく表現がなされる。それらは時に共感を呼ぶが、時に拒絶もされる。より多くの鑑賞者に受け入れられるには、どうすればよいだろうか。その手段として有効な物のひとつが様式化だ。様式化は言わば世界の記号化であり、全ての表し方を統一してしまう。数千年に渡った古代エジプト文明の人物表現様式や、中世のビザンティン様式などを見ても様式化がどれだけ強力であるかが分かる。そこに光学的な事実を取り込んだのが透視図法だ。透視図法は計測に基づくという点で、それまでの様式化とは違う。そこに表される世界は、私たちの視覚認識系を通る前に規定された世界だ。目で言うなら、網膜に光線が当たるところまでの世界、視覚の能動性の前段階である。そこに個人的心象や文化的規定が入り込む隙はない。これは、表現の拡散におけるブレークスルーだった。時代や文化が異なっても、光学的現象に変化はないからだ。透視図法に基づく景観画はその意味で時代と国を超える力を持つことになる。また、透視図法は観測と描画とが同時に結びついているという特徴がある。つまり、その方法に従って線を引くと、そこに自ずから景観が描かれる。洗練された透視図法は自動的であり、没個性的な技法とも言える。

平面芸術の空間表現において透視図法は大きな力を発揮するが、芸術のもうひとつの主題である人体表現には透視図法は適さない。人体は遠近の効果をもたらすほど大きくもなく、直行する直線的要素も持たないからだ。年齢や性別などでも形態が大きく変わる。それでも、多くの人が持つ人体の恒久的印象があるはずとの信念から、理想的比率を持つ人体像が模索されてきた。言葉として知られているのは古代ギリシアのポリュクレイトスの「キャノン」であり、図像として知られているのはレオナルド・ダ・ヴィンチの「ウィトルウィウス的人体」がある。これらは共に、外見から体部の計測に基づいている。しかしこれらは、強い説得力の半面、不信にも晒されてもいたはずだ。なぜなら、人体は動きによって姿勢が変わるごとに体表の各部位は変形して比率は変化してしまうので、不動の建築物や彫刻でもなければ固まった計測事実は恒久的有効性を持たないからだ。事実イタリア・ルネサンスにおいても、ミケランジェロら芸術家が何らかの外部計測に基づくキャノンに従うことはなかった。では、一挙動ごとに変形する人体を捉えるにあたって、拠り所となるものはあるだろうか。そこで選ばれたのが、硬く変形せず運動を捉えやすいもの、すなわち骨格である。それは変形しがちな人体をその内側から支え、曲がる箇所は関節に限定されている。
アルベルティ
絵画論を著した
「人体においてまず意識すべきは骨格である。骨格の位置と姿勢を決めれば、後は然るべき部位に筋肉を割り振り、最後に皮膚で全てを覆えば良い。」(アルベルティ)
 そのために、芸術家は裸体をただ外から観察するのではいけなくなった。今や骨格と筋肉の立体的位置関係と形状とを知らなければならない。そうして解剖学的構造という内なる事実から組み立てられる人物像は、透視図法ほどでないにせよ、一定の恒久性を持ち得た。なにより、捕らえどころのない人体という自然物の形状の成り立ちを明確に示してくれることは、芸術家の人体描写の下支えとして大いに役だった。ただ、解剖学的な事実を知ることが直接的に描写に反映はしないという点が透視図法と大きく異なる。解剖学に基づく人体構造の認識(つまり美術解剖学)は、「人体の見方論」に過ぎない。人体の形や皮膚に現れる起伏の理由を知ることが視覚の能動性に影響を与え、見えなかったものが見えるようになる。見えるようになった対象を再現するには手業の訓練が別途必要なのだが、その事実は忘れられがちに思う。

2013年10月16日水曜日

『ファブリカ』の解剖図の芸術性



 今から470年前、バーゼルで大きな書籍が出版された。その書籍は出版直後から激しい議論を巻き起こしたが、歴史がそれを受け入れ、それ以前と以後とでは多くの事柄が変化し、その恩恵を現代の私たちも受け続けている。その書籍『ファブリカ』は、古代ローマから続いた誤りを含む医学権威への盲信から医学者の目を覚まさせ、近代医学・科学の礎となった解剖学書だ。同書が出版されたとき、著者である大学教授のヴェサリウスはまだ28歳だった。
 『ファブリカ』が書籍として果たした別の革命として、本文と図譜の有機的な結合がある。そこに記された図譜は、雰囲気をもり立てるだけの挿絵ではなく、全てが本文の内容とリンクすることで意味を成す”視覚的伝達手段”として置かれた。言語だけでは語り尽くせない解剖構造を、それらの図譜が補っている。
 
