2015年12月29日火曜日

小さな男性トルソ像

 鋳造屋へ行くと、鋳造師が小さなブロンズのトルソ像を持ってくる。以前に私がそういうのが好きだと話していたのを覚えていたので出してきてくれたのだ。高さ12センチほどの小品で御影石の台にとりつけてある。この原作はミケランジェロだと聞いていると鋳造師。確かにその頃の人体描写にも見える。何度も型取りを繰り返してきたであろう、細部はまったく甘くなっている。ただそれだけに大きな構造が強調されて、かえって作品の芯の強さが立ち現れているように思う。凹凸の誇張された表現は、それが黒茶色のブロンズであることからも、ロダンを思い出させる。ロダンの作品だと言われても信じてしまうだろう。実際、ミケランジェロだとすると若干線が細いようにも思う。いずれにせよ、人体構造と造形力、表現力のどれをとっても素晴らしいものですっかり気に入ってしまい、結局、安価で譲って頂いた。鋳造に出している自分の作品よりこちらの方がよほど気に入った。

 鋳造師は面白い小話を教えてくれた。日本の近現代彫刻の有名な作家(物故)もこの作品を持っていて、ほとんどそのまま拡大しただけの作品があるという。あとでネットで調べると確かにほとんど拡大模刻の作品があった。ただ、この小品が持つ躍動感や造形のダイナミズムはすっかり失われていた。もしこれが、何かと「不正コピー」にうるさい現代であったら、同作の発表ははばかられただろう。

 この小作品は背中の表現が特に優れていて、通常正面とされる腹部よりそちらを見せたかったのではないかと思われるほどだ。肩の上部には肩甲骨がその筋肉を率いて、胸郭のうえに更に量塊を形成している。この造形を見たときにある別の作品を思い出していた。それはロダンで、彼の腕から型取った手が小さな女性のトルソを持っているという作品である。その女性トルソは、たしか別の作品の一部だが、軽く背中をまるめて両腕は背中側へ向けている。脚は膝上までが作られている。この作品の背中上部、胸郭と肩甲骨との造形が、今回の男性トルソのそれとよく似ている。また、胸郭と骨盤部とのつなげ方、つまり腰のくびれ表現までもが、両作品で似ているのである。人体というおなじモチーフ、そして彫刻造形への同様の理想を持った作家であれば、偶然似るということもあるだろう。ただ一方で、有名な作品が実はそれより以前に作られた別の作品の影響をつよく受けていたという例も多い。そういう見方で遡っていけば、結局は古代ギリシアという大河へ帰り着いてしまうのだけども、今回の男性トルソ像との類似性については、もっと具体的な一事例についての話である。もしかしたら、ロダンもこの小トルソ像のコピーを所有していて、そこから別の自作を作成したこともあるのではなかろうか。そんな空想が拡がる。
 そんな空想の確実性を高めるためにはこの小トルソ像の由来が重要になってくるわけだが、ネットでそれらしいキーワードで検索しても一向にヒットしない。いくつもの複製が作られているのだから、知られざるヒット作なのだけども。

 コピーかオリジナルかという議論が昨今の我が国では賑やかだが、そもそも、日本の西洋美術は明治初期にほとんど西洋表現の真似から始まっている。彫刻の近代化は、”大ロダン”の作品が高村光太郎や荻原碌山や白樺派によって「輸入」されてからと言えるだろう。その後は何人もの日本人彫刻家によって具象表現が表されてきたが、今見ると、言葉は悪いが「西洋作家の劣化コピー」にしか見えない物もあるのが事実である。ではそれらは否定されるべきものかと言うと、そうではないとも思う。明治から戦後の高度経済成長期まで、西洋の美術動向を我が目で見ることができた日本人がどれだけいただろうか。その時代の芸術家たちは、自分の表現を追求しながらも、彼らの作品を通して世界の美術動向を伝える役割も”結果的に”していたのだと思う。それは、あたかも西洋美術を「日本人向けに翻訳して」表現しているようなものだった。こういった流れは、なにも美術に限らず音楽や文学などどこでも見られることだろう。

 「オリジナルか否か」という問いそのものが、表現領域においてはナンセンスなものとして響くことがある。そんなことまでも改めて考えるきっかけにもなった、この小さなトルソ像。どこからやってきたのか今は分からないけれども、いつか知るときが来るだろうとも思う。

2015年12月6日日曜日

鋳造するということ

 1点の小作を鋳造に出している。蝋型鋳造である。蝋型はロスト・ワックスもしくは脱蝋とも言われるが、原型を一度蝋つまりワックスに置き換えて、型に埋め込み、そのワックスを熱で溶かして出来た隙間にブロンズを流し込む技法である。主にヨーロッパ、近世以降ではイタリアが有名ではないだろうか。ロダンのブロンズ彫刻もこの脱蝋である。
 私の作品は油土の原型を持ち込んで、型起こしからお願いした。型取りは好きなのだが、センスがないのか、余りうまく行かない。その上、最近は時間もないので、専門家に任せた。そして、先日はそこからできた蝋型の修正に鋳造所へ行った。油土だった作品が黒いワックスの像に置き換わっていた。複雑な部位は切断して別に型取りし、それを接着してある。型も見せて貰ったが、私が作るのと同じ方法だった。

 型取りというのは、物作りにおいての中間段階に位置しているので、完成品を目にする日常生活ではそれを意識することがない。しかし、現代においては身の回りには無数の型取り製品が溢れている。型取りという技法がなければ現代社会は全く成り立たないほどだ。その最たるものは樹脂製品だ。プラスチックの製品はほぼ全てが型取りによって成形されている。型に流し込んで成形するのは小さな物だけではない。いわゆる鉄筋コンクリートの建築物は型のなかにコンクリートを流し込んで作る。プラスチックもセメントもこれだけ大量に利用されるようになったのは前世紀からで、型と現代文明の発展は切っても切り離せない関係にありそうだ。
 工業製品の型と違い、いわゆる美術鋳造はいまでも一点一点が手作業で、鋳造家の経験に頼っている部分が多い。つまり、ほとんど数千年前と同じ行程がそこでは行われている。ただ、型取りにおいては、シリコーン樹脂がひろく使われるようになっている。シリコーンは固まるとゴムのようになるが、引っ張り強度が強いなど物性に優れている。シリコーンのお陰で型取りの際に引っ掛かりによる型や原型の破損を恐れなくても良くなった。たとえばロダンの石膏原型などを見ると石膏割型の継ぎ目の線が多くある。これはシリコーンのような弾性型がないので全てを硬い石膏型で作らなければならないので、必然的に型を細かく分割しなければならなかったからだ。ただ、その分割線もロダンは積極的に作品性に応用している。現代ではテラコッタの押し込みなどでは割型にせざるを得ないのだろうけど、いわゆる流し込みや塗り込みといった成型法ではシリコーン型が主流だろう。ちなみに、半世紀ほど前の技法書では弾性型の一例として寒天が出てくる。また現在でも海草由来のアルギン酸が例えば歯科で使われている。

 そうして、油土からワックスへ置き換わった作品に微調整をして、続く鋳造作業はふたたび鋳造家へ託される。このような、造形家と鋳造家の関係は美術の歴史でも長く続いていた。いわゆるブロンズ作家では、作家自身が鋳造家を兼ねる場合も少なからずあるが、そうでなければ鋳造家に頼むしかないのであって、そこには両者の連携が重要なものとなる。例えば、ロダンやムーアなどブロンズの大家になると鋳造所も常に同じ工房に発注されていたようだ。造形の過程、それも完成に至る段階で作家から他者へと作業が移行するというのは、芸術は作家ひとりで終始すると考えられがちな事実と違う部分である。
 原型からワックスを経てブロンズに変換される過程では様々な制限が存在する。例えば作品表面にはワックスになったときに爪の後が付くかもしれないし、型の冷却過程で歪みが生じるかもしれない。他にもブロンズを流し込むための湯道が付く部位は表面造形が失われるなど、どんなに注意したとしても原型とそっくりそのまま同じ物がブロンズに化けるわけではないのだ。とは言え、それが完成作の質を落とすことを意味してはいない。私たちは作品が”ブロンズになる”という点に大きな魅力の存在を感じている。鋳造過程のさまざまな制限はすべて”ブロンズ化”と相殺されるのである。それこそが、作品が作家の手を離れて完成へと向かう醍醐味なのだ。

 作家は鋳造家を”火で金属を操り、形を作る師”として尊敬している。作品は作家ではなく鋳造家の手を通して完成させられるのだ。

2015年12月5日土曜日

知の利用

 哲学書を開くと何らかの共感を得る。そこには、自分がふと思ったり、考え込んだりしたことが整理した形で現れていたりする。さらに、自分では降りることができなかった深みやより広い視点が同時に示されている。つまり、自発的に気付いたものの、ハッキリとはそれを認識できなかった事柄について、予め考えていてくれていたりするわけだ。そういうものに出会うと、人間誰でも考えることは大方同じなのだと再認識する。二千年以上前の異国の人物が現代人と同じような事に思考を巡らせていた事実から、どう考えるだろうか。主に先進国と呼ばれる国に住む人間のあり方は二千年で大きく違っている。その違いを生んでいる最たる理由は科学技術ではないだろうか。逆に言えば、科学技術とそれに立脚した技術的なものを除けば、実は文化的な面でも生活的な面でもそれほど変化はしていないようにも思える。それどころか、私たち自身の身体はたった二千年では、それこそ全く変化などしていない。よく、戦後で日本人の身長が高くなったとか、顎が小さくなったとか言われるけれども、それらは環境の変化に対応した振れ幅に過ぎなくて、言わば発現形の”あそび”の中での違いが見えているだけとも言えるだろう。私たちは、形在る存在である。意識や思考が生み出されるのもこの形からで、形が同じならばそこから出てくる意識思考も大方同じにならざるを得ない。そう考えると、二千年前の異国人と似た考えが浮かぶのもそう不思議なことではない。ただし、私たちの思考も、私たちを取り巻く環境から完全に自由ではあり得ないので、そこに歴史的哲学と現代の私たちの認識との間に違いが紛れ込む。各時代の読者たちは、その部分を自分の生きる「今」と照らし合わせて解釈してきた。その行為は今も、これからも続いていくのだろう。

 さて、上記までは、自分で気付いた人がその確認またはより昇華させるための手順として既存哲学を使用する場合だが、哲学との出会いが全てそうであるはずもない。むしろ、哲学の多くは、自分では未だ気付いていない、考えてもいない、そういう方向を指し示す。良くできた哲学はみな高度に論理的に組み上げられている。私たち読者は、それを辿っていけば著者の言わんとする頂上へとたどり着けるようになっている。そうすると、自分では気付いていなかったことが、あたかも、自分で気付いたかのように錯覚するのである。では、自分で気付いていないのに、他者から与えられた思考体系を得ることを否定できるだろうか。これを一概に否定することは勿論できない。他者の経験を共有することは私たち人類が成功している大きな要因のひとつであろう。もしそれができなかったなら、それは多くの人間以外の動物と変わりがない。この場合の問題は、哲学書にその著者の思考体系の「全てが記録されているのではない」という事実にある。文章や言語は確かに私たちの思考という形無きものを実体に刻みつけ、他者に伝導させるちからを持つが、それは未だに完全ではない。言語が伝えているのは、美術で言えば抽象に過ぎない。だから、私たちは哲学書の内容を、まずは理解しようと肯定的に取りかかる必要があるものの、それを鵜呑みにしているのではいけないのだろう。鵜呑みで満足しているということは、自分で思考していないことを意味する。自分で思考していないというのは、哲学書を利用していることにもならない。それは言わば、赤信号なら止まる、青信号なら進む、と機械的な反応をしているに過ぎないのである。蓄積された哲学を私たちはどう利用するべきか。それらが真に意味を成すのは、それらを利用し、その先へ進もうと指向するときではないだろうか。そこに求められるのは常に能動的な態度である。私たちは常に自ら思考し、そのあやふやな歩みを過去の哲学によって舗装することで、ここから先を目指さなければならない。その時こそ、哲学は人類に有用な「知の道具」となる。
 このことは、何も特別なことではない。過去を知り、それを批判し、再確認していくことで、停滞した蓄積ではなく発展を生み出しているのが科学技術である。これが知に応用できないはずがない。なぜその方法論が文化にはなじまないと決めつけてしまうのだろうか。勿論、構造の違う両者を同列には語れないだろうが、それでも、応用できる方法論は見つけられるのではないだろうか。

 私の関心事の最たるものである芸術の現在も、個人主義が浸透した結果、発展が滞っているように映る。私たち人類は、”人類レベルでの発展”の経験を僅かながらでも知っているはずなのだから、それを応用してみようと試みても良いのではないだろうか。
 ひとりひとりが、芸術の山を登るのに、それぞれの登山道を踏み固めて作ろうと試みている。それも悪くないが、道がないわけでもないのだ。既存の登山道を利用して、上がれるところまで上がってみても良いだろう。そういう道があることを知っている者は知らない者に示すこと、その有効性を示すことが、結果的に全体の底上げに繋がるのだと思う。

2015年11月9日月曜日

感覚の目的とその働き

 感覚器官によって外部もしくは内部からの刺激情報を取り込むことで、私たちは何らかの反応を引き起こしている。この働きの最も重要かつ根源的な「仕事」は何か。
 それは「分ける」ことであるように思う。
 特に、外部刺激においては、特殊感覚である視覚と聴覚系ではそれが顕著に感じられる。このことについて、もっと考えていきたい。

2015年11月8日日曜日

自覚される生の終わり

 死ねば全てが終わる。終わるというのは、生きている側からの感想で、死ねば「終わり」さえ無い。「死にたくない」というのは、本質的には本能の叫びだが、その理由をむりやり言葉すると、「大切な人と別れたくない」、「今までの努力を終わらせたくない」など、生きている現状や継続との断絶を嘆く。しかし、死ねばそれらを惜しむ感情さえ消えるのだと思えば、実は気に病むことでもないと言える。また、不慮の死や苦しみを伴う死であれば、その最後を哀れむ気持ちを残された側の人間は思うわけだが、死んだ側はそういった痛みも全て終わっている。そう考えるとまさに死こそは、生きている我々に必ず訪れる「完璧なる平等」であるように思えてくる。死を迎えた側にすれば、何歳まで生きたか、男だったか女だったか、良い人生だったか否かといった全てが意味を失うだけでなく、「生きた」という事実さえ消えるのだから。

 つらい人生を、苦しみを、痛みを抱えて耐えて生きる人々が多くいる。生きている間の苦しみは真実である。地獄はこの世にあるのだ。
 また同時に、この世界は喜びにも満ちている。期待し、この上ない幸せを感じるそれも真実だ。天国もまたこの世にある。
 結局、私たちにとっての全ては、私たちが生きている間だけの事だ。過去を知り、未来を想う。それも生きている間だけの事。遅かれ早かれ、生きている全ての者に死は平等に降りてくる。生きている側から見る”死に方”は平等に映らないだろう。しかしそれは客観的な”死に方”であって”死”ではない。死はあくまでも平等な無である。

 私たちは、無から生まれ、しばし生かされ、また無となる。結局、皆、死んで無に戻るのだから、産まれたことや生きる事に意味があるのだろうかと時に思う。しかし、生きている間は生きていることに意味がある。生きている間にする事は、生きている者にとって意味がある。だから生きている間に、どう死ぬのかを考えすぎることは本当はあまり意味がないのかもしれない。
 周りを見れば、自分の生きる環境や文化は、かつて「生きた」人々によって構築され積み上げられたもので成り立っている事に気付く。例えば、この言語もしかり。
 それと同様に、いま私たちが生きて活動することが次に生きる者のための何かになっていく。産まれ生きること自体が、この世界を作る基盤なのだ。死ねば私の全ては無となるが、生きた意味は何らかのかたちで世界に意味を与え、それは次へと伝播していくだろう。

2015年11月7日土曜日

自覚される生とされない生

 生の自覚。私たちは自分が生きていることに疑いを持たない。それは生きている私たちにとって自明な事として感じられる。しかし、生きていると実感するから生きている訳ではない。それを自覚しようがしまいが、関係なく私たちは生きている。例えば、新生児は自分が生きていると実感しているだろうか。生きているという実感や自覚は、現象としての生とは別のものであり、ずっと後に生まれた感覚なのだろう。人間以外の動物を見渡してみて、どうだろうか。昆虫は生を自覚しているだろうか。プランクトンはどうか。細菌は?
 自分が生きているという「生の自覚」は人類の進化の過程のどこかで生まれた。もしくは、気付いた。恐らく自意識の芽生えと時期を同じくするのではないだろうか。

 夜なき朝がないように、生には死が対となってつきまとう。私たちは気付いたときには生きていたのだから、人類の歴史を遡ってもまず始めに知っていたのは死であろう。獲物を食べるにはその動物を殺さなければならない。身近な者の死も頻繁に目にしていたはずだ。永久に動かなくなる現象、すなわち客観的な死を認識するとき、そうなっていない状態が生として見えてくる。死なないにしても、怪我や病で苦痛を味わうこともある。そして、それが原因で死ぬ者を見る。その経験は、苦痛と死とを結びつける。私たちは苦痛を恐れ、苦痛の先には死があるように思う。死に近づくほど苦痛も増すだろうと想像するのだ。繰り返すようだが、死は客観的に観察され認識された概念である。誰ひとりとして自分自身の死を体験することはない。私たちが主観的に体験するのは生だけなのだ。客観的な発見である死によって、主観的な自らの生の自覚に至ったのだ。

 しかし、この事だけで満足はできない。なぜなら、私たちは生を自覚する以前から生きていたのだから。苦痛は死に近いと知るずっと前からそれをしてきたのだから。私たちは死なないように気をつけてきたから絶滅しなかったわけではない。「死なないように気をつけてきた自分に気付いた」のに過ぎない。だから生は、少なくとも2つの段階に分けられるように思う。すなわち、自覚される生とされない生である。現代社会において語られる生は、当然ながら自覚される生が基準となっている。それは人間1人を単位として尊重され、それゆえ犯罪や戦争でもその有り様や質が常に問題視される。これら自覚される生はしかし、実体としては自覚されない生によって成されているのである。私たちは言わば、有無を言わせず生かされているのであって、これが自覚されない生、もしくは単に生命現象と呼べるものだ。
 私たちが気付いた生や死、それと関連付いている苦痛や恐怖は、この生命現象の段階で既に組み込まれているはずである。苦痛や恐怖の自覚は私たちを死の危険性から遠ざけることに役立っている。問題はそれらの自覚がいつ与えられたのか(気付いたのか)、である。小さな虫も身の危険から自らを守ろうとしているのは明白である。また敵が近づけば逃げるか攻撃に転ずる。彼らは死もしくは身体的な危機から逃れようとする。そのもがきあがく姿からは、彼らが痛みを感じているだろうと想像させる。なぜなら、私たち自身が耐え難い痛みを感じるとき、もがきあがくからだ。つまり、客観的な行動を自分の主観と結びつけて捉えているのである。では、次に上げる例ではどうか。置いてある小さな玉に、一回り大きな玉を転がしてぶつける状況を想像してほしい。小さな玉は大きな玉がぶつかると同時にそこから離れるように転がり去る。これは見ようによっては、小さな玉が一回り大きな玉の”攻撃”を受けてそこから逃げていくようにも映る。だからといって、小さな玉が危険から遠ざかろうと感じているとは思わないだろう。このことから、「そう見える」現象が、必ずしもその通りであるとは限らないと分かる。以上は極端な例えとは言え、つまりは、小さな虫がもがきあがいているからと言って私たちと同様の苦しみを”自覚している”とは限らないということだ。
 忌避行動がその自覚に基づいているわけではないという根拠は、自分の体でも見出される。例えば内臓疾患などはそこに炎症が起きていても実感されることがない。内臓を管理する自律神経系は通常私たちが意識できない領域である。自律神経領域の痛みを実感するのは、その炎症が広がって体性神経系にまで波及したときや、神経伝導路で体性神経系へ刺激が”漏れ出る”ことで気付かれたりするなど、二次的な行程を踏んでいるとされる。つまり、炎症が起こる当初は、私たちはその事に気付かない。気付かないにも関わらず、身体は異常を検知してそれを取り除こうとするのである。”意識的”な私たちは、自分の体についても意識的であると思いがちだが、事実はそうではなく、自分の身体状況の多くが意識に上ることなく処理されているのが事実なのだ。この、意識に上らずとも刺激に反応して私たちを”生かしている”神経系とそれに伴う器官系を総称して「植物的身体」と呼ぶことがある。それ以外の意識的な身体を「動物的身体」として、その対の概念である。なぜ植物か。実際の植物は私たちのような神経系統を持たず、ゆえに中枢も存在しない。光合成によって自らエネルギーを産生するので積極的に動く必要が無く、運動器系も当然持たない。繁殖による拡散は外部の自然環境にゆだねている。そう、植物は自らの運命を自分周囲の環境に完全に委ねている。委ねるのだから、積極的に対象を探る必要がないのだ。私たちの体の植物器官もまた、正にそのように存在している。例えば内臓たちがそうである。内臓は、取り込まれた食物からひたすらに栄養を取り込み、反対に不要物を選り分け排出している。臓器はそれだけで空間を移動することもできない。その意味合いにおいて、植物的な存在なのである。ただ、内臓は筋肉で出来ているので植物のように動かないのではなく、積極的な蠕動運動や拍動を繰り返している。何らかの刺激が加えられればそれに対して能動的な運動を見せることが植物とは違う。私たちが自覚せずとも自ずから生を全うしようと活動している様は、正に生命”現象”として映るものだ。つまり、自律神経系とそれに支配される器官は、私たち自身が持つ「意識されない生」を担っているのである。私たちが”生きよう”と努力せずとも日々生命を繋いでいるのは、この意識されない生によって継続されているからに他ならない。

 もう一つの意識される生には、植物的身体の対概念である動物的身体が含まれる。これは、意識的な私たちにとってずっと理解しやすい。自覚できるからだ。動物的身体の神経系を体性神経系という。いわゆる脳と脊髄がその中枢であって、私たちが”感じる”世界は全てこの体性神経系に属している。ただ、自覚されない生に植物的身体がフィットしたように、動物的身体が自覚される生に素直に収めて良いのかとなるとそう単純ではない。なぜなら、自覚は自意識と密接だからである。植物的と動物的な身体の獲得はそれこそ数億年遡ることが出来る古さを持つが、こと自意識の獲得となると、話はまた別なのだ。自意識とは何かについては、現代においても明確に定義も出来なければ、それが本当にあるのかどうかの客観的判断さえあやふやなのだから。ただ、ここでは、私たち自身が主観的に”感じている”自己身体感覚は自意識に基盤を持つことを前提にしている。では自意識をいつから私たちは獲得したのだろうか。これは芸術表現の出現と密接ではないかと想像している。原始芸術での身体表現の始まりはつまり、自身の身体を発見したことを示していると言える。見つかっている原始芸術の人体表現で最も古いものが4万年ほど前だという。つまり、その頃には自分の体を客観的に気付いていた。その頃の人類は既に苦痛への恐怖を知り、その果てに自らの死があると(私たち同様に)思っていたかも知れない。ただ重要なのは、それは生物学的には事実ではないことと、また、4万年よりずっと前から、つまり意識的になるよりずっと以前から、動物的身体は対外的危機からその肉体を救っていたという事実である。これをどう捉えればよいのだろうか。意識は身体よりずっと新しいのだ。意識が生まれる以前には痛みも死の恐怖を自覚することはなかったものの、危険回避行動は行われてきた。自覚される痛みが絶対的でないことは、鎮痛剤や麻酔薬の効果を思えば直ぐ分かるし、就寝時に布団で窒息死するということがないように、痛みの自覚と忌避行動とは常にペアである訳ではない。つまり、自覚される痛みと、それに対応するストレス反応とは本質は違うものだ。自覚は意識の芽生えと密接である。つまり、痛みの自覚や死の恐怖は”後付けされた”ものなのだ。つまり、自覚される生は自意識の発展に伴って発見された動物的身体のことである。

 人間社会で問題にされる生は、そのほとんどが自覚される生についてだが、上で記してきたように、実際の生はまず自覚されない生によって継続されている。それは生物学的な生、もしくは現象としての生とも呼べるようなもので、情緒の入り込む隙間がない。医療の現場で対処されるのはこの意識されない生の補修と維持だと言える。一方で、QOL(生命の質)が要求もされるが、それは自覚される生についての問題である。脳死や臓器移植などにおいて、生と死の捉え方の違いや線引きが問題となるが、結局これも自覚される生と自覚されない生との問題でもある。
 
 私たちは、「生きている実感」と言うように、自覚してこその生であると感じているが、それは自意識の発達に伴う後付けの感覚に過ぎないのかも知れない。そして、それを維持”させる”ために快楽が与えられ、痛みや不安もまた用意された。自覚される生において、快楽という導きと痛み不安という側方防御に守られて私たちは前へ進んでいる。

 生存への執着や死への恐れも、自覚される生がもたらしている。自覚される生は個人の外世界との対応において何より重要だが、それを獲得したもう一つの可能性として、社会性との関連がある。死という概念が客観的な観察からもたらされるように、その対としての生も観察され、それは自らの状態へと還元された。自覚とは自己客観性のことである。こうして、他人の生の状況が自らのそれと照らし合わされる。これは共感のことであり、それは社会性安定にとって重要な感覚である。生の自覚を伴う自意識の発達には人類の社会性構築という性格が深く関係しているように思われるのである。これを反対に捉えるなら、社会性がなければ自意識も自覚される生も必要性がない。自覚されない生、生物学的な生だけで十分だろう。このことから、恐らく、胎児は自分が生きているという自覚は持たないだろう。小さな虫も同様である。社会性昆虫も存在するが、彼らの社会性構築は人間のそれとは全く違うもので、むしろ、昆虫の社会性は細胞の分化や群体に近く、人間のように共感によって安定が図られているのではない。

 結局、自覚される生を含む自意識そのものが、人類の社会性構築と関連しているように思われてくる。つまり、他者との比較が自意識を発達させ、共感を生み、やがて社会構築へと進んでいったのではないか。「私」を成り立たせるにはまず「あなた」が必要なように。

2015年11月1日日曜日

ヒトゲノム31億文字の書

 でたらめなギリシャ文字などが延々と続いている高額な書籍の一群が国会図書館に納品されたというニュース。その要点は、規定に従って出版者に支払われた100万円を超える額を巡って、図書館が調査を始めたというもの。

 このニュースを見て、私自身のあるアイデアを思い出した。それは、ヒトゲノムの全塩基配列を印刷した書籍を作るというもの。
 ヒトゲノムはATGCの4文字の羅列が約31億文字続く。それだけの情報が私たちの体の全ての細胞内に収められている事実は驚きだが、その数と細胞のサイズから、実感としてピンと来ない。だから、それをシンプルに並べて印刷して、私たちにとっての情報元の身近な形である書籍に置き換えれば、実感できるのではないだろうかと考えたのだ。

 これはしかし、誰でも思いつくような内容なので、自分が作るまでもないだろうと、今回ググってみるとやはり引っ掛かった。しかも、その内の1つは日本の東大博物館のものだった。別のものはイギリスのウェルカム財団のコレクションのものらしく、それは1つの書棚に収められていて、一冊の大きさが百科事典ほどもあるものが実に100巻以上のボリュームになっている。タイトルは1から22までとXとY。何だかこの写真を見て、31億という数の大きさを実感できてしまったような気もするが、これだけの情報が体を構成する60兆とも言われる細胞の全てに収まっていることが相変わらず驚異の感覚を起こさせる。しかも、これは減数分裂したあとの1倍体、つまり生殖細胞におけるゲノム数だから、それ以外の2倍体である体細胞はこの倍数(ATGCがTACGのようになっている)ということになるのだ。

 塩基配列を文字化して体感させる試みはもっとも分かりやすい。けれども、他の表現でも構わないのだから、例えば、ATGCを4色に塗り分けて見せるのも良いだろうし、図形に分けても面白いだろう。音階もしかり。なにせ31億という膨大さがウリなので、塊となったときに何が現れるのかが興味を惹く。一文字づつ部品として作っても面白いかも知れないが、やはり31億という数は恐ろしく、例えば一文字が1グラム(1円玉の重さ)だとしても総計31億グラムで、つまり実に3100トン!これはジャンボジェットが7機ほどの重さに相当する。

 ヒトゲノムの中に、私たちの体の特徴を作り出す数々の遺伝情報が含まれている。それら”意味の分かっている文字列”を、何か別の形で表現し直しても面白そうだ。これらの文字列は特定のタンパク質を作っているわけだが、そのルールを例えば楽曲や料理などに適応してみたらどうなるのだろうか。などと想像する・・。

 ゲノムに限らず、身体を巡る数値はどれも日常のそれと大きく異なる(とても小さいor数が膨大など)ので、ピンと来ない。それらを日常的なものに置き換えると現実味を伴った驚きとして感じられるのではないか。そうして、存在の脅威を実感したいのだ。

2015年10月31日土曜日

中心でもあり辺境でもある

 遠出をした。知らない街にいると感覚が鋭敏になる。自分ひとりがよそ者のような気さえする。
 自分という窓から世界を見ることはつまり、自分を世界の中心と位置づけている。自分がそうであるように、他の人もそうやって世界を自分の窓から見ている。

 自分がどう見られているかを意識している人もいる。その人にとっての世界の中心は彼自身なのだ。しかし、彼が他者を他者としてしか見ないように、実は彼自身もまた他者にとっての他者でしかない。

 つまり、私たちは皆、世界の中心でもあり辺境でもある。

2015年10月5日月曜日

告知 「絵を描く人のための 美術解剖学入門」開講

「絵を描く人のための 美術解剖学入門」講座を開講します。

 新宿西口の朝日カルチャーセンターにて、10月17日、11月21日、12月19日の3回で構成されています。毎回ヌードモデルが入ります。講義の始めにその日の強調したい部位を解説し、その後はヌードのクロッキー実習となります。クロッキー中も、モデルの体の凹凸を構造的に解説します。

 内部構造を意識できるようになると、描写に説得力が出ます。「構造を意識する」ことが重要です。次が「構造を知る」ことです。この講座では「意識する」と「知る」をサポートし、それによって得られる見る力によって描写力を向上させることを目的としています。

 対象は初心者から経験者まで、つまりどなたでも。講座名は「絵を描く人のため」とありますが、立体造形家でもCG作家でも、全く始めての方でもOKです。

 当日は使い慣れたクロッキーブックとデッサン道具をお持ち下さい。ただし、イーゼルに固定する大きなものよりも、動き回りながら描ける大きさのクロッキーブックが良いでしょう。

 詳細は朝日カルチャーセンターのサイトをご覧下さい。

2015年8月12日水曜日

盗用疑惑からAI(人工知能)を思う

 一般人の純粋な眼が厳しい。最近は、様々な発表物に対する”盗用疑惑”の報道が多い。それらの多くがネット上での指摘に端を発する。始めの小さな指摘から次々と類似性のある「問題点」が掘り返され、”ターゲットの悪事”が決定的と言われるまでそれは続く。そう。あたかもそれは、初めから「盗人」と決められたゴールへ向けてひたすらに情報を集め邁進しているかのようだ。
 このターゲットに選ばれるのは、作曲家や漫画家やデザイナーなど、自身の作品のオリジナリティが作品性と関係してくる職種である。なかでも比較検証が容易である視覚伝達系、つまり図やイラストなど、が頻繁に取り上げられるようだ。
 最近、そして現在進行形が、東京オリンピックの公式エンブレムのデザインとそのデザイナーだ。デザインが発表されると直ぐに海外のデザイナーから私の盗用だと声が上がった。エンブレムのデザインは単純な幾何図形の組み合わせからできている。同じような美的センスを持つ人間がそれら単純な組み合わせからデザインを起こそうとすれば偶然に似た配置を選ぶことは考えられると私は思うのだが、許せない人たちもたくさんいる。彼らにとっては、とにかく決定的に”違っていなければダメ”なのだろう。そこから波及して、デザイナーの過去の仕事まで洗いざらいチェックされ(誰がしているのかは分からないが)、あれもこれも似ていたと、ネット上に張り出されている。端から見ていると、このデザイナーを陥れようとする”黒い意思”のようなものまで感じてしまうほどだ。
 こういった、盗用疑惑系ニュースの盛り上がりを見ると、どうしても原理主義的な極端さを感じてしまう。もはや、ほんの僅かでも「似ている気配」が漂っていればもうアウトになってしまうのだ。ここからは私の推測だが、クリエイション系の仕事人ほど同様の案件を問題視しないのではないかと思う。彼らは創造的な作品は全くのゼロから生み出されるのではないことを経験的に知っているからだ。「盗用とインスパイアやオマージュは違う」そういう声も聞こえるが、実際はどうなのだろう。少なくとも、美術史を振り返れば、今だったら「盗用だ」で片付けられてしまうような作品達で溢れかえっている。むしろ盗用の歴史でさえある。そっくり真似したかったが真似しきれず、その結果うまれた表現などもあるほどだ。そう言うと「美術とデザインは違う」という返しが聞こえるけれど、ここも”違って、かつ、同じ”なので踏み込まない。

 それにしても、こうした「一般人の意見」の総体が直接的なちからを持つのは、正にネット時代的であると感じる。かつてならば個人の意見が社会に対して圧を持つまでになるには、「集会」やら「会報誌」やらで意思疎通や意見統一を図らねばならず、それなりの段階が必ず必要だった。顔を合わせれば、そこにはやがて場を収める「長」が生まれ全体の意見の統一と増長を図るわけだが、ネット上ではそれがない。中枢がない。これはインターネットの仕組みそのものと似ている。これは、新しい時代の始まりなのだろうか。

 生物の神経系の発展史を見返せば、それは多細胞化に伴う細胞局所の働きの分化から始まるわけで、神経系の原始形においては、中枢は存在しない。中枢が存在しない状態の神経系の働きは実にシンプルで、受け取った刺激に対応した反応命令を”反射的に”効果器へ返すのみだ。やがて、両者の間に介在ニューロンが入り込み、それが他のニューロンと結びつくことで、単なる反射からバリエーションが生まれた。その繋がりを網の目のように広げていくことで、膨大な反応可能性を作り出すことが可能となった。つまり、ある刺激に対して、単なる反射ではなく、状況に応じた適切であろう反応を選択して返すための神経ネットワーク、すなわち中枢がこうしてできあがる。

 神経系の状態で見るならば、現在のネット上での「中枢なき意見の集合」は、単なる反射の集合意見に過ぎない。確かに、それらの意見が状況に対して益なのか不益なのかの考慮は無いに等しい。そうしてみると、現状は、確かに新しい時代ではあるが、同時にとても原始的でもある。

 最近、AI(人工知能)が現実的になりつつあり、それにともなって、AI化が進む近未来の危機についても予想的意見が出るようになった。いわく、いずれAIは人間の知能を越え、我々の制御の効かない驚異となるだろうと。AIは、入力に対する回答が完全に自律している点で、従来のプログラムと異なる。例えば、AIに「茶色でワンと言うのは何」と尋ねて「柴犬」と回答があったとして、どのような論理回路を経由して柴犬という回答に至ったのかは分からない。もしかしたら、「日に焼けた外国人」と答えるかも知れない。それは、誰か人間に同様の質問をしたときと同じことだ。その回答は、その質問の前後の状況が大きな影響を与える可能性がある。イヌの話をした後ならばきっと柴犬やラブラドールと答えるわけだ。つまり、AIとはネット上に現れる「中枢」である。中枢が情報を統合して判断することで、単なる反射から知能(Intelligence)となる。

 インターネットがこのまま進歩していけば、いずれAIが組み込まれるだろう。そうなると、私たちのネット上での発言は一度AIに集約され、その総体的意見は、返すべき理想と判断された形に変換される。それがネット上の総体意見として発言されるようになる。めでたく私たち個人はネット上における単一のニューロンとして存在するのである。
 そうなった近未来に、今起きているような「盗用問題」的な反射発言が出たとして、AIを介したネット上の知性はどのような意見を吐き出すのだろうか。彼はそれを「価値のない盗用」と断罪するのだろうか。それが、知りたい。

 AIは人間が作るが、その働きは人間に依らない。人間に依るのでは、AIの意味がそもそもない。AIを求め、それを恐れるのは、だから当然であり矛盾もしている。AIが理想的な完成を迎えるなら、それは人類の制御を越えるのは自明である。完成したAIはもう一つの「知性」と言うよりむしろ、もう一つの「自然」であろう。

2015年8月11日火曜日

人体と人体彫刻

 私たち人類は、3万年前には自分のかたちを造形していました。それら小さな彫刻の造形表現が現在と比べて劣っているということはありません。28000年前に作られた『ヴィレンドルフのヴィーナス』像が見せる、冷静な観察に基づく大胆な変形と形態的な調和には感嘆させられます(図1)。
『ヴィレンドルフのヴィーナス』 
旧石器時代の11センチほどの石像


人体彫刻の起源は人類史的に遡ることができるものですが、現在の日本で彫刻と私たちが呼ぶときに心象に浮かぶもの、例えばブロンズ像や大理石像などの直接的起源は、2500年ほど前の古代ギリシア文明と言って良いでしょう。この西洋彫刻とも呼ばれる領域が日本に本格的に輸入されたのは文明開化後ですから、日本人にとっては”西洋彫刻を作り始めて100年ちょっと”ということになります。
 しかしここでは、文化史的な側面というよりも、人体彫刻とそのモチーフである人体との関係性に注目したいと思います。そこでは彫刻の最大の特徴である「実在」がキーワードとなるでしょう。なぜなら、私たちもまた人体として実在しているからです。彫刻と人体はこのことにおいて相互に関連しているのです。彫刻は物質の形態を操作することで非言語的に語らせようとします。人体は物質が複雑精緻に組まれた形態によって生命現象が生み出されています。どちらも実在する形態のありようが、その存在の意味を支えていることに変わりがありません。一方で、両者の由来は違います。すなわち彫刻は人類によって生み出されたものですが、人体は自然が生み出したものです。
 私たちは皆生まれたときから“人体を所有”していますが、人体のことを初めから知っているわけではありません。人体すなわち「私」とは何か。それを形態から探求する学問が人体解剖学です。解剖学は隠された内側から直接観察することで人体の認識を深めようとします。人体の内景は有史以来、長い時間をかけて少しずつ発見され、その探求は現在も続いています。こうしてみると彫刻も人体も、私たちの意識によって発見される形態という意味で同様です。このような類似性は、解剖学的な形態や構造に彫刻的な美しさを見いだせることからも分かるでしょう。
 多くの点で人体と似た”実在的な運命”を持つ人体彫刻を、解剖学的な視点も加えて眺めていきましょう。

実在のリアル

彫刻には、実在しているという事実によって生まれる特有の特徴があります。そのひとつが形状と素材の連関です。これは、彫刻の形状はその素材の特性の影響を受けると言うことです。彫刻の素材として良く用いられるものは石、粘土、木材、金属、樹脂などで、それぞれ特徴的な特性があります。たとえば、石材は硬く丈夫で屋外にも置けるが欠けやすく、木材は切削が容易で細かな表現ができるが強度はそれほどでもない、などです。大理石の彫刻は細くて長い造形は向かず、人体像の姿勢もそうならないように工夫されています。一方、素材に粘りがあるブロンズ像ではよりダイナミックな姿勢が可能になります。このように、彫刻は物理作用の影響下にあるために、その形や姿勢もそれに従う範囲でなりたっているのです。
 また彫刻が実在するということは、作品の題材(テーマ)が実在するということでもあります。鑑賞者はその作品の題材と物理空間を共有していることになります。この作品がミケランジェロ作の『ピエタ』であったとするなら、その物語の当事者であるキリストとマリアがあなたと同じ時空にあるわけです。この劇場的効果が彫刻に特有の強さを与えていることは確かでしょう。一方で絵画は、一枚の絵の中に限りなく自由な世界を繰り広げることができますが、それらは私たちの物理的空間とは隔絶されています。作品題材の存在では、”絵画はバーチャルの、彫刻はリアルの芸術”ということになります。
 作品を前にした鑑賞者は、作品がそこにあることを当然の事として捉え、その作品が持つテーマを感じ読み取ろうとするものです。先に例に挙げた『ピエタ』であれば、マリアやキリストの外見やそれに伴った物語という文脈です。しかしながら、彫刻の鑑賞においては文脈の鑑賞にくわえて、それが”実在する”という彫刻と私たちが共有する事象にも目を向けることで、彫刻特有の芸術的性質が見えてくるのです。素材と空間の制約の中で屹立する彫刻には、どこか私たちと似たものを感じます。

心も形から

心を私たちは知っています。「心と体」や「心身」といった言葉があるように、形のない心に対して物質の肉体と同程度か時にはそれ以上の存在感を感じもします。私たちは具体的な形を持たない心や意識を”意識”することができるのです。怪我をしたり病気になったりしてやがては消滅する肉体という物質的な存在と心は対極的な存在として捉えられるのです。
 医学に依れば、私たちに魂の存在を信じさせる意識は脳から生まれます。脳は神経細胞の集まり、つまり物質です。また感情や愛情といった情緒は、ホルモンなどの作用で変化することも分かっています。ホルモンとは体内に流れるごく小さなタンパク質などの物質です(図3)。
このことはつまり、心や感情といった形がない概念的なものが、物の形から生みだされていることを示しています。感情を生み出す形。それはまるで彫刻ではありませんか。彫刻が持つ形状は、鑑賞する私たちの心を動かします。それは私たちの考え方や行動さえ変える力を時に持ちます。彫刻という物質の形状と形なき心との関係性は、体内における意識や感情の立ち上がり機序と思いのほか似通っているのです。

彫刻特有の感覚

彫刻は立体物として量を持ちますが、見ることができるのはその表面だけです。表面の色彩だけを見ているのであれば絵画と変わりないのでしょうか。それでは描かれた彫刻と実物の彫刻は同じということになってしまいます。これには違和感を感じますが、実際のところ具象絵画はこの思想ゆえに成り立っているわけです。しかし描かれた彫刻を観ることが、実物の彫刻鑑賞の代わりにはならないこともまた明白です。描かれた彫刻では決定的に何かが物足りません。実在する彫刻を鑑賞するときだけに働いている感覚、それは立体感です。
 この世界は立体的にできていますが、それを立体的に見るには2つの目でひとつの対象物を捉える必要があります。2つの目で捉えられたそれぞれの映像を重ねるとズレが生じますが、脳はこのズレを元に距離感を得ます。この距離感が特定の対象物に向けられるとき立体感として感じられるのです。人間の両目は並んで前を向いているので立体視が可能なのです。視点が移動すると、このズレが連続的に起こるので立体情報をより多く捕らえられます。彫刻作品の前で鑑賞者が左右にゆらゆら動いているのは、そうやって立体感を味わっているのです。彫刻は私たちの両目が並んでいたから生まれたと芸術とも言えます。世界を立体で見ることの喜びがそこには内在されているのです。
 彫刻を写真に写してもこの立体感は残せません。平面化された時点で立体感は打ち消されてしまいます。ですから、彫刻が持つ立体感や量感を楽しむには、実物の前に立って鑑賞する意外にないのです。鑑賞者がその作品の前まで赴かなければならないという意味において、彫刻はライブショー的な側面も持っています。

彫刻の内側

ブロンズ像を間近に見ると、その表面に作者の指跡やヘラ跡が生々しく残っていることがあるので、これらは直接作られた中身の詰まった物だと漠然と思われていることがしばしばあります。しかし実際はそうではなく空洞です。ブロンズ像は始め粘土や蝋などで作られます。その粘土像から型を起こし複雑な工程を経て、最終的にブロンズつまり銅の合金へとすっかり置き換えられているのです。具体的には、型の中へ溶けた熱い金属を流し込みます。金属は冷えて固まる時に縮むので、金属の量が多いと歪みや割れが起こります。そうならないようにブロンズ像は空洞にされます。そもそもなぜブロンズに置き換えるのかと言えば、長期保存のためです。粘土で作られた彫刻はそのままでは壊れやすいので、長く保存できるようにブロンズなど別の丈夫な素材へと置き換えられるのです。置き換える素材は、金属の他にも石膏や樹脂など様々です。別の粘土で置き換える技法もあります。置き換えた粘土は焼くことで丈夫にします。このように、型を起こして置き換えられることで彫刻作品のほとんどが中空となるわけです。
 この「充実しているように見えるが実は空洞」という事実は、彫刻作品の質つまり像の表面造形とは関係のない舞台裏として取り上げられませんでした。これは、作品性は外表面だけに表れるということを意味してもいます。
 しかしながら、作品の存在に多くの芸術的な意味合いを語らせようとする現代の彫刻においては、作品の表面だけでなく、素材やその内側への意識もまた作品の一部として無視のできない要素となりうるのです。例えば、古代ギリシアのブロンズ像で象眼された目が外れて穴が開いているものがあります。それを以前なら欠損の穴と見ましたが、今では黒い影を落とす目の穴にも造形的な意味を与えよう、もしくは読み取ろうとするのです。この時、作品に開けられた穴は作品の表面と内側とを繋げる窓となって、内側はそれまでの舞台裏から作品の重要な要素として再認識されることになります。穴はそこから続く内奥を予感させ、それまで意味が与えられていなかった内側に意識の光が届けられることになるのです。さらに作品の表面は、それまでの充実した量の外面という意味合いから、内と外を隔てる境界へと意味合いが変わります。この時、境界を「膜」とするなら、ここに膜を隔てた内側の概念が彫刻に加えられたことになります。
 彫刻に開けられた穴と同様に、私たちの顔にも幾つか穴が開いています。穴と一目で分かりやすいのは鼻、耳、口です。目の瞳孔は光を通す穴で、眼球そのものも眼窩と呼ばれる穴にはまり込んでいます。顔に開いたこれらの穴もまた体の内と外とを繋げる窓です。目、鼻、耳から情報を取り入れ、鼻と口からは物質の取り込みと排出(食事、呼吸)をします。さらに目と口はコミュニケーションの道具としても重要です。口は言葉を話し、目は口ほどに物を言うのですから。

内側の外側

彫刻に穴が開くことでその内側が作品の要素として加わりましたが、この内側についてもう少し見てみましょう。人体はその中心部に限って内側に腔所があり、頭部は頭蓋腔、胸部は胸腔、腹部は腹腔といいます。これらの腔所に脳や胸腹部の内臓が納められているのです。この頭、胸、腹部を一括りに体幹と呼び、生きるために必須の器官はここにまとめられています。なぜ体幹にまとまっているのかは進化を遡ると分かります。私たち人類は4億年も遡れば魚でした。その頃の体の主要部分は体幹だけで、腕や脚は薄いヒレに過ぎません。体幹の主要な構成をごく単純に言うなら、全体を貫く腸管と運動のための筋肉からなります。
 日本の古い人体彫刻の埴輪を見ると、まず立派な体幹が像の全体観を作っており、対して腕や脚は単純化や省略がなされています。ここでは体幹部がまさに「体の幹」として表現されています。また、しばしば目や口に穴が開けられています。それらの穴は人間の顔に開いている穴すなわち目・鼻・口・耳と結びつき、その内側へと見る者の意識を誘います。私たちの目は脳へ続く意識の窓、口は腸管へ続く物質の窓です。口から始まって体幹を貫き肛門で終わる腸管は、さながら山に開けられたトンネルです。トンネル内と外は一繋がりであるのと同様に、腸管内は体の外と一繋がりです。つまり腸管内腔は体内のようで実は体外空間に他ならないのです。
 先に、彫刻に穴が開くことで表面の膜性が明らかになり、その膜によって内と外とが規定されましたが、ここで新たに口と肛門を繋ぐ腸管によって「内側の外」が加えられました。彫刻に穴が開けられたとき、その内側の空間を外と認識することで表面が拡張され、作品を取り囲む空間性も一気に広がりを見せるのです。穴による「内側の外」を作品に意識的に取り込んだのがヘンリー・ムーアです。ムーアの作品を特徴付ける穴。この穴を通して「内側の外」が提示され、さらに外と内の間にある量塊によって表裏一体だった「膜」は量塊を包み込む面となるのです。それはさながら、細胞膜から皮膚へと膜の存在意義が拡張されたかのようです。ムーアの作品は、それが一見では人体彫刻に見えなくとも、その存在思想が人体と似ていることに気付かされるのです。

胸像は魚の頭

人体彫刻には全身像だけでなく部位で切った表現もあります。胴体だけのものをトルソーと呼びます。その他でよく作られる部位はなんと言っても頭部です。それはもちろん、作られるその人の顔が作りたいからです。顔は個性の象徴ですから、全身を表さずとも顔だけでその人の全てを表すこともできるのです。特に印象を似せた顔の像を肖像と言います。しかし、実際の肖像では頭部だけが作られることはまれで、普通はその下に首がつき、更にその下の胸までがあります。この部位で切られた像は胸像とも呼ばれます。胸像の切断位置で多いのは胸の上部までを入れたものです。
 さて、首や胸など体の部位名が出てきましたが、その明確は境界はあるのでしょうか? これは外見で目立つ形の違いや、動いたときの変化の度合いなどから経験的にその部位の境界が決められているのでしょう。共通の認識を持つ必要のある医療分野では、体の部位分けと名称を決めています(図4)。
体表区分図
頭をひとつの塊として見ることは簡単です。頭には、目・鼻・口・耳という特殊感覚器が勢揃いしています。これらの特殊センサー付きの頭を身軽に動かせるのは首があるからです。後ろから不穏な物音が聞こえたら、頭だけ振り向けばいいのです。もし首がなければそのつど重たい全身を向けなければなりません。これが水中ならば話しは別です。水に浮かぶ魚に体重はありませんから、後ろを向くには尾びれを鞭打って全身の向きを変えてしまえば良いのです。ですから首のある魚はいません。首は私たちの遠い祖先が水から陸に上がってから頭と胸の間がくびれてできた、言わば新しい部位なのです。人体の外見では頭部と胸部は細い首で明確に部位分けできますが、その内側は外見ほど明確ではありません。例えば、首から肩にかけて目立つ胸鎖乳突筋と僧帽筋は、実は首の筋と言うより腕の筋とも言えるもので、本当の意味での首の筋はこれらの筋より深いところにあります。更に興味深いのは、首から胸にかけての血管です。胸の血管と言えば大事な心臓を思い出されるでしょう。ちょうど左右の胸の間にある心臓はその頭側へ大きな動脈を出します。それは直ぐに背中側へとカーブして腹の方へと向かっていきます。このカーブを大動脈弓といいますが、これはかつて魚だった時代のエラに通っていた血管でした(図5)。
鰓弓動脈概念図 
第3鰓弓の部位が首に、4番目の鰓弓動脈が大動脈弓となる

つまり、私たちの胸の高さほどまでがかつてのエラがあった部位なのです。魚の「頭を落とす」ときはエラより尾っぽ側を切りますが、これがちょうど胸像の境界とあいます。胸像は偶然にも魚時代の頭の領域までを選んでいるのです。

運動器と臓器

人体のかたちをごく単純に描くと、漢字の「大」のような棒人間になります。この横棒と斜め棒が腕と脚を表していることから分かるように、腕と脚は人のかたちのイメージの重要な要素です。大きく太い腕と脚は、上述したように、そもそもは魚の体位を安定させるヒレでした。およそ3億5千万年前に魚類が陸に上がることで運動の主役は体幹からヒレへと移行します。それ以降、ヒレは筋骨たくましい四肢となって体幹を支え、運搬する重要な役割を担うようになったのです。人類では体幹の運搬という役務から解放された腕が、器用な指先を活かして多彩な仕事をこなすようになりました。今では身振り手振りで自らの感情を伝えることさえできます。一方の脚は体の運搬に終始してきました。腕と比べてずっと太い脚は、その仕事の一途さを誇っているようにも見えます。
 ところで、この運動器と先に見た腸管とでは、そこに分布する神経の種類が違います。運動器への神経は、感覚と意識的に動かせる体を制御する「体性神経系」が分布します。脳はこの中枢です。つまり自意識や運動は全てここに属します。一方の腸管への神経は、意識が関与することなく自律的に活動を続けているので「自律神経系」と呼ばれます。腸管つまり内臓は意識がアクセスできない言わばブラックボックスですが、それは意識的行動の根源を成しています。私たちは体幹の内側にある無意識の自己(つまり内臓)から湧き起こる要求を、あたかも自意識(つまり脳)で決めたかのように思い込まされているだけなのかもしれません。
 「自分でもどうしようもない自分」は誰もが実感するものです。それらは実感してもなお制御できるものではありません。喜びや悲しみといった感情はどこか深いところから湧き起こってきます。この制御不能な自己とそれを認識する自己との対話が、近代以降の芸術表現のモチベーションの大きな部分を占めているのです。

 彫刻家も鑑賞者も、人体彫刻を通して人間という無数のスペクトルを放つ存在をそこに見ます。それは私たち自身の姿でもあります。自己存在とは何かという答えのない疑問を私たちは持ち続けます。3万年前の人間に小像を彫らせた欲求の根源には、初めて気付いた自己存在を確認する意味があったのではないでしょうか。人が人のかたちを作る。これは自分の存在という驚異に向けられた、ほとんど本能的とも言える営為です。私たちが人である限り人体彫刻という自己確認は続いていくのでしょう。

魔女狩りと科学

 最近はネットニュースに、閲覧者が感想文を寄せてそれが表示されるようになっている。様々な人がニュースに対しての感想や意見を気軽に投稿している。それらを閲覧すると、ネガティブな意見や独断的な意見が圧倒的に多い。匿名であることが、普段は言えないような心の暗い部分を吐き出させる場となっているのだろう。
 先日、国際欄で『インドで魔女狩りとして5人が殺害された』というニュースが載った。それに対する意見は想像通り「時代錯誤」を指摘するものばかりで、そこからインドという国のプリミティヴさを嘲笑するような方向に向かっていた。つまり、「科学が進んだ現代において、未だに魔女や呪術といった非科学的な宗教とそれに通じる過激な行為がまかり通っていることなど信じられない。何という未開拓な人々なのか」と言っている。もちろん、5人が殺害されたという事に対する否定的な感情がこれらの意見と結びついていることはあるにせよ、ここには、科学の優越性がにじみ出ている。
 
 今回のニュースではなくても、人類の歴史を少し振り返れば世界中で宗教や呪術の名の下に生け贄や魔女狩りなど様々な理由で人が殺されてきている。人が殺されないにしても、現代の私たちが見ると、非科学的で根拠のないような理由で、宗教的、呪術的行為がごく普通に行われてきた。人類の発展史と科学史を比べれば分かるように、現実には人類のほとんどの時代は呪術と共にあった。例えば、天気予報が「雨乞い」の呪術から、人工衛星とレーダーによる科学に”鞍替え”したのは前世紀になってからのことだ。

 インターネットやパソコンを使いこなしている私たちは本当に呪術など過去の物として捨て去り、科学的事実だけを信じているだろうか。決してそうではなく、むしろ、実は全く変わってなどいないということを、2011年の大地震の後に実感した。地震直後は大きな余震が続き、テレビでも津波被害や放射線洩れ被害のニュースが続いて、人々は常に不安の中にいた。あの地震は、それまで多くの人が漠然と信じていた科学の力やそれを使いこなす人間の自然に対する力が、あまりに無力であることを思い知らせた。「想定外」という言葉が連日使われた。そこでの”想定”とは、人類の科学的能力をそのまま指している。科学力は自然の針がほんの少し規定を越えると、それだけでほとんど無力と化すことが”痛いほど”明らかとなった。科学が無力だと感じ取った人々がどうしたか。呪術、宗教、超能力といった非科学的な領域に助けを求めたのである。あの頃、ネット上で次の地震がどこで起こるかを予知するという超能力者のサイトが数多く立った。内容はと言えば「予知夢を見た。何日にどこそこが揺れる。」という、ほとんど誰でも言えるような無根拠なものだが、レス欄には助けやアドバイスを請う人たちが群がっていた。それ以外にも、多くの非科学的情報に多くの人々が右往左往したことを覚えている。

 私たちは、自分の考えを越える、何か大きな拠り所となるものをいつも求めている。きっとこれは集団で社会を築くという生き方を選んだ人類に特徴的な性質なのだろう。それが指導者や王やシャーマンや宗教や政治を生み、ムラや国家といった全体をまとめることに役立ってきたのだ。もちろんそれは、個に対して集団を築くメリットを体感してきたからであろう。集団がまとめてかかっても、決して統治できない対象が大自然であって、それに対する拠り所として呪術的な行為が人類史の永きに渡って担っていたのだ。科学がその一部を横取りしたのはこの100年ほどに過ぎない。だから、その科学が無能と知れれば、私たちは直ぐに長年信じてきた「超自然的な能力」に逆戻りする。「科学がダメだから、何も信じられない」とはならないのである。

 魔女狩りのニュースを見て、非科学的だと断罪する人たち。その強い口調は、自分たち人類が永きに渡って信じてきた間違いに対する嫌悪さえ感じさせる。けれども、魔女狩りをする人たちの心理傾向は、間違いなく今の私たちの内にもあるはずだ。もし、私たちが信じる科学の非力さが再び知らしめられるならば、いつでも呪術的世界に戻る心の準備は整っているのだ。

2015年8月10日月曜日

芸術作品と100円のコップ

 知人作家の立体作品が、あるモニュメントの構成部分として二次利用された。作家には一切連絡されていなかった。事前にも事後にも。ではなぜ、そのことが分かったかというとそのモニュメント完成が一般記事としてメディアに出たからだ。
 その作品は、何年も前にある著名人によって購入され自宅に設置された。その作品が今回のモニュメントの構成部分として再利用されたのだ。モニュメントの企画者は作品を購入した著名人である。著名人からすれば、自分が購入した物だからそれをどう使おうと本人の自由と言うことなのだろう。それは、私たちが日常購入している物品の使い方となんら変わりが無く、当然のこととも思える。100円ショップで買ったコップに金魚を入れて飼っても文句はない。
 ただ、芸術作品もコップと同じなのだろうか。確かに、日常道具でなくても、二次的に別の使用目的に転化されることも確かにある。特に古い道具やそれこそ芸術作品も時代を経て本来とは別の目的として鑑賞されたり使用されることはそれほど特別なことではない。だが、それは”時代や場所が制作時期から大きく離れたために本来の目的が曖昧になった”からである。

 今回の件で、私が気になった点を始めにまとめると、作品購入時の意図からの変更と作品の独立性についての2点である。それらをこれから見ていきたい。

 まず始めに、作品購入時の意図からの変更とはすなわち、その作品が作家から購入されるときの両者の間に共通していたであろう作品の作品性への共通理解が基本としてあって、それが今回、購入者側によって一方的に変更させられたという事を指す。そもそも、問題となる作品は、作家が既に制作済みであり、そこには作家の作品に対する意思があった。簡単に言えば、作家の持つ「作品のイメージ」があってそれを具現化したものがその作品である。そのイメージが完全に作品によって伝達されるはずもないが、作家と購入者との意思交流の間にある程度のイメージは伝わっていたはずだろう。そうした意思交流のもとに作品の購入が進み、作品は購入者の自宅に設置されたのである。ところが今回、その作品がモニュメントの一部分として再利用された。それは作家がかつてその作品を制作したときには全く意図していなかったコンセプトである。もしも、今回のモニュメントのために制作が発注されていたなら、作家は全く違った形の作品を制作していただろうと想像できる。ここには、作家の意思が全く考慮されておらず、言わば無視されているのである。作家が生きているにも関わらず。こういう事が出来てしまう購入者の行為を「失礼だ」と言うのも簡単だが、なぜそのような行為が出来てしまったのかも考えなければならない。そこで、作品の独立性がキーワードとして見えてくる。

 この作品の独立性をめぐる諸問題は、作家・作品・購入者の問題として永遠のものかもしれない。そして、このような問題が起こる物こそが、芸術作品が日用品とは違う物という証しでもあろう。ともあれ、先にも書いたように、今回の件では、作品が作家の制作意図を全く離れて二次利用された。それは別の見方をするなら、その作品には既に作家(とその作成意図)は不要とされている。つまり、作品が作家から完全に”独立”しているのである。作家が親で作品がその子供であるなら、その子供はすでに”大人”として見なされている訳だ。大人が何をしようとその親の監督は受けないのである。まあ、そう考えれば多少納得するような気分にもなるかもしれないが、実際のところ、作品に自意識があるわけもなく、作品がどのように扱われるかは、作品を巡る人間に常に依存しているのは当然のことで、つまり作家と購入者との2者の関係こそが実は重要なのである。つまり、今回のように作家が健在であるなら、作品が独立しているなどということは言い訳のようなもので、つまりは作家がないがしろにされているという事に過ぎないのである。親子に例えるなら、作品という”子供”は決して親離れせず、その子供をどうするのかについては親つまり作家の意見を聞かなければならないのだ。

 今回の件について作家である私の知人はこれと言って声を上げていない。だから、周囲が事を荒げる事もないのだが、固有の事例として見るのではなく、同様の問題はこれまでもそしてこれからも大小様々な段階で起こることだろうと考えると、見過ごして良いものだろうかと疑問が残る。
 ある時、別の知人作家が、一般鑑賞者の「作品に対峙する作法の不在」を話していた。つまり、簡単に言えば作品へのリスペクトがそもそも足りないのではないかという話だ。一般鑑賞者にとって、芸術作品も100円ショップの日用品も同様なのだろうか。

 「芸術」や「作品」という単語が指し示す範疇は雲の境界線を探すようなもので、近づけば曖昧となって分からないものだ。しかし、そのように曖昧な物事に線を引くのは、本来私たち人間の得意とする行為なのである。今回の作品購入者は世間一般では「知識人」と言われる類の著名人で、なおさらそういった無形の事象を認識するのは得意とするはずだ。そのような人が、本当に「芸術作品もコップも同じ」と思っているだろうか。彼は、「芸術作品もコップも同じ」とさえ言える側面性を逆手にとって、結局は様々な権利の話しが浮上してくることを面倒くさがったのに過ぎないのではないだろうか。まあ、その辺りは推測の域を出ない。ただ現実として見えているのはあくまで作品の作品性と作家存在を無視した行為で、そこから分かることは、彼にとって所詮芸術作品は100円ショップのコップと同じであったという寂しい事実である。

2015年7月27日月曜日

相談は誰にすべきか

 若者とその指導者らしい男性の会話が耳に入る。どうやらその若者の同級生もしくはチーム・パートナーのひとりが彼の事を嫌っているらしく、その相談をしている。指導者の男性もその事実を把握している様子で、アドバイスをしているようだが、その内容が少々気になった。要約すれば、パートナーは若者を一方的に嫌っていて実質的な被害も被っていると訴えているらしい。いっぽうで若者はそのような事実は一切なく、むしろ事ある毎に、そう言われることが迷惑だと言う。ここまでは、まあ相談としてはあるだろう。気になるのはそれに対する指導者男性の対応で、まず彼は明らかに相談に来ている若者の側に立って話を進めていた。例えば「分かるよ。俺も彼はおかしいと思う。」といった感じで、延々と若者の肩を持つような論調。その上で、「もう少し、うまく立ち回ってみてくれ」と話を閉めていた。若者は、話を聞いてもらえただけでも気が多少は晴れたのだろう、そうして2人はどこかへ立ち去った。
 これは、若者の相談に対しての解答、アドバイスになっていたのだろうか。私には、この指導者が話をうまくはぐらかしただけに聞こえた。自分は問題に関わりたくないという意思が明確に見えた。

 自分より年上や目上の人間が、必ずしも人間的に優れているわけではない。ある領域において才能を発揮していたとしてもそれが人間性の高さとは結びついているわけでもない。しかし、結局のところ、ある現場で人間関係などの問題が生じれば、ごく身近な人間にアドバイスを求めようとするのが普通なのだ。しかし、近しい人間ほど公正なアドバイスはもらえないと思った方が良い。もちろん、自分に味方して欲しい場合は別だが。
 会社や学校など判断の公正さが求められる現場には、アドバイスの専門家を置くべきだろう。きっとそういう事例は増えてきているとは思うが、まだまだ足りていないと思う。昨今の学校におけるいじめ問題では、それが事件にまで発展すれば必ず担任や校長が責任を問われる。確かに今までは、担任が生徒のアドバイザーとしての役割も担っていたわけだが、現代ではその機能は果たされていないのではないだろうか。いじめ事件の原因を一概に担任教師の怠慢だとは言えないだろう。学生と学校をめぐる事象の時代的な変化もあって、現場もかつてのように悠長ではないのではないだろうか。学校には今や、中立的立場のアドバイザー、カウンセラーを一層充実させる必要があるだろう。しかし、ただ話を聞いてくれるだけではやがて誰も来なくなる。そうならないために、彼らの権限をある程度大きくする必要もあるだろう。勿論それに伴う責任も大きくはなるが、専門性とはそういうものだ。
 特に「いじめ」や「万引き」など行為に名称が付けられているようなものは、その個別の事象をしらみつぶしに対応していても決して無くなりはしない。これらは、システムの問題として捉える必要がある。現状のシステムを維持する限り「いじめ」や「万引き」をなくすことは出来ないのだから、システム全体を見直すべきなのだ。むしろ、いじめは異常な行為ではなく条件が整えさえすれば必ず発生する現象として考えるべきだ。そう見るならば、いじめっ子さえ、システムによって”そうなってしまった”のかもしれない。

 内容が流れたが、まとめると、目上の人間が人としても優れているとは限らないこと。だから、組織には相談できる専門家を充実させるべきであろうということ。いじめ問題で騒がしい学校という組織こそ相談できる専門員を拡充すべきであること。そして、いじめの発生しないシステムが求められているのではないか。ということだ。

2015年7月25日土曜日

「舟越保武−まなざしの向こうに−」を観て

練馬区立美術館で舟越保武展が開催されている。作家人生全体を見通せるような構成で、数多くの彫刻作品と素描が展覧されている大規模なものだ。

 久しぶりに舟越保武の彫刻をまとめて観た。作品を観て感じる印象は以前から変わりがない。どこか不安な感覚になる。完全な安心感がそこにない。ここでの安心感とは、作品の文脈的なものではなく、造形的な側面のことだ。つまり、絶対的な技術力に裏打ちされた完全なる造形作品といったようなものではなく、どこかに造形的な破綻がいつもあって、それが鑑賞していて不安な気持ちにさせるのