2009年12月29日火曜日

非言語コミュニケーション

言語は人類を特徴付ける能力のひとつと言える。言語により森羅万象は概念化され、事象のインタラクションを正確に行えるようになった。言語化は即ち、内外世界の標本化(デジタル化)なのだ。その戦略によって人類は、地球上での現在の地位を得た。武器や火の使用など物質的道具の使用が人類たらしめる要因として良く上げられるが、それらが真の力を発揮するのは個から個への伝達が可能になってからであることを思い返せば、その最たるものは言語の使用を置いて他にない。人類の歴史において、人々の上位に立った者たちは、皆言葉を巧みに操ったのだろう。言語による恩恵を「身をもって」知っている私たちは、今でも言葉巧みな者ほど「偉い」、「立派」と盲目的に思いがちである。

芸術が本質的には、言語を必要としていないのは明確だ。そこからも芸術の起源が古いことが分かる。芸術が表現するものは、従って言語によって明確に定義分けできるような細かな具体性を帯びたものではなく、もっと始原的な感情に寄り添ったものになる。喜びや悲しみや怒り、恐怖や愛などだ。これらは、民族を超えて人類という動物に共通の感情である。極東の文化も全く違う日本人が、西洋のキリスト教美術に感動できるのは、そういう始原的感覚に訴えかけているからだろう。細かな物語の背景は、正直どうでもよいのだ。

彫刻などは、そういった感情として分類できるものより、さらに起源的な感情にさえ訴えかけるものがあるのだと思う。それは、「物の存在」に対する感覚である。人類は道具を使うことで他に秀でた。初めのそれは石や木の棒や骨の棒などだったろう。それら「物」を握りしめることで、今までは倒せなかったり捕れなかった獲物を得ることが可能になり、競合する他の集団を制圧することが可能になった。手元の「物」はそうして、単なる「物」以上の意味を持ち始めたのだ。
手にすることが出来ないよう巨大な物に対する畏敬の念は、現在でも山岳信奉など様々な形で残っている。
こうして育まれた物に対する愛着的感覚に、様々な感情表現が結びついて彫刻表現が確立されてきたのだと思う。彫刻は単に絵画を立体にしてみたというような物ではなく、起源的にも、訴えかける内容としても、絵画とは大きく違うものである。

しかし、最近では、彫刻の持つ本来の要素、即ち量感や存在感からの脱却を計っているような表現も増えている。これは、加工技術の高度化とも切り離せないが、それよりも、作家がそれらを「古い」と考え始めているからなのかもしれない。だが、それは彫刻による彫刻の否定になり、本質的に意味がないようにも思う。絵に奥行きが欲しいからと、キャンバスを”物理的に”立体的にするようなナンセンスさがそこにはある。

芸術表現には時代性がある。それは移ろいやすい文化に引っ張られているのだから当然である。しかし、私たちの感情や感覚はそうではない。肉体的構造はクロマニヨン人から変化していない。それは、現代の私たちも彼らの始原的感情は理解出来るであろうことを意味している。

今の文化に受ける表現を「今、間違いなく」伝えようとすると、それは必然的に言語化されるようになる。現代美術の多くが言語化が可能、もしくは言語化しなければ理解不能なのはそのような理由がある。抽象芸術はそうして、言語化へと進まざるを得ない。それは、本来の芸術からの離脱であり、行き着く先は「言葉」である。そして、美術の目立つ流れはそちらを向いている。
言語により現在の地位を得た私たちが、言語化(即ち、抽象化、標本化)を好み、言葉に安心し、それを求めるのを否定することは出来ない。だが、私たちの行動規範は、言葉の奥に潜んで見えない始原的感覚から起こっているのもまた、隠しようのない事実である。

言葉は新しい。だから、嘘がつける。悲しくても、「うれしい」と言えてしまう。だが、悲しい感情をごまかすことは決して出来ない。感情表現は各国語が存在するが、感情そのものは人類共通である。
芸術が本来、表してきたのは、この感情のほうだ。それは人類が人類である限りは”文化、時代を超えて”引き継がれてゆくものである。

言葉で言えるものならば、言葉で言えば良い。
言い表せないものに、芸術が必要なのだ。

2009年12月23日水曜日

外から見ると、よく分かる 自分の見つめ方

海外へ出ると、日本の事がよく分かると言う。私たちは、生まれたときから日本に囲まれてその文化価値観に浸かっているのが、海外に出るとそれが外側から見えることで、新たな発見ができる。この感覚こそ「目から鱗が落ちる」体験であろう。同じ対象を見つめているのに、違うように見えるようになる。

国なら、外に出て眺められるが、自分の体はそうはいかない。だから、生まれたときから付き合っている自分の体の事を違う目で見るというのは難しいことだ。しかも、食べたものの処理や成長やらを自動でしてくれるから、特に気を配ることもしない。大きな怪我や病気をすると、自分の肉体のことを気を配ったりする。

外に出られない自分の体について客観的に見つめる方法が、解剖学でもある。これによって、「自分」が「人間」という見方になり、さらにその構造と機能にまで分解されるのだ。そうなるともう、自分という感覚ではなくなる。そして、再度自分を見つめるときには、今度は分解された構造と機能の集合体として見られるのである。
また、別の見方として、比較解剖学がある。名前の通り、人間と他の生き物の構造を比較する。そこから共通点や違う点を検討し、相関関係を見出してゆく。この視点は、海外から日本を見るのに近いと言える。比較解剖学には、進化という時間性も検討に加わってくる。比較する他の動物たちとの分岐点を見ることは進化の時間を遡ることと同意だからだ。

こうして、外の視点から人間という自分自身を見つめ直してみると、目から鱗が何枚も落ちる。自分の見え方が全く変わってしまう。この体験はとても刺激的でちょっと癖になるほどだ。もう、猿どころか、魚まで遠い兄弟のように思えてきてしまう。
また、漫然と付き合ってきた自分の体も、以前とは違う対象として感覚されるようになる。それは、つまり自分自身のあり方まで変わってしまうようなものだ。

哲学や宗教、メンタルヘルスなど様々な「方法」で、人々は「自分」と向き合う方法を探っている。それらはすべて、思考技術だ。精神、魂、思考など、ソフトウェアとして自己を探っている。対して解剖学は、徹底してハードウェアである。けれども、自分を見つめている。解剖学は、早くから学問としての独自性を持っていたので、自分と向き合う方法の一つとしては捉えられなかったのだろう。もちろん、「自分」の見方も今とは違って、魂があるのが当然だったのも関係しているだろう。精神と肉体が分離できないものだという事実が飲み込めてきている現在なら、解剖学的視点というものが自己を見つめるための手段の一つに加わってもおかしくないと思う。

ちなみに、芸術表現において、感覚的世界を実世界の物理的制約を免れて表現できる平面芸術(絵画、映像)は、精神的アプローチととても親和性が高い「ソフトウェア的」であるのに対して、実世界の物理的制約の中で成り立たせようとする彫刻はずっと「ハードウェア的」である。解剖学と彫刻の近しい点である。

2009年12月21日月曜日

骨と彫刻


骨と聞くと、普通は死や不気味な印象を持つだろう。動物が死なない限りは骨は見られないのだからその連想に間違いはないが、そこで引き返してしまわずに、一歩近づいてそれを見て、手に取ると、誰でもそこに形の美しさを見いだせると思う。とは言え、現代社会では、道ばたに骨が転がっているわけでもないし、裏庭で羊をさばくこともないから普通に生活しているとその美しさにふれる機会もないのが実情だ。博物館で骨格標本を見ることは出来るが、ガラスケース越しに学術的な趣で鎮座しているそれでは、形の美しさまで見出すのもなかなか難しいかもしれない。それでも、今はインターネットがある。ネットオークションでは、動物の骨が多く出品されている。アメリカなら売れば逮捕されるような希少動物の骨もなぜか日本では”今のところ”おとがめがないようだ。また、海外では動物の骨格専門の業者などもネットショップを出しているので、それらから購入することも出来る。金にまかせるのではなく、自然な出会いが欲しければ、海岸に行くと良い。台風後などは色々な動物が打ち上げられているそうだ。潮がぶつかる浜が良い。五島列島は鯨が上がると聞く。山も、浜のように豊富とはいかないだろうが、運が良ければ動物の骨を拾うことが出来る。そういう気構えで行くと宝探しのようで楽しいものだ。

美しい形態を探している彫刻家には、骨の形態に興味を持つひとが多いように思う。ヘンリー・ムーアは、骨の形をそのまま素直に作品に活かしていることが知られている。ムーアのようにモチーフとしないまでも、直感の源泉として骨を所持している作家は多いのではないだろうか。
実際、骨のかたちは実に彫刻的である。彫刻的な美を所有する形状を学ぶのにこれほど適した教材はないと思う。立体美を考えるときに思い浮かぶような要素の殆どを骨から見出すことが出来るからだ。

地面に転がる一つの骨も、理科室の人骨も、どちらも骨と言うが、英語では、一つなら「a bone」、複数なら「bones」で、理科室の物のようなのは「skeleton」となる。スケルトンは、日本だと内部機構が見える腕時計をスケルトン仕様というので、「透けるトン」だと漠然と思っている人が意外と多いが、「骨格」という意味だ。

人体の骨格は、200以上の骨から成っている。そんなに多いかと思うが、左右対称なのと、手足部分の細かい骨達のおかげもあってカウント数を稼いでいる。また、一個だと思いがちな頭の骨も実は23個の骨の集合体なのである。耳の中の小さな骨も入れれば29個にもなる。

骨ひとつひとつが彫刻的な示唆を含んでいるが、その最たるものが頭蓋骨と言っていい。ただ、頭蓋骨は動物によって形が全く違う。マッスを感じるには、大きな脳頭蓋(脳を納める部分)を持つ人間のものが最高だが、これは模型で我慢しなければならないだろう。だが、模型はあくまで模型で、骨の持つ良さが実はもう100分の1程度しか感じられない。いずれにせよ、ほ乳類は全般的に大きな脳頭蓋をもち、そこに内から張り出すマッスを感じ取ることが出来る。それだけでなく、内側が空洞であるということも要素として大きい。彫刻は外側しか鑑賞しないものだが、物性はソリッドなのかホロウなのかも実は大きく関係してくるものだ。もし、中まで土でつまった有田焼の壺があったら、どう思うだろうか?ギリシア彫刻の内部がスチロールだったら?
そして、複数の骨が巧みに組み上がって一つの形を成す様は、部分と全体の関係性を考えさせる。その合わせ目が凹凸を縦横に横切って走る様も彫刻における表面の見え方にヒントを与えるものだ。筋が収まるための窪みも、陰と陽の重要性を語るだろう。

頭の骨以外も、背骨など要素に富むが、中でもとりわけ際だって魅力的な骨がある。それは、足首の骨、距骨(きょこつ)だ。頭蓋骨のように組まれた構造ではなく、単一の骨で彫刻的な要素を持っているのは距骨だけだと思う。背骨を構成する椎骨も良いが、これは体の真ん中にあるからシンメトリーで、そこが形態に過剰な単調さを与えてしまっている。距骨は左右に一つずつだから、単一だとアシンメトリーになり一見では捉えきれないような形状になっている。構造体としても、上から降りてくる体重を足に伝えつつ、足首の運動の軸となる部位であり、その複雑な働きが形状として現れているのだろう。回転運動の為のなめらかな滑車や靱帯が付着するための溝などが交差して非常に魅力的な形状を成している。
人の距骨も美しいが、他の動物もやはり魅力的だ。その形は昔から愛されていた。古代ギリシアでは、動物(おそらく山羊の仲間)の距骨がサイコロとして使われていた。そして、その形を模した壺なども多く作られた(画像)。それは単なるサイコロ以上の愛着を感じていた証ではないか。現在でも、モンゴルでは伝統的な遊びの駒やサイコロとして羊の距骨が使われている。彼らは遊牧民族で山羊は身近な存在である。彼らもサイコロとしてだけでなく、お守りとしての意味もそれに与えている(オオカミの距骨など)。

骨は、人類が遠い昔から見つめてきた形だ。先史時代の骨を削った彫刻も発見されている。私たちは、ずっと昔から骨の形より直感を得てきたのだ。そう考えると、骨に彫刻的要素の根源を見るのもおかしいことではないように思う。

画像は共にネット上からの無断借用。

2009年12月20日日曜日

脳と肉体

人間の存在を考えるとき、人間の形態を忘れるわけにはいかないはずだが、私たちの思考は容易に「精神」と「肉体」を概念分け出来るので、考えるときに肉体を置き去りにしがちである。
精神は心に在ると言われる。永い時代、心の所在が議論されてきた。それが宗教と結びつくことで精神と肉体の分離がより明確になり、精神は肉体より高貴な位置を与えられ不滅の対象ともなったが、一方で、科学の進歩と共に客観的視点の有効性が認められると、様々な観測的事実から心と感じるものは脳が作り出していることが明確になってきた。

現在は、脳ブームだと言われる。前世紀末期から、今世紀は脳の時代になると言われていた。それは、脳の機能が前世紀末から次々と明らかになり始めていたことによる。とは言え、実質的には、脳の機能はまだほとんど分かっていないという。
ともあれ、標準的な現代人なら、人格や心は脳が生み出しているという意見に異論はないだろう。では、これは、かつて魂と肉体を分けていた人たちよりも前進したと言えるのだろうか。私たちは、脳を精神の器と考えてはいないだろうか。つまり、かつての「精神と肉体」の2元を「脳と肉体」と言い換えたのに過ぎないのではないか。
先日のテレビ番組で、延命の行き着く先の技術として、脳を若い肉体と入れ替えるというアイデアを紹介していた。ほぼSFだが、このアイデアが理解し納得されるところに、「脳=自己存在」という暗黙の了解を見る。

解剖すれば、確かに脳は物体として分離出来る。しかし、それは工場で作られるパソコンに最後にCPUを差し込むようなものではなく、たった一つの卵から分岐した最終結果としての形状である。両者は概念こそ似ているだけでむしろ真っ向逆を行くものと言えるだろう。
脳はどうやって出来るのか。それは、個体発生学が見せてくれる。なぜ、脳があるのか。それは系統発生学が見せてくれる。そして、その両者を比較解剖学が取り持ってくれる。
そこで見えてくるのは、脳と肉体は不可分である、という事実に他ならない。肉体は脳の為の労働者ではなく、私たちの人格は脳だけで完結しているのでもない。そもそも、脳と肉体の分化は単に 必要に応じた機能分けの結果に過ぎないはずだ。私たちが、生物として今ここに立っているのは、脳が肉体を操ってきたからではなく、両者不可分の協力によるものだろう。つまり、精神も心も肉体全てから生み出されると言って良いのだ。

私たちは、肉体という物質だ。それが、様々に考え、思い、文化を生み出すことが驚異なのだと思う。あえてもう少し意識的に、自己を物質性から見直すのも悪くない。解剖学はその大きな手助けになる。

フランチェスコ・メッシーナ


現代イタリア彫刻を代表する作家の一人に数えられる。日本では、恐らく60〜80年代あたりにマリーニやマンズー、グレコ、ファッツィーニらと共に紹介されたのではないかと思う。しかし、コンセプチュアル・アートの台頭と引き替えに具象は陰を潜め、輝かしい現代イタリア具象彫刻たちはいまや各地の美術館や街角でひっそりと佇むばかりである。

メッシーナの彫刻をふと検索してまとめて見た。私は箱根彫刻の森のイヴしか知らなかった。イヴは素晴らしい存在感を放っている作品で、幾分引き延ばされた腕や作りかけで終わらせている手の表現などから近代的な雰囲気も伝わってくるのだが、他の作品の多くはもっと軽やかなものが多く、モチーフ、題材、手法などが近代イタリア彫刻の流れに沿っていることが分かる。とは言え、時代のスタイルに流されすぎず古典を踏まえた造形を押さえている。若くして認められた作家というが、その造形力あればこそだったろう。

「少年の海」という作品は、これが古代ローマの作品だと言われても信じてしまいそうだ。パティーナの仕上げを見ると、それも意識してのことかもしれない。
どうあれ、素晴らしいの一言しか出ない。
この画像だと、胸のあたりが張り出しすぎているように見えるが、気にならないどころか、それが作品に現実味さえ与えている。闇雲に解剖学的に正確ならば良いということは芸術では言えないことの証明である。
しかし、同時にそれは全体が解剖学的にも破綻を来していなければ、という但し書き付きであることも忘れてはいけないだろう。人体彫刻の構造美は、人体の構造美とイコールである。

この作品が仮に、時を経て災いに遭い、断片と化してもなお彫刻としての強さを保つだろう。頭部だけでも良く、トルソーでも良く、脚だけ取っても良い。
素晴らしい彫刻は美という命を全体に宿している。切り離されても死なないのだ。失われたミロのヴィナスの両腕やサモトラケのニケの頭部を嘆くだろうか。ベルヴェデーレのトルソはあれで完成している。

この作品を日本で収蔵展示しているところは無いのだろうか。

なお、画像はhttp://www.thais.itからの無断借用。メッシーナ画像多数あり。

2009年12月19日土曜日

彫刻と色彩

現代、私たちが彫刻と聞いて思い出す物に色彩はあるだろうか。ブロンズ像、大理石像、木彫と材質は様々あるが、ほとんどはその素材がそのまま作品の表面である。寺の仏像も彫刻だが、私たちのイメージのそれは木や漆の地肌が剥き出しになっているものだ。
芸術の起源は信仰と結びついており、彫刻も起源をさかのぼると各時代、地域の信仰との関係が強くなる。そして、信仰色が強まるほどに作品に色彩が施されているように見える。くすんだ表面のイメージが強い仏像も建立当初の復元などを見るとどぎついばかりの原色に彩られていた。ギリシアの大理石像たちも、当時は鮮やかに彩色されていたという。それはつまり、リアリティーを追い求めていたということだろう。私たちの肌や衣類と同じ色が欲しい。より高貴ならば貴重な色で差別化を計ろうと金箔や希少原材料の色が選ばれた。
彫刻から色彩が分離されたのは、彫刻が表現技法としての自立を果たしたことの表れとも言えないだろうか。そもそも、絵画も彫刻も実世界の再現という同一の目的が根底にあったはずで、だからこそ色彩があるものを再現するなら色彩を施すのは当然だったろう。やがて、芸術が宗教からの自立を図ろうという「自我」を持ち始めたとき、絵画と彫刻もその方向性を明確に意識するようになったのではないか。

ともかく、現代において芸術の彫刻は一般的に彩色されない。それは、現代の彫刻が必要とする本質的命題にそった正しい方向性であると思う。つまり、存在感の追求である。
芸術は自然の再現である。私たちの言う自然とは、人工物を除いたそれ以外の存在であり、それは色彩にあふれている。それを再現しようという欲求が人類に「絵の具」を発明せしめ、絵画が誕生したが、彫刻はやがてそれを放棄するに至った。それはしかし、当然の成り行きなのだ。なぜなら、色の付いた彫刻は「うそっぽい」からだ。色付きの彫刻が嘘っぽいのに色付きの風景画に魅せられるのは何故か。それは、再現対象が違うからに他ならない。

在る人物のポートレイトを画家と彫刻家がそれぞれに制作するとき、勿論、両者ともに色付きの人物を見ている。では、色とは何だろうか。根源的なことを言ってしまえば、そもそも色は外界には存在しない。それは、脳が生み出す感覚に過ぎない。私たち生物が生きるために外界を視覚的に判断するために生み出された感覚の一つである。私たちが色と感じているのは、特定領域の光である。つまり、この場合では、モデルの人物に反射した光線を眼が拾ったものが作家が感じる色となり、画家が描く人物画とはモデルに反射した光を描いていると言い換えられる。それに対して、彫刻家が作るのはモデルそのものであるから、もし彼がそれに色を付けるとすると、光が反射する対象の色を作っていることになる。絵画は、自然が目に映ったものを再現するのに対して、彫刻は自然物そのものを再現しようとする。自然物に色を塗れば嘘っぽく感じるのは当然である。

彩色彫刻の違和感は昔のひとも感じていただろうが、信仰彫刻は言わば記号であるから、構わなかったのだろう。彫刻が「芸術」として独り立ちをすると、速やかにそれは捨て去られた。発掘されたギリシアの(色は消えている)彫刻を見れば、彫刻的感動に色は必要ないのが体感できる。