 『ファブリカ』は全てラテン語で書かれているうえに専門的な内容なので、誰もが本文に目を通してその素晴らしさを理解したわけではない。それでも同書が時代と国を超えて伝えられるのには、一見して素晴らしさが伝わる解剖図に依るところが大きい。事実、そこに表された「生きた人体としての解剖図」というかたちは、その後の長きに渡り解剖図の「型」ともなった。そのような図像学的にも語れることは多いだろうが、よりシンプルに見てもその解剖された人物像たちは芸術的に非常に優れている。

 第1巻には骨格人図が3葉、第2巻には筋肉人図が14葉収められている。様々な形で引用される図なので、見覚えのあるひともいるだろう。これらの図を解剖図として見ると、現代の医学書に用いられる図との大きな違いから、違和感を感じさせる。骨や筋を露出させた状態でありながら生きているという描写は、非現実的で不気味さも漂う。
 しかし、骨格人や筋肉人たちが取っている姿勢を良く見てみると、決して不気味さを与えることが目的ではないことが分かる。彼らは基本的に片足重心で立ち、それに伴う重心の移動を全身で調節している。それが全身をつらぬく曲線を生み出し、腕と手の位置と顔の表情とで心情の表現をも感じさせている。このような姿勢は、この時代の芸術では頻繁に用いられるもので、この解剖図を描いた作家が専門のトレーニングを受けていたことを表している。さらに、14葉では姿勢にバリエーションがあるが、そのどれもが姿勢に調和を保っている。

 筋肉人たちは、徐々に筋を剥がされていくので、背中を見せているある図では尻の筋が丸ごと剥ぎ取られ、脚の付け根の関節がほとんど露出している。そのような体表の輪郭が失われるほど解剖が進んだ状態であっても、周囲の構造描写が崩れていないため、人物像としての安定を保ち続けている。
 これらの骨格人図、筋肉人図が描かれるのにどれだけの忍耐と労力が必要だったろうかと思わずにはいられない。裸体の人物像を描写するだけでも、相応のトレーニングが必要である。その外見、輪郭を保ちつつ、内部構造を正確に描いているのだ。解剖図は構造の形状と位置関係にシビアである。”何となく”や”雰囲気”では描けない。ここの構造については全て著者ヴェサリウスの指示の下に進められた。しかし、これらの図を描いた画家が解剖構造について無知であったとして、ヴェサリウスの指示を正しくくみ取ることが出来ただろうか。『ファブリカ』が世に出るより半世紀以上前から、一流の芸術家達は表現のために人体解剖を行っていた。恐らく、この解剖図を描いた画家も既に解剖構造をある程度知っていたと思われる。では画家は誰であったのか。それは分かっていない。同時代の芸術家についての著名な伝記であるヴァザーリの『芸術家列伝』においてティツィアーノの項目でヴェサリウスの図を描いた画家としてカルカールの名が出るが、これは『ファブリカ』の5年前に彼が出版した別の解剖図のことである。
 『ファブリカ』の骨格人図と筋肉人図は明確な輪郭線と強い陰影描写によって、手で掴めるような実在感をもたらしている。全身の当たる光線の方向も意識的に捉えられ、それは足元に落ちる影まで統一されたものだ。筋のひとつひとつも、現代の解剖図のように筋線維の走行線を描くというより、筋のもつ”かたまり”の量を描写することを優先している。このような、立体感と遠近感を重視したのはルネサンス芸術が最も花開いたフィレンツェで活躍した芸術家たちが好んだ技法である。私はこれらの図を見るにつけ、彫刻を学んだ芸術家による作画ではないかと感じてしまう。たとえば、偉大な彫刻家ミケランジェロが描いたシスティーナ礼拝堂天井画を思い出させる。
 筋肉人図を分析し、内部の骨格を抽出してみると、一見正確に見える構造描写も曖昧な点が多いことが分かった。立体である人体を平面上に再現する際に、意図的に歪ませたと思われる部位もある。このような、「気付かれない歪み」はミケランジェロの人物画にも見られるもので、視点が固定される平面図だから出来る技法とも言えるだろう。

