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2016年6月23日木曜日

高橋英吉の彫刻「漁夫像」覚え書き

 先日、芸大美術館の「いま、被災地から」展を再度鑑賞した。目当ては高橋英吉の代表3作品だが。

 改めて見て、この”海の三部作”は、1938年から1941年の間という3年間の間に作られたとは思えない充実度と完成度を持っていることに驚く。それと同時に、この3作の様式が全て異なることも興味深い。
 最初の作品『黒潮閑日』が初期作品だというのはその造形からも納得がいく。と言うのは、身体構造を真面目に、忠実に追おうとしているからだ。ただ驚くべきはその技量で、一人の人物像であっても、全体感を損なわずに仕上げることは難しいであろうところを二人の人物で構成しているところだ。今回改めて見て、手前のあぐらを掻いている男性の表情が剃刀を当てられている事に反応して、僅かに唇を右側に歪ませている事に気付いた。それだけではなく、彼の顔面構造全体もアシンメトリーに仕上げられている。それは意図された歪みであって、刃物が当てられている頬に意識を集めている男性の心持ちが伝わってくるように感じられる。ひげ剃り役の男性の両脇には空間が空いている。狭い脇まで良く意識が届けられている。驚くべき観察力と集中力であって、またそれを作品として仕上げる木彫技量にも改めて感嘆させられた。
 
 『潮音』はその翌年の作品だが、作風が随分と違う。ノミ跡は荒々しく、人体描写も前作のような写実性というより、スタイルの主張がもはや強くなっている。そうはいっても、解剖学的構造への厳しい目は健在で、それを基盤にしつつ、西洋古典の人体描写スタイルを盛り込んでみたという実験的な要素をそこに見る。

 異質なのは『漁夫像』だ。表面仕上げへのこだわりが強く、小さな刀で面を細かく割っているので、遠方から見ると滑らかな皮膚面に見える。また、手前へ膨らみ出るような曲面で構成されているので、ボリューム感が強い。実際、3部作の中でも最大である。近寄ると両脚や体幹部の迫るような量感に驚く。私感だが、良い彫刻はこの感覚をしばしば与える。そういった、彫刻として成り立たせる量の操作には揺るぎないものさえ感じさせるが、この作品だけは、身体描写が他の2点と異なる。身体描写の解剖学的な正確さからもはや逸脱しつつあるのだ。その”外れ具合”は、どこか1点というようなものではなく、全体に満遍なく見られる。高橋は、間違いなく、何らかの意図があって得意としていた正確な身体描写から離れようとしたのだ。その顔がエジプト・アマルナ文化を参考にしたことは間違いないと思う。体全体も改めてその丸く、細部を省略した描写を見ると、同じく古代エジプトの木彫像カー・アペル像(通称、村長の像)を彷彿とさせるものだ。もしかしたら高橋は前作の後に、もっと身体全体を1つの様式でまとめ上げる必要性を感じたのかも知れない。台座に乗る両足も丸く、足指などは個々の関節など無頓着である。そこには足の構造というよりむしろ、ひとまとまりとしての足を表したかった意図を感じるのである。そういった全体の統一感を見るには「様式」がヒントになることに気付いたのだろうか。
 さらに両腕の描写も今までと違って正確さと違う意図を感じる。肩から肘までの上腕部前方の膨らみを見ると、僅かだが頂点が上下に2か所設けてある。両腕がそうなので、これはわざとそうしてあるのだ。しかし、実際の腕では膨らみはそうならない。肘を伸ばした状態の上腕二頭筋は引き伸ばされることで、筋腹の膨らみが上下に長く見える。それを強調するために中間部をわずかに掘り下げたのだろうか。もしくは、何かほかの参考作品がある可能性もある。<追記:上腕二頭筋の筋腹の高まりがその中間部がわずかに低く見えることが実際の体でもある。その形態的理由はまだ分からない2016/08/14> 肘を介して前腕部へと移行する肘部の造形も実際のそれとはちがって変形が目立つ。肘の外側には腕橈骨筋と長橈側手根伸筋がアクセントとして見えてくるのだが、今までは忠実に造形していたそれらを意識的に弱めて、上腕部と前腕部とを明確に分離しようとしているかのようだ。つまりは、「人形のように」しようとしている、とも言えるだろう。今回見て、殊更目に付いたのが上記だが、同様の意図的変形は全身に及んでいる。だから、3作を並べてみると、この『潮音』だけが異質に見える。異質だが、彫りきって完成仕切っている。

