2014年2月26日水曜日

見えれば、描ける

 ードモデルを描くとき、どこから描き始めるだろうか。ほとんど全ての人がまず輪郭線を描くだろう。対象を輪郭で捉えるのは、個人の癖という段階ではなく、視覚系にもともと備わっている機能である。だから、描画経験が浅いと輪郭線をひたすらに追うような描写になる。人型の線の内側はあいかわらず白い紙のままだ。そこで指導者の指摘によって輪郭線の内側を描写しようとするが、モデル体表の起伏による影のつもりが紙面の黒いシミとなってしまう−。

 輪郭の内側の陰影描写によって、描かれる人体は量を得る。実際のモデルの体の量は、解剖学的な構造によってできている。従って、描写をより対象に近づけるには、構造を理解することが非常に有効的である。

 これまでの指導の経験からも、そして西洋美術の歴史的事実からも、人体の形状を把握してその描写をコントロールできるようになるためには解剖学的な構造の把握が欠かせない。そして、(上級者向けと勘違いされていることが良くあるが)このことは描写技術習得の”基礎的”な項目なのだ。実際に、描き初めが輪郭線のみでおぼつかないのが、構造を意識して描いていくうちに”非常に短期間で”描写技術が向上するのを何度も目にした。これが意味することは何か。それは「描く」という行為において、対象が「見える」ということがその善し悪しを大きく分けているという事実だ。私は描けないと信じている人の多くは、単にまだ見えていないに過ぎない。これは考えてみれば当然のことだ。どんなに手先が器用で、思い通りの線を鉛筆で引けたとしても、見えない物は描けない。
 
 短期間で描けるようになったことを受講生から感謝されると、指導の方向性が間違っていないと証明されたようで嬉しい。先に「基礎」だと書いたが、事実、初心者ほど飛躍的に進歩する。そして「私にも見える、描ける」という充実感は続く向上心を引き出してくれるだろう。 

2014年2月25日火曜日

Love is art. Struggle is beauty.

 刻家、荻原守衛の言葉。

 私はこう見た。
 まず「愛は芸術」だが、ここにある2つの単語が指し示す対象は幅広い。愛と一言で言っても異性へ向けたものから母性愛、さらには人類愛のように大きな対象まで含む。芸術もまた同様に様々な様式や技法の芸術から、職人技術や特殊技能までも含み得る。そう考えると、これは限定的な対象を示していると言うよりも、固定された全体つまり普遍的価値を指し示した言葉であるように思える。
 対する「もがき(相剋)は美」は、より動的だ。もがきはその状態の渦中を示し、美はその状態において見出されると言っている。ここでのもがきは、肉体的でなく精神的なそれである。
 つまり、「相剋の渦中にあってそこから解放されようとするとき、そこには希望が内在している。囚われつつも望みを持って立ち向かう様には美しさが見出されよう」との意である。

 また、2つのフレーズに対応関係を見ることもできる。すなわちLoveはStruggleと、ArtはBeautyと。そして、始めのフレーズが理想の到達点であり、後のフレーズはそこに至る過程を示す。愛に至るには相剋があり、芸術となるには美が必要なのだ。

 単純な言葉で構築的に組まれ、その意は相似と対極とを組み合わせている。そう見ると、この言葉はまるで彫刻だ。事実この言葉をそのまま造形したような作品「女」を最後に残して、荻原守衛は31歳を前にこの世を去った。1910年のこと。