 『ファブリカ』の発刊は、当時の医学界に大きな衝撃を与えた。しかし、その衝撃力は文章を読まずとも一目のうちに伝わるこれらの解剖図に依るところも大きい。解剖学の知識が治療に直接結びつくにはまだ時間が必要だった。純粋科学としての色が強かった解剖学の知識-つまり、皮膚の内側の形の知識-を誰よりも必要としていたのは、人体の形を造形する芸術家たちだった。先にも書いたように、彼らは既に自らで人体解剖をしていた。しかし、人間を解剖するという行為はあらゆる意味で気軽ではない。むしろ、しなくてもいいのならしたくはない類の行為である。そういった芸術家からの要求にも『ファブリカ』は応えるものだった。事実、筋肉人図の第1図は芸術家のために用意されたのである。芸術家を想定読者に据えた解剖学書は同書が初ではないものの、「実用に叶うレベル」を付け加えるなら、『ファブリカ』が初の美術解剖学書であるとも言える。

 『ファブリカ』の発刊後まもなく多くの海賊版や複製図が生み出された。その後、数世紀にわたって、同様の筋肉人たちが解剖書に登場するが、同書の筋肉人たちほど優れた描写のものはひとつも存在しない。
 16世紀のイタリアにおいてこのような奇跡的な大著が生まれたのには、様々な理由が重なっているが、このような事象が多く起きたのがルネサンスと呼ばれる時代だった。
 ヴェサリウスが『ファブリカ』で成した医学的、科学的視点は偉大である。それと同時に、「視覚伝達・非言語的伝達」の重要性を理解し、高いスキルの芸術家を画家として採用することで画と図を非常に高いレベルで融合させることに成功させたこともまた評価され続けるべき事実である。

2010年2月11日木曜日

ヌード 芸術的人体観の根源

いま、芸術における人体表現の基本は裸と決まっている。それは、現在の芸術の主流である西洋美術の根源がギリシアであることと関係があるのだろう。ギリシア時代は、競技場では全裸で競技や練習をしていたそうで、芸術家は自由にそれを観察していたという。それが、自然な感覚からそうなったのか、何らかの先行する思想や哲学があってのものなのかは知らないのだが、今の感覚ではにわかに信じられないようなエピソードだ。しかし、あれだけの裸体芸術を生み出したのだから、相当綿密に観察と計測が行われていたのは事実だろうし、芸術家たちにとってはうらやましい理想ではある。

人体を正確に描写しようという強い欲求があれば、外見だけの観察ではやがて満足できなくなり、可能ならばその外見が出来る理由をその皮膚の内側に探りたくなるものだ。そして、それが実際に行われたのが16世紀のイタリアであり、美術解剖学の始まりとされる。
一方、人体解剖の古い記録は、パピルスに記されていたエジプトまでさかのぼることが出来る。エジプトと言えばピラミッドとミイラだが、そのミイラもただ死体を乾かすというものではなく、幾つもの手順があったそうで、内蔵や脳も事前に取り除かれていた。そういう技術を持っていたのだから、解剖の知識があったというのも納得がいく。ただ、その知識が造形に反映されていたのかは定かではない。
裸体の芸術が華開いたギリシアのクラッシック期は、フィディアスやポリクレイトスら歴史的彫刻家が活躍し、医学ではヒポクラテスが活躍していた。ヒポクラテスは解剖をしなかったという。しかし、それが当時解剖が全く行われなかったと言う根拠にはならない。16世紀のイタリアで、近代的解剖学の先陣を切ったのは医学者ではなく芸術家のミケランジェロであり、レオナルド・ダ・ヴィンチだったように、ギリシアでも芸術のためにそれが行われていたかもしれない。カノンやコントラポストなど現代まで続く美の基準は、体表の観察のみで生み出されたのだろうか。それから150年ほど後のヘロヒロスは既に綿密な人体解剖をしていたのである。解剖は、単に皮膚を切り裂いて中をのぞくだけでは何も見えては来ず、混沌と混乱が広がるのみだ。そこから意味を見いだすには相当の知識と経験が無ければならないことを考えると、ヘロヒロス以前からそれは行われていた可能性はあるだろう。

ギリシアから古代ローマの後、暗黒期と言われる中世を超えて、16世紀のイタリアでルネサンスが起こった。ここで古代の裸体芸術は再び息を吹き返し、名だたる芸術家によって新しい裸体美が生まれた。しかし、この時代は既にギリシアのように裸は身近ではなくなっていた。その意味では現代に近い。身近でないものを効率よく知るにはどうするのが良いか。知識と情報で補うのである。死体を解剖するという発想の裏には、芸術家のそんな切羽詰まった欲求があったのだろう。

