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2016年6月15日水曜日

美術解剖学の秘匿性

 教育の基本は、自分の知識を他者に教える事。そこには、知りたい者と授ける者の関係性があり、それぞれの利益が関係している。知りたい者は情報を得る事が利益となるから分かりやすい。では、授ける者の利益は何か。それは自分の仲間を増やす事であり、もっと極端に言えば自己の拡大である。つまり、教育とは自分の仲間を増やす行為である。だから、授ける者は、知りたい者の誰にでもそれを与えるわけではない。自分の利益に叶うであろう者だけにそれを授けるのである。

 さて、美術解剖学は専門特化した教育のひとつである。その起こりまで遡るならそれは職人芸術家工房の技術力向上が目的であって、その性質から考えると、工房の一員として迎え入れられた者だけに与えられる閉じられた知識だったはずだ。そもそもその頃は美術解剖学とは呼ばれてはいなかったし、実際にも学問ではなかった。美術もまた学問ではなく”術”である。術は学とは違って閉じられた性質を持つ。それは小さな団体や集団ごとに伝達された術(わざ)の伝統とも言えよう。だから美術解剖学の原型は、閉じられた集団内で伝えられる秘匿的な性質を有していたはずである。15世紀のルネサンス期には絵画論などが書かれ、その秘匿性は公のものとなっていった。しかしそれでも、重要な中心部分は決して公には語られなかっただろう。
 芸術は閉じられた秘匿性が利益となる領域でもある。芸術は一般化となじまないからだ。そうであれば美術の為の解剖学も芸術と付随する形でその秘匿的な性質を保ってきたとも言えるのではないか。ならば、その性質を尊重してより正しく言うなら、美術解剖学ではなく美術解剖術と呼ぶべきかも知れない。


 ともあれ、美術解剖学は「芸術造形で人体を作る者」だけに向けられた非常に特化した知識系である。だからそれは、真にそれを知りたいと思う者で、かつそれを授けるに値すると判断された者だけに密かに教授されるという性質を有している。

2015年2月17日火曜日

「ヒトのカタチ、彫刻」感想

今回、静岡市美術館で開催中の「ヒトのカタチ、彫刻」展にテキストで参加させて頂き、私自身、彫刻と人体という最も興味深いテーマについて考える良い機会となった。カタログには、私のほかに金井直氏が批評文を、同館学芸員の以倉氏と伊藤氏が近代彫刻の流れから今回の作家までの流れとその制作過程についての文章が載っている。私の文章は、今回の作家さんについてではなく、彫刻と人体の構造的に見た相似点を挙げることで、物理的に見ても彫刻と人体は存在として似ているというようなことを述べた。
 カタログに記載されている、自分を含めて4名の文章を見て、実に彫刻の鑑賞領域の狭さというものを実感した。というのは、4名がそれぞれの立場で自由に彫刻について語っているにもかかわらず、その要点が結局のところ皆同じなのだ。触覚、表面、内と外などなど。事象として彫刻を語ろうとすると、とどのつまり、そこに置いてある物質について言っているに過ぎない。それは、間違っているわけではないのだが、なんだか滑稽にも思えた。大の大人達が石ころでも取り囲んで、腕組みしながら、言葉をひねり出しているような・・。だが勿論、狭い視野で眺めているだけではなく、そこに現れている形態や姿勢から素材とはまた違う文脈的要素へと分析が降りて行く。つまり、幅が狭く、深い。なるほど、見渡す範囲が狭くとも、深さ奥行きはどこまでも伸ばせる。深さ、というところがまた立体物である彫刻にふさわしい。

