2014年12月10日水曜日

在宅ホスピス番組を見て(2014年12月記す)

 末期癌患者が自宅で最後を迎えるのをサポートする専門医の活躍を伝えるテレビ番組内で、多くの患者が担当してから1ヶ月足らずで亡くなるところを5年間生存している患者がいて、その人が亡くなるまでが映し出された。

 70代男性で頭髪もなくかなりやせ細っている。ほとんど寝たきりだが意識はある。元気な頃に姉と建てた家で、老いた姉が面倒を見ている。男性は痩せているが肌はきれいで、骨格も整っていて、変な言い方だが美しさのようなものを感じた。姉がひとりで介護してきたが、自身の老化も進み、体力的に厳しくなってきていた。「なかなか迎えが来ない」とインタビューに応じていた。今年の夏に男性は亡くなったのだが、その前日に体調が厳しくなって専門医が駆けつける。といっても、それを治そうとするわけではない。ベッドで顎をあげて虚空を見つめ荒い呼吸をしている男性にかけた言葉は「よく頑張ったね。もう頑張らなくて良いんだよ。」。うつろな目が一瞬意識を取り戻し、荒い呼吸の中で視線が医師の顔を探していた。

 この男性は5年前に”もう手の施しようがない。いつ死んでもおかしくない”というような診断が下されていた。本当ならその数ヶ月以内に死ぬと読んでいたのだろう。それが5年も持った。それで、本人も家族もこの5年間まだ死なない、いつ死ぬのかと思い続ける。この男性の最後の5年間とは何だったのか。「あなたはもう死にます」と言われたことで、その後はもはや死を待つだけの人生となる。すっかり死ぬ気になっている意識と、死んでたまるかという身体が、そこでは乖離している。死の前日、うつろな目で呼吸が乱れている男性に「頑張らなくて良い」と声がけする医師。しかし、がんばっているのは男性の意識ではなく無意識の身体なのだ。

 男性はしかし最後まで幸せではあった。家族や周囲に面倒を見て貰えた。ひとり残された老いた姉はこれからどうなるのか。テレビでは追わないそこも気になった。どう死ぬかとどう生きるかは同じ道の上にある。

2014年12月9日火曜日

「パッコロリン」の寂しさ


 NHKのEテレ幼児向け番組「おかあさんといっしょ」の最後に、「パッコロリン」というショートストーリーアニメがある。丸、三角、四角の頭の形をした幼児がキャラクターで、一番下が2歳くらい、次が3〜4歳、上が5歳くらいか。いつも一緒でほのぼの物語がごく短い時間に流れるのだが、大人が観ると何か寂しさを感じる。それは、そこに親の存在感が全く欠けているからだ。例えば、夜の就寝時でも3人だけ。ケーキを食べていても3人だけ。いつも楽しそうな3人だが、人間であれば本来そこに必ず居るであろう親が全く出てこないし、その気配さえ描かれない。親がいないのに、3人にとってはそれが当然、つまりそもそも親という存在さえ知らないかのように映る。もちろん、制作側は単純に子供向けの短編作品の要素を絞り込んだだけのことなのだろう。しかし、描かれているキャラクターとその物語は明らかに”人間界の幼児風”なので、見る側の私はどうしても親の不在に違和感を感じてしまう。

 しかし、彼らをよく見ると頭から触覚が出ている。どうやら彼らは人間ではなく虫だ。虫は親不在で卵から孵る。そうであれば描かれているとおり、彼らは親の存在を知らずその事を寂しいとも思わない。近い時間に近くで卵から孵った3匹が兄弟として一時を一緒に過ごしている。キャラクターが虫であることで、3匹だけの登場人物に説得力を持たせられる。

 彼らが虫だと仮定してもなお、哺乳類である私たちがそれを観る限り、けっきょく親不在で3人の幼児が屈託なく楽しそうにしている様には健気さと同時に寂しさを感じてしまうのだ。