現代の芸術家と裸を取り巻く環境は、大きく見ればこの頃から変わっていない。ただ、現代では裸はもっと遠い存在になっているかもしれない。
先日、友人の彫刻家(彼は日常的にヌードモデルと接していた)と話していて、「他人の裸を丹念に観察するという非日常性」に気付かされた。そう、ほとんどの人は、裸がどういうものか知らないのだ。正確には、裸の人の形を知らない。現代人にとって、他人は常に着衣である。他人にとっての自分もそうだ。裸をさらすという行為は、特殊で閉じられた行為で、もはや、「外世界に対しての体表とは皮膚ではなく、衣服である」とさえ言える。

近代彫刻の父ロダンは、何人もの裸のモデルをアトリエ内で自由にさせて、それをクロッキーしていたという。彼は古代ギリシアの芸術家と同じ環境を自ら作っていたのだ。
裸が遠くなった現代においては、芸術家は美術解剖学で筋肉や骨を知るだけでは足りないだろう。その前に、十分に裸を観察しなければならない。裸を知らぬ美術解剖学の知識は空疎なものだ。

こんな夢想をした。何人ものヌードモデルたちが自由にしている「ヌード・ルーム」もしくは「ヌード・ハウス」が美大内にあって学生や許可を得た作家は自由にそこでデッサンやクロッキーができるのである。ギリシアの芸術家やロダンのように。もしこれが実現したら、日本は世界からその文化レベルを賞賛されるだろう。

2009年5月23日土曜日

美術解剖学というもの

美術解剖学の書物が多くある。そこには、決まって筋肉人と骨格人の図が描かれているはずだ。気の利いた本ならば、同じポーズの裸体像が隣に描かれていたりして見比べられるようになっている。人体の作りを内面から知りたいを思った読者は、それを見て納得する。なるほど、裸体のこの起伏は、この筋肉が見えていたのかと。そして、やる気を出して、筋の名称を覚えようとする。
そうして彼の知識は以前とは変わった。腕を伸ばす時の筋の名前も言える。ところが、人体を描こうと紙に向かうと、以前と同じように形が分からない。モデルが違うポーズを取っているともう、起伏を追えなくなる。
どうしてそうなるのだろう。解剖学を知れば、人体の形が見えるようになると思って、皮を一枚剥いで見てみた・・・それは、皮を剥いでいないのと同じではないか?それは、裸体に筋肉をボディペイントしているのと同じことだ。それなら、何も筋肉にしなくても、別の分かりやすい名前を付けて理解するようにすればいいのではないか。
実際、解剖学的なアプローチでの観察が行われなかった時代は、体の部位を外からの観察で特徴で分けていたろうと想像できる。その場合、初期ほど写実で、後期になると概念的で形式的になるはずだ。

しかし、今、表現の為に解剖学を欲している人は、その「外見だけで内側を推測する」ことの限界を感じている人のはずで、そこで、皮一枚剥いだ状態の図を見せて「はい、どうぞ」では、色合いを変えただけで同じ場所の堂々巡りなのだ。
人間の形が、どんなものの組み合わせで出来上がってきているのか。そのことが、本当は知りたいはずで、美術解剖学は、それを説明できなければならない。

人間のからだを外見から見て表現することが出来るのが芸術家だが、だからといって、その人が、解剖学的に正確な組み立てを知っている訳ではない。一方、その組み立てを正確に知っているのが解剖学者ということになるが、彼らはそれを表現する術を持たない。ならば、両者が組めば良いではないかという発想は昔からあって、実際歴史的に有名な解剖学書の多くはそうして作られている。この場合は、解剖学者が芸術家を採用したかたちだ。それに比べると、その逆はあまり聞かないように思う。

芸術家にとって解剖学の知識は、大抵の場合作品の品質に良い影響を与える。最たる例が、ミケランジェロやレオナルドだが、彼らと現代の私たちでは、大きくて本質的な違いが横たわっている。それは、「自分の目で観察した」ということだ。彼らは、自ら解剖をしたと伝えられる。大変だったろうし、そこまでするのだからよほどの知識欲があったのだろう。それに対して、私たちは、「解剖図を見て」学ぶ。それは、誰かの知識を介在させたものであって、多くの情報がすでに整理され、何らかの方向付けがされているのだ。その意味で、解剖図を見て、人体の内部を”レオナルドのように”知ったと思うのは間違っている。

とはいえ、人類は、解剖学において人体内部の意味合いを多く発見し記述しており、それらは形を読み解くヒントになるものも多いのは事実だ。ただ解剖図を見るのではなく、それに伴う情報も利用して、形の組み立てを記述できるようになるのが、美術解剖学の正しい道のように思う。