 さて、学芸員(学芸課長)の以倉氏の文章は、まず近代彫刻に至る流れを俯瞰しその流れの先端として今回の3名の作家を位置づける。私たち、そして作品も突然時空に現れたのではなく、何らかの時系列的流れに属している。本人がそれに気付かずとも。彫刻の進化的流れは時代を通して一定であったわけではなく、そこには発展停滞の緩急が当然見て取れよう。そのなかで、現代に繋がる大きく勢いのある流れが起こったのが19世紀後期であり、その核が当然ながらオーギュスト・ロダンということになる。だから、現代の彫刻家や美大予備校彫刻科学生が皆口にする「量感、マッス、構築性、重量感、空間性」という言葉が示す彫刻的感覚も遡って初めに現れる堰はロダンである。ロダンは実に現代の彫刻に見られるおよそ全ての核を1人で作り出したように見える。彫刻の真の自立もまたロダンによって成された。同テキストでの「内的生命」、「自己言及的な姿」というものだ。ロダンの後に英国彫刻を世界に知らしめたヘンリー・ムーアも自身の彫刻を「それ自体が生きている存在」としての価値を与えようとした。つまり、ロダン以後の彫刻は、生きている物を模している物体ではなく、生きている物そのものとして表されるようになった。これは何だか奇妙にも感じる。20世紀に入ると科学技術は急速に発展し、人という生き物の意味合いも変わっていった。それは一見、有機的統合体から断片的存在へと人の概念が解体され標本化していく過程を思わせるが、近代彫刻が目指してきた方向は、物に生命を重ねて信じさせるような、言ってみれば呪術的な臭いさえ漂うようなコンセプトがそこに見られるのである。偶像崇拝の無意味さに気付き、理性的判断で空間と人体を分析し、芸術表現と科学とを融合させて新しい次元を開いて見せたイタリア・ルネサンスのほうがよほど”近代的態度”として見えるほどだ。クラウスは前世紀半ば頃には”これが彫刻だ”という定義ができなくなったと指摘し「風景でもなく、建築でもない何ものか」としたというが、その「何もの」とは何だ。
 20世紀の解剖学者で思想家の三木成夫は、ゲーテの形態学とアリストテレスの生物学とクラーゲスの哲学から思想を掘り起こし、人の構造の見方に次の3通りを示した。すなわち、「機械の構造」、「建築の構造」、「作品の構造」である。これをそれぞれ、「しかけしくみ」、「つくりかまえ」、「すがたかたち」と呼び分けたのである。機械と作品がそれぞれ対極に位置し、その間に建築が挟まる構造である。言うまでもなく「機械」にはデカルト的体系でありまた科学的視点(三木はこれを理解把握的と呼ぶ)であり、対極の「作品」に敬愛するゲーテ形態学、そして芸術がくる(これを鑑照畏敬的と)。さて、クラウスの言った「風景でもなく、建築でもない複合的な存在」とは何か。建築ではないのだから、それは三木的に見たとして、より機械的な方向の選択はない。また、風景とは求心性を持たない解放系であってひとつの個ではない。つまり、風景でもなく建築でもない複合的なものとは、これもやはり、生物、「それ自体が生きている存在」を指し示しているように思われてならない。しかしそれは具体的な物ではなく「場」であると言う。場は境界を持たない。境界を持たぬ生命は成り立たない。つまり場は生命体から読み取られた情報である。形なき情報とはつまり概念であり、境界で閉ざされた物体を越えた”拡張された生命体”であると言えるだろう。際限なき拡張を可能にするのは、境界つまり物質からの脱却である。しかしそれは、同時に彫刻的なものからの離脱をも意味するのである。なるほど、こうしてみると近代彫刻が志した「内的生命」は、早々に物質からの脱却を図り、情報という概念の翼を纏った。それは、実に20世紀的な事象として写る。さしてみれば、16世紀以降生物としての人体の立ち位置は変化し、統合していた精神と肉体は分けられ、精神だけがどうにも居心地の悪い状態であった。しかしいま、”フリーな精神”は何も人の形だけに収まる必要がないのである。だからこそ、到底生き物には見えないようなムーアの作品も生きている存在としての価値が与えられ得るわけだ。この、フリーな精神という内的生命は、21世紀の今も全く色あせることなく生き続けている。なぜなら、現代に作られる彫刻作品の多くが「それ自体が生きている存在」として作られているからだ。少なくとも、藤原氏と青木氏の作品はそのように「息づいて」見える。津田氏の作品は少々違うニュアンスがある。その意味では、津田氏の作品はより古典的な態度を示していると言えるだろう。