感動は、付随する要素が多すぎると散漫になり希薄になる。単純すぎてもいけないが。彫刻的な感動は、量と構造で生み出し得るものであり、色彩は時に助長に過ぎないのだ。

2009年12月8日火曜日

境界 「在る、居る」ということ

ある空間内において、「有る」、「居る」を定義するには、境界が必要だ。私たちの感覚では視覚と触覚がそれを認識する。
視覚で境界を認識するとは、要は「見える」ということだが、外部現象としてもう少し細かく言えば、光線がぶつかる対象が在るということだ。視覚器は光を捉える器官だから、空間内である物が見えるというのは、そこに光線が反射できる対象が存在することを意味している。机が見えるというのは、それに反射した光線を網膜が拾い上げているということだ。机の前まで行けば、当然それに触れることが出来る。「見える=触れる」という経験の進化的な積み重ねで、私たちは見えるものは存在するという感覚的常識を強くしてきた。しかし、「見える」とは光線の反射に過ぎないのだから、厳密に言えばその限りではない。夏に現れる陽炎(かげろう)や蜃気楼などは、目に見えてもそこに存在しない。鏡やテレビなどの映像もその列に並ぶ。目に見えてかつ存在もするが、捉えられないものとしては雲や蒸気などがある。夏空の積乱雲などは大山のごとき存在感であるが、飛行機などでそこに近づくとその輪郭は曖昧になってゆき、遠目で見えていた実体感がなくなってしまう。
目に見えるのに触れられないという対象は、私たちの体験においてまれであったために、そういう状態を体験すると違和感を感じ、不安感を覚える。幽霊などが、見えるけれども触れられないような存在として登場するのもそこが関連しているだろう。

触覚で境界を認識するとは、つまりは「触れる」ということで、触れたときに押し返される刺激があることでそこに物が在るということを認識する。これは、触れる対象によって様々な触覚としてフィードバックされる。私たちが日常触れる物はコップや鞄などのように多くが「硬い」。つまり、明確な形を持っている。それ以外にも、水のように形を持たない物もあるが、それらは触れたときも明確な形としてのフィードバックはない。視覚でも登場した雲なども触れることが出来るが、触覚のフィードバックはもはや無いと言える。

こうしてみると、物が「在る」ことを認識するための境界は、空間中の壁のように確固たるものではないことが分かる。それは言わば、空間中の物質の濃度差のようなものだ。
大気中には水分子は漂っているが、普通は見えない。それが一定の条件下では凝縮し、光線の多くを反射しうるようになると雲として目に見えるようになる。その濃度がさらに高くなると水になり、曖昧ながら触覚に訴えるようになる。固体の氷となると、不動の確固たる物質然とする。水の液体相と固体相を鑑みると、濃度差に加えて分子のふるまいも関係すると言える。

彫刻は空間に素材の境界を持って存在する。私たちも同様に空間中に境界を持って存在している。彫刻という「物」と、人間という動く「物」。「在る」、「居る」ということを掘り下げて考えたい。

2009年12月2日水曜日

形の根源的要素 球


世界はかたちで出来ている。私たちの目はそれを捉え、手はその質量を感じ取る。全てが実に複雑な形態をしている。殊に自然物は一見とらえどころがないほどに複雑に要素が絡み合った形態を見せる。対して人工物は比較的分かりやすい。それは、私たちの脳から生み出された、概念を根源とする形状だからだろう。
その頭の中で見いだされた、根源的な形状がある。幾何形体ともプリミティヴ・オブジェクトとも言われるが、いわゆる球体や立方体や円錐などのことだ。その中でも、球体は特殊である。それが、球体以外の形状とは全く別次元ほども違うということは、誰でも言葉に出来なくても何となく分かるのではないだろうか。球体の定義は色々あるだろうが、完全対称性ということが球をそのほかと分ける一番目立つ性格のように思う。完全対称とは、究極の無性格と言い換えても良いだろう。

私たちは、形を見るとき、そこに何らかの性格を見いだす。円錐形を見ればそれはとがった方向に進みそうな印象を与えるし、長い円柱なら長軸方向の動きを見いだすかもしれない。私たちのそういうクセを使って様々なものが「デザイン」されている。スポーティな商品は鋭角な要素を、安心感が売りならば角は落として・・。そういう目で見たとき、完全な球体ほど退屈な形状はない。そこにはいかなる動きも性格も見えてこない。

体積比で最小の表面積である球は、自然界の振る舞いから見えてくる最も根源的な形態である。雨粒のように空中に放たれた水は速やかに球体になる。渓流の尖った岩は下流に転がされる過程で角が取れ磨かれ丸石となる。標高8000メートルから水深10000メートルまでの凹凸を持つ地球は少しずつ浸食と堆積によってならされ続ける。全ての物質は、その振る舞いとして球体を目指しているように見える。動きのある形態から動きのない球体へ。完全な球体、つまりそれは、全ての動きを吸収しきった状態である。これは、エントロピーが最大の状態と言い換えられないだろうか。もしも、物質が完全な球体になり、そこで活動が停止するのならば、それはエネルギーとしての死を意味する。ならば、球体は死を意味する形なのだろうか。
ところで、生き物が生まれてくる始まりはどんな形をしていただろう。

私たちは初め、卵という球体だった。それは単一の細胞で、初めから人の形をしているのではなく、丸い球だ。球体が未知の機序に従って設計図に則り、次々と分裂、分化を繰り返して複雑な生命体へと成長してゆく。
「玉にきず」という言葉がある。この玉は球ではなく「ぎょく」を表しているのだろうが、美しく磨かれたものという意味において、球と置き換えてもいいだろう。完全に近いものほど、小さな傷が目立つ。全ての物質が球を目指していながら、完全な球を見ることはない。研究機関で研磨して作る試みが続けられているそうだ。精密な球もひとたび落としてしまえばそれが失われる。物質は球を目指しながらも、外力によって球から引き離される。それは、静から動が生まれる瞬間であり、満たされたエントロピーが消され、再びエネルギーが与えられる。
私たちを構成する細胞には分裂可能回数に限りがある。細胞が分裂出来なくなれば、体は死へと向かうしかない。しかし、減数分裂している卵と精子が出会う時に、この分裂回数はリセットされる。老いから若さが生み出されるのだ。このとき、球体は生命を意味する形となる。

こうして見ると、物質と現象は、球を中心にすえた「ゆらぎ」であるように思えてならない。それは、何らかのかたちで外的にエネルギーを与えられることで、いったん球体から離されそこから性質として球へと戻ろうとする。その繰り返しが続く限りは、揺らぎが止まることはなく、現象は持続される。それは、宇宙全体のエントロピーが満たされるまで続くだろう。

球体は、その無性格さのなかに生と死をはらんでいる。その意味でも形の根源的な概念と言える。命ある形態を現そうとする彫刻においてもその潜在的な重要性を見落としてはいけないだろう。

2009年11月30日月曜日

拍動する心臓

インターネットで衝撃的な動画を見た。それは、海外の悲惨な交通事故現場を映したものでたまたま居合わせた野次馬が事故直後を撮影したのだろう。男性が血まみれで倒れている。もはや生きていない。カメラがパンすると、男性から数メートル離れた路上に握り拳ほどの物体が落ちている。そこにズームしていくとその物体が拍動しているのが分かる。それは、倒れている男性の心臓だった。カメラがそこでしばし動かないのが、撮影している者の驚きを表していた。現場にいた他の人たちも同様だったろう。その光景を前にした彼らの心情には戸惑いがあったはずだ。彼は生きているのか?死んでいるのか?

心臓は、遠い昔から人類にはおなじみの臓器である。科学の時代と言われる現代でもなお心臓の特別な地位は揺るがない。「こころはどこにあるの?」という質問には”胸に手を当てて”考えるひともいるだろう。人類が心臓に特別な視点を向け、まるで個人の本質であるかのように取り扱ってきた理由を、この悲惨な動画で仮想体験した気がする。
体がもはや動かないのに、心臓は動いている。その事実を目の前で見たなら、命の根源は心臓にあると思って無理はない。マヤ文明では、捕虜の心臓を生きたまま取り出し、石の台に載せて祈る儀式が執り行われていた。それは石の上でしばしの間、生き生きと拍動していたはずだ。そのビジュアルは、観衆に強烈な印象を与えただろう。

―心臓は、心筋と呼ばれる筋で出来ており、手足を動かす筋とも、胃や腸を蠕動させる筋とも違う。私たちが生まれてから死ぬまで一時も休まず運動し続ける能力を持つ。実際、”彼”は自発的に動いている。拍動は心臓自身が生み出している。その速度の調節を自律神経が調節している。―

こういう知識は本で得られるが、心臓が体内から出ても拍動しているのを映像で見ると、不思議な気持ちになる。自分の運動の根幹が、自分の意志ではないことを見せつけられるような感覚。

現代の医学では、心臓は血流を生み出すポンプ以外の何者でもないような取り扱いである。機能で見たならそこに異論はないだろう。けれど、それをどう取り扱うのかは、人間の感情が絡んでくるのを免れない。脳死問題や延命治療でも、ここは問題になるのだろう。だって、心臓は拍動しているのだから!

心臓は、いつまでも人類にとって特別な臓器で在り続けるのだろう。機能だけではない、感情と深く結びついた特別な臓器。私たちが心の底から心臓はただのポンプだと言い切れるようになってしまったら、そこには何か冷たい無機質な社会が広がっているようにも思う。

2009年11月27日金曜日

DNAと肉体

生物は、DNAによって、自己を作り、同種を存続させてゆく。私たちが、ATGCというたった4つの塩基の配列の組み合わせから出来ているという事実は、今では当然のように語られるが、冷静に思えば思うほど、衝撃的な事実であり、生物の存在という事実に対して様々な示唆をそこに見ることも出来る。
ワトソンとクリックによるDNAの二重らせんの発見から20世紀後半のヒト・ゲノム・プロジェクトへの流れは、コンピュータの発展と切り離せず、それは、時代の情報化とも関連付けられるだろう。いまや私たちの存在は、”肉体”から”情報”へと昇華された。それも、ATGCの4つというデジタイズされたものだ。デジタル情報というものは扱いやすく、信用できる。それは現在のインターネットとコンピュータの普及を見れば一目瞭然である。電話も写真も音楽もおよそ「伝える」目的があるものは軒並みデジタル化の洗礼を受けた。デジタル化することで、意味がない情報を捨て、伝えたい情報も劣化することなく次へ伝えることが出来る。
私たちの存在は、種としての目的で言えば次世代の子孫を残すことに尽きる。それは、私の遺伝情報を「伝える」ことに他ならない。DNAとメディアのデジタル化が図らずも相似の目的と手段を取っているのは興味深い。

それにしても、これだけの多様性を生み出してまで連綿と進化を紡いできた生物が塩基配列まで還元出来てしまうのは、まるで、私たちの本質は遺伝情報に過ぎず、私たちの存在とは塩基配列から析出した結晶であるとさえ思えてくる。かつてジャック・モノーが「偶然と必然」で、生物と鉱物結晶を比較していたのを思い出す。

しかし、たとえ私たちが「動ける結晶」であったにせよ、現実的に重要なのは肉体であろう。自分にとっての魅力的な相手というのが実は魅力的な遺伝子の析出であると考えるのでは、魅力そのものが輝きを失う。
それに、DNAか肉体かという概念は、二元論的でもある。私たちの存在についての明確な1つの解答というのは、そもそもあるのかも分からない。

ともあれ、私たちはそれぞれが1つの肉体を所有しているという事実がある。そして、人生の命運の全てがその肉体と共にある。たとえ、真の存在理由が情報伝達であっても、個々の人生のリアリティは肉体にこそ宿るのだ。それは、いままでもずっとそうであったし、これからもそうであるはずだ。なぜなら、情報を伝達するための手段として、生命は肉体を持つことを選んだのだから。

真実はいつも表現形の奥深くに隠れている。

目で触る 触覚的から視覚的へ

彫刻も絵画も、基本的に私たちは目で見て鑑賞するが、両者には絶対的な違いがあることは明白で、それは絵画はそもそも見るためにあるが、彫刻は見て触れられるというものだ。
彫刻は触れられると言っても、実際に触ることが許される作品は数少ない。しかし、私たちは、目で鑑賞するだけでも作品に触れる感覚を実感することが出来る。これは、視覚と触覚が連動しているからだ。手の動きと視覚を高度に連動させることが出来る動物は、人類の他にはチンパンジーなど数少ない。人類の進化の過程で、私たちは様々な物を見て、それを触って確認することを繰り返してきた。今や、実際に触れなくともガラスのツルツルした感じやスポンジの柔らかさなど、物性をまざまざと指先に思い起こすことが出来る。この、視覚と触覚のリンクはしかし、個人が実際に経験した視覚―触覚リンクしか働かない。触れたことがない未知の物質を目の前にしても、その触覚感が現実味を帯びることはなく、代わりにそれに似た感覚を呼び起こさせて対応させるしかない。つまり、視覚で触覚を「リアルに」感じる為には、私たちは見て触るを事前に実体験していなくてはならない。何でもかんでも触りまくる幼児期の行動は、そのリストを急速に作り上げている過程なのかもしれない。これは味覚にもあてはまるだろう。

つまり、彫刻を鑑賞する時には視覚的経験に加えて、触覚的経験も導入されており、これが「彫刻は目で触れて鑑賞する」と言われる所以なのだろう。逆に言えば、彫刻を鑑賞するには触覚的感覚も要求されるということであり、漫然と眺めるだけで「目で触れ」なければ、その本質的な部分には触れられないということになる。

しかし、この部分で、現代の彫刻には変化が起きているように感じる。それは、触覚的彫刻が少なくなっている、もしくは、視覚的彫刻が主流になりつつあるように見えることだ。
もはや、作家が彫刻に触覚性を求めておらず、絵画のように視覚でのみ鑑賞することを前提としているような作品がある。これらは時に、立体絵画のようである。
触れるには対象の物性が必ず関係する。彫刻は、その歴史において素材の持つ物性から切り離せない領域だった。それは現在でも「石彫」、「木彫」などという素材でのカテゴライズが残っていることからも分かる。しかし、触覚性が希薄になると、石や木の物質感も自ずと希薄になる。これは、近代になり合成樹脂が広く素材として使われるようになったのも関係しているかもしれない。軽くて丈夫な合成樹脂は確かに彫刻家を素材から自由にした。一方で、彫刻の本質的要素だった触覚性を希薄にすることを後押しした。今では、「ブロンズ着色のFRP」は当たり前である。

90年代から急速に発展した3DCGは、さらに彫刻の次の段階を見せようとしている。
膨大な情報量を必要とする3DCGは、家庭用PCの高性能化に伴い一般的なものになりつつある。コンピュータ・スクリーンの内側で作り出される「彫刻」は、削りくずもなく、なにより重力という地球上の物質の根源的要素が存在していない。また、3DCGには大きさの概念もないので、その制作過程で極端に微細な構造を作ることも出来る。ある一定の数式やアルゴリズムを用いて「人為を介入させずに」造形することも可能である。
この仮想世界は本質的に物質性が存在しない。その意味で3DCGは明らかに絵画に属する物と言えるのだが、一方でNC工作機やプロッタで現実のものにすれば彫刻に属する。
それは、視覚的彫刻との関連性を想起させるものだ。

素材の多様化と情報重視の時代性が、物質性と切り離せないはずの彫刻にも大きな変化をもたらしている。芸術家も時代から離脱して生きることは出来ないが、急速な変化の中にあっても、大きく変わることのない普遍的な芸術性や彫刻的要素までも過去のものとして押し流してはならない。
今であればこそ、本質的な芸術を見つめ、見極めていたいと思う。

2009年11月2日月曜日

解剖学者 解剖学のちから

様々な領域にそれを専門とする人たちがいて、彼らは私たちからすれば「凄い」ことを当たり前のようにしたり、知っていたりする。日常的にある特定の事だけを追っていれば詳しくなるのは当然なのだろうが、そういう人を目の当たりにすると、単純に「凄い」と感じる。

私にとってのそういう人に、解剖学者がいる。それも肉眼解剖学だが、彼らの人体に関する広範な知識は、本当に凄い。
肉眼解剖学は、その発見の大方は出払ったなどと言われたりもするようだが、それは裏を返せば、それだけ綿密に観察されてきたという意味である。つまり、現在の解剖学者は、人体から新しいなにかを見出すために、既に発見済みの”膨大な”知見をまず知り、理解するところから始めなければならない。そういうフォースもありまた、人体の不思議にのめり込んだ結果だろう。

解剖学の知識は、人間の見方を変えるちからを持っている。漠然と知っているような気がしている「我が身」を、客観的に捉えてみることが出来るようなる。我が身の見方が変われば、他人の見え方も変わってくる。つまりは、全てが変化してしまう。それほどのちからを持っている。私などは、今更にそれに驚いているのだが、解剖学者たちはとうにそれを感じていたはずなのだ。彼らは、下手な宗教家などよりよっぽど人間について深く語れるはずなのにと思ってしまうが、知る人ほど口は重いのか、あまり積極的に外に出てこない。

生き方や、自分という存在に悩む人は多い。それに対応するものも多くある。生き方教室や、占いや、宗教などなど。占いや宗教には、「これが正しく、これは間違い」というバイアスが存在している。それは、言い換えれば、「誰かさんの意見」である。結局、私に従うか従わないかという事になる。
その一方で、科学である解剖学には「誰かさん」の恣意的なアドバイスのバイアスは存在しない。本当に自然に忠実的な目線での「私とは」を示してくれる。解剖学は、形態学の一種であるから、扱っている内容は基本的に物質なのだが、そこから心という非物質的概念の問題へと繋がってゆくダイナミズムは興味深い。

差別問題、性教育問題、死生観、宗教、脳死問題、うつ、QOL、子育て、いじめ、世代間問題・・いろいろあるが、それらにも解剖学は手を貸せるのかもしれない。
小学校や中学校で、人体解剖学を教えているのだろうか。「こころ」は大事だが、それは「肉体」から生まれるということも忘れられないだろう。
解剖学という高度に成熟した学問の力を借りることで、突破口を見いだせるものは以外と多いのではないだろうか。解剖学は、いまや医学領域だけに留まるものではないように思う。

2009年11月1日日曜日

美術+解剖学

美術解剖学というものがある。「学」が付くのだから、学問の一領域なのだが、具体的にまとまった1つの学問領域と呼べるのかは、よく分からない。その源泉は、16世紀のイタリアとされ、当時発展した医学の解剖学と、リアリティを求める芸術表現の欲求とが必然的に出会うことで起きた。当時、解剖学は科学の最先端と呼べるものだったが、具体的な何かの発見というよりも、むしろ「新しい人体の見方」そのものの発見だった。それは、新しいもの好きな芸術家達によって、その表現にも速やかに反映された。
それ以降、人体を表現する芸術家は、説得力のある造形の為に、解剖学からの情報を参考にするのは当然のことのようになり、同時に医学書における解剖図譜にも、画家や版画家が解剖学者の監修の元に精緻な図を提供するのが当然となった。医学と芸術は、やがて独自の道へと明確に分かれていったが、両者は現在でも「人体表現」においては結びついている。
解剖学における人体についての知見は今や膨大である。現在では、新たな発見の多くは、肉眼では見えないような微細な構造や機能へと移っている。しかしながら、芸術において要求される人体に関する知識は、あくまでも目で見える、それも外見に影響を与える部位である。すなわち、骨格と筋肉がほとんどだと言える。膨大に増え続ける医学的解剖学の情報から、芸術家が必要な部分だけを抜き取ってまとめたものが、美術解剖学である。

さて、書店では、美術解剖学の本が数多く売られている。その内容のほとんどは実は同じようなもので、骨格図と筋肉図で構成されている。同様の図は、医学の解剖学の本にもあるが、美術技法書では鉛筆画のような手描きタッチが多い。情報量は、当然ながら医学書のほうが圧倒的に多いので、何冊も技法書を揃えるなら、一冊医学書を手に入れたほうが良いのではないかとも思う。造形家は、絵のタッチも重要視するだろうから、鉛筆画タッチのほうが好まれるのだろうか。

実は、美術解剖学を学んでも人体が作れるようになる訳ではない。それは、あくまでも造形の手助けとなる人体構造の情報を与えてくれるだけだ。
説得力のある人体を造形するには、実際のモデルの観察は必須である。モデルの観察による造形に、補助として解剖の知識が多いに役立つのである。日本では、造形家がモデルを入れることは多々あるだろうが、その観察だけで造形をしている例がほとんどではないだろうか。日本人は、もともと鋭い観察力を持っていることは、日本画における描写を見れば分かるが、もし西洋美術を指向しているなら、西洋的な観察の仕方をしなければならない。解剖学的な観察視点というのが、まさにそれであろう。主観だけを信じない。解剖学という客観を取り入れることで、普遍的な形の公正性をそこに取り込もうとするのである。現在、医学の臨床ではさかんにEBM(Evidence Based Medicine:根拠に基づいた医療)が叫ばれているが、解剖学を芸術に取り込むという考えは、それに似ているようで興味深い。EBE(Evidence Based Expression)とでも呼ぼうか。

モデルの観察と、解剖学の知識。どちらか一方しか選べないとするなら、作家はモデルの観察を選ぶだろうし、それが正解だろう。だが、そんな状況は世界のどこにもないのだ。解剖学の知識をそこに加えることで、観察力に大きな違いが生まれる。すばらしくピントが合う眼鏡を手にするようなものだ。

現在売られている美術解剖学の書籍の内容と方向性は間違っていないが、少々不親切かもしれない。それはつまり、表現の初心者がそれだけで人体造形が出来るようになる訳ではないという事実と、その情報を使いこなすには実際のモデルの観察と知識の咀嚼という時間が必要であることが明記されていないからだ。そのせいで、手を出してみたものの理解しきれずに、結局、解剖学を手放したひとも有るだろう。美術解剖学など造形の役に立たないという意見は今でもよく聞くが、これらが原因の一つかもしれない。

情報は正しく使われることで最大の効果を発揮する。人体に関する美術解剖学的な基礎的情報は十分なストックがあると言えるだろう。今、必要とされるのは、情報の追加ではなく、その使用方法の提示なのだろう。

2009年10月27日火曜日

統合が必要

大学受験の頃などになると誰でも一冊は持つ「参考書」。その情報は基本的には教科書と同じである。では、なぜ同じ内容を求めるのか。それは、参考書が、教科書の内容を整理していて分かりやすいからだ。ならば、初めから教科書など使わずに参考書だけで良いのではないかと思い、それだけを読み進めると内容が分からない。要するに、参考書は要所だけを取り出すので、情報の切り貼りになり、結果それだけでは全体としての深い理解に至らないのである。
この、欲しい部分だけを抜き出すという行為は、情報入手の効率化だけを考えるなら効果を上げるだろう。けれども、情報の整理は、それ以外の情報を捨てているという事実にも気付いていなければならない。参考書だけでは理解が進まないのはそのためである。

現代は、科学の時代である。科学によって人類は自然の理解を進めた。科学という手続きは、自然という生の情報から必要な情報を取り出してゆくというものだ。それによって問題点が明快になり、単一の事象として研究してゆくことが出来る。細分化が進んでゆくと各領域の独自性も進み、互いの関連性が希薄になることもある。
これは、知識形態の「参考書」化だと言える。自然という偉大なる文脈は複雑でとらえどころがない。そこから必要な情報だけを取り出し理解しようとしているのである。
たしかに、それは一見魅力的だ。受験生にとって参考書がそうなのと同じである。けれども、それだけを見ても決して本質的な理解には繋がらない。物事を知るには体系的な理解が必要だが、切り取られた情報にはそれがない。それは、映画のあらすじだけを人から聞いて、それを見た気になっているようなものだ。問題は、そういう風潮が強くなっているように感じることだ。

皆が、分かりやすい、間を端折った回答だけを求めている。それでいい領域もあるだろう。だが、それでは本質を見誤る領域もある。自然科学、芸術などは、それらと折り合いが付かない領域である。自然科学は、「科学」であるから、その理解には科学的手続きを踏むが、その知識は再び自然の文脈へと還元出来なければ生きた知識にはならないだろう。芸術は、科学のような知識体系としてまとめられる必要はないが、作家個人の理解の過程においては、自然科学のそれと似た過程を踏むはずである。
文脈から外された科学知識に意味がないように、文脈から外された美は空虚である。
理解の為に、私たちはさまざまなものを分断した。しかし、そのものとしての存在は、分断してゆくほどに本質から離れてゆくものだということを忘れてしまっては、結局、本来の目的(本質的理解)にはたどり着けない。

統合が必要だ。命が、自然がそうであるように。

2009年10月21日水曜日

彫刻 根源的芸術

彫刻は、さまざまな芸術表現のなかでも最も根源的なものだと言える。芸術の表現対象は元来は基本的に具象だった。つまり、それは実世界に存在する物である。それを、素材を変えて同じように物として実世界に再現するのが彫刻だと言える。それを、反射光線による色彩のみで捉えて平面的に再現しようとしたのが絵画である。

現代の彫刻は、基本的にそれに彩色を施さない。それは、彫刻が色彩ではなく、実世界に存在する物質としての芸術であることを強調している。色彩は、素材そのものが持っているそれで十分なのだ。実際の自然物がペイントされているのではないことと同列である。

彫刻はあらゆる芸術を包括しているように思える。空間性、バランス、色彩、量感、構造。それは、あらゆる感覚を動員しているとも言い換えられる。彫刻家のように対象を見る目を養うことは、その他の芸術表現にとっても有益だろう。

2009年10月14日水曜日

ヘンリー・ムーア 空気の彫刻

ヘンリー・ムーアは、言わずとしれた近代英国を代表する世界的な彫刻家だ。幸い日本では、箱根の彫刻の森に比較的まとまったコレクションが展示されている。マッチ・ハダムとはいかないが、それなりの空間を空けた屋外で、近くに寄れないのが残念だが、恵まれた展示と言える。

ムーアの作品の特徴のひとつとして、穴がある。作品の多くに貫通した穴や大きな窪みがあけられている。それらはリズムを持って流れ、全体として大きな溝となっていることもある。
これらは、無意識のうちに作ってしまったというような曖昧な造形ではなく、明確な美的意識において研究された結果のものだ。
彼は、作品に生かすことが出来るアイデアの多くを、自然物(裸の人間だけでなく)から得ていた。木、石、草、骨など、普通のひとなら目もくれないような”なじみの”物たちから、彫刻的要素の源泉をくみ取ろうとした。穴が彫刻に与える影響力というものも、それらから得たのかもしれない。
「石片を貫いて開かれた最初の穴は、ひとつの啓示である。
穴は一方の面と他方と交通させ、オブジェの三次元的な正確をただちに増大させる。」

彫刻は、実と虚のせめぎ合いから生まれる芸術だが、視覚が捉えるのは実だけであることから、言語化され明示された彫刻の指針では、「実」についてだけが語られることが多い。そして実際にも、今でさえ、マッス(量)ばかりを盛り込んで肥大したような彫刻が多く作られる。
光を知るには夜が、白を知るには黒が、そして生を知るには死が必要なのと同じように、実を知るには虚が必要である。

そのことを、ムーアは石ころに見た。または、洞窟に。
「穴はそれ自体として、フォルムに対して、充実した塊と同じくらいの意味をもつことができる。空気を彫刻することは可能である。そのとき石は、目標とされ、眼に差し出されるフォルムとしては、穴しか含まなくなる。」

さて、彼の作品には、明らかに骨をモチーフとした作品が幾つかある。
彫刻の実体がまとう、空気の塊という双子の片割れのような存在はそこでも見る(感じる)ことが出来る。骨は、その形態そのものが、以前は筋肉をまとっていたものであるという意味で、虚の実在化のようなものだ。実と同等に虚を見つめていたムーアならば、そこに美を見出したのは自然なことだったろう。

画像はThe Hyde Park Historical Societyから無断借用。

2009年10月11日日曜日

知識だけで作品はできない

美術解剖学を十分に自分のものとしたとしても、それだけで芸術作品が作れるようになるわけではない。

ある人間(モデル)が空間上に存在するということは、それを観察する者(作家)によって客観的に明らかにされる。観察者にとっての、その人間の存在は、取り囲む空間、環境から切り離されることは出来ない。なぜなら、観察者がその人間を見るには光が必要であり、その光はその人間を取り巻いている空間が提供しているのだから。
目は光を捉える器官だという事実は、統合された視覚という感覚の精度の高さ故か、忘れてしまいがちだ。私たちが見ているのは、物体に跳ね返った光線である。光線は目に入るまでに何度も反射を繰り返して複雑に入り交じった色になる。空気中のチリや湿気さえ影響を与える。
視覚において、物理的な作用だけでも無数の要素が絡んでいるうえに、知覚として認識するときには、観察者の主観的要素も関係してくるのだから、10人が見れば10通りの見え方があるということになるだろう。

美術解剖学では、骨と筋の位置は知ることが出来るが、実際に人体が様々な姿勢をとったときに柔らかい筋が緊張したり圧迫されて変形する様までは、全て網羅できるものではない。そして、実際の人間は常に姿勢を変えているのだから、必ずどこかにそういった変形が見られる。

このような、幾つかの具体的な理由から、説得力があり実在感のある作品が生み出されるには、実際のモデルの観察が必要であると言える。美術解剖学の知識は、その補助には絶大的な効力を発揮するが、そのもの自身が造形の主軸にはなり得ない。
リアリティー(現実感)を持つものは、リアル(現実)のものだけで、自分の造形力をも越えるそれを求めるならば、実際の観察をあくまでも主軸として、そこに知的補助として解剖学を置くことが、効率的で正しい方法だろう。

2009年10月10日土曜日

いのちの所在

社会的には、人間一人一人を「個人」と分類する。動物や植物なども「個体」と呼んで一つ一つを分ける。
「わたし」は明らかに単独の、一人の人間生命体だと認識している。それは、人間社会においては当然の共通認識であり、それを疑うことは精神を病んでいるのかとさえ言われかねない。
しかし、一方で生物学的に見れば「わたし」は無数の細胞の集合体であり、その個々の細胞ひとつひとつが生命活動を営んでいるのである。そう思うと、「わたし」は人間として数えるなら一人だが、単一の生命体ではないということも言える。「わたし」は、数兆の命の集合体なのだ。
そう考えるなら、個人の死も1つではない。ある人の呼吸が今止まり、医学的に死が定義されたとしても、その瞬間に、体中の細胞が一斉に死ぬわけではない。それを恒常的に維持するための仕組みが不可逆的に失われた状態を個人の死と定義しているのだ。個人の死と共に細胞全てが死なないからこそ、角膜や臓器移植が可能なのだ。

死後、髭が伸びるかというネット上の質問に対して、ほとんどの回答が「皮膚が収縮するため相対的に伸びて見えるだけ」とある。個人の死後に細胞が活動することはないというこのスタンスは、「命は個人にひとつ」であるという暗黙的な認識が導くものだろう。

いのちの所在。これはまた様々な見方ができるのだろうが、もし「わたし」個人に命がひとつと限られていたら、種の継続はどのように説明するのだろう。
私たちは、父と母から離れた細胞から出来てきたことを思い返す。そして、やがて「わたし」個人が死んでも、そこから分かれた細胞から出来た子供は生きており、種をつないでゆく。

「わたし」の命は、生命が地球上に誕生した約40億年前から一度も途切れたことがない。

2009年10月9日金曜日

彫刻と解剖学は伝えている

目の前の形は、なんでその形なんだろう。当たり前のような存在に対して疑問を持つと、そこにとんでもなく面白く奥深いものが潜んでいることに気付く。私たちの目はかたちをつかむ。私たち自身もまたかたちを持っている。
かたちについて考える最高の素材が人体だ。なぜなら、それは自分自身なのだから。
私たちは、精神の存在ではない。物質の存在だ。私たちは「考える」。思考は概念だからかたちがない。だから、自分を考えるときも概念的になり、物質としての自分を忘れてしまう。だから、「魂」が出来たのだろう。「心霊」が出来たのだろう。

でも、物質で考えてきた彫刻家は知っているはず。私たちは「かたち」だと。まず物質である肉体ありきだと。

解剖学の発展は、人間が人体を発見した歴史だとも言われる。客観的物質としての自分自身。それに気付くのには永い時間がかかった。つまり、それは容易ではないことだから、意識しなければまた忘れてしまうようなことなのだろう。

彫刻家と解剖学者は、歴史を通して語ってきた。私たちは物質なのだと。そこから始まる。

粘土と折り紙のような、人間

彫刻家は、粘土や石などを使って人体を作り出してゆく。
粘土ならば、初めの一握りの土塊が集まって、集まって、こねられて、ちぎられて、人のかたちになってゆく。
一方で、本当の人間は1つの細胞が増えて、増えて、こねられて、ちぎられて、出来てゆく。
なんだか似ているようで、面白い。
けれど、人の胚発生における、「こねられる」過程は、実は粘土よりも折り紙に近い。折り紙は、初めに折られた部分の上に次々と折り重なって最終的な形になってゆく。複雑な折り紙は、単純な折り紙からの派生であることなども、まるで系統発生を表しているようにも見えてくる。
粘土と折り紙を足したような、そんな出来方をする人間。

2009年10月5日月曜日

自分という驚異

解剖学は、人体の構造を視覚的に明らかにしてきた。それは、「生きている」という現象の緻密さが故にもたらす神秘という謎のベールを次々と取り払うような歴史である。私たちは、超自然的な力や神霊という外部的なものによって動かされているのではなく、それぞれの個体がそれ自身で運動し行動を決定していることが明らかとなった。

生きている現象は、一つ一つ細かく分解して見るなら私たちが普段目にする当たり前の自然現象と何ら変わりがない。コップからこぼれた水がしたたり落ちるのが神秘でないように、それらも神秘ではないのだ。
しかし、それらが驚くに値しないと分かるほどに、その組み合わせによって生命現象が生み出されていることが驚異と感じるようになる。私たちは、経験上、複雑な構造物ほど安定を図ることが難しいということを知っている。それなのに、この複雑極まりない人体という生命体は、よほどの事がない限り当たり前に動き、それどころか常に自己の修復を計り、恒常性を保っている。

私たちは、自由に動き回れ、飛びはね、転んだくらいでは何ともないように起き上がるが、解剖学によって指し示される一つ一つの構造が自分の中にあり、その組み合わせで動いているのだと思い返すとき、何でもなく日々を過ごしているその事にすら驚異を感じざるを得ない。つまり、もはや自分自身が驚異の主体となるのだ。

人体の内部構造が明らかになっても、「生きる」という驚異は相も変わらずそこに鎮座し続けている。

2009年9月24日木曜日

型取りと芸術

私たちが目にしている物は、明らかにその空間に存在しているわけだから、それを空間にたいして実(ポジティブ)であると言い換えられる。
この空間に対して実の物体は、ある物に対しては虚(ネガティブ)であることも考えられる。例えば、コップなどは空間に対して実で内容物(液体)に対して虚を提供している。自動車や家なども同様である。
そうやって周りを見渡すと、以外と虚を提供している実は多いことに気付く。

彫刻に限らず、物作りの行程においては、この虚と実は日常的に用いられている。すなわち、型取りである。
型取りは、1つの原型から型を起こして、同じ形状のコピーを大量に制作するために発明された技法である。現代の私たちの身の回りは、型取りによって複製された物であふれている。型取りという技術の発見なくしては、現代文明は存在しなかっただろう。型取りの発見は、鉄器文化を生み、青銅(ブロンズ)と発展し、近代に至って合成樹脂の発明によって一気に身近なものとなった。鉄器、青銅器と並んで現代は「合成樹脂文明」と呼んでもいいくらいだ。
現代の産業としての型取りが精密で高度な技術を用いているのは、作られてきた製品を見れば明らかだが、雌型に素材を流し込んで作るという基本的行程に今昔の違いはない。その意味で、型取りは古典的な技法である。事実、芸術や工芸などの分野では、古い技法そのものが受け継がれており、鉄やブロンズの鋳造過程でそれを見ることが出来る。

型取りの作業で、切り離せないのが型である。完成品の素材が流し込まれる重要な物だが、その存在を見るものは行程に携わる技術者に限られ、一般にはほとんど型の存在が意識されることはない。
この型−雌型−を見ると不思議な感覚を覚える。虚の空間にも関わらず、強烈に実を意識させる。それは、物体は常に、何かに包括されているということを具現化させたようである。型取りを一度でも体験した人はその感覚が理解できるだろう。

物が存在するということと、そのために用意される空間。この関係性を考え、また感じることは、彫刻家にとって必須である。
彫刻家にとって型取りという作業は、計らずもその感覚の修練にもなっているかもしれない。

彫刻の技法は、素材を盛るもの(モデリング)と、素材を削り落とすもの(カーヴィング)の2つに分けられる。
しかし、モデリングで作られた物は、大抵の場合、そこから型を起こして型取り(キャスティング)され、ブロンズや樹脂などの別素材へと移される。
彫刻の歴史において、モデリングと型取りは切り離せなかったにも関わらず、型取りは芸術の表舞台へは出てこず「職人技の裏方」に徹してきた事実は興味深い。

現代美術において、型取りという行為と芸術を結びつけた表現が出始めている。日本では、西尾康之氏が思い浮かぶ。粘土で雌型を直接作るという技法は、実はより原始的であるにも関わらず、現代では「新しい」。
海外では、室内空間を丸ごと型取り、室内という虚空間を実に置き換えた表現などがある。

型取りという行為、それによって立ち現れる型という虚実の狭間の物体。それは、多くの場合取り壊されてしまうという事実もあいまって、それ自体が存在のあやうさと脆弱性を表しているようにも見える。

画像はVictoria and Albert Museumからの無断借用。

2009年8月29日土曜日

芸術家とは その資質

芸術家というのは、一般の人とは違う別の領域に生息する特別な存在。そんな風に子供の頃は漠然と思っていた記憶がある。学校を出たり、何かを学んだらなれるというものでは無い—つまり、職業ではないと感じていた。
だからこそ、高校生卒業後の進路が問題になる年の頃に、芸術大学があることを知って驚いた。芸術家とは学校にいってなれるものなのかと。
そして、芸術大学に入学が許されるとそれでもう自分は芸術家なのだと、言い換えれば、その資格と才能があると認められたのだと信じてしまった。十代後半は、何か自分に秀でたものが欲しいと思う年代だ。その頃に、「芸術家」という何か普通ではないレッテルが与えられることは、若い自尊心を多いに満足させるものだった。

しかし、そういった思い込みと現実の落差を、卒業後に知る事になる。つまり、芸術大学を出たら芸術家ということは全くない、ということを知らされるのだ。その意味では、小さい頃に抱いていた芸術家の概念が正しかった事になる。美大を出ても芸術家にはなれない。

芸術家とは、自分で決められるカテゴリーではないのだ。ある人の生き様を見て、他人が「あの人は芸術家だ」と思う。それが大衆となることで、周囲から芸術家と認められるようになるものである。
自ら、「私は芸術家です」と言うような人物がいたら、少し間を持って接するのが良い。

芸術家という呼び名の他に、画家、彫刻家などという呼び方があるが、これは、ずっと職業的な雰囲気を帯びていて、芸術家という呼称と対応するものではないので、「私は画家です」や、「私は彫刻家です」と自らを紹介しても何ら違和感を覚えない。

世の中に画家や彫刻家はあまた居る。しかし、そのなかに芸術家と呼べる人物がどれだけいるだろう。それは、計る事が出来ないのかもしれない。美術の歴史を見ても、生前は全く顧みられなかった巨匠は多い。

自分がしていること(制作)は、どこに行き着くのか。その答えは分からないまま、自分が信じる色彩、形体を追い続けるというのは、どこか宗教を感じさせもする。

芸術の発展には宗教は切り離せなかった。アートがそれらから自由になり、個人の感覚発表の場となっても、芸術を追い求めるために要求される資質—信心—は変わりがないのだ。

芸術家たる資質として求められる第一にして根源的なもの。
「あなたは芸術を信じ、それに生きますか」

2009年8月25日火曜日

かたち、かたち、かたち

かたちについて深く洞察する彫刻家が少なくなっていないか。
物体が存在することが人間に与える影響を考えるということを。

今は彫刻家が、バソコンをつくっているようなものだ。

バソコンはそこに存在する。しかし、重要なのはその物体ではなく、それによって得られる情報(インターネットなど)だ。バソコンはそのためのデバイスでしかない。

人間は、そこに在る物体そのものに心を動かされるのだという事実を忘れてはいないだろうか。

美には、文脈と構造の二つに分けられる。

そのうち構造の美をダイナミックに取り扱うのが彫刻の本質だった。
それは時代を超える美である。人類が存在しているうちは受け継がれる。

かたちはありふれている。そして、捉えきれない。

今の彫刻家は、落ちている石ころに美を見いだしているか。
木の幹や枝振りに、広がる雲に、川の渦に、そしてひとの形に美を見いだしているか。

それは、心象ではない。かたちそのものが持つ美しさであろう。

かたちに怠けた彫刻というものがあれば、それは本質的におかしい。

彫刻のあり方 空間内に存在するということ

私たちが普段何か対象を指せば、それはその物本体を意味している。そんなことは当たり前だが、彫刻はその事をもう一歩踏み込んで考えなければならない。

例えば人体の彫刻がある。それは、ある空間内において、その像がその空間を引き裂いて(もしくは押し退けて)存在しているのである。一方、同様のテーマの絵画があるとしても、その中の人体は絵画中での仮想的空間に存在しているのであって実空間を問題としない。このことが、彫刻と絵画を分ける絶対的な違いの一つだ。

人物画を描くには、それが収まるだけの画布が必要だ。それが無ければ絵画中に人物は存在出来ない。それと同じことが、彫刻でも言えるのである。彫刻が存在するには、それが収まるだけの空間を必要とするのだから。

しかし、私たちが普段あるものを指し示す時、その物体はそれが取り囲まれているものがあって初めて成り立っているのだとは意識しないために、彫刻の作品としての魅力はその作品そのものだけで成り立つと考えてしまっているのが実情ではないだろうか。