 高橋はこの作を彫り上げて、戦地へ赴き、戦死した。大きな作風の変化の兆しだけを残して。

2015年2月17日火曜日

「ヒトのカタチ、彫刻」感想その2 作品について

 本展のカタログのテキストにも書いたが、彫刻はライヴショー的な要素をはらんでいる。つまり、鑑賞者が劇場つまり展示会場へ赴かなければ味わうことができない。そんなことはない、写真などの画像でも見られるではないかと思うかも知れないが、それは彫刻の最も重要な要素がすっぽりぬけおちた幻影、影に過ぎない。それはつまり、「立体感」である。立体感には付随する幾つかの感覚がある、すなわち、量感であったり重量感であったりするものだ。それらが互いに解け合いつつ、しかし全体をまとめ上げ彫刻として空間内に確立させる最重要の感覚が立体感だ。立体感はまず、私たちの左右両目で対象を見るということから始まる。人の両目が2つ並んで同じ方向を向いているのは、他ならぬこの立体感を得るためである。しかし、ここで分けておきたいことは、立体視と立体感の違いだ。両目で見ることが立体視である。空間上のある一点を両目で見ると、右と左の目では僅かなズレが生じる。そのズレから目と点との距離を得る。それらは目玉の裏で細胞興奮へと翻訳され脳において様々に分解統合が行われる。その過程において生み出されるのが立体感である。
 しかし、この世界で映像や画像が溢れていることから明らかなように、私たちは量感なき映像でも不自由することがほとんどない。人間の両眼立体視はかつて樹上で生活するために役立ったという。つまり、空間内において自分の体の位置を相対的に捉えるために必要だった。簡単に言えば、木の枝から落ちずに移動できるために必要だった。自然界の目を持つ生き物を見回しても、この両眼立体視をするものは圧倒的に少ない。そして、その多くがハンターである。彼らは自らの体を動かし、獲物と自分との距離を視覚から精密に測る。こうしてみると、両眼で距離を取る行為には、生きるための必要に迫られた身体能力であることがわかる。片眼をつぶしたチーターなどは生きていけないだろう。それは我々にとってもそうだったに違いない。枝から枝へ移れなければ死ぬしかなかったのだ。しかし、人間となった今では、両眼立体視に生死をかけることはもはやなくなった。立体感がなくても生きられるなら、それでいい。脳にとっては画像処理の手間が省けて省エネになるというものだ。だから、カメラという「片眼」で捉えられた世界の画像を違和感なく受け入れる。画像、写真ははなから距離感、立体感という情報を持っていない。それに慣れた私たちは、写真に撮られた彫刻も、実際に肉眼で見た彫刻も同じだと思い込んでしまうのだ。彫刻にとって、最も重要な、それ自体を成り立たせる根本的アイデンティティーである「立体感」だけがすっぽりと抜け落ちているというのに。彫刻という芸術に取り憑かれている人は、その立体感がもたらす、一種の迫力に惹かれているに違いない。それは存在感とも表現される。

 今回、美術館の入り口を入ると、藤原彩人氏の作品がまず目に飛び込む。首を逆さにして壺に見立てた大きなもの。会場のエントランスホールが奥まで見える。そこに青木千絵氏の大きな作品が横向きに立っている(吊されている)のが見える。そして光が大量に降り注ぐ左側の白い床に、藤原氏の白い人体が列を成して立っている。この人体は実物より小さく(2分の1ほどか)、写真で見ると線が細く華奢に見える。しかし、実物は違う。もっと太く、しっかりと堅く、エッジの立った鋭利な印象さえ抱かせる。おそらくそれは思いの外細かく造形された顔など末端処理に依るのだろう。美術館の入り口でこれらの作品が目に飛び込んできたとき、写真ではこれを伝えることはできないことを再認識した。