 藤原氏、青木氏、津田氏の作品についての感想はその2として、そちらに記した。

2014年4月7日月曜日

見る業、作る業

目を開けた瞬間から、対象が視界に「飛び込んでくる」。その視覚的な見え方は、透視図法という技法を通して再現が可能だ。透視図法に繋がる技法に、レンズを用いて光線を屈折させて紙に投影させるものがある(カメラと同原理)。より単純には、単に小さな孔を開ける方法もあるが、いずれにせよ、普段自分の目で見ているのと同じ光景が、壁なり紙なりの上にあるというのは、純粋な驚きをもたらす。いわゆる「映像」に慣れきっている現代の私たちでも、映画や立体映像など視覚的な刺激には心を躍らせるものだ。自分の目で見える世界がレンズや孔を通した投影像と同じだという事実は、視覚は受動的であるという感覚を補強する。
 しかし、視覚が受動的ではないことが現在では知られている。外光がレンズで屈折して投影されるという光学的現象は、目の水晶体(レンズ)で屈折し眼球の後ろの内壁の網膜に結像するまでの話だ。その壁には無数の視細胞があり、各自が光線のスペクトルと光量に応じて興奮反応を示す。そして、光線を細胞が受け取ったこの時点から、網膜に映った映像は分解され必要とされる情報へと変質される。その後は脳へ運ばれ更に要素へ分けられていく。私たちが意識としてイメージする主観的映像は、それら分解された情報を必要に応じて再合成したものと言える。つまり、視覚は受動ではなく能動的行為なのだ。だからこそ、同じ光景を前にしても、最終的な心象風景として何が見えているのかはそれぞれが違うのだ。
 
 心に思い浮かぶ心象風景を描出した景観画には作家の個性に基づく表現がなされる。それらは時に共感を呼ぶが、時に拒絶もされる。より多くの鑑賞者に受け入れられるには、どうすればよいだろうか。その手段として有効な物のひとつが様式化だ。様式化は言わば世界の記号化であり、全ての表し方を統一してしまう。数千年に渡った古代エジプト文明の人物表現様式や、中世のビザンティン様式などを見ても様式化がどれだけ強力であるかが分かる。そこに光学的な事実を取り込んだのが透視図法だ。透視図法は計測に基づくという点で、それまでの様式化とは違う。そこに表される世界は、私たちの視覚認識系を通る前に規定された世界だ。目で言うなら、網膜に光線が当たるところまでの世界、視覚の能動性の前段階である。そこに個人的心象や文化的規定が入り込む隙はない。これは、表現の拡散におけるブレークスルーだった。時代や文化が異なっても、光学的現象に変化はないからだ。透視図法に基づく景観画はその意味で時代と国を超える力を持つことになる。また、透視図法は観測と描画とが同時に結びついているという特徴がある。つまり、その方法に従って線を引くと、そこに自ずから景観が描かれる。洗練された透視図法は自動的であり、没個性的な技法とも言える。

平面芸術の空間表現において透視図法は大きな力を発揮するが、芸術のもうひとつの主題である人体表現には透視図法は適さない。人体は遠近の効果をもたらすほど大きくもなく、直行する直線的要素も持たないからだ。年齢や性別などでも形態が大きく変わる。それでも、多くの人が持つ人体の恒久的印象があるはずとの信念から、理想的比率を持つ人体像が模索されてきた。言葉として知られているのは古代ギリシアのポリュクレイトスの「キャノン」であり、図像として知られているのはレオナルド・ダ・ヴィンチの「ウィトルウィウス的人体」がある。これらは共に、外見から体部の計測に基づいている。しかしこれらは、強い説得力の半面、不信にも晒されてもいたはずだ。なぜなら、人体は動きによって姿勢が変わるごとに体表の各部位は変形して比率は変化してしまうので、不動の建築物や彫刻でもなければ固まった計測事実は恒久的有効性を持たないからだ。事実イタリア・ルネサンスにおいても、ミケランジェロら芸術家が何らかの外部計測に基づくキャノンに従うことはなかった。では、一挙動ごとに変形する人体を捉えるにあたって、拠り所となるものはあるだろうか。そこで選ばれたのが、硬く変形せず運動を捉えやすいもの、すなわち骨格である。それは変形しがちな人体をその内側から支え、曲がる箇所は関節に限定されている。
アルベルティ
絵画論を著した
「人体においてまず意識すべきは骨格である。骨格の位置と姿勢を決めれば、後は然るべき部位に筋肉を割り振り、最後に皮膚で全てを覆えば良い。」(アルベルティ)
 そのために、芸術家は裸体をただ外から観察するのではいけなくなった。今や骨格と筋肉の立体的位置関係と形状とを知らなければならない。そうして解剖学的構造という内なる事実から組み立てられる人物像は、透視図法ほどでないにせよ、一定の恒久性を持ち得た。なにより、捕らえどころのない人体という自然物の形状の成り立ちを明確に示してくれることは、芸術家の人体描写の下支えとして大いに役だった。ただ、解剖学的な事実を知ることが直接的に描写に反映はしないという点が透視図法と大きく異なる。解剖学に基づく人体構造の認識(つまり美術解剖学)は、「人体の見方論」に過ぎない。人体の形や皮膚に現れる起伏の理由を知ることが視覚の能動性に影響を与え、見えなかったものが見えるようになる。見えるようになった対象を再現するには手業の訓練が別途必要なのだが、その事実は忘れられがちに思う。