存在は、それを取り囲むもの(マトリクス)とは、切り離せない。この、一見当たり前の、禅問答のような真実を常に意識しなくては、空間に生きる彫刻は本来存在し得ない。

それを意識しないものは、彫刻とは呼ばず、人形やおもちゃと呼ばれる。彼らは、そもそもが動かされ、消費されるもので、それが取り囲まれる空間を意識して存在することが出来ない。

さて、この彫刻とマトリクスの関係性は、西洋に置いては古くから意識されて来ていた。現在の西洋彫刻の起源とも呼べるギリシアに置いて、そもそも彫刻は建築物の一部を担っていた。そこで見られる「カリアティード」などは、その人物が置かれる状態をポーズで示し、かつ実際にも加重に耐えうる形状をなしている。これなどは、空間ではなく物理的なマトリクスに覆われている彫刻とでも言えるだろう。やがて、建築物から離れて彫刻が存在するようになっても、やはり、そのものが置かれる空間は必ず意識されてきた。
近代では、ヘンリー・ムアが、作品を取り巻く空間を意識的に捉えたものをいくつも発表した。彼は、作品が置かれる場所(つまり空間)にこだわり、現在もその効果をマッチハダムの屋外展示で見る事が出来る。

芸術としての彫刻を考える歴史が浅い日本では、そもそも、その物を取り囲む空間という概念が薄かったのか、未だにこのことに無関心であるように見える。
美術館などでの彫刻の展示を見ればそれは一目瞭然だ。狭い角の壁際などにぴったりと置かれたもの。隣り同士、満員列車のように並べられたものなどが目につく。作品”だけ”を見てください、と言わんばかりだ。

全ての存在は、それだけでは存在できないという大前提は、美術においても同様に働いている。そのことに、作家も、展示者ももう少し気を配るべきではないだろうか。

2009年8月24日月曜日

東洋と西洋 見方のちがい

今日、途中から見たテレビ番組で、西洋人と東洋人の対象の捉え方の違いについてやっていた。簡単なテストをさせるのだが、その答えに大きな差が出るそうだ。
例えば、複数の笑顔の人物の中心で微笑んでいる人がいる絵と、複数の不機嫌そうな人物の中心で微笑んでいる人がいる絵。東洋人は、始めの絵の人物は幸せそうだが、2枚目はそうではないと答える。西洋人は、どちらの絵も微笑んでいる人物は幸せそうだと答える。
別の例では、猿、パンダ、バナナの絵で、二つをくくりなさい、というもの。東洋人は、猿とバナナをくくるが、西洋人は猿とパンダをくくる。
これらから見えてくるのは、東洋は関係性を重視するのに対して、西洋人は区別を重視するというものだ。こういう性質の違いは経験上、納得している人は多いだろう。それが、こういう実験で明確に表されるのが興味深い。

解剖学や、科学が西洋において早期に発展したことも、同列で説明ができるだろう。江戸時代の腑分け図の描き方もなるほど典型的な東洋の見方だと言える。
宗教画で、九相図というのがある。人の死体が腐って骨になる様を段階を追って描いているのだが、それは、死体が墓場に置き捨てられている様が描かれている。つまり、死体とそれが腐るのに必要なフィールドが分けられていない。この、「関係性を断たない」見方も、東洋的なのだと実感した。

2009年8月22日土曜日

プラスティネーション 

生き物は死ぬと、速やかに腐敗し始める。宗教上の理由などから死体を保存したいと考えて来た人類は、様々な方法を研究、発見してきた。
もっとも古くからある技術は、ミイラ化することだ。ミイラ化は、言い換えれば脱水保存で、現在のフリーズドライ食品などは食品のミイラ化である。ミイラ化の利点としては、その保存が比較的容易であることだ。乾燥状態さえ保てば数千年の保存が可能である事は歴史が証明している。
乾燥させない保存方法として、思い浮かぶのは、ホルマリンなどの溶液につけ込む液浸標本だろう。これは、ホルマリンによって体のタンパク質を変質させ腐敗を止め、乾燥しないようにアルコールなどに浸すもので、組織が液体を保っているという意味で、ミイラ化と反対を行く方法と言える。しかしこれは、標本の管理に手間がかかる。

これらの死体保存方法に共通していることは、体内の水分を除くというもので、つまりは、生きている間は欠かせない水分が、死んだ後は腐敗を呼ぶ要因ともなるのだ。
ミイラ化は、単純に水を抜く方法で、液浸標本は水の代わりにアルコールなどを浸透させるのである。

ミイラはそのまま置いておけ、液浸は形を保っている。この両者の長所を合わせたような標本技術が、だ。
つまり、体内の水分をシリコーンに置き換えて、それを硬化させることで、外に置いておけ、形も保ったままにすることが可能になった。
この方法を考え、特許を取り、世界に広げたのがドイツのハーゲンス博士だ。彼は、その技術を用いて人体標本を数多く作成し、その展覧会を世界中で開催して成功させた。当然ながら倫理面で大きな物議を醸してもいる。その理由の一つとして、その標本達のポーズがある。彼らは、実にアクティブだ。バスケットをしていたりチェスを指していたり、ダンスをしたり。そうしながら、内臓を晒し、胎内の赤ちゃんを見せている。

ハーゲンス博士はいつもハットを被っている。その姿から、ドイツのカリスマ的アーティストのボイスを意識しているのではないかとも言われる。それが正しいかは分からないが、前衛的であることは確かだ。死体にあのようなポーズを取らせ、切り刻んで見せるという、そのアイデアと実行力は、ドイツだから出来たというのもあろうが、ドイツでも良く出来たとも言えるだろう。

その標本達—かつては生きていた人たち—は、その生き生きとした姿勢によって、私たちが持つ死のイメージから免れさせられている。腐らず、動いているのだ。
腐らずに永遠に存在し続け、その形に「命」を宿らせたい。この欲求こそが、芸術の根源にあり、それを立体—つまりより実際に近い—に表したのが彫刻だ。もちろん、石材やブロンズに命はない。だから、その姿勢に命を感じさせるようにさせた。私たちはその姿勢に永遠の命を見る。
作品に感情移入するには、それが相応に現実味を持っていなければならないという要求から、芸術家は解剖学を取り入れ、内部構造を正確に表そうとした。
ハーゲンス博士がここに表したものでは、作家は内部構造に苦心する必要は無いが、生き生きとした姿勢を取らせ、命を感じさせようとしている。この意味において、これらは従来の芸術の列に乗っていると言える。
しかし、元来が無生命(木材もここではそう考える)である素材から作られた彫刻とは違い、標本達の存在は、かつて生きていたという絶対的事実を強調し続けるのだ。生き生きさせるほどに際立つ死がそこにある。その意味では、これらは芸術とは違う、生命を直に手触りしているような違和感が感じられる。

死体をいじるという行為への潜在的嫌悪感もあるのか、倫理的問題からの逃避があるのか、芸術系のメディアでは、ハーゲンス博士の仕事が取り上げられる事はほとんどない。
芸術のテーマは、人類の起源からいままで、手を変え品を変えつつも常に「いのち」に関係している。にも関わらず、あまりに直接的にそこに触れられると、少し尻込みしてしまう。死に直接触れるのには芸術家はナイーブ過ぎるのだろうか。

また、プラスティネーション標本は、立体として存在しているものの、それを彫刻とは呼べない。彼らは、言わば、彫刻を模しているのだ。彫刻のやり方に沿って存在している標本とも呼べるだろう。
細かく見れば、標本の筋は弛緩しているので生体のような収縮による緊張も見られない。彫刻家が操る、動きに伴った量の移動なども表現出来ない。まず体ありきである故に、表現に規制があるのだ。

プラスティネーションが芸術として見られるならば、これは壮大なコンセプチュアル・アートに区分けされるだろう。体、個の人生、医学、芸術、それらを取り込んで、考えさせる門を開いているのである。

ともあれ、立ち上がり再び芸術に向かって振り返っているような標本たちは、人体観の新しいマイルストーンとして、歴史に刻まれたことは間違いない。

2009年8月19日水曜日

生物のかたち

生物には、螺旋(らせん)形状がよく見られる。巻貝など文字通り螺旋そのものだし、DNAも二重螺旋構造である。植物のツタなども螺旋状にのびてゆくし、杉や桜なども幹に螺旋状のねじれを見る事が出来る。
螺旋形状は、典型的な回転体形状だ。つまり、丸を描いてその端を軸に回転させながら上または下に移動させ、その軌跡をたどることでその形は作られる。
つまり、螺旋形状が出来るには、基本となる単純形状とその運動時間が必要だ。

時代を通して、生物と非生物の違いが議論されてきた。生物も分解すれば非生物であるが、では、どの段階から「命」を持つ生物になるのか?いつ、非生物が生命現象を持つようになるのか。そこが問題である。
この疑問は、私たち自身が生物であるということによってより難しいものになっているが、冷静に見れば、生命現象も、物理現象に括られることに気付く。そこで、自立し意思を持つ生命現象は、どのような物理現象なのかが問題となる。生物のかたちもその疑問のうちの一つと言える。
生物のかたちは、言い換えれば、生物の存在を意味している。形がなければ存在し得ないという意味において、この疑問は根源的であると言えるだろう。

生物の特徴の一つとして、種の継続性がある。個々の生物は寿命を持ち、一定期間で死んでゆくが、生殖行動によって種そのものは継続されるというものだ。虫のアリはいつも庭を這っているが、実際には毎年一定の割合で入れ替わっている訳で、私たちが「アリ」と呼ぶ時それは種としてのアリを指している。それは私たち人間も全く同様だ。

私たち個人は、当然ながら生まれてから死ぬまで変わらず自分自身だ。しかし、分子レベルで見れば、体を構成している成分は常に置き換えられている。これは動的平衡(定常状態)と言われる。例えるなら川の流れを同じ場所で眺めるのに似て、同じ流れを見ているようで、その水は常に入れ替わっている。

生命の運動体形状と、種の継続性と、動的平衡。この3つは、生物のかたちを考える上で重要なキーワードである気がする。全て、ある単純な要素とその運動(つまり時間)が関係している。

これは、先日、東京ミッドタウン内の水場で見た人工的な水の渦を見ていて感じたことで、その渦の内側に螺旋形状を見たのがそもそもだ。かたちと運動(時間)の関係性は興味深い。時間なくして、私たちの生命はあり得ない。形ない生命もまたありえない。
「運動時間による形の振る舞い」これが、生物のかたちだと言える。そして、それは同時に生命現象という振る舞いを起こす。
この関係性をもう少し考えていきたい。

言葉という道具 言語優位性

私たちの社会では、言葉がきちんと使える事が、その立場において非常に重要な要素となっている。立場と状況に応じて、適した言葉を選んで使い、意思を明確に伝えられるかどうかで、その人の知性と社会的地位が計られる。
海外に旅行に行くと、言葉が使えないが為だけに、ひどく自分が劣った人間のように思えるものだし、逆に、拙い日本語を使っている外国人を見ると、何だか自分より劣っているように感じてしまう。
もちろん、人間の知性などは、言語だけで計れるものではないのに、なぜ、そう感じてしまうのか。そこには、人類にとっての言語優位性という性質が見て取れる。

言語を扱う動物は人間しかいない。人類がいつ言語を使うようになったのかは正確には知る由もないが、その取得過程には、道具の使用と関連性があるように思う。
言葉を持たない動物も、鳴き声などで相手に意思を疎通するが、それは、発声した時のみの単純な伝達に過ぎず、「ここ」、「向こう」、「逃げろ」、などのように、掛け声のようなものだ。
やがて、言語取得初期の人類は、「お前、あそこ、私、ここ、追う、お前、出る、私、お前、捉える」という感じで、増えた語彙をいくつも重ね始め、間を埋めるように、文法が出来ていったのだろう。これは、例えば、綿密に狩りの計画などを立てることを可能にした。協力し合って狩りをする動物は、オオカミなど人類以外にもいるが、彼らのそれは進化によって身につけた固定されたものであるのに対して、言語が可能にした共同作業はどのようにでも変更をすることが出来る点で、本質的に全く違うものだと言う事が出来る。
この、進化的に身につけたものではなく様々に変更が可能であるというのは、人類が身につけた「道具」と同じなのだ。その意味で、言語は道具であり、その取得時期は道具の使用時期と近い可能性が考えられるのではないか。

実際の道具と言語では、物質と概念という大きな違いがある。言語は形を持たないため、行動や思想など形のないものも表す事が出来る。
しかし、それを的確に操るためには、意識(脳)が明晰である必要が有る。言葉が物事に呼び名を付ける事で明確化し、それによって、思考が明晰になっていった。私たちは、物事を考える時に言語を必要とする。
こういった理由から、言語を高度に操れる人は意識が明晰であると判断する事が出来る。また、どんな動物も固有の身体的能力を持っているが、人類にとってのそれは、高度な意識(脳)の表出である道具とその一種である言語であり、それが優れている者が集団の長に付く事が出来るのは各動物種におけるヒエラルキー構造と何ら違いが無い。
つまり、私たちが、相手を言葉遣いで判断するのは、言語を持つ人類としての本能のようなものなのだ。的確な言語は、作戦を正確に伝達させることで狩り(または、農耕など)を成功に導き、集団を保護する。そうやってきた記憶が私たちに刻み込まれているのではないだろうか。

人類とマトリックス 宇宙への進出

マトリックスという映画があった。主人公が生活している世界は全てコンピューターが作り出した偽物だったという話しだが、そこでは、主人公のいる「偽の世界」のことをマトリックスと指している。日本語では、基盤とか母岩という意味だが、全体を取り囲むものというニュアンスがある。

さて、私たちを含む全ての存在は、それを取り囲むマトリックスから独立して存在することは出来ない。しかし、”動き回れる”動物である私たちは、環境から違う環境へ移動できるために、そのことを忘れがちだ。いや、むしろマトリックスとは関係なく存在出来ると思っている人のほうが多いかもしれない(というか、そんなことは意識もしない)。その点は、”動けない”植物たちのほうが、一見、肝に座っている。なぜ、「一見」かと言えば、植物の多様性を見る限り、彼らも動物とは違う方法で「動き」、環境への適応を計っていると言えるからだ。

私たち人類は、進化を辿れば、かつて水中の生き物だった。そう教育されなければ、全く信じられないような話しだが、実際、私たちの体内には「魚」だったころの名残が各所に残っている。いや、むしろ「魚の変形版」であると言っていいほどなのだ。

私たちが「魚」だったころ、マトリックスは海水だった。しかしやがて、勇気ある者が新天地である陸を目指した。そのとき彼らは、マトリックスである海水を手放す事はしなかった。いや、出来なかった。それを体内に取り込んで、陸に上がったのである。それが体液だ。
そのころの体の作りもそのままに、ただそれを改変することで使い回して来た。エラはあごに。ヒレを手足に。かつて水中で物を見ていた眼は今でも濡らさなければ使えない。水の匂いを嗅いでいた鼻も濡らしたままだ。今や、空気の振動を音として聞いている耳だが、その奥ではわざわざ液体振動に変換しているのだ。

かつてのマトリックスを体内に取り込み、陸上に進出した私たちの祖先。その後、「道具を作り、使う」という能力を得た人類は、肉体的な改変を止めた。進化という時間とエネルギーの膨大なコストを「発明」によって補うことにしたのだ。

人類は、地上の生物として、次のステージを目指している。宇宙への進出だ。そこには、今までの私たちを取り囲んでいたマトリックスが存在しない。しかし、進化という身体の改変を待つ事はしない。宇宙服という道具を身にまとい、その中に、地球上のマトリックスを閉じ込めた。
この部分が、生物が今まで行って来た進化との大きな違いだ。

道具による肉体の延長。宇宙基地という人工的なマトリックス。今、人類が宇宙進出にあたって行っている行為は、進出エリアにマトリックスを広げていくという作業だ。これは、今までの進化のやり方と全く逆を行く新しい概念と言える。
しかし、進出エリアの全ての場所にマトリックスを作らなければならないこの方法は、広いエリアへの展開には不利である。この部分で、今後人類はどういう方法を選択するのか。興味どころではある。

体の内側にマトリックスを取り込んだ今までのやり方。体の外側にマトリックスをまとう新しいやり方。
両者の折衷案がやがて登場するのだろうか。

2009年8月9日日曜日

画家と彫刻家 見え方の違い

朝、眠りから覚め、目を開けた瞬間から、見慣れた部屋の光景が目に飛び込んでくる。それは、あまりにも当たり前の事で、見えるという事実に驚く者はいない。
個人が、見るという努力をせずとも、目を開ければ半ば強制的に光景が見えることから、「見る」ということは、受動的な現象だと信じられて来た。つまり、「見えて当然」ということだ。実際に今でもそう信じている人が大半だろう。
しかし、脳の構造や機能から、見るという行為が分析されるに至って、「見える」とは、それほど単純なものではないことが明らかになった。見るという行為のなかで、従来通り、受動的と言っていいのは、まぶたを開けて、光線が瞳孔を通り網膜に到達するまでに過ぎない。しかし、この段階では、単に視細胞が興奮した状態であるだけで、「見える」という感覚からはほど遠い。ここから多くの行程を経て、情報が取捨され再構成されて初めて「見える」のである。つまり、「見る」とは、実に能動的行為と言えるのだ。
だからこそ、「見れども見えず」になったり、無いはずのものをそこに見る事もある。また驚く事に、「見えずとも見れる」ことさえある事が分かっている。

さて、このように、見るという行為は能動的なのであるから、見え方も状況次第で、様々に違うのである。芸術では、大きく二つに分けられると思う。すなわち、「画家的視覚」と「彫刻家的視覚」とに。
まず、「画家的視覚」だが、これは比較的、一般の人の見え方に近いだろう。ただ、一般よりも圧倒的に色覚分析が優れている。目に映る光景に含まれる色彩を強調して捉えようとし、また、色彩のみから形状を読み取ろうとする。この見方が優れている人は、より色彩の鮮やかなものに目がいくだろうし、実際にも、ガラスや水面の反射のような、形状に束縛されない光を捉えて表現する事に秀でている。一方で、物体の形状や構造を的確に捉える事を苦手とする向きがあるようだ。これは、対象を表面の光線からのみ認識しようとするからだろう。
「彫刻家的視覚」は、ちょうど上記の画家のものと逆である。彼らは、極端に言えば視覚から色彩を消去する。まず、対象の形状と構造の分析を行うのだ。だから、複雑に見える形状から隠された構造的一貫性を見いだすことに秀で、また、その美しさを発見し、再構成することが出来る。しかし、色彩に関しては、不得意とする向きがある。

これらの相反するような二つの視覚は、実は誰でも持っているもので、普段からどちらも駆使されている。だが、「画家的視覚」で重要となる色覚の認識は脳内での伝達順序から見て、より初原的であると言えるだろう。つまり、より理解しやすい。それに比べると、「彫刻家的視覚」で重要となる距離覚、つまり立体感覚は、より高度な情報処理を必要とするので、専門的な訓練をより必要とするだろう。
これはつまり、一部が隠れていたり、斜めからしか見えていない対象の全体の形状が見て分かるとか、複数置かれている物体のお互いの位置と距離を認識できるとか、一見複雑な構造物から形状的な秩序を見いだせるとか、そういうものだ。

さて、そう見てみると、人体という構造物の形をより理解しやすくするための美術解剖学とは、「画家的視覚」よりも「彫刻家的視覚」に訴えるものであることがわかる。同時に、人体の形状を理解する為には、美術解剖学的な知識よりも前に、彫刻家的視覚を訓練する必要性があるということも分かる。

書店にならぶ解剖図譜を見ても、多くの人がそれを形状的に理解する事が難しいのは、そのあたりに理由の一端もあるのだろう。

美術解剖学の分類

美術解剖学というネーミングは、実に絶妙だ。なぜなら、それを読んだ瞬間に感覚的にどんなものか理解できる気がする。
だが、具体的にどんなものかをその名前から理解しようとすると、とたんにつかみどころが無くなる。「美術」も「解剖」もその指し示している対称が幅広く、そのどこなのかが分からないからだ。また、この単語をどこで区切るのかで、意味合いも変わってしまう。
数式的に示す。

(美術)+(解剖学)
{(美術)+(解剖)}+(学)
(美術解剖)+(学)

上記の3様が考えられる。

美術解剖学は、明治時代に西洋から輸入された概念で、当初は「芸用解剖学」とも呼ばれた。つまり、「芸術に用いるところの、解剖学」という意味だ。これは、現在でも西洋で表される「Anatomy for Artist」からの訳だろうか。
しかし、やがて呼び名は現在のものとなり定着したわけだが、これは、やはり当時、多く参考にされたフランスの書「Anatomie Artistique」の訳が関係しているのかもしれない。