 藤原氏の作る人体は概ねどれも同じフォルムをしている。そして二本脚で立っている。頭が細く下に行くほど太くなり、足は大きい。それは可塑性を持っていた粘土が自重と闘いつつ自立するために必要な形態でもある。だから、組成が違う人間と同じ形には”なれない”。なで肩で上に行くと細く長くなる様は、まるでソフトクリームの先っぽのようだ。藤原氏がこの人体形状について、興味深いことを言っていた。原型を作っているときの作品と自分との距離がこの形にも反映されているという。だから、等身より小さいこの人体に近づいて、作家が作っていたときほどにまで近づいて、上から見下ろすと、遠近差によって頭部が大きく、足が小さく見える。作品の形には実に様々な要因が関係している。ぜひ、実作を上から見下ろして「逆ダヴィデ現象」を味わって欲しい。
 会場入り口に置かれた人頭の壺は、分かりやすく分かりにくい。私は思うのだが、この「分かりにくい」にどれだけ「旨味」がつまっているかが芸術は大事なんじゃないかな。ひっくり返った頭部。普段の制作で、型から外した人体像の頭部を見て思いついたそうだ。頭頂部を開口させず、首がわをそのまま口とした。それが良い。首は物質の通り道だ。空気や食べたものを通している。空気や食べ物はどちらも顔にあいた穴すなわち鼻と口が起点である。壺となっても首は本分を果たしている。同作は「意識の壺」と名付けられ、釉薬は顔面部で両手の輪郭をなして避けて流れる。作家のお子さんが両手で顔を覆って自分が消えたと信じている・・そんな微笑ましい親としての視点もヒントとなっているようだ。幼児はまず親を「顔だけの存在」として認識するという。親が顔だけならば自分もなおさらだろう。この壺の顔は見えない手で顔を覆って隠れたつもりで居るが、その耳穴だけは開けていて周囲をしっかり捉えようとしていた。彼は顔面の物質門を閉じ、耳という情報門だけを開け放つ。鼓膜で音は情報化され脳の意識に積み重ねられる。

 会場でその大きさから目を引くのは、青木千絵氏の縦に長い造形物。磨かれた漆は深い黒の光沢を放つ。胴体は上に行くに従って茶色くなりさらに白濁して行く。一見すると木目のようだがそうではない。極々単純に形を言うなら、円柱と脚だが、円柱が持つ曲線は胴体部分では背骨の持つ弯曲となり、そのまま尻へと繋がる。脚の表面は滑らかだがその量は力強い男性のそれだ。足首が細く、足指も独立して長い。日本人というより西洋人の体を思わせる。少なくとも、青木氏の身体表現には西洋彫刻の流れを見て取れる。その傍らには、横たわった下半身と巨大な黒い水滴のようになった上半身がある。もう一つの作品は、立位前屈をしているように見える。しかしこれも上半身はひとつの塊に溶けている。大きく曲げられた背中が作る、背骨とその両脇の筋肉の盛り上がりが詳細に追われている。青木氏の人体表現には、局所にこだわりを見る。その仕上がりにこだわりを感じる。局所への偏執的とも見えるような追求が工芸的な要素なのだろう。この3体の作品たちは、みな脚という運動器だけを留めて、あとの体は形を失った。体の形は、氷が溶けて1つの水滴となるようにまとまり、体積に対して最小の面積を外界に晒す。溶けた部分には体幹と上肢があった。上肢は運動器だが、人間では体を運ぶと言うより、物を運び、先端の手指はコミュニケーションツールでもある。体幹は内臓を含んで、私たちが生きるのに必須の部位である。そして意識の座、脳がある。脳も腕もなく溶けた体幹は重々しくもある。そこでは意識、無意識が交ざり判別がつかない。しかし、脚だけは力強く、まるで動物としてこれだけは失うわけにはいかないのだと、訴えているようだ。自然界において(そして私たち人間も)、動けなくなることは死を意味する。動くことは、まさしく「動く物」である私たちの宿命である。縦に長い作品「昇華」だけは印象が違う。題名も言っているように、この体は上へ昇り、拡散している。上へと引っ張る力は足先まで伝わり、まだ人の形をしているつま先も、もはや宙に浮いている。おそらく数秒後には、彼は天へと引き伸ばされ拡散して消える。そこでは個はなく何かと渾然一体となるのだろう。私たち陸上生物は、常に体の一部が地面と繋がっている。そこから他動的に引き離されることに非常な恐怖を感じる。いや、かつて幼児だった頃はそれを受け入れ、安心感へと繋がっていた。私たちはいつも親から持ち上げられ、抱きかかえられ、運ばれていたのだから。しかし、自意識が確立し、自由に体を操れるようになると、こんどはそれを拒むようになる。自意識の赴く方角へ自分を運ぶことが、自分を広げ生かす事に直結していることを知る。だから、それを他者によって奪われることは、負け、諦め、そして死をも意味する。どれほどの俊足を誇っていても、1ミリ宙に持ち上げられるだけで、もはや無力なのである。だから、「昇華」の彼の下半身はまだ力を目一杯入れて、最後の反抗を試みようとしているようにも見える。つま先まで力に満ちている。しかし浮いてしまった。もう、彼の身体能力は意味を成さず、間もなく彼は現状を受け入れざるを得ないだろう。一体、彼を昇華させるものは何か、それは彼が望んだことか、それとも抗えない大きな存在だろうか。

会場奥に設置された津田亜紀子氏の作品たちは、少々先の2作家とは趣を異にする。もちろん、「ヒトのカタチ」をしているが、その存在意義が異なっている。先に挙げた藤原氏と青木氏の作品たちが「それ自体で生きている存在」として表されているに対して、津田氏のそれはあくまで表象されたものとして映るのである。それらは、物語であり、夢であり、記憶である。だからそれは一時ヒトのカタチを成しているものの、表面には布地による色彩とパターンが溢れ、存在の量感をかき消す。それらは存在とは違うベクトルのストーリーを語る絵画である。作品たちは体中に窓枠のような出っ張りが出ている。これは原型から型取りするときに作られる型の枠の残りで、通常は仕上げ処理の段階で丁寧に削り取られるものだ。これが積極的に作品に残されることで、「これらのヒトのカタチは、カタチに過ぎず、生きている物そのものではありません」と断りを述べている。ならば、そこに生気を感じないか、というとそうでははい。それは残された記憶や夢を喚起させ、見る物それぞれの脳内にいるかもしれない彼女たちが動き出すのである。あくまで模られた存在としてそこにあり、かつてどこかにいたようなリアリティを想起させるもの。津田氏の作品を見てすぐに思い浮かんだのは、ポンペイの石膏人だった。古代ローマ時代に突然の火山噴火に伴う火砕流で多くの住民が灰に埋もれた。それは長く伝説だったが、18世紀に再発見され、研究者は死体が腐ってできた人の形の空間(そこには骨だけが残されている)に石膏を流し込むことで、住民の最後の姿を復元したのである。それはまさしく、死の瞬間の表象である。その形を見る者たちは、おのおのの脳内で彼らの最後を繰り返し見るのだ。

 彫刻は、ロダン以降、作品そのものが生きていると見なされる「内的生命」となった。これは彫刻としての生命である。だからそれを成り立たせる要素として、生物学的なそれを割り当てる必要など無い。そこはあえて強調すべきであろう。彫刻家が見出す内的生命とは、三木成夫が言うところの”鑑照畏敬的”な姿勢によって見出される、言わば生命現象の”すがたかたち”のことである。だから、彫刻がヒトのカタチをしているから人に近いとか、抽象形態だから生きていないとか、そういうことは全く言えないのである。今回の展示では、人の形をしている彫刻が集った。藤原氏の作品は2本脚で立っている。だからといって、これが人間が実際に立つ行為の単なる写しと言えるだろうか。人間が二本脚で立つのは、生きている間だけだ。ほとんど動かずに立ちすくむこともできるが、その時の体は多くの筋と感覚を動員して不断の見えざる運動を続けることで立っている。立つだけでも、運動である。藤原氏の作品は人が立つのとは根本的に違う。より正しく言うなら彼らは「2本脚で置いてある」のである。そう言い切ってしまうとしらける感もあるが、それでは、ここで立っている意味は何だろうか。彼らは人が立つという”すがたかたち”が写し取られた形態である。本来自立しない物質が、そうすることで、「立つ」という私たち人間にとって呼吸と等しいような無意識的運動の奇妙さと、「二本脚で立つが故にヒトである」という定めにスポットを当てるのである。

 「Living presence」として立ち上がる、ヒトのカタチたち。それらは、鑑賞、鑑照されることで命を宿す。それは、見る側、私たち自身の命の反射に他ならない。

「ヒトのカタチ、彫刻」感想

今回、静岡市美術館で開催中の「ヒトのカタチ、彫刻」展にテキストで参加させて頂き、私自身、彫刻と人体という最も興味深いテーマについて考える良い機会となった。カタログには、私のほかに金井直氏が批評文を、同館学芸員の以倉氏と伊藤氏が近代彫刻の流れから今回の作家までの流れとその制作過程についての文章が載っている。私の文章は、今回の作家さんについてではなく、彫刻と人体の構造的に見た相似点を挙げることで、物理的に見ても彫刻と人体は存在として似ているというようなことを述べた。
 カタログに記載されている、自分を含めて4名の文章を見て、実に彫刻の鑑賞領域の狭さというものを実感した。というのは、4名がそれぞれの立場で自由に彫刻について語っているにもかかわらず、その要点が結局のところ皆同じなのだ。触覚、表面、内と外などなど。事象として彫刻を語ろうとすると、とどのつまり、そこに置いてある物質について言っているに過ぎない。それは、間違っているわけではないのだが、なんだか滑稽にも思えた。大の大人達が石ころでも取り囲んで、腕組みしながら、言葉をひねり出しているような・・。だが勿論、狭い視野で眺めているだけではなく、そこに現れている形態や姿勢から素材とはまた違う文脈的要素へと分析が降りて行く。つまり、幅が狭く、深い。なるほど、見渡す範囲が狭くとも、深さ奥行きはどこまでも伸ばせる。深さ、というところがまた立体物である彫刻にふさわしい。

 さて、学芸員(学芸課長)の以倉氏の文章は、まず近代彫刻に至る流れを俯瞰しその流れの先端として今回の3名の作家を位置づける。私たち、そして作品も突然時空に現れたのではなく、何らかの時系列的流れに属している。本人がそれに気付かずとも。彫刻の進化的流れは時代を通して一定であったわけではなく、そこには発展停滞の緩急が当然見て取れよう。そのなかで、現代に繋がる大きく勢いのある流れが起こったのが19世紀後期であり、その核が当然ながらオーギュスト・ロダンということになる。だから、現代の彫刻家や美大予備校彫刻科学生が皆口にする「量感、マッス、構築性、重量感、空間性」という言葉が示す彫刻的感覚も遡って初めに現れる堰はロダンである。ロダンは実に現代の彫刻に見られるおよそ全ての核を1人で作り出したように見える。彫刻の真の自立もまたロダンによって成された。同テキストでの「内的生命」、「自己言及的な姿」というものだ。ロダンの後に英国彫刻を世界に知らしめたヘンリー・ムーアも自身の彫刻を「それ自体が生きている存在」としての価値を与えようとした。つまり、ロダン以後の彫刻は、生きている物を模している物体ではなく、生きている物そのものとして表されるようになった。これは何だか奇妙にも感じる。20世紀に入ると科学技術は急速に発展し、人という生き物の意味合いも変わっていった。それは一見、有機的統合体から断片的存在へと人の概念が解体され標本化していく過程を思わせるが、近代彫刻が目指してきた方向は、物に生命を重ねて信じさせるような、言ってみれば呪術的な臭いさえ漂うようなコンセプトがそこに見られるのである。偶像崇拝の無意味さに気付き、理性的判断で空間と人体を分析し、芸術表現と科学とを融合させて新しい次元を開いて見せたイタリア・ルネサンスのほうがよほど”近代的態度”として見えるほどだ。クラウスは前世紀半ば頃には”これが彫刻だ”という定義ができなくなったと指摘し「風景でもなく、建築でもない何ものか」としたというが、その「何もの」とは何だ。
 20世紀の解剖学者で思想家の三木成夫は、ゲーテの形態学とアリストテレスの生物学とクラーゲスの哲学から思想を掘り起こし、人の構造の見方に次の3通りを示した。すなわち、「機械の構造」、「建築の構造」、「作品の構造」である。これをそれぞれ、「しかけしくみ」、「つくりかまえ」、「すがたかたち」と呼び分けたのである。機械と作品がそれぞれ対極に位置し、その間に建築が挟まる構造である。言うまでもなく「機械」にはデカルト的体系でありまた科学的視点(三木はこれを理解把握的と呼ぶ)であり、対極の「作品」に敬愛するゲーテ形態学、そして芸術がくる(これを鑑照畏敬的と)。さて、クラウスの言った「風景でもなく、建築でもない複合的な存在」とは何か。建築ではないのだから、それは三木的に見たとして、より機械的な方向の選択はない。また、風景とは求心性を持たない解放系であってひとつの個ではない。つまり、風景でもなく建築でもない複合的なものとは、これもやはり、生物、「それ自体が生きている存在」を指し示しているように思われてならない。しかしそれは具体的な物ではなく「場」であると言う。場は境界を持たない。境界を持たぬ生命は成り立たない。つまり場は生命体から読み取られた情報である。形なき情報とはつまり概念であり、境界で閉ざされた物体を越えた”拡張された生命体”であると言えるだろう。際限なき拡張を可能にするのは、境界つまり物質からの脱却である。しかしそれは、同時に彫刻的なものからの離脱をも意味するのである。なるほど、こうしてみると近代彫刻が志した「内的生命」は、早々に物質からの脱却を図り、情報という概念の翼を纏った。それは、実に20世紀的な事象として写る。さしてみれば、16世紀以降生物としての人体の立ち位置は変化し、統合していた精神と肉体は分けられ、精神だけがどうにも居心地の悪い状態であった。しかしいま、”フリーな精神”は何も人の形だけに収まる必要がないのである。だからこそ、到底生き物には見えないようなムーアの作品も生きている存在としての価値が与えられ得るわけだ。この、フリーな精神という内的生命は、21世紀の今も全く色あせることなく生き続けている。なぜなら、現代に作られる彫刻作品の多くが「それ自体が生きている存在」として作られているからだ。少なくとも、藤原氏と青木氏の作品はそのように「息づいて」見える。津田氏の作品は少々違うニュアンスがある。その意味では、津田氏の作品はより古典的な態度を示していると言えるだろう。