2011年2月16日水曜日

立体の視覚的要素

 私たちの眼前に広がる世界は,全て「量」を持っている.つまり,立体物であるわけだが,脳はどうやってそれらが立体であることを認識しているのだろうか.写真が開発され,目で見ている世界観と近いものが,平面上で再現されるようなったが,それは明らかに肉眼で見ているものとは違う.両眼視差の有無に目を瞑ったとしても,目で見て感動したものを撮影して後で見て,その時の感動とは違うことに気がつくことはよくある.写真は,レンズとフィルム(デジタル化した今ならば,画像素子)の距離を,広角から望遠まで自在に変えることが出来る.焦点距離が変わることで,素子上に結像する絵には特有の歪みが生じるが,それらは私たちの肉眼では起こりえない現象だ.一般的には35㎜フィルムカメラの焦点距離50㎜レンズの結像が,肉眼で見る像に近いと言われる.しかし,50㎜レンズで撮影された写真であっても,私たちの主観的視覚とは,明らかに違う.なぜなら,50㎜レンズの結像は,眼球におけるレンズから網膜までの焦点距離という,光学的現象の近似性だけを言っているに過ぎないからだ.
 私たちにおける「見る」という行為は,カメラのレンズに”勝手に”光が入り込んで,フィルムに化学変化を起こすような受動的な現象ではない.厳密に言えば,まぶたを開いたときに,光が目の中に入り込み,網膜の視細胞を刺激するところまでは受動的だろう.しかし,その後,刺激が脳へ運ばれ,分解,再統合され,最終的に意識下に上る間には,能動的な処理が行われている.つまり,私たちはそもそも,写された写真のようには世界を見ていない.
 話が横にずれるが,日本において「絵がうまい」ことの判断基準として,”写真のように描ける”というものが通底してあるように思う.絵が趣味という人が,実は写真に撮ったものを紙に描き写していたりする.それをカムアウトしている人もいれば,言わない人もいるが,出来上がった絵を見れば分かる.焦点距離が肉眼と違うからだ.表現として,あえて撮影されたものを描くという手段をとる作家もいる.意識しているなら,それでいいのだが,写真を通して2次元化されたものを描き写すことは,技術的に大したことではない.また,視覚による主観のフィルターを通していないものは,その人の個性も含まれておらず,作品としての面白みの大半が失われているように感じる.つまりそれは,「写真のようだから上手」という安直な価値基準でしか計ることが出来ず,さらに言うなら,それらはもはや「写真でいい」ものなのだ.
 しかし,写真機が発明されるより前の時代では,むしろそれが渇望されていた.光学的な規則性が発見される前の絵画では,視覚的な主観性のみが前面に大きく出ており,いわゆる前後関係などがばらばらである.西洋絵画において大きな発展を成したのは,16世紀のイタリア・ルネサンスにおいてだった.建築家や芸術家が,主観に依らない立体感の表現技法,すなわち遠近法を発明した.遠近法には,幾つかの種類があるが,そのどれもに共通する手順として「線」を用いる.厳密に言うなら,それらの線は,計測基準となる点と点とを結んだものであり,言わば,視覚的補助である.なぜ,視覚的補助が必要なのか.それは,私たちの脳がそれを必要としているからという結論になる.点と点が無数に集まると,私たちはそれらに規則性を見いだそうとする.しかし,点の多さから,そこに混乱が生じる.線が引かれることによって,その混乱が排除される.線とは,方向性の概念でもある.
 遠近法の確立によって,私たちは,無限に広がる外世界に,点と線で区切りを作った.そのグリッドを頼りにすることで,自然界のランダムさに惑わされない,空間の規則性を把握する術を手にしたのである.空間を点と線で区切る,これは私たちが「発明」したものだろうか.同じ長さの線なのに,その周囲に付随する斜線によって,違う長さに見えてしまう錯視画がある.似た類の錯視画を誰もが見たことがあるはずだ.錯視のトリックを明かすと「目がだまされた」と言うが,正しく言うなら,「騙されているから,生きられる」のである.錯視とは,光学的普遍性に対する視覚脳の高度な適応の結果であり,このシステムが働いているから私たちは,世界を正しく見ることが出来ている.私たちは,真実のままには生きられない.
 錯視で用いられる点と線は,遠近法と基本的な概念は同じである.つまり,遠近法は「発明」ではなく,むしろ「発見」である.遠近法の元には,万人が「騙される」のである.16世紀の遠近法の発見によって,世界は点と線で表現可能であることが確かめられた.これは,視覚的に立体感を捉えるための,おそらく最も還元された視覚世界であろう.なぜなら,そこにはもはや光が必要ないのである.現実世界で私たちが外界を見るとき,そこには常に光りがある.目とは,光を捉える器官である.視覚による外界の理解には,その進化において,常に光りが共にあった.光と影.それによって立体感も作られている.そうして,世界を見てきた脳が,視覚的経験から,概念としての空間性を認知するに至った.その表象が点と線による空間表現に他ならない.
 点と線による,立体感の表現は,絵画における表現で長らく用いられている.線によって陰影を表す版画ではクロスハッチングのように,その線の交差と角度で,対象の立体感を表す補助としている.クロスハッチングを独自に発展させて,立体物のドローイングに応用させたのは,20世紀の彫刻家ヘンリー・ムアである.線を一本走らせ,任意の点で直角に曲げる.それを繰り返すことで,紙面上に”光線に依らない”立体感を生み出している.これは,彼がその時に,どのように対象物を観察していたのかを表すものとしても興味深い.また,この描法で,平面である紙面において彫刻的存在感の再現を模索していたのかもしれない.
 20世紀後半から,コンピュータグラフィックが身近になり,三次元CGも一般の趣味のレベルまで降りてきた.これは,平面であるモニター内に仮想的な立体物を描き出す技術で,言わば,16世紀に生まれた遠近法の発展形である.モニターに向かって作業をする時,オペレーターは,大抵いくつかの「見え方」を選ぶことが出来る.その1つであり,もっとも基本的な見え方に,ワイヤーフレームがある.字の如く,対象物を点と線とで構成された”枠組み”で表す.コンピュータは点の位置情報を扱うだけでいいので,処理が軽く,マシンへの負担が少ない利点がある.オペレーターも,点と線だけで,十分に立体感を捉えることが出来る.それは,かつてムアが紙の上で試みたものと大差がない.
 点と線で強調される,視覚的立体感は,実は,私たちの生活空間にも多用されている.板金技術の発展した現代の自動車では,車体にはしるパーツの合わせ目が,高度にデザインされている.それは,意図された車のイメージを強調させる素材ともなっているのだろう.六本木の東京ミッドタウンの中庭で見られる,フロリアン・クラールによる大型の工業金型の様な屋外彫刻は,作品の表面を走る部品の接合部の線が作品の立体感を視覚的に高める効果的な要素となっていることが分かる.
 視覚的に立体感を与える要素としての点と線.このコントロールによって立体物の見え方は大きく変わる.それこそ「騙される」.3DCGの作業画面でも,点と線を扱う数式の違いで,描かれる格子(グリッド)は違う.
 永く感覚に頼ってきた絵画における立体感の描写は,16世紀に数式が入り込むことで,大きく変化した.それらは主に空間表現に限っていたが,現代では,それがCGにおいて個別の物体にも応用されるようになった.遠近法が,絵画のみならず立体物である彫刻へも応用される時代が到来しているのかもしれない.かつて,ムアが試みた視覚的実験に世界が今追い着きつつある.

2010年11月21日日曜日

体の基本は骨?

 骨は体の中にあり生前はそれを見ることはできない。体を強打して、内側にある骨を折ってしまえばたちまち動きを奪われる。また、死して最後まで残るのは骨であり、それは内側に一本のスジを通しているかのように見える。それらの経験的な理由から、私たちは、体を柔らかい部分と硬い部分に大まかにわけ、硬い部分は骨格が担うことになった。そして、内側にあって、硬く、体を支えるという性質から、そこに「芯棒」と同様の性質を結びつける。すなわち、体の基礎は骨格にあり、というものだ。これは、芸術の実技においても同様であり、まず内なる骨を理解すべき、という考え方は古くルネサンス期からある。

 骨、骨格。その印象は、白いもしくは象牙色で、硬く、乾いている。それは、紛れもなく「死んだ骨」から来ている。「生きた骨」と聞くと、ガイコツがカタカタと動いている様を想像もするが、そうではなく、生きている私たちの体内にある骨のことだ。生きている骨と死んだ骨は、その性状がだいぶ違う。生きた骨は血が通い、外部刺激に対応して刻一刻とその形状を変えている。そしてそれは、死んだそれと違い、柔軟性を持っている。細かく、細部へと眼をやれば、骨から骨膜、そして軟部組織へと性状は徐々に変化してゆく様が観察される。料理屋で出される「骨に肉を巻き付けて焼いた」ものとは違って、本質的には両者は分けられるものではない。
 それでも、「骨は体の芯」という概念は一般に理解しやすいので、広く浸透している。体は骨とそれ以外から出来ていて、全体の運命を握っているのは芯である骨という考えだ。「骨の歪みを直す」といううたい文句は良く目にする。

 粘土で造形する彫刻を塑造と言うが、そこでは、まず始めに心棒を組み立てる。そうして、そこに粘土を付けて造形してゆく。このときは、まさに、芯棒こそが重要であって、いくら顔のしわが上手に作れようとも、心棒のバランスが崩れていれば、全体の比率の狂いは直しようもない。それを修正するには、それこそ芯棒という「骨」の歪みを直さなければならない。芯棒は、その像のサイズによって素材は様々だが、平均的な人体像ならば、木の角材に針金や縄などが用いられる。
 さて、人間の骨格は角材のようにシンプルだろうか。骨格を構成する骨の一つ一つにはその周りを囲っている組織(ほぼ筋や腱)のありようが、表面に刻まれている。つまり、骨の形状は、骨以外のものに依っているのである。こういうところからも、体は”まず骨があって、そこにそれ以外がつく”のではないことがわかる。
 発生学的に見ても、まず骨ありきではないことがわかる。体で一番始めに作られるのは腸であって、硬い骨を手に入れるのはむしろずっと後のことである。しかしながら、私たちの遠い祖先が、太古の海を離れ、川を遡り、陸へ上がるという大業を成し遂げられたのは、この体内にある硬い骨を手に入れたからこそであり、さらに言えば、生物の生存競争において優位に立てたのも、硬い骨による運動エネルギーの効率的伝搬があったからである。私たちが、死後残された骨になにがしかを感じ取るのは、そんな、ここに至る成功への道程を本能的に思い至っているのかとさえ思う。

 人体という、とりとめのない相手を理解しようとするときに、硬くて扱いやすい骨がランドマークとして適していることは明らかである。しかし、生体においては、それが塑像の芯棒のように存在しているわけではないことも同時に理解しておきたい。