いずれにせよ、当時の概念では、「解剖学の知識を、美術造形の参考とする」というもので、上記の式の一番目に相当する。そして、これが現在でも原点であると言えよう。
しかしながら、医学のために編纂された解剖学は、必ずしも造形の手引きとして便利であるとは限らない。構造的や臨床的に意味のある部位が重点的に記載される医学解剖学だが、美術家にとっては、それよりも、外見上で意味をなす構造が価値を持っている。そこで、解剖学からより造形に意味のある項目を集中的に再編纂することで、より積極的に美術と解剖の関係性を強める方向性が出来てくる。それが、上記の式の2番目になる。現在、書店などで良く目にする書籍はほとんどこのスタンスで書かれている。

こうして、現在においてこれらの知識を得たいと思う人は、予め用意された”美術解剖”の知識を手にする事が出来るようになった。そこに示されているのは、多くの造形家や画家が知りたいと思う部分だけが抽出され示されているのである。このことには、良い部分と悪い部分がある。良い部分としては、情報が整理されているということだ。解剖学というのは、言わば体の地図帳(アトラス)であり、そこには方向性がない。その膨大な情報から、造形に役立つであろう部分のみを指し示してあるので、彼らは”道に迷わなくて済む”。悪い部分は、これも実は同様に、情報が整理されているということなのだ。このことで、人はその情報以外を見ようとはしなくなる。人体とは、「そういうものだ」と思い込んでしまうようになる。芸術家は、本来自由な観察眼を持ち続けるべきで、人体を数値や言語で捉えるような「生理学者的視点」は持つべきではない。

このような、相反する感情は、発展した学問、技術などには付き物で、結局は、使う側が利、不利を認識して使いこなすしか無いのかもしれない。

ところで、ここまでで使われている「解剖」の情報は常に医学の解剖学から拝借しており、美術解剖はそれを再編纂しているに過ぎない。この意味において、美術解剖学は、応用解剖学の一つとされるのである。
このような理由から、実は「美術解剖学を学ぶ」という言葉は、あまり本質的ではない。解剖学を学ばなければ、美術解剖学は理解できないからである。

上記の式の3つ目は、「美術解剖」という新たなジャンルを示しており、 以外の2つとは趣が異なることに注意すべきだ。広く考えるなら、上記の2つを包括した上での新ジャンルとも言えるかもしれないが、これは「美術」でも「解剖」でもない「美術解剖」であると捉えるべきだと思う。
これは、「美術(作品)を、解剖的視点を通して見る」というもので、あくまで鑑賞者的視点であり、上記の別の2つが制作者的視点であるところから、両者は決定的に違うと言えるのである。そして、そこに「学」が着く事で、鑑賞者的視点は、批評者的視点へと変化する。
近代以前の西洋芸術の主題の多くは具象で、人体も多い。16世紀以降では、写実的表現が標準だから、そこに解剖学的な分析的視点をぶつけることが可能だ。そして、そこから各時代の人の見方といった様々な情報を読み取る事が出来る。そこに、解剖学という科学的な視点を持ち込む事で客観的に作品を分析しようとする試みである。

このように、現在言われる「美術解剖学」は、その対称が制作者か鑑賞者かで、2つに分けられるのである。
しかし、最後の「鑑賞者」側にたつものを積極的に「美術解剖学」と呼ぶのは、恐らく日本だけではないだろうか。本来は、芸術学、美学の1ジャンルに分けられるものだろう。

2009年8月6日木曜日

人類進化の方向性 はだかの由来

私たちは、初めからこの形で存在していたのではない。私たちではないものから進化して、現在ここに至る。
だから、私たちの体は、私たちではなかった時代のものから作られているわけで、それを丹念に見る事で、由来の大体を知る事が出来るのだ。

私たちは、立ち上がり、道具を使うようになった。そして、常に仲間と群れる。これらの特徴は全てが繋がり合っていて、切り離す事が出来ない。
道具を使うのには、高度な知能が必要で、それは大きな脳と関連がある。大きく重い脳を頭のてっぺんに奥には、頭をまっすぐ垂直にしなくては首に負担が掛かってしまう。インドなどの女性が頭頂に物を乗せて運ぶが、人体構造的には理にかなっていると言えるだろう。
道具を使うことで、人間はマルチになった。身体に足りないものは道具で補えば良いのである。だから、私たちは、身体能力では、これといった秀でたものが無い。走りも、泳ぎも、木登りも、攻撃や防御も裸の体では自然界において全くお話しにならないレベルだ。
道具を開発し、使用することで、私たちはどんな動物よりも優位に立つ事に成功した。しかし、人類の皆が全ての道具を開発するのではない。それは非効率というもので、私たちは、大勢で集まって、分業を「発見」し、これを効率的におこなった。

こうして群れることで、私たちは「人類」としての最大のパフォーマンスを発揮することができる。某先生が言う「人という字はお互いに助け合う様を云々・・」は、人類進化的に言っても正しいのだ。

さて、人類の特徴で、とても目立つはずなのに比較的無視されがちなものがある。それは、私たちが「裸」であるということだ。人類以外のほ乳類を見回せば、裸がいかにマイナーな存在かが分かる。にもかかわらず、私たちはその「変」さに無頓着である。
そして、実際、この理由についてはっきりしたことは分かっていない。いったい、いつから裸なのか・・。良く聞く説としてサバンナ説というのがあり、端折って言うなら、発汗に都合が良いからとか、そんな感じだった気がする。対して、ユニークなものとしてアクア説というものがあり、それは、人類が一度水辺に適応したため、体毛を失ったというものだ。もちろんアイデアの発端には、海棲哺乳類が無毛であるというのがあるのだろう。これは、ロマンと意外性に満ちて魅力的ではあるが、殆ど支持されていないのが実情である。

わたしは、そんなに難しくないところに答えがあると思う。今の私たちを見ればよいのだ。今の私たちは、過去の私たちから続いているのだから。
わたしたちは、裸ではあるが、そのままでは外に出ない。人類にとって、裸と衣類は常に一緒にある。これには、大きな利点がある。すなわち、衣類による保温性の調節が可能であるということだ。野生動物には、夏毛と冬毛を生え変わらせるものがいるが、当然それは年に一度のみであり、生息域が変わらないからそれでよいが、逆に言えば、それは生きる範囲を固定してしまっているとも言える。もし、その生息域に住めなくなった時、彼らは生き続ける術を持たない。
だが、私たちは衣類を変える事で、さまざまな状況下で生活することを可能にした。現在の人類が地球のあらゆるところへ生活域を広げる事が出来たのは、裸になり、服を手に入れた事が大きな要因と言えるのだ。

体毛は、そもそも表皮の変化したもので、アルマジロやセンザンコウのように堅くなって体を保護したり、ヤマアラシのように攻撃性を持つようにも進化している。そうでなくとも、生息域に準じて体毛の質は変化しており、それぞれの動物においてなくてはならない特殊能力と言っても良いものだ。つまりそれは、チータの俊足や、ライオンの牙などと並べてもよい、各動物固有の能力である。
そのように見た時、身体の特殊能力を必要としなくなった人類には、速い脚も鋭い牙もいらないように、全身を覆う体毛も必要ではなくなったのだ、と言えるだろう。
牙を誇るライオンは、一生、それに頼って生かざるを得ず、チータは生涯走り続けなければならない。その能力を失えばそれは死を意味する。
同様に、ホッキョクグマはその体毛故に生活域を限られ、裸のゾウは北に上る事はできないのだ。
つまり、身体の特殊能力は、考え方を変えれば、その能力故にその動物を縛り付けていると言える。
人類は、その身体的な縛りをことごとく手放す事で、圧倒的な自由を手に入れたのである。体毛のその一つに過ぎない。

ただ、裸が先か、服が先か。そこは分からない。
道具が先か、脳が先か、の問題と同じように。

人間のかたち

人類の芸術における普遍のテーマは「人間」に他ならない。彫刻家は、それを空間上に様々な素材で再現してきた。彫刻家が作り出すのは、人間ではなく人間のかたちだ。
それは、かたちに過ぎないかもしれないが、そこに、かたち以上のもの、すなわち人間そのものを宿らせようと、作家は様々なトリックを操る。そのトリックが最も際立つには、とにかく、かたちがきちんとしていることが大前提である。

私たちは、生まれた時から人間だから、自分自身のかたちについて、それほど興味を持たない。せいぜい、あの人はスタイルが良いだとか、美人だとかとニュアンスで捉えるだけだ。もちろん、それは高度な認知作業だが。
彫刻家は、ニュアンスだけ捉えていたのでは、いつまでも人間のかたちを捉えられないから、一歩踏み込んだ、客観的な視点を持って人間をみつめなければならない。
客観的とはすなわち、外からの視点である。人間を、人間以外の視点から見つめてみるということだ。
よく、海外に出ると日本という国が違って見えると言うが、それと似ているかもしれない。
どうようのことを、解剖学者もしている。人間を他の生き物と比べることで、その特性や意味合いを見つけようとするもので、比較解剖学という。
そうして見ていくと、私たちの体が他の動物と違いという形で浮かび上がってくる。二本脚で立っていることの不思議や、大きな頭部。そんな目立つ事以外にも、肩が横へ張っていることや、胸郭が前後に扁平なことなど、当然だと思っている形が、進化によって変形してきた人類独自の構造であることが分かってくる。
まだまだ、私たちの体について数多くの知見が先人達によって見いだされている。それらは、私たち自身についての再発見を促し、私たちは何者なのか、という根源的疑問にも別の光を与えるだろう。そして、彫刻家には、人間というかたちを見つめる、新しいツールにさえなり得るものである。

私たち自身という存在のかたち。そこに飽くなき興味を持ち続けるのが、彫刻家であり、解剖学者たちである。

2009年8月5日水曜日

彫刻美術と肉眼解剖の衰退の原因

数字至上社会について書いたことで思ったことを記す。

解剖学(肉眼解剖学)というのは、すでに終わった学問だと言われることがある。この、終わったとは、既に終了して過去の物というのではなくて、とりあえず目で見えて記載できるものは一通り済んだ、という意味だ。とはいえ、肉眼的に人体を探索している研究者は世界中に居るし、彼らにとっては人体はまだまだその余地を残しているフィールドであることも事実だ。

現代の解剖学は、その原点である肉眼解剖学から、さらに微細な顕微解剖学や、分子解剖学へと広がり、また、人体の別の見え方を探る応用解剖学へと発展している。
それでも、肉眼解剖学は全ての根幹として機能し続け、それは、人体を探求する基本的姿勢を現在も示し続けている。
彼らは、いつも目の前にある人体の形状に忠実であろうとする。個々の所見に重きを置く。
この姿勢は、自然を観察する芸術家のそれに似ている。彼らは、一般に広がっている偏見を持たずに目の前の景色を見ようとする。なんと言おうと、自分の目に映るそれが真実である。

現在の、数字至上社会は、良く言われる情報社会とリンクしているだろう。情報とは、皆が共有できる普遍性を持っていなければならず、それを可能にするのが数字だからだ。情報の代名詞「インターネット」もデジタルという数字に置き換える事で成り立っている。

なぜ、社会はこのように進んで来ているのか?具体的にはいくつも答えを考え出せるが、全体として言えるのは、人類がそれを望むから、である。
私たちの脳は、全てを概念化して取り扱っている。脳にはそうしかできないし、それが実際に効率的だからだ。より効率性を高める為には、そもそもの世の中を、概念的に変化させた方が良い。そういう作用が働いているのではないだろうか。
ともかく、コンピューターは人類に受け入れられ、ネット社会も受け入れられた。情報ビジネスも当たり前になった。

それに呼応するように、美術表現も物質的なものから情報的なものが主体になり、いまや、あえて「コンセプチュアル・アート」などと呼び分ける必要も無い。

肉眼解剖学という、数値ではなく物質を扱う領域が過去と呼ばれることと、物質的な美を探って来た美術、ことに彫刻の衰退とに共通の情報化という原因を見る気がする。

数値至上主義の弊害

私たちの身の回りには数字が溢れている。数字が表す「数」の概念が発見されなければ、現在の文明は間違いなくなかっただろう。
数がもたらす最大の恩恵は、概念の共有性にある。つまり、その数値は誰にとっても同様であるということ。1は、世界中の誰にとっても1に他ならない。この、絶対的とも思える数の「拘束力」は、それを操る数学を生み、様々な法則を発見することになった。数は概念であるから、何にでも当てはめることができる。量、距離、重さ・・。
そして、どれだけ必要とされているかを計ることにも数が割り当てられた。値段である。価値という、目に見えないものを数字で表す事が可能になり、物々交換が主だった取引は突然に大きく変化した。今まで交換対象ではなかったものも交換が可能になった。
数値で取引をする「貨幣経済」は、今や、取引の基本である。全ての商品は、その価値を数値化される。このことに慣れ切った私たちは、ものごとの価値は全て数値化が可能で、その表された数こそが、そのものの真の価値であると信じ切ってしまう。日常生活の買い物などでは、それでも問題はないだろう。しかし、世の中には、数値で割り切れないものがあるのも事実である。その一つに、芸術がある。
芸術は、そもそも、「割り切る」といった概念と非常に馴染まない。芸術を言葉で表現することが難しく、また、時に馬鹿げているのもそのせいである。言語化とは、多くの情報を捨てるという行為の上にあるのだから。
同様に、芸術の価値(芸術的価値)を値段という数値に置き換える事も非常に無理のある行為だ。まず、その作品が生み出される行程を数値化できない。多くの作品にとって最も重要なのは、作家が何を表現したかという「作家の主観性」であって、そこに原価が幾らかかっているのかなど算出は不可能だ。そして、それを鑑賞する側がそこに見いだす価値も「鑑賞者の主観」に他ならず、それは、鑑賞者個々で大きく変化する。ある絵に1000万円を付ける人もあれば、1円で十分だと言う人もいる。
このように、芸術作品に付けられる値段は、正に、あってないようなもの、なのだ。
しかし、多くの人はそのことには考えが及ばずに、付けられた値段がその作品の芸術的価値を示しているのだと思い込んでいる。だからこそ、誰々の作品に幾らの高額が付いたというような「数値」主体の記事が新聞などには載るのだ。この値段という数値は、あくまでも取引の為のものに過ぎないことを、忘れてはいけない。殊に芸術家を名乗るならば。
この「数」に縛られて、高価な作品ほど良い芸術だと言い切ってしまうようならば、その人は芸術家には向いていない。むしろ、画商などが良いだろう。

趣が変わるが、数の弊害としてもう一つ思うのは、成績という数値だ。
子供の学力は、テストによって点数という数に還元される。私たちは、小学校から大学まで、この数値に縛られる。その子の出来、不出来は、この数値でのみ推し量られる。多くの親が、それが全てだと信じ切っている。この数値で、子供を分類するシステムが出来上がっているから、信じてしまった方が楽というのもあるだろう。だから、数値化できない音楽や美術の授業は削られている。体育は、スポーツに分類され、それは点数を競う競技だから、問題ではない。
それでも、私たちは感覚的に気付いているはずだ。だから、学校でも虫取りが上手だったり、動物に詳しかったりなど、数値化できない能力に対して憧れたりする。芸術家や歌手に大人が憧れるのも同様だろう。

話しを戻すが、芸術の本質は、隙間にある。いや、本来、芸術は全てを満たしていた。しかし、人間は言語を生み、数を生むことで、感覚を、心を、分節化したことで、芸術はあたかも、節と節の隙間にあるように見えるようになったまでである。
芸術家は、いつも、ゆるやかに行間を行き来し、概念の隙間をさらさらと自由に流れる心で世界を見つめているひとのことだ。
本当は、皆がそうであればいいのかもしれないが。

2009年7月24日金曜日

日本の街頭彫刻

街を歩くと、駅の近辺などで良く道ばたに彫刻が置かれているのを目にする。比較的新しく整備された街並みほど多いように思う。
街に芸術作品を置いて、文化的な雰囲気を盛り上げようという趣旨なのだろうか。
しかし、それらの多くが、なぜこれがここにあるのかと考えてしまうほど、置かれている環境と浮いている。
唐突に裸の子供が球の上などにいるようなのはまだいいほうで、なぜかバレリーナがポーズを決めていたり、肥満の女が交差点に立っていたりする。筋張った裸の男が俺を見ろと威勢を張っている。普通に考えて、これは異常だ。それは、ほとんど悪夢的でさえある。

けれども、誰も異を唱えない。これは、私たち日本人の能力の一つだと思う。異質な物を無視する能力だ。
街にあふれる電柱と無数の電線。これを外国人は驚くが、私たちは全く気にしない。
私たちの街並みは、日本家屋のとなりに安っぽい洋館が建ち、向かいにはオフィスビルが建つ。それでも私たちは全く問題がない。
街にあふれる異質な彫刻たちにも、同様の能力が発揮されているに違いない。彼らは無視されているのだ。電柱や電線と同じである。

私は、街で目にする異形の彫刻たちを目にすると、ふと壊したくなる衝動を覚える。心の中でこの作品を消すと、景観はもっと良くなって見える。打ち壊しの運動でも起きないものか・・など不穏な想像もしてみたりする。
しかし、考えてみれば、その作品たちそのものに罪はないのだ。問題の本質は、彼らが適所に置かれていないということにある。なぜベッドタウンの駅前にバレリーナなのか?なぜ小学校の角に肥満女なのか?なぜ図書館に筋張った裸体の男が立つのか?

いったい誰が、彼らをそこに配置したのだろう。それを指示する者が芸術作品をどう見ているのかが、その行為から見て取れる。それは、作品の価値はその物にあるのだから、どこに置いても同じだ、というものだろう。つまり、トイレの壁に貼られたルノアールの絵のコピーと同列である。マグカップのピカソと同じである。
物の価値は、その実体のみに宿っていると信じている人は少なからずいる。これは、現代の貨幣社会が生んだ弊害であるかもしれない。1,000円札の価値はその物にしかない。ゴールドの価値はどこに置いても同じである―その延長で、芸術を見ているのだろう。

芸術は、それが置かれる環境を要求するものである。特に彫刻はその要素がとても強い。彫刻は、空間を割って存在するものだから、それを取り巻く空間の要素が非常に重要になる。ましてや、題材がバレリーナという非日常性を帯びていれば、おいそれと住宅街に置いても空間になじまないのは分かりきったことではないか。裸体もしかり。ここはギリシアではない。

街に芸術を配置するという考えは、良いことだと思う。しかし、考えもなく置けばいいのではない。ギリシアのように、街と芸術が共に成り立っているのではなく、芸術を後付けするというのなら、芸術が街に合わせなければならない。つまり、調和である。
そう考えながら、一方で、日本の住宅街に調和する芸術があるかとも考えてしまう。上記したように、日本の街並みは「調和がないことが調和」とさえ言えるものだ。その文脈で考えると、調和のない彫刻も許されてしまう・・。
いや、住宅街の彫刻たちは、その街並みの中でさえ浮いているのだから、また別次元の不調和なのだ。彼らは、街から去るべきだ。しかるべき場所を見つけて。

今、日本の街並みに合う街頭芸術は思い浮かばない。やはり、道祖神や小さな地蔵が一番しっくりくる「街頭彫刻」ということになるのか。

2009年6月20日土曜日

解剖学=見る技術

先日見た、友人の個展での作品は人体の具象だった。等身大の木彫で、一気呵成に彫られたノミ跡が心地よかった。
それは久しぶりに制作を開始した作者の勢いと気概を表しているようだった。全体のプロポーションにそれほど破綻を来すことなく彫り上げる技量はさすがだが、それだけに、細部の造形の荒も見えてしまった。やはり気になるのが、関節部だ。
肩、肘、手首、膝、足首など、関節部は皮膚と骨の距離が近いだけにしっかりと形を表さないと、全体が締まらない。しっかり形を表すには、確かな観察と構造の知識が必要だ。
作品は、解剖学的に正確でなければならないことはない。造形のあり方は、その作品の方向性とリンクしていなければならないだろう。それでも、彼の作品の関節の追求度はそこに追いついていない印象を持った。
きっと彼は、解剖学の知識はあまり持ち合わせていないのだろう。そして、多くの日本の芸術家同様に、その重要性にも気付いていないばかりか、むしろ無用であるとさえ考えているかもしれない。

芸術教育における解剖学が、ネガティブな意味でのアカデミックの象徴となって「既成概念からのフリー」を求める近代以降の”アーティスト”によって毛嫌いされ、その流れは今でも根強く残っている。芸術家に解剖学は必要ない、とはっきり言うひともいる。

今、具象の彫刻が崩れている。若い作家が作る人体彫刻は、もはや人形だ。それは、「ヒト」を表す記号でしかない。もし、本当にそれで良いと言うのならいっそのこと、壁に「ヒト」と書くか、丸を書いてその下に「大」を書けば良いということになる。
本来の彫刻とはそういうものではない。あくまで、一義的に「形ある物質」でなければならない。それを高度に完成させようとするなら、おのずと観察は厳しくなり、その延長から解剖学を参考にすることの有効性に気がつくはずだ。
真実を知ろうとし、それを追い求めるのが芸術家なら、その探求の矛先を体内にも向けるべきなのだ。それは、自分自身なのだから。