 藤原氏、青木氏、津田氏の作品についての感想はその2として、そちらに記した。

2014年2月25日火曜日

Love is art. Struggle is beauty.

 刻家、荻原守衛の言葉。

 私はこう見た。
 まず「愛は芸術」だが、ここにある2つの単語が指し示す対象は幅広い。愛と一言で言っても異性へ向けたものから母性愛、さらには人類愛のように大きな対象まで含む。芸術もまた同様に様々な様式や技法の芸術から、職人技術や特殊技能までも含み得る。そう考えると、これは限定的な対象を示していると言うよりも、固定された全体つまり普遍的価値を指し示した言葉であるように思える。
 対する「もがき(相剋)は美」は、より動的だ。もがきはその状態の渦中を示し、美はその状態において見出されると言っている。ここでのもがきは、肉体的でなく精神的なそれである。
 つまり、「相剋の渦中にあってそこから解放されようとするとき、そこには希望が内在している。囚われつつも望みを持って立ち向かう様には美しさが見出されよう」との意である。

 また、2つのフレーズに対応関係を見ることもできる。すなわちLoveはStruggleと、ArtはBeautyと。そして、始めのフレーズが理想の到達点であり、後のフレーズはそこに至る過程を示す。愛に至るには相剋があり、芸術となるには美が必要なのだ。

 単純な言葉で構築的に組まれ、その意は相似と対極とを組み合わせている。そう見ると、この言葉はまるで彫刻だ。事実この言葉をそのまま造形したような作品「女」を最後に残して、荻原守衛は31歳を前にこの世を去った。1910年のこと。

2010年1月22日金曜日

橋本平八

前世紀の初期は、日本における近代彫刻が大きく花開いた時代だった。今でも名を知られる高村光太郎や荻原守衛(碌山)らを筆頭に、若い彫刻家たちが新しい彫刻表現を模索していたのである。当時、西洋からやってきた”ロダンという新しい表現”によって、伝統的な木彫を基本とする固有の彫刻表現が大きく攪拌されていた。

その揺籃期にあって、橋本平八は明らかに異彩を放っている。 代表作である、「裸形の少年像」や「或日の少女」、「幼児表情」(右の画像)などを検索して見ていただければ感じられると思うが、「妖しい」のだ。この、抽象的な感覚を客観的に言語化して伝えることはおそらく不可能だと思う。各人が見て感じるほかない。しかしながら、幾つかその手法に特徴を見ることが出来る。人物像の顔は明らかにアジア人(日本人)であるから、一見すると「和」な印象が強いが、実は「裸形の少年像」や「幼児表情」は明らかにエジプト彫刻を参考にしており、それによって、姿勢の安定感を作品に取り入れている。「花園に遊ぶ天女」の左に振った首の出方は、ミケランジェロの作品を思い出させるものだ。これらのように、形式を取り入れつつ表面的な技巧に陥っていないのは、形状に対する作家の深い洞察が働いていたことの証である。橋本は、形式の奥にある構造を見つめていた。

実際、「猫」を制作するに至って、事前に猫の死体を解剖したという。それが、自身の探求心からか、誰かから指示されてかは分からないが、彫刻は表面のみを撫でていてはいけないという理解と姿勢がそこにあったのは確かであろう。
その「猫」は、エジプトの影響を受けつつも、揺るぎない構造と、”ロダン的”量感をともなっており、その上に伝統的な「和」の雰囲気が融合して非常に完成度が高い。

橋本の「隠れ代表作」とでも言える作品がある。「石に就て(ついて)」だ。石の木彫である。モチーフとなった石ころも一緒に残されているがネットでは見つけられなかった。石ころその物は大して大きくなく、木彫はそれを拡大したものとなっている。
なぜ、石ころを彫ったか。こう述べている。

「彫刻の芸術的価値は、その天然の模倣でないことは勿論であるが、それと全く撰を異にし而も天然自然の実在性を確保する性質のもの即ち同じ石にも石であり乍ら、石を解脱して石を超越した生命を持つ石、そんな石が不可思議な魅力でもつて、芸術的観念に働きかけてくる。さうした石が石のうちに存在する。石の石らしさを超越した石。(略)左様な石が稀にあるのだから妙である。その石の不可思議と同じ感興を、他の人物なり動物なり、或は人物の部分例へば指なり、顔貌なりにも是が有るわけで、通例自分は彫刻的神秘的等の言葉でもつて感受するのであるが、仙とか神とかも左様な形式から導入することもある様だ。」

彼は文中の「仙」についてこう説明している。

「仙とは動なり。動とは静の終りなり。即ち静中動なり」

生き物に感じる、生命感。それは、躍動から生み出される。同様の感覚を動かないはずの樹木や、生きていないはずの石や枯木などにも感じ取れることがあり、それを「仙」としたようである。これは、彫刻で言われるムーヴマン(動勢)に近い。
動かない彫刻に躍動感を与える為に、彫刻家はそれがどこから生み出されるのかを常に探求してきた。それを感受するための感覚を常に鋭敏に保っていた。橋本が、石ころに「生命」を見いだし得たのは、その姿勢で生きていたことの証明である。

ところで、彼はその「生命」を石そのものにあるとしたが、現在なら、「生命」を感じ取る「私の脳」と言われるだろう。感覚は同じでも、意味合いは時代で変わる。

「石に就て」はまた、原石に対して拡大されているところと、台の部分が大きく取られているところも興味深い。
石が持つ重さや密度に加えて「生命」をも表そうとすると、木材では同じ大きさでは釣り合わないかもしれないし、主題に対して大きな台も、石ころが「生命」を宿すにはそれは、大地になければならないことを感じさせる。想像で、この作品から台を取り除いてみると何とも心許なく弱々しい物になってしまう。

石ころや岩を愛でる文化は日本には古くから在り、様々な物に命が宿るという考えも特別なものではない。そういった文化土壌の上に西洋的な合理主義が入り込んできた、そういう時代だから生まれた作品であるように思う。

なお、原石には「南無阿弥陀仏」の墨書がされている。

2009年12月20日日曜日

フランチェスコ・メッシーナ


現代イタリア彫刻を代表する作家の一人に数えられる。日本では、恐らく60〜80年代あたりにマリーニやマンズー、グレコ、ファッツィーニらと共に紹介されたのではないかと思う。しかし、コンセプチュアル・アートの台頭と引き替えに具象は陰を潜め、輝かしい現代イタリア具象彫刻たちはいまや各地の美術館や街角でひっそりと佇むばかりである。

メッシーナの彫刻をふと検索してまとめて見た。私は箱根彫刻の森のイヴしか知らなかった。イヴは素晴らしい存在感を放っている作品で、幾分引き延ばされた腕や作りかけで終わらせている手の表現などから近代的な雰囲気も伝わってくるのだが、他の作品の多くはもっと軽やかなものが多く、モチーフ、題材、手法などが近代イタリア彫刻の流れに沿っていることが分かる。とは言え、時代のスタイルに流されすぎず古典を踏まえた造形を押さえている。若くして認められた作家というが、その造形力あればこそだったろう。

「少年の海」という作品は、これが古代ローマの作品だと言われても信じてしまいそうだ。パティーナの仕上げを見ると、それも意識してのことかもしれない。
どうあれ、素晴らしいの一言しか出ない。
この画像だと、胸のあたりが張り出しすぎているように見えるが、気にならないどころか、それが作品に現実味さえ与えている。闇雲に解剖学的に正確ならば良いということは芸術では言えないことの証明である。
しかし、同時にそれは全体が解剖学的にも破綻を来していなければ、という但し書き付きであることも忘れてはいけないだろう。人体彫刻の構造美は、人体の構造美とイコールである。

この作品が仮に、時を経て災いに遭い、断片と化してもなお彫刻としての強さを保つだろう。頭部だけでも良く、トルソーでも良く、脚だけ取っても良い。
素晴らしい彫刻は美という命を全体に宿している。切り離されても死なないのだ。失われたミロのヴィナスの両腕やサモトラケのニケの頭部を嘆くだろうか。ベルヴェデーレのトルソはあれで完成している。

この作品を日本で収蔵展示しているところは無いのだろうか。

なお、画像はhttp://www.thais.itからの無断借用。メッシーナ画像多数あり。

2009年10月14日水曜日

ヘンリー・ムーア 空気の彫刻

ヘンリー・ムーアは、言わずとしれた近代英国を代表する世界的な彫刻家だ。幸い日本では、箱根の彫刻の森に比較的まとまったコレクションが展示されている。マッチ・ハダムとはいかないが、それなりの空間を空けた屋外で、近くに寄れないのが残念だが、恵まれた展示と言える。

ムーアの作品の特徴のひとつとして、穴がある。作品の多くに貫通した穴や大きな窪みがあけられている。それらはリズムを持って流れ、全体として大きな溝となっていることもある。
これらは、無意識のうちに作ってしまったというような曖昧な造形ではなく、明確な美的意識において研究された結果のものだ。
彼は、作品に生かすことが出来るアイデアの多くを、自然物(裸の人間だけでなく)から得ていた。木、石、草、骨など、普通のひとなら目もくれないような”なじみの”物たちから、彫刻的要素の源泉をくみ取ろうとした。穴が彫刻に与える影響力というものも、それらから得たのかもしれない。
「石片を貫いて開かれた最初の穴は、ひとつの啓示である。
穴は一方の面と他方と交通させ、オブジェの三次元的な正確をただちに増大させる。」

彫刻は、実と虚のせめぎ合いから生まれる芸術だが、視覚が捉えるのは実だけであることから、言語化され明示された彫刻の指針では、「実」についてだけが語られることが多い。そして実際にも、今でさえ、マッス(量)ばかりを盛り込んで肥大したような彫刻が多く作られる。
光を知るには夜が、白を知るには黒が、そして生を知るには死が必要なのと同じように、実を知るには虚が必要である。

そのことを、ムーアは石ころに見た。または、洞窟に。
「穴はそれ自体として、フォルムに対して、充実した塊と同じくらいの意味をもつことができる。空気を彫刻することは可能である。そのとき石は、目標とされ、眼に差し出されるフォルムとしては、穴しか含まなくなる。」

さて、彼の作品には、明らかに骨をモチーフとした作品が幾つかある。
彫刻の実体がまとう、空気の塊という双子の片割れのような存在はそこでも見る(感じる)ことが出来る。骨は、その形態そのものが、以前は筋肉をまとっていたものであるという意味で、虚の実在化のようなものだ。実と同等に虚を見つめていたムーアならば、そこに美を見出したのは自然なことだったろう。

画像はThe Hyde Park Historical Societyから無断借用。