2010年2月11日木曜日

ヌード 芸術的人体観の根源

いま、芸術における人体表現の基本は裸と決まっている。それは、現在の芸術の主流である西洋美術の根源がギリシアであることと関係があるのだろう。ギリシア時代は、競技場では全裸で競技や練習をしていたそうで、芸術家は自由にそれを観察していたという。それが、自然な感覚からそうなったのか、何らかの先行する思想や哲学があってのものなのかは知らないのだが、今の感覚ではにわかに信じられないようなエピソードだ。しかし、あれだけの裸体芸術を生み出したのだから、相当綿密に観察と計測が行われていたのは事実だろうし、芸術家たちにとってはうらやましい理想ではある。

人体を正確に描写しようという強い欲求があれば、外見だけの観察ではやがて満足できなくなり、可能ならばその外見が出来る理由をその皮膚の内側に探りたくなるものだ。そして、それが実際に行われたのが16世紀のイタリアであり、美術解剖学の始まりとされる。
一方、人体解剖の古い記録は、パピルスに記されていたエジプトまでさかのぼることが出来る。エジプトと言えばピラミッドとミイラだが、そのミイラもただ死体を乾かすというものではなく、幾つもの手順があったそうで、内蔵や脳も事前に取り除かれていた。そういう技術を持っていたのだから、解剖の知識があったというのも納得がいく。ただ、その知識が造形に反映されていたのかは定かではない。
裸体の芸術が華開いたギリシアのクラッシック期は、フィディアスやポリクレイトスら歴史的彫刻家が活躍し、医学ではヒポクラテスが活躍していた。ヒポクラテスは解剖をしなかったという。しかし、それが当時解剖が全く行われなかったと言う根拠にはならない。16世紀のイタリアで、近代的解剖学の先陣を切ったのは医学者ではなく芸術家のミケランジェロであり、レオナルド・ダ・ヴィンチだったように、ギリシアでも芸術のためにそれが行われていたかもしれない。カノンやコントラポストなど現代まで続く美の基準は、体表の観察のみで生み出されたのだろうか。それから150年ほど後のヘロヒロスは既に綿密な人体解剖をしていたのである。解剖は、単に皮膚を切り裂いて中をのぞくだけでは何も見えては来ず、混沌と混乱が広がるのみだ。そこから意味を見いだすには相当の知識と経験が無ければならないことを考えると、ヘロヒロス以前からそれは行われていた可能性はあるだろう。

ギリシアから古代ローマの後、暗黒期と言われる中世を超えて、16世紀のイタリアでルネサンスが起こった。ここで古代の裸体芸術は再び息を吹き返し、名だたる芸術家によって新しい裸体美が生まれた。しかし、この時代は既にギリシアのように裸は身近ではなくなっていた。その意味では現代に近い。身近でないものを効率よく知るにはどうするのが良いか。知識と情報で補うのである。死体を解剖するという発想の裏には、芸術家のそんな切羽詰まった欲求があったのだろう。

現代の芸術家と裸を取り巻く環境は、大きく見ればこの頃から変わっていない。ただ、現代では裸はもっと遠い存在になっているかもしれない。
先日、友人の彫刻家(彼は日常的にヌードモデルと接していた)と話していて、「他人の裸を丹念に観察するという非日常性」に気付かされた。そう、ほとんどの人は、裸がどういうものか知らないのだ。正確には、裸の人の形を知らない。現代人にとって、他人は常に着衣である。他人にとっての自分もそうだ。裸をさらすという行為は、特殊で閉じられた行為で、もはや、「外世界に対しての体表とは皮膚ではなく、衣服である」とさえ言える。

近代彫刻の父ロダンは、何人もの裸のモデルをアトリエ内で自由にさせて、それをクロッキーしていたという。彼は古代ギリシアの芸術家と同じ環境を自ら作っていたのだ。
裸が遠くなった現代においては、芸術家は美術解剖学で筋肉や骨を知るだけでは足りないだろう。その前に、十分に裸を観察しなければならない。裸を知らぬ美術解剖学の知識は空疎なものだ。

こんな夢想をした。何人ものヌードモデルたちが自由にしている「ヌード・ルーム」もしくは「ヌード・ハウス」が美大内にあって学生や許可を得た作家は自由にそこでデッサンやクロッキーができるのである。ギリシアの芸術家やロダンのように。もしこれが実現したら、日本は世界からその文化レベルを賞賛されるだろう。