どうも私たち人間は(恐らく全ての動物も)、自分自身の肉体性にはあまり目を向けないように出来ているようだ。化粧や洋服で着飾りはするが、それらは他者へのアピールという前提がある。肉体性に目を向けないから、病気や死も深刻になるまでは無視しようとする。私たちが常に死と隣り合わせなのは分かるのに、医者に宣告でもされない深刻には捉えられない。解剖学に興味を持とうとしない芸術家も、そういう私たち共通の感覚が助長させているのもあるだろう。
だが、解剖学の知識を身につけるというのは、あくまで技術の話であって、作家の感性の邪魔をしようとするものではないはずだ。レオナルドやミケランジェロは解剖の知識があったが、それは彼らの感性の表出を手助けこそしたがそれで作品の質が下がったであろうと誰が考えるだろう。

現代の芸術家は、感性を重視するあまり、技術をないがしろにしすぎている。高度な感性も、それを表現する技術が稚拙ではお笑いになってしまう。技術とは、ノミの切れ味や溶接の善し悪しだけではない。どのように対象を捉えられているのかも技術なのだ。それらが高度に組み合って、そこに初めて感性が入り込めるのではないだろうか。少なくとも、古典の傑作を見るとそう感じずにはおれない。

芸術家はスルメよりイカを見よ

スルメを見てイカが分かるか、と言ったのは養老孟司さんだったと思う。正確には、養老さんが解剖学教授時代に誰かから言われた言葉だと記憶している。
そこでは、スルメをホルマリン固定された遺体として、イカを生きている人間として喩えている。
この話がどうまとまっていったのかは覚えていないのだけど、なるほど、心に突き刺さって抜けないセリフだ。
スルメを解剖して、顕微鏡で見ても、あの海で透き通った体で滑るように進む流線型の美しい生き物の像にはたどり着かないだろう。

人体を研究する名目で、大学では解剖が行われている。正常解剖と呼ぶ。それに使われるご遺体は、死後そのままではなく腐らないように処置がされている。
大抵はホルマリンで蛋白質を固定する。これは、生卵をゆで卵にするようなもので、その質感や性状は生前もしくは死後そのままのものとは変わってしまう。
その意味では、正常解剖はイカよりもスルメを解剖しているのに近い。つまり、解剖をしたからと言っても、そこで得られる知識は生身の人間の真実全てなどではなく、主に構造に偏らざるを得ない。
イカ(生きた人間)の内部を知っているのは、外科医だけということになろう。

さて、書店には解剖学書が多くあり、フルカラーで詳細な解剖図が多く載っている。私たちは、体内はあのようになっていると信じている。
しかし、あれは人間の意識によって整理されたもので、実際の体内はあのようには見えてこない。そのことは医学生たちは解剖実習で知る。
解剖図とは風景画のようなもので、それを絵描き(学者)がどう見たかが表されているということを、私たちは意識しない。

芸術で解剖をテーマに、もしくは表現素材として用いる芸術家は多くいるが、ほとんど全てが解剖図的な表現を用いている。
それは、彼らが参考として解剖図を用い、また、体内は解剖図のようになっていると信じている証だ。それは、かつて象や虎を見たことがない日本人が又聞きで描いたそれらの絵を彷彿とさせる。

生きた体内という自然は、実際にはどう目の前に展開されるのか。その真実は、外科医以外は想像を鍛えるしかないだろう。

2009年5月25日月曜日

人体の比率、プロポーション

スタイルのいい人を見て、あの人はプロポーションが良い、なんて言ったりする。感覚的に使っている言葉だが、実際に見栄えのいい人は各部の比率が良い。それは、絶対的な長さのことではなく、ある部分とある部分を比べたときの長さのことだ。いわゆる「八頭身美人」は、身長がどれだけあるかではなく、身長がその人の頭の長さの何個分かが重要なのだ。
それならば、人体各部を比べて、万人が美しいと感じる比率にたどり着けばそれは揺るがしがたい美の基準値となるではないか、と誰もが考え、実際に歴史的に常に研究されてきたようだ。しかし、10人いれば10通りの好みがあり、時代の好みもありという訳で、プロポーションの絶対値は定義されていない。
それでも、古代ギリシアのクラシック期の大理石像は、人体の美の基準としていいのではないかと思わせる調和を持つ。ここで、注意したいのは、それは彫刻としてのバランスであって、もし、かの像と同等のバランスの生身の人間がいたなら一種異様に映るだろう。美の感覚は繊細だ。
さて、基準を求めて残された幾つかの歴史的な図がある。もっとも有名なのは、レオナルドのウィトルウィウス的人体図で、これは確かに美しい。他にも、デューラーも多くの時間を割いて研究をしたそうだ。近代まで、プロポーションの研究は不断に続けられてきているようだ。

人体を計測するには、基準測定部位を求めなければならない。もし、腕の長さを計ろうとしたとき、どこから計ればいいのか?脚の付け根はどこになるのだろう?人体は立体物で、しかも運動をする。体も柔らかく弾力があるので、計る時に押せば沈んでしまう。比率は主に長さを問題にするが、同じ長さでも細いが太いかでまた見え方は変わるだろう。それが立体の量の見え方となれば、ますます比較要素は増大していく。
そういうわけで、人体のプロポーションは、実質的には、制作に大きな補助となるものではないように思う。要素が多い立体を扱う彫刻家ほど、プロポーションのことを云々言わないのはそういう理由もあるのではないか。

結局、作家個人が自ら発見した比率がその作家のテイストとなった。ミケランジェロもロダンも厳密に計ればおかしな数値だろうが、見る者はそれが気にならない。
多くのモチーフを実際に見て、作って、自分の美の基準を発見するのが、芸術的アプローチというわけだ。

2009年5月23日土曜日

美術解剖学というもの

美術解剖学の書物が多くある。そこには、決まって筋肉人と骨格人の図が描かれているはずだ。気の利いた本ならば、同じポーズの裸体像が隣に描かれていたりして見比べられるようになっている。人体の作りを内面から知りたいを思った読者は、それを見て納得する。なるほど、裸体のこの起伏は、この筋肉が見えていたのかと。そして、やる気を出して、筋の名称を覚えようとする。
そうして彼の知識は以前とは変わった。腕を伸ばす時の筋の名前も言える。ところが、人体を描こうと紙に向かうと、以前と同じように形が分からない。モデルが違うポーズを取っているともう、起伏を追えなくなる。
どうしてそうなるのだろう。解剖学を知れば、人体の形が見えるようになると思って、皮を一枚剥いで見てみた・・・それは、皮を剥いでいないのと同じではないか?それは、裸体に筋肉をボディペイントしているのと同じことだ。それなら、何も筋肉にしなくても、別の分かりやすい名前を付けて理解するようにすればいいのではないか。
実際、解剖学的なアプローチでの観察が行われなかった時代は、体の部位を外からの観察で特徴で分けていたろうと想像できる。その場合、初期ほど写実で、後期になると概念的で形式的になるはずだ。

しかし、今、表現の為に解剖学を欲している人は、その「外見だけで内側を推測する」ことの限界を感じている人のはずで、そこで、皮一枚剥いだ状態の図を見せて「はい、どうぞ」では、色合いを変えただけで同じ場所の堂々巡りなのだ。
人間の形が、どんなものの組み合わせで出来上がってきているのか。そのことが、本当は知りたいはずで、美術解剖学は、それを説明できなければならない。

人間のからだを外見から見て表現することが出来るのが芸術家だが、だからといって、その人が、解剖学的に正確な組み立てを知っている訳ではない。一方、その組み立てを正確に知っているのが解剖学者ということになるが、彼らはそれを表現する術を持たない。ならば、両者が組めば良いではないかという発想は昔からあって、実際歴史的に有名な解剖学書の多くはそうして作られている。この場合は、解剖学者が芸術家を採用したかたちだ。それに比べると、その逆はあまり聞かないように思う。

芸術家にとって解剖学の知識は、大抵の場合作品の品質に良い影響を与える。最たる例が、ミケランジェロやレオナルドだが、彼らと現代の私たちでは、大きくて本質的な違いが横たわっている。それは、「自分の目で観察した」ということだ。彼らは、自ら解剖をしたと伝えられる。大変だったろうし、そこまでするのだからよほどの知識欲があったのだろう。それに対して、私たちは、「解剖図を見て」学ぶ。それは、誰かの知識を介在させたものであって、多くの情報がすでに整理され、何らかの方向付けがされているのだ。その意味で、解剖図を見て、人体の内部を”レオナルドのように”知ったと思うのは間違っている。

とはいえ、人類は、解剖学において人体内部の意味合いを多く発見し記述しており、それらは形を読み解くヒントになるものも多いのは事実だ。ただ解剖図を見るのではなく、それに伴う情報も利用して、形の組み立てを記述できるようになるのが、美術解剖学の正しい道のように思う。

2009年5月22日金曜日

溝と線


地面に溝があるとする。溝は大地という広大な量に刻まれたもので、あくまでもその量の一旦を担っている。だが、それを遠い空の上から眺めたなら、単なる一本の線に見えるだろう。このように、立体であるものも、視覚の分解能を超えると、平面的な線と見なされる。ナスカの地上絵は、線画に見えるし、そのように二次的に表現されるが、実際は地面の砂利を左右にどけてあるだけで、そこに線は存在しない。

私たちの身の回りには、線として見ているが実は溝であるものが多い。画家が描く時、周りの立体物は全て平面へ変換されてキャンバスへ表される。そこでは、溝も線も、「線」となる。
しかし、彫刻はそうではない。彫刻家は溝はあくまでも溝として捉える。そのとき、その溝はそれを取り囲む形状の何者に属しているのかを捉えようとする。そうしなければ、形状に調和した起伏とならないからだ。
残念だが、この溝をおろそかにしている彫刻も最近は数多い。いたずらにヘラで引っ掻いただけのものなど、そのせいで、量感が台無しになり、全体が破壊される。

身の回りにある溝が、どんな理由で出来ているのか。そこから探ることで、溝の意味を知る事が出来る。例えば、顔を作るとするなら、目の二重の溝はなぜその形なのかを考える。そうやって見ていけば、ヘラのひっかきで済ませられなくなる。
溝は、量と量のせめぎ合いで生まれる。つまり、溝の内側も量の断端なのだから、おろそかには出来ないはずだ。溝の処理を怠らずに追うことで、作品はつよい引き締まりの効果を得て強いものになる。写真の石彫を見ると分かるが、マヤ、アステカの彫刻は溝の処理がすばらしいものが多い。彼らは、溝を単純な線(ひっかき)でごまかそうとしなかった。線は、溝の結果として見えてくることを知っていた。同じ事はエジプト彫刻にも見られる。強い日差しの屋外に設置するという条件がそれらを生む後押しをしたのだろう。

骨格も、溝と線の関係を探求するいい素材なのだが、それはまた別の機会に。

2009年5月21日木曜日

構造にひそむ美

構造に美は隠されている。厳密に言えば、ひとは構造に美を見いだす。それは絵画も彫刻も同じだ。しかし、実空間に重さを持って存在させなければならない彫刻は、構造への制約が多く、またそれが作家に構造への注意を向けさせる事にもなるので、結果的に彫刻家は構造に敏感になる。

実空間に見られる構造美は、それこそ身の回り全てといってもいいくらいあふれているのだ。まず、有機的構造として植物がある。大きな樹木になれば、重力に耐えるために強靭な枝を張り根元の量感もすさまじい。散歩している犬や猫にも構造美がある。ただ、身近になると構造美に目が行く前に「かわいい」など別の感情に振られてしまうので気がつかないことがある。これは私たち人間を見るときもそうだ。
都心部では、有機的な構造よりも無機的構造のほうが目につく。つまり、建物や自動車などの人工物だ。最近は、巨大な廃墟やプラントを見て回る人がいるが、それらも構造の美しさをさらしている。自動車などは最終的な外見は見た目を意識したデザインで覆われているので、それはそれでかっこいいが、むしろ早さの為だけの形であるレーシングカーや、専門的な作業の為のクレーン車などのほうが構造美としては美しいように思う。そのように、構造美に機能美が加わるとより魅力的になる。新幹線や飛行機や船などがそうだろう。戦闘機などはその美しさに引かれる人も多い。

さて、先にも言ったが、人を見る時はあまりに身近ゆえに構造美を見いだす事が難しい。人格を見てしまうからだろう。そういう時は、全体を見てしまわずに、ある特定の部位の構造を考えるといい。例えば腕の付け根など。どのように付いているのか、起伏はどこからきているかと見ていると、客観的に観察できていることに気がつく。それを全身に広げていけば身近な人体に構造的な美の連続を見いだせる。さらに深みにはまりたくなったら、そこからは解剖学の領域になってくる。そして、本当はここからが本当の面白さ、美しさ、驚きの始まりなのだ。皮膚一枚の内側は、スゴいことになっている。まさに、構造美と機能美の連続体、複合体である。

私たちは常に、何か美しいものを探しているが、それが自分の体内にあり、その組み立ての最外層が自分の外見だとはあまり考えない。美を追い求めるなら、一度、解剖学に目を向けてみるのも面白いことだと思う。

2009年5月18日月曜日

太古の女性


3万5000年前の人物像。象牙で作られた小さな人形だ。この写真を見て、初めてじゃないと思った。それは、グラヴェット文化の有名な3等身くらいの豊満な女性像に似ているからだ。つまり、誇張された胸と腰、横幅の広い体幹表現などだ。しかし、時代はこちらが数千年古い。どちらも大昔なので、なんだかどうでもいいような気もしてくるが、グラヴェット文化を仮に現在とすると、この像が作られたのはエジプト時代くらい離れている。そう考えると、何千年も同じような表現を続けていて、のんびりした時の流れをふと思うが、現在の私たちを見返してみれば、西洋彫刻の流れは古代ギリシアまで遡るわけだから、同じようなものか。

さて、グラヴェットの像ともう一つ、大きな違いがあり、それは頭部の扱いだ。見て分かる通り、頭部が極度に小さい。横向きに穴があいており、頭部というより、ひもを通すための機能部に過ぎないかもしれない。
この一つの発見からは、断定的な回答が導き出されるはずもないが、この表現からは身体の重要性が見て取れる。現代の私たちは、顔以外の体は服で覆い隠し、その人の「生の」対外性はさらけ出している顔だけだ。私たちのコミュニケーションと身体性のアピールについて顔が負う重要度は増した結果、美女、美男子という概念が生まれた。漫画のキャラクター達はみな巨大な頭部と顔面を揺らしている。それと全く逆である。顔などどうでもいいと言わんばかりだ。この女性は、両手で胸を持ち上げているように見える。巨大な胸をさらに誇張しようとしている。骨盤も大きく左右に張り出して安産型だ。腹部の張りが肥満か妊娠か分からぬが、いずれにせよ安泰を感じさせる。外性器も表されているように見えるがよく分からない。細かい溝は服のしわか、入れ墨か、傷で作る模様(scarification)か。
これらの像と時代から、彼らは裸に近い格好で生活していたのだろう。そうであるなら、相手の健康状態を知る時、私たちのように小さな顔面だけから知らなければならない制約などない。相手の体全体を眺めて判断することになろう。そうなると、顔だけつくろっても意味が無く、体全体の健康性が大切になる。つまり、大きな胸、張った腰、安泰な大きなお腹だ(食が安定した現代では、お腹は細い方が好まれるが)。この感覚は、夏が近づくとトレーニングしたくなるのを思えばよく理解できる。

これを作っていた、太古の人物。とはいえ、すでに私たちと同じ、ホモ・サピエンスであり、脳容積も変わらない。だから、気が遠くなるほどの時が離れていようとも、小さな発見物から、とても身近な感覚を抱く事が出来る。壮大かつ愛らしい、すてきな彫刻だ。

作品の価値とは(ムア作品盗難事件)


ヘンリー・ムアの彫刻が、2005年に盗まれていたとは知らなかったが、それが、イギリスのマッチハダムの庭園の物と知ってまた驚いた。イギリスに限らず、欧米は芸術作品の展示が大らかだ。日本のようにガラスケースや囲いなどで覆ったりしていないことが多い。それが可能になるには、鑑賞者がそのものの価値を理解しているという前提があるからだ。それを逆手に取ったような事件は、残念ながら時々起こっている。結果、イタリアのミケランジェロのピエタもそれが原因で今では強化ガラス越しに見るしかないし、ダヴィデも柵がつくられ距離があいてしまった。

ムアの作品は屋外に展示されていたものだが、長さ3.6メートル、重さ2.1トンだそうで、普通は盗まれるとは思わない。犯人は3人で、クレーン付きトラックで犯行に及んだそうだ。その作品だが、溶解して地金にされ、中国に渡ったらしい。確かに日本でも、数年前は町の金属の盗難が増えて、それらは中国に売られると報道されていた。
作品としての価値が4億3000万円。それが、地金として22万円だそうだ。犯人は、初めから作品を芸術としては見ずに、銅として見ていたのだろう。これは、英国人の仕業だろうか?ムアは英国の誇る世界的芸術家だ。それを、同国人がはした金欲しさに、自国のプライドに泥を塗るような、こんな低俗な犯行を企てるのだろうか。

さて、このニュースで、幾つか興味深いことがある。約22万円というが、2トンのブロンズがその価格なのだろうか。銅地金は安いとは聞いた事が有るが、それほどなのか。
素材で見るか、題材で見るかでこれだけ価値の開きがあるとは、価値について再考させられる。

ともあれ、残念である。せめて、原型が保存されていることを願う。

2009年5月17日日曜日

彫刻における、陰と陽

ブラスとマイナス。物質と反物質。天使と悪魔。男と女。
世界は、対称で成り立っている。つまり、バランスのこと。
バランスが存在するためには、対称が必要だ、とも言い換えられる。
熱力学の第1法則も、ここに当てはめる事が出来る。
坂道を走って上れば、早く着くが疲れる。のんびり上れば時間がかかる。疲れず(エネルギーを消費せず)に早く上ることは出来ない。
エネルギーの総和は常に一定だ。そこに変化が起きるのは、バランスが崩れた時だ。
バランスが崩れ、それが安定を取り戻すまでに、さまざまなドラマが生まれる。
その最たるものが、私たちが取り込まれている宇宙そのものだ。
ビッグバンにより、大きく崩れたバランスが、安定へ向かって揺らいでいる。その一時が今に過ぎぬ。
宇宙という大きなブランコが揺れた時、そこに乗っかっている様々な物も揺さぶられる。そうして、私たちが生まれた。
喜と怒。哀と楽。生という揺らぎが止まるまで、私たちの心も揺れ続ける。

そんな、私たちが生み出す芸術にも、当然、対称があり、そのバランスこそが重要になる。
実空間にたたずむ彫刻には、よりシビアな問題としてそれが立ちはだかっている。
彫刻における対称とは、すなわち、実と虚だ。
私たちが彫刻を見る時、当然目に映るのはその作品そのもの、つまり実体だ。しかし、空間内において実体が存在するには、それを取り囲む虚が同時に存在しなくてはならない。これは、型取りのキャスト(雄型)とモールド(雌型)の対応関係に似ている。私たちが目に出来るのはキャストだが、その時、感覚ではモールドも捉えているはずだ。
彫刻家においても、この、虚の量とでも言うようなものを明確に意識したのはそう多くはなかっただろう。しかし、ヴェルヴェデーレのトルソなどを見れば、ギリシアの時代からそれを感覚的にでも知っていたのは確かだ。
近代において、それを意識的に取り入れたのが、ヘンリー・ムアだった。その意味で、革新だった。彼は、なぜ、そこに気がついたのか。
ムアは、制作のヒントとして様々な自然物を身近に置いていたが、そこには動物の骨の断片も含まれていた。骨は、体の芯だと例えられる。しかし、その形をよく観察すれば、まず骨ありきで私たちの体が出来ているわけではないことに気がつく。むしろ、その形状は「筋肉の隙間に骨が出来た」ようにさえ見えるのだ。その時、骨にとって筋肉はモールドである。
そして、動物が死んで骨だけになったとき、かつてあった筋肉は骨という実体をとりかこむ虚の量となっているのである。
ムアは、骨を眺めていてそのことに気がついたのかもしれぬ。

闇が無ければ光も見えぬように、全てが対称のバランスを持つように、彫刻という立体物にも、実と虚のバランスが存在する。その揺らぎに、私たちは形状の美と心地よさを感じ取る。命さえ、見る。

2009年5月14日木曜日

人形と人間のジレンマ


 現在では最古となる、3万5千年前のマンモス象牙製人形が発見されたそうだ。遠い昔から、私たちは自分たちの形を作ってきた。それは今でもまったく変わりがない。芸術としての人物像から、身近な人形まで。

 さて、人間とその形状をまねた人形。外見は似せる事ができるが、大きな違いがある。人間の体は柔らかいのに対して、人形のそれは硬い、ということだ。彫像や人形の素材となるものは、自然物由来である。恐らく始まりは、木や動物の骨や牙などを削ったのだろう。やがて、石を削るようになったが、これらは、硬い素材を削り出す、という技法で一致している。それとは別に、粘土をこねても作られただろう。しかし、それを焼いて強くするテラコッタ技法が発見される以前のものは普通は崩れてしまい、残らない(洞窟内で保存されていた例はある)。この、粘土で形を作るのは素材が柔らかいという点で、削り出す技法と大きな違いがあると言えるが、保存段階に入るとやはり固くせざるを得ない。

 このような素材の制限から、彫刻を含む人形の性質が形成された。すなわち、固くて動かない、というものだ。私たちと同じ形をしていながら動かないという欲求不満を満たすために、始めに取られるのは姿勢付け(ポージング)である。要するに、あたかも動いているかのような姿勢を取らせるのである。そうすることで、鑑賞者の想像のうちで動かそうとするのである。次に来るのが、関節を実際に作り可動性をもたせるということだ。よく見られるのが、肩と股関節を動くようにするというもの。首も回転するものも多い。そこから発展して、さらに自然な姿勢を取らせられるように改良されて生まれたのが、球体関節だ。関節部分が球体と、それをはめ込むソケット状の組み合わせで、外れないように内側からゴムひもなどで引っぱり止めてある。こうした関節の改良で、動けなかった人形は動く事が出来るようになった。その意味で人間に一つ近づいた。

 しかし、この関節を手に入れた事で、先にあげた人間と人形の間にある違いが、皮肉にも際立つ事になる。すなわち、彼らの体は已然として硬いということだ。球体関節を持ち、姿勢を変える事が出来るその姿は人間ではない、別の生き物を彷彿とさせる。それは、外骨格を持つ生き物。昆虫やカニなどの姿である。彼らは、硬い外皮の内側に柔らかい筋肉を持つ。ちょうど、芯としての骨に筋肉の覆いを持つ私たちと逆である。人間に近づけようと、関節を増やしていけば行くほど、その姿は、ひとがたの昆虫のようになってゆく・・。この大きなジレンマを抱えながら、それでも、そこに満たされない思いを投影させて人形というものの魅力が作り出されている。人形は、求めるものを手にする事が初めから既に断たれているという、業を背負っている存在となった。
 その反面、命を持たぬ彼らは、外的に破壊されない限り、その姿をとどめ続ける事が出来る。私たちは、その外見を老いという形で変化させ、やがては消えてゆく運命である。

 死をはらみつつ、真実の肉体を持つ私たちと、それを手に出来ず、永遠を手にする人形。
このジレンマは、永遠に収束することなく、それゆえに、共に存在し続けるだろう。

2009年5月10日日曜日

アマチュア・アートとプロフェッショナル・アートの違い

現代は、アート全盛時代だ。「アート」という言葉が至る所で踊っている。
当然ながら、Artは、芸術という意味だが、言葉に細かい感性を持つ日本では、もはや芸術とアートは別の意味を持っているように思う。芸術というと、クラッシックなものを指し、対してアートはより現代的でポップなものを指している傾向がある。ミュージシャンやシンガーも、アーティストと呼ばれる。むしろ、芸術に関心が薄い若い人はアーティスト=ミュージシャンの結びつきのほうが強いのではないだろうか。
さて、このアートという言葉の敷居の低さが手伝ってか、アートは何でもあり、という風潮が出来上がっている。それは、それでいいのだが、何でもありの拡大解釈からか、何の技術もいらない、果ては、感性さえもいらない、というものになりつつ有るように見える。

人の活動は、大抵始まりは、アマチュア(素人)から始まる。そして、そこから際立ったものを持ったものが、それを専門とするようになり、プロフェッショナル(専門家)となる。専門家とは本来、それだけで家計を支えているような人物であるわけだが、現代における芸術では、専門的な技術を持ち、際立った才能を持っていても、それがそのまま金銭に繋がらない現状があり、その時、彼は、技芸においてはプロでも、生活できないという点ではアマであるという、煮え切らない存在となる。そして、この”残念な”存在が、あまりにも当たり前となった時に、アマチュアとプロフェッショナルの壁が希薄なものになった。
そうして、才能をもつ芸術家は自身を失うことになり、アマチュアの芸術家が誰彼も自分をアーティストだと名乗れるようになった。際立った専門分野だった芸術は、アートという大衆文化に置き換えられつつある。マス(量)の力は大きい。

今、アマチュアとプロフェッショナルの違いを明確にしてもいいだろう。アートという、何でもあり(何も無いのも、あり!)の領域において、両者を圧倒的に区別するものがある。それは、作られるものが誰のためであるか、ということだろう。アマチュアのほとんどはその表現が「私から私へ」という自己円還運動をしている。鑑賞者はそれに同意するかしないかのどちらかでしかない。言い換えれば、作品がコミュニケーションをしていない。対して、プロフェッショナルは、「私から他者へ」作品が”開かれている”。
この、最終的な出力先が、内向きか外向きかは、両者を区別する大きなファクターであると思う。なぜなら、内向きであるなら、それは自分が許せばなんでもよい、の世界であり、そのことは往々にして品質の低下を招くが、外向きである以上は、認められるための努力が必要であり、結果として品質の向上を呼ぶからである。
近代以前の芸術は、ずっと宗教と共にあった。その時の作家は、作品を買い上げる王侯貴族や法王という具体的なクライアントのさらに後ろに、神という絶対的な審判者を想定していた。

質の高い、プロフェッショナルとしての品質を得るためには、そのくらいの厳しい要求をする他者が必要なのかもしれない。それを失った、孤独な現代の芸術家は、ある意味では過去よりも厳しい時代を生きていると言えるのだろう。

2009年5月9日土曜日

解剖的な美

解剖と彫刻は、共に物質の形状を追う。解剖も彫刻も現在は細分、多様化しているが、ここで言うそれは、解剖では肉眼解剖であり、彫刻では具象人体彫刻を指す。すなわち、それぞれの根源的な形、クラシックである。
私は、クラシックという部分にこだわりたいと思う。クラシックだから良い、のではなくて、良いものはクラシックに見つけられる、と信じるからだ。

彫刻表現が多様化し、それは現在では物質感から遠ざかりつつあり、作家個人の心象を形に託す、というものが主流となって久しい。物質感が希薄になるということは、形状が持つ構造が作り出す美に対しても関心が薄れていくということであって、実際に昨今の立体作品では、物質形状の美しさを持っているものが少ない。
作家の主張というものは、時と共に流れてゆくものである。それはやがて風化するだろう。その時、残された作品に形状の美しさが無ければ、それの価値はどこにあるというのか。私は、彫刻はまず一義的に、形状の美を持たなければならないと思う。心象は、それが出来て初めてそこに乗せる事が許されるものだ。

人体には、構造と形状の美が限りなく詰まっている。それは、全体にもあり、部分にもあり、解剖的内部にも見いだされる。
美とは、そこに転がっているものではない。つまり、絶対的な美など存在せず、感じる側がその準備が出来ていなければ、多くの美を見つけ損なうだろう。人体の外形、すなわちヌードは、人体が持つ美のもっとも基本的で、揺るぎのないものとして歴史的にその地位を保っている。裸は、我々が人類の歴史を通して常に見てきたものだから、そこの美を見つけ出すのは当然だろう。なぜ、そこに美があるのか、それには規則があるのか、そういう視点で古代ギリシアの芸術が作られた。その基準は現在でも息づいていると言ってもいいだろう。
人体の内部も古代ギリシアから見つめ続けられているが、その行為は、常に死と結びついており、また、それにより得られた知識は医学へと応用されるために、そこから美の情報はあまり積極的にくみ出される事は無かった。16世紀のイタリアでは、ルネサンスの追い風の下、芸術家が体内の構造に目を向けたが、それらはあくまで、造形のための資料としての観察であった。ただ、レオナルド・ダ・ヴィンチが残した解剖手稿からは、彼が解剖学的構造そのものに芸術的な意味を見いだしていた事が伝わってくる。
その後も、いわゆる芸術的な解剖図というものが歴史的に幾つか描かれているが、そこには死のアレゴリーとしての表現や、解剖という概念を描写したという印象を抱くものが多いように思う。19世紀に入ると、芸術と医学は完全にたもとを分つようになり、解剖図譜は医学的な情報伝達手段としての純粋性が高まっていった。それは、図譜の芸術性が薄れていったことと同義である。以来、芸術における解剖の位置づけは、人体表現のためのリソースということになった。高度に発達した肉眼解剖学から知識を応用したのは良いが、そのことで、実際に芸術家は解剖をすることはなくなり(社会倫理的背景もあろうが)、与えられた知識を信じるしかなくなった。これは、芸術家が人体内部に存在する構造の美を発見し得なくなったことを意味する。それは、解剖学者だけの特権となった。彼らは、そこに美を見いだすだろうがそれを芸術に昇華する術を持たない。
現在、芸術家が応用できる解剖学的な情報と言えば、解剖学者によって整理された人体内部の構造と、それらの機能というソフト的なものである。

私たちは、人体の内部を見る、知る、ということにある種のタブーを感じる。それは、そこに死の意味を招き入れてしまうからであろうが、芸術家までもがいつまでもその感情に縛られているのは不思議でもある。医学者、解剖学者は早々にそこから脱却し、人体内部を探索してきた。そして、多くの発見を積み重ねてきた。
芸術家も、解剖イコール死、というステレオタイプを外しても良いと思う。その準備ができて、人体の内部構造を見た時、そこには今まで見えなかった驚くべき構造の美に気がつくのだろう。それは、アレゴリーでもグロテスクでもない、純粋に形状が生み出す美しさのはずだ。そして、まずそれに気づくべきは、彫刻家であってほしい。

2009年5月1日金曜日

解剖学と彫刻の近似点

解剖学は、医学。彫刻は、芸術。この両者に共通点などあるようには一見思えないが、知っていくと以外や似ている。
まず、始めにして決定的なのが、どちらも形を取り扱う、という点だ。
彫刻といえば石彫や木彫、ブロンズなど必ずそこには物質がある。彫刻家は、表現対象を様々な物質に投影させて語らせようとする芸術家のことだ。
対して、解剖学は人体の形を取り扱う。一般的に、解剖学と聞くと、死体を切り刻むような印象を抱かれるものだが、その行為と解剖”学”には厳密に言えば違いがある。切り刻む行為を「解剖する」と言う。その行為によって得られた知識の体系を「解剖学」と言う。日本語だと、どちらも解剖という言葉が付くからごっちゃになってしまう。英語なら、行為の解剖はDissectionやAutopsyなどと呼び、学問体系としての解剖学はAnatomyと呼ぶのであまり混ざらない。とは言え、Anatomyを追求するにはDissectionは切り離せない行為でもある。
話を戻すが、解剖学は人体の形を探る学問である。人体の形には意味があるだろうということで、その形態が持つ機能を探ろうとする。目の前にある形状を重要視する。それを安易に数値化したり、概念化してしまおうとしない。非常に形状にシビアだ。その意味から、解剖学とは形態学Morphologyのひとつであるとも言われる。
このように、彫刻と解剖学の両者は、形態を扱う、それも人体と関係していると言う点でも共通しているのだ。

他にも、細かいことを言うと、解剖にはメスSculpelが必須道具だが、これは彫刻Sculptureと語源が同じだ。解剖は刃物で人体を切り刻み、彫刻は刃物で人体を削り出す。

また、解剖学と彫刻が抱える、現代における問題点も、どこかしら似た風である。
まず、どちらも一般社会から少し離れた所にある。解剖学を専門にしている人も、彫刻をしている人も、あまり身近にはいないだろう。それゆえに、一般の印象が一人歩きする傾向があり、現場の状況との乖離が起きる。まあ、これはどんな専門領域にもあるだろうが。
一般的には、解剖学は医学には当然必須であろうと思われている。しかし、医学教育の現場では時間数を減らす傾向にあると言う。各領域が高度に専門化している現代医学を広く学ばせるためには、解剖学の長時間の「拘束」が問題なのだ。しかし、医学の基礎であり、倫理教育的側面も持つ解剖学の教程をなくすことは考えられないという考えも当然で、互いのバランスの力点が模索されている。
彫刻の場合は、その言葉が指す意味合いの拡大化から来る問題がある。かつての彫刻といえば、素材は石、木、粘土が主だった。そして、表現の主題は人体などの具象だった。人体という複雑な形状を、加工が難しい素材に写し取るためには、立体感覚を養う訓練や人体の構造の知識など、高いスキルが要求され、しかもそれらは単に基礎能力だった。つまり、それらの能力を持った上で、芸術的な感性を持った表現が要求された。
それが、近代以降は、彫刻表現が多様化し、また化学素材の普及もあり材料も変化していった。今では、単純に立体的な表現を全て「彫刻」と漠然と呼んでいる現状がある。立体表現の敷居が下がったことで、従来の彫刻に必要とされたスキルも重要視されなくなり、結果的に、立体感覚に乏しい彫刻家や人体をまともに作れない彫刻家の存在が当たり前となった。

これらの問題は、各領域が自己の立ち位置を見失い掛けていることの現れである。医学における解剖学は、基礎医学としての側面を強調してもしすぎることはないだろう。それをアイデンティティーとして取り込んで良いのだと思う。
芸術における彫刻は、立体を扱うという行為そのものの重要性をもう一度見直さなければいけない。彼らこそが「彫刻家」であり、以外は「立体家」と分けても良い時期に来ている。そうでなければ、彫刻家は近く絶滅してしまうだろう。

2009年4月27日月曜日

腕は首から


腕はどこから生えているかと聞けば、それは胴体だと答えるだろう。それが、一般的な体の構造の解釈だ。人形だって、ロボットだって、腕は必ず胴体から生えている。それらは人間の形を模しているのだから当然だ。自分の体も鏡で見れば、胴体から生えている。

けれども、体の内側から見てみると、これがちょっと違うように見えてくる。皮を剝いで筋肉にして見ただけではやっぱり胴体から生えている。これを骨だけにしてみると、とたんにそれがあやふやになる。遠目に見れば、やっぱり胴体から生えているけれども、近くで良く良く骨のつながりを追っていくと、肩の部分は、胴体と繋がっていない!浮いている。肩の背中側には肩甲骨という三角の板状の骨がついているけれど、これもやっぱり胴体とは接続していない。肩の前部分の棒状の鎖骨という骨たどると、これが、体の中心の首の付け根部分でやっと胴体と接続しているに過ぎないことが分かる。それも小さな間接面だ。

骨で見るなら、腕は肩で胴体と繋がっておらず、首の付け根で繋がっているということになる。

さらに、腕を動かすには、腕の筋肉がいるわけだが、筋肉だけでは腕はまだ動かない。筋肉に命令を送る神経がいる。この神経と筋肉の関係は、進化の始めの頃の形態を改変し続ける事で今に至っていると考えられるので、それは、本来の筋肉のあり方を見つけるヒントになりうる。それらの神経は皆、背骨の中を通っている脊髄から枝を伸ばしている。

さて、腕に命令を送る神経は、なんと首の高さの脊髄から出てきている。

さらに言うなら、腕に栄養を送る血管も、心臓から、一旦上へ上って首の付け根まで出てから腕に降りてゆく。

このように、脈管、神経で見ると、腕は肩から出ていると言うよりも、首から出ていると言ったほうが正しいように思えてくる。

腕は、胸びれから進化した。魚を見ると、胸びれは首の横から生えているように見える。そもそも魚には首が無く、両生類になってから首が出来た。そう考えてみると、そもそも腕は首に属していたものが、その真上に首が”しぼったように”出来たことで下に置いていかれてあたかも胴体に属するようになったとも言えないか。


こうやって、当たり前の概念に違う側面を見せてくれる解剖学は面白い。

2009年4月17日金曜日

指差し

11ヶ月の幼児になると、指差しを出来るようになる。この、私たちにとって基本とも思える当然の行為は、しかし、人間以外にする動物はいない。

指差しとは、どういう意味があるのか。手に届く範囲の物を指差すことはない。それは手に取ればいいからだ。指差しによって、手で触れられないものを示す事ができる。棚の上の菓子から、夜空の星から、顕微鏡内の遺伝子まで。

一点を指し示すこと。その時、意識もそこに集中する。幼児が、指差しをするようになったとき、彼の意識には集中するということの芽生えが起きている。


指差しという人間に共通のジェスチャーは、指した方を見よ、という共通認識があるからこそ成り立つことから考えると、人類が集団での統一された行動をしてきた証であるとも言える。例えば、かつて、私たちが狩りをして生きていた頃は、獲物に気づかれぬよう、声を出さずに指差しで方向などを決め合っていたかもしれない。

指差しを始めた幼児は、人間社会への適応をし始めたと言えるだろう。

2009年4月16日木曜日

幼児の舌と手

幼児は何でも口に入れる。それこそ手当たり次第と言った感じ。なめなければわからないじゃないか、といった風だ。

これは、特定の幼児にのみ見られる癖ではないのだから、成長において欠かせない行為なのだろう。舌に備わる味覚は、生まれてからすぐに口から栄養を補給する私たちにとって、まず敏感でなければいけない。また、私たちがかつて、人でなかった頃は、物を運ぶには口を使っていただろうから、その名残もあるのかもしれない。

舌は、その運動神経の由来や、筋肉の種類からみて、腕などと同じと言える。


また、幼児は、何でも触ろうとする。この未知な物には触れたくなるという衝動は、私たち大人にも残っているので、感覚を理解しやすい。

幼児がひたすら触ることで、脳内では視覚と触覚の同期が行われ、やがて大抵の物は見るだけでその質感を思い浮かべることが出来るようになるのだろう。


舌で触り、やがて手で触る。それは、四足動物から二足歩行への進化を見るようでもある。

2009年4月11日土曜日

現代における、彫刻とは何か

19世紀、ロダンによる彫刻の革命。それは、彫塑、モデリングの勝利だった。
モデリングとカービングの技法の間にある、本質的な違いは何か。それは、作り直しが利くか否か、だ。
彫刻を始める多くの人は、彫塑が持つ、作り直しが利くという特性を、カービングに対する優位性としてみる向きがある。
しかし、どうにでもなる、という無限性を持った自由は、留まるところを自分で決定できない初心者にとっては実は大きなハンディとなる。
カービングは、削り取るという作業が、その痕として、そのまま表面に残り、作品の表面となる。作業性がそのまま作品となる。
モデリングは、付け加えてゆくという行為ゆえ、その表面もどうするのかを意識的に制御することになる。また、モデリングは最終的には鋳造される事が多く、その際には、オリジナルから数回の素材の移し替えという行程を経ることになり、その度に、オリジナルが持つ表面性は変化してゆく。

彫刻における、モデリングは、その特性から、おもに石彫のためのマケットや、ブロンズ鋳造のための原型として用いられた。
マケットは、基本的に残されない。原型は、粘度から置き換えられた素材の表面を研磨したり、ブロンズ鋳造後に表面を研磨して仕上げられので、原型の持っていた表面性(テクスチュア)は失われる。
つまり、モデリングでは、制作段階での表面性は重要ではなかった。それは削り落とされる運命にあるものだった。

ロダンは、それをそのままにした。荒く付けた粘土はそのまま石膏に置き換えられ、そのままブロンズに鋳造された。彼は、それによって、彫刻は表面性は第一義的に重要ではないということを表した。作業性がそのまま表面となるというカービングの概念をモデリングに割り当てたのだ。
この成功により、モデリングは、表面を研磨して仕上げるという呪縛から解放され、同時に表面性によるごまかしという覆いを奪われた。
つまり、石彫が自ずから持っていた、彫刻的本質に近づく事に成功したのだ。

ロダンの仕事の、彫刻における本当の功績はここにある。ロダンは、形をあやつる名手だった。けっして、単なるロマンティストだったのではない。
ロダン芸術が、日本に入ってきて、たかだか100年である。日本の近代彫刻は、佐藤忠良など、自分の脚で立つ本当の彫刻を生み出したが、ほとんどは形骸に終わってきたのが実情だろう。

日本には、西洋的な立体の捉え方はそもそも存在しなかった。日本人は常に表面性で対象を見てきた。それは、仏像、能面、日本画から浮世絵を見れば分かる。それが、私たちが元来持っている能力なのだ。それが、100年前にロダンによってかき回された。しかし、それを排除しようとするのでなく、取り入れようとした。しかし、対象をどう見るのか、という根本的な部分に深く目を向ける事をしなかったのではないだろうか。日本におけるロダンは間もなく、ロダニズムというスタイルと見なされ、形骸化していった。ロダン的な表面性だけを追うことになってしまった。それは、日本的見方へのリバウンド現象である。

今、日本では、ロダンが、そしてその後ろに見える西洋的な対象の見方による、「形を動かす」彫刻は、限りなく影を潜めてしまった。
現代美術における彫刻は、もはや、完全なまでに従来の日本的な対象の見方、すなわち、表面性を追うというものに”戻った”。

ロダンによる、ルネサンス以来の彫刻革命は、今では、単なる美術ムーヴメントだったとさえ言われるようになった。
はたして、そうだったのだろうか。そえは、一時の熱病のようなものに過ぎなかったのだろうか。

彫刻は、物質を取り扱う。人を表そうとするなら、人の形を作らなければならない。その現実性が、いま、少しずつ遠ざかっているように感じる。
私たちの脳は、原則的に情報のみを取り扱うが、今やそれが優位となり、作り出される物まで、情報性のみが取り出されるようになった。そうしてコンセプチュアルアートが台頭し、かつて彫刻と呼ばれてた領域も、物質を取り扱うというものよりも、作家の概念を立体で表すものとなりつつあるようだ。それは、表面性にこだわるという表現方法によって一層際立っている。

ロダンが、その作品で指し示した、彫刻とは何たるかという教示。それは、ロダンが一人で作り出したものではない。芸術の歴史で人類が気づかずに追っていたもの、それを彼の言語で書き表したものだ。それは、私たちの人類の歴史の記憶に刻まれた感覚である。

2009年4月10日金曜日

芸術は、発見されたもの。

芸術を作るのは動物の中でも、人類だけに限られている。現在もそれは続いている。我々がしていることなのだから、芸術は人類の発明したものと言っても過言ではない。

しかし、問題はそれをいつ発明したか、だ。芸術の起源は、専門の研究者によって研究が続いているようだが、遺跡の発見から推測するしかないのが現状であろう。


芸術の定義は、歴史と共に変化し続けている。「真の芸術」を定義しようとする試みは常に誰かが行ってきた。しかし、決定的な答えは出ない。

芸術は確かに人類の発明であるが、その起源は私たちが意識を持つ以前に遡るものかもしれないほどに古い。その行為が芸術であると定義されたのはその歴史から見たらつい最近のことであり、もはやそれは「芸術の発見」と言ってもいいだろう。

見つけたものが、何なのか。その答えは簡単には出ない。

2009年4月9日木曜日

存在への疑念

存在。自分がここにあるということに対して、思春期も過ぎると一度は疑念を抱く事があるかと思う。

自分とは何なのか。そこから始まり、結局確信めいた回答を得る事は出来ずに、人生は終わりを遂げるのだろう。

哲学でも、物理学でも、物の存在は大きなテーマである。いわんや芸術をや。


前世紀末から今世紀にかけて、私たちの意識に対して、哲学という主観的アプローチだけではなく、脳神経科学という客観的アプローチが急速に領域を広げている。とはいえ、その解明のトンネルの出口はまだ遠いわけだが、意識というものが私たちが考える以上に「足場が脆弱」であることが分かってきているようだ。

私たちは、自分に体する主観を捨てる事は出来ない。それは、自己を超え、人類という種を存続させるためのアイデンティティを支える重要な本能とでもいえるものだ。それが、私たちが「意識を持っている」という強烈な主観を生み出している。

死は、私たちにとってこの上なく恐ろしい出来事だ。なぜ、そうなのか。死んでも、物質としての肉体がすぐに消滅するわけではない。そこで失われたものは何だろう。それは、命、言い換えれば、精神、それを認識していた意識である。


死、それは”意識”が知りたくない、私たちの存在の真実を照らしているのではないだろうか。だから、そこに恐怖を引き起こすのではないか。”意識”など、そもそも存在しない。存在していたのは肉体という物質だけであると。

私たちの存在は、冬に降りる霜、紙にコーヒーがしみ込んでいくさまと、なんら違いのない物理現象だ。死して意識の抜け落ちた体は、それを全身で表している。そして、それは、生きている私に間断なく繋がっている。

2009年4月8日水曜日

構造の美と文脈の美

構造の美とは、形の美の事だ。これは数学的なものでもあろうから、数値で表せるかもしれない。黄金比などはこれに当たる。これらは、目に心地よく、誰にとっても美を認識できるだろう。

しかし、ここには心が無い。無情の美である。


一方、文脈にも美は潜んでいる。その形そのものがたとえ美しくない比率だったとしても、文脈が美しいとそこに美を感じる。感情が生み出す美だ。

良い芸術には、どちらもが要る。

2009年4月7日火曜日

具象と抽象

私たちは物事を、具象と抽象とに分ける事が出来る。この言葉は特に芸術でよく用いられる。つまり、具体的な形状をその形に即して表現したものを具象と呼び、そこから離れ心象的でそもそも形状を持たぬものを表現したものを抽象と呼び習わす。

そして、美術の初期教育などで聞く事があるものに、「抽象は難しい。具象をやって、やがて抽象へ至る。」というものがある。美術を習い立ての者が、いきなり抽象的な表現をしようとすると、そう言われてたしなめられるわけである。まず、目の前の物を描けるようになって、やがて、抽象を求めるようになるのが本道というわけだ。

しかし、脳の認知から見れば、それが正しいとは言えなくなる。私たちは、目を開ければ世界が眼中へ飛び込んでくる。それゆえに、視覚は「見るに苦労しない」受動的なものだと考えられてきた。目を開ければそこに見えているのだから、それをそのまま表現することが一番簡単なはずだ。言わば、視覚をトレースすればいいだけじゃないか。そう思っていた。なのに、描けない。このジレンマは、美術の教程が必修である日本人なら、ほぼ全員が体験済みの感覚だろう。


ここで、冷静に考え直せば、なぜ、見えている物をそのまま描くのが簡単なら、小さな子供は始めに写真のような絵を描かないのかという疑問に行き着く。そう、子供の絵は常に抽象なのだから。ここから導かれることは、視覚に映っている情景と、認識している事柄の差異である。カメラのレンズは時に目に例えられるが、だからと言って脳をフィルムと例えられない。私たちは物をフィルムに焼き付いた映像の様には見ていないということだ。

私たちの視覚機構は、次のように言い換えられる。目に映った具体的な映像は、脳に入るや即座に無数の抽象的情報に分解され、理解される。何を見たのかを意識しようとするとき、それは再び再構築される。


つまり、視覚の認知はまず抽象化から行われるのだ。そしてむしろ、写真のような認識などより、その物の抽象性こそが重要な情報として取り扱われる。この視覚の抽象化が行われるからこそ、私たちは物体の形状を理解できるし、視覚に収まらない山や海、地球などを理解することができるし、歩いただけの道を地図として描く事もできる。


見た物を見たままに表現する、という行為はそもそもは生存の為には必要のない行為であるから、それをしようとすると、脳の様々な機構を意識的にスイッチングしていかなければならない。絵にするなら、立体物であるという認知を平面へ、固有の色彩と光の反射光の色を、同系列の色へ‥。

具象を描くことのほうが、本質的には抽象よりも難しい。

人体と芸術における、進化という相同性

人体は、西洋の宗教で言われるように始めから人間の形をしていたわけではない、ということは日本ではほぼ常識だろう。そして、私たちの祖先が猿と共通であり、言い換えれば、その時代では、猿も人間も同じ動物(それは猿に見える)だった。このことも今では常識であり、私たちは猿と自分の体に用意に多くの相同性を見いだす事が出来る。

そして、その進化の過程をさらに遡っていくと、ほ乳類共通の祖先となり、は虫類となり、両生類、そして陸から水中へと戻り、魚となる。

「私たちはかつて、猿だった」と言われることは納得できるが、「私たちはかつて、魚だった」と言われると何だか奇妙な感じがするのは、時間が離れすぎてしまったからだろうか。しかし、それはまぎれもない事実であり、現に今でも私たちの体には水に生きし頃の名残が各所に残っている。

頭の骨と鎖骨には魚の頭の名残があり、下あごや耳などはエラの名残。手足がヒレだったのは想像にやさしい。


そうして見ていくと、私たち人間の形は、魚の形の改変版であることに気づく。私の形のオリジナルは魚である。ここで細かい事を言うと、魚と言っても私たちの身近な硬い骨を持ったものと、それを持たないものがいて、持たないもののほうがより古い。これにはサメの仲間やシーラカンスがある。

改変版であるから、ゼロから新しいものを作り出すのでなく、既にあるものを変化させることで、魚は陸へ上がりやがて人間になったと言える。まったく、身震いするほどの壮大さである。


水から陸にあがるに際して、長らく使い慣れた環境は捨てるには忍びなく、それを持ったままにした。海水である。今は、体液と呼んでいる。かつて、水中で物を見ていたから、今も目は濡らしている。かつて、水中の匂いを嗅いでいたから鼻の中は濡らしている。かつて、水中の音を聞いていたから、内耳で空気振動を液体振動に”戻して”聞いている。最も大事な脳脊髄は今でも液体に浮かばせたままだ。

このように、いまや全く関連性が無いように見える魚と人間は、進化という一本線で繋がっている。


さて、魚から独り立ちした人間はやがて芸術を生み出した。現在、芸術とその他学問は一線を画しているように見える。しかし、それらは歴史を遡っていくと、分け隔てていた壁は曖昧になり、両者は渾然一体となる。科学と錬金術は同じであり、呪術と医学は同じであり、哲学と芸術は同じであり、天文学と宗教は同じであり、それら全てが同じであった。それらは、成熟と共に各自、決別の道を歩んでいった。


私たちの体がある日突然出来たのではないのと同じように、それらもある日突然そこにあったのではないということを思い出そう。それらは、全て、私たち自身の理解という根に今でも繋がっているのだ。


おのおのの学問が特性を際立たせてきたなかで、比較的原始的な特徴を残しているもの、それが芸術だ。

学問がお互いの壁を高くさせ、自己領域の探求という穴を深く穿っていくなかで、芸術はむしろ常に壁を取り壊すベクトルを持ち続けている。各学問領域がそうやって断片化していくにつれ、その間を軽々と飛び越えてゆくTranslimitとでも言える性質が際立つ。

そもそも、本来学問は互いの関係を断っては存在できないはずだ。私たちが水との関連性を断てないのと同じように。

しかし、Translimitが本性の芸術が、それを捨てようとしているように見える事がある。芸術とは、多領域の複合体である。真の意味での「芸術至上主義」など存在しようがない。他者との関係性を断ち、一人きりのアートを志すことは、私たち人間が進化の果てにここに立っていることを忘れ、あたかも我は神なりとでもつぶやきだしたようなもので、必ず退廃するだろう。


かつて、歴史上において芸術が発展したとき、その芸術はその時代において何であったのかを見返してみれば、芸術復興の鍵をそこに見つける事が出来るかもしれない。

2009年4月6日月曜日

アートフェア東京2009


一般初日の金曜日午後に友人と会場へ。入り口周辺でまず昨年より人が少ないと感じる。入場するも、やはり昨年と比べると人が少ない。心なしか、ギャラリーの人も盛り上がっていない。ふと、「アートバブルがサブプライムと共に弾けて、今年は駄目だろう」との知人の言葉を思い出した。まあ、それは仕方のないことだ。アートの責任ではない。


そんな、経済的な問題はさておいたとして、作品の質も昨年よりさらに低下したように感じた。足を止める気にならないなか、むりやり興味どころを見つけて、立ち止まるような感じ。落書きのような、どこかで見たことがあるような、そんな作品が多い。でも、それが100号くらいの大きさで描かれていたりするから、描いている方は本気なのだ。「落書きでいい」。そういう風潮が出来て、「それでいいんだ」と自己肯定し、「その気になった」作品たち。若い作家ほど、その気になってしまう。こんな風潮が長続きするはずがないのに。彼らはどうなってしまうのだろうか。・・・まあ、人の心配してる場合では無いのだけれど。


とはいえ、歴史を振り返ると、芸術とムーヴメントは常に共にあったのも事実で、いつの時代も多くの作家がそれに飲み込まれ、それが正しいと信じて活動してきた。その中の一部が今でも過去の美術遺産のように美術館に眠っている。その足下にはいまや形にも残されていない無数の同類作品の亡骸があったはずだ。これからも、こうして「アート」は「アート業界」によって作られ、壊され、それを繰り返していくんだろうな。

2009年4月2日木曜日

意識という錯覚


最近、錯視がテレビや本などで取り上げられている。錯視画像は昔からあるから目新しいわけではなかろうが、昨今の脳科学ブームと何か関連があるのだろうか。昔なら、不思議だね、面白いねで終わっていたことが今は科学的な側面から分析ができることもあるだろう。

人間は、外部からの情報の多くを視覚に頼っていると言われる。それゆえ、見間違いも多く、その経験から錯視画像が生まれてきたのだろう。しかし、当然ながら人間の感覚は視覚だけではない。生きている間は、常に感覚は起きており、言い換えるなら、その情報があることが「生きている」ということである。つまり、錯視が視覚のトリックであるなら、同様に他の感覚もトリックがあるだろうということだ。

ここでもう一度確認しておくが、錯視は視覚の「間違い」ではない。錯視を起こすメカニズムがあるからこそ、私たちは普段、視覚的間違いを起こさずに生活が出来ている。つまり、日常的な視覚風景には多くの錯視現象が起きているのだが、私たちはそれに気付くことがないのだ。むしろ、気付くことが「出来ない」のである。しかし、時には、右を立てれば左が立たぬ状況が視覚にもあるわけで、その時に我々は「それ」に気付くのに過ぎない。

話がそれるが、自然界には擬態という驚くべき護身方がむしろ一般的に用いられている。人間はそれらの動物を見て驚くわけだが、同時にそれは、その動物にしてみれば人間に気付かれてしまっているわけで、擬態の意を成していないとも見える。だが、その動物が生活している状況を観察すると、彼らを襲う主な捕食者にとっては最も効率的な擬態をしていることが見えてくる。興味半分で近づく人間には気付かれても仕方ないが、本当の敵には全く気付かれない。擬態が成功している間は、その捕食者には意識できない”存在しない”物となる。

同様のわざを使って、人間の視覚から逃れている生物があるかどうか分からないが、重要なのは、「意識出来なければ、無いも等しい」ということだ。擬態している昆虫に気付かない鳥にはその虫は無いのと同じだが、私たちの意識の場合は少し違う。意識が気付かないだけで、無意識は気付いていることがある。私たちは普段、意識していることしか意識しないから、自分のことは全て意識出来ると考えているが、実はそうではないことが最近明確になってきている。むしろ、無意識が基本であり、意識はその舵取りに手を貸す程度しか関与していないのではないか。

何らかの原因で、脳に障害を負った人が様々な驚くべき症状を見せ、そこから隠されていた脳の働きが導かれることがある。病態失認というものがあるが、これは、半身麻痺のような重度の障害が現れているにも関わらず、当人がそれを認めないというもので、ではこの動かない腕は何かと問い詰めると、仕舞いにはそれは隣の患者の腕だと言い除けたという。

これは、半身が動かないことを知っていて、それを認めたくないという”意識”から出た行動ではないという。この患者は、脳に障害を負ったことで病態失認が「生まれた」のだろうか。そうでは無いと思う。むしろ、もともと持っている性質がそれを覆っていたものが取り除かれたことで強調されて見えてきたものではなかろうか。他にも、脳の傷害から見えてくる様々な興味深い症例が、普段気付くことができない脳の機能を「意識」させる。

私たちは、意識という能力を持ち、自分たちの意志で行動し、それによって他の生物より秀で、地球上で優位で特殊な生命体だと自負する。本当にそうなのだろうか。錯視は、統合された視覚の文脈から外されて始めて認知できる。脳の機能も統合が破綻することで、ある機能に気付くことが出来る。私たちの意識とは何なのかは、私たちの意識の内で捉えようとする限り、理解できないのではないか。

感動すべき芸術を分析して理解しようとすると、本質的な感動から遠ざかり、芸術を殺してしまうように、意識を分析しようとすると、そこから見えるのは分解された個々の現象になり、意識から遠ざかる。意識とは、脳の機能の統合現象であって、それがあると感じるのは錯覚のようなものではないだろうか。

2009年3月29日日曜日

美術解剖学と解剖学との差異

美術解剖学は、「解剖学」という強力な色眼鏡を外す努力をしなければならない。レオナルドの解剖図をその思いを持ちつつ、見返してみよう。彼もまた、「解剖学」という眼鏡を通して人体を見たのであろうか。
美術解剖学は、解剖学の知識を応用している。この「応用」がくせ者で、ほとんど全ての美術解剖学を利用している人間(”美術解剖学者”や講師、純粋に利用するひとなど全て)が今や自分の目で人体を見ない。もちろん、解剖はほぼ不可能である。彼らはその知識を解剖学書から得る。それは、医学利用を前提に作られた物で、造形家が欲する情報がそこにあるとは限らない。
批評のための美術解剖学でなく、本当の意味での美術解剖学(Anatomy for Artist)の本当の姿はここに隠されている。「解剖学」の眼鏡を外し、「For Art」という強力な自己の眼を持って、解剖を見つめよう。芸術の為に、解剖学を再編纂しよう。

2009年3月14日土曜日

骨の美


骨の形は美しい。ありがちな感想だが、実際にそうなのだから仕方がない。しかし、私にとっての骨の魅力は、単にその形状だけではない。それは、手に取ったときに分かる。表面の質感。冷たさ。重量とそのバランス。それらの要素の全てが絡んで、「骨という物体」の魅力となっている。

考えてみれば、何でも「本物」が良いということなのだ。キャストの骨しか知らないひとは、本物の骨の美しさを知ることはない。本物を手に持たなければ分からない。

2009年2月16日月曜日

「ロダンの言葉抄」

岩波書店から出ていた。ロダンの筆録(話した言葉を文字にする)などが、散文的に翻訳されている。訳したのは、高村光太郎。それに、高田博厚と菊池一雄が注や解説を加え、作品の写真や年表まで付記して、一冊でかなりおいしい内容の本である。つまり、ロダンという近代西洋彫刻の父の言葉が、それに感化された日本の彫刻家によって訳され、その後輩たちが解説を加えている、「彫刻家の、彫刻家による・・」(と続くと「彫刻家のための本」と結びたくなるところだが、ここは、)「全ての芸術家のための本」で括れるだろう。

私は、この本を高校生の時に手に取った。彫刻家にあこがれていたから、大いに影響を受けた。分からないような内容も分かろうとしてみたものだ。その後、読まない時期ももちろんあったが、いつも本棚には置いておいた。最近になって、また読み返している。そして、”今まで通りに”その内容に打たれる。およそ100年前の人の本である。社会文化は変化しただろう。しかし、この本でロダンが語る彫刻を通した芸術についての本質は、今でも何ら変わりはしない。そう、人が同じ以上、美の根源もまた同じなのだ。全く、全てのページに芸術家にとって益となるべき言葉が綴られていて、これはもはやバイブルのようなものだとも思えてくる。ロダンが示そうとしたものは、決してスタイルではなく、本質だということが文章から補強される。

私の今手にしているのは、二冊目で、読み込む為に何年も前に購入したものだ。書き込みやラインが引いてあって、これはこれからも増えるだろう。確か一冊1,000円もしなかったはずなので、もう一冊購入しようと書店へ行くと、なんと、もう刷っていないとのこと。別の書店から大きな復刻版と称した6千円以上するものがあったが、あれはコレクターかなんか向けだ。なんて、残念な話だろう。つまり、売れていなかったということだ。一般にとってロダンは昔の人で、その芸術も古くさいということなのだろう。

かって、碌山が、光太郎が、ロダンの芸術に感化されそれを日本に輸入しようと試みた。そこから影響を受けた芸術家もいた。しかし、多くの者はそれを「スタイル」と見て、単に筆致だけをまねたのだ。それでも良かった。見る方も知らないのだから。しかし、それはすぐに形骸化へと進み、飽きられ、古くさく、ゴミのようなものになった。一般の鑑賞者には、それもひっくるめてロダンだと写る。そして、「ロダニズム」という一つの芸術上の運動のようにして終わらせてしまった・・。真の理解者は僅かしか居なかった。彼らももう居ない。そのうちの、そして最大の人、高村光太郎も一般には「智恵子抄」の詩人としか知られていない。その光太郎が訳した「ロダンの言葉」には、彫刻芸術の、ロダンが示そうとしたことの、本当の事が綴られている。日本の彫刻芸術を志す者は全てこの本を理解すべきだろうと心から思う。そして、彫刻に限らず、芸術の本道を行こうとする者なら手にすべき書なのだ。100年前と言うなかれ、中身は今日のこと、明日のことである。湯気が出るように熱いのだ。

そんな、唯一無二な「芸術の聖書」が、絶版とはと嘆きつつ希望を求めて書店内検索すると、講談社から出て居るではないか。しかし、収録内容が微妙に違う。あっちにないものがこっちに、その逆もしかり。また、高田博厚と菊池一雄の解説や注もなく、作品写真も年表もない。旧仮名遣いが現代に直されていてこれは良い。値段は1,300円と高い。著作権が切れている高村光太郎だけで出したのだろうか。なんだか、高田、菊池両氏の熱意が切り取られて、薄っぺらくなってしまった(物理的にもにも薄いが)。新品なら、あるだけよしと言うしかないのか。講談社には悪いが、岩波に是非復刊してもらいたいと思う。これは、日本の芸術家にとっての「聖書」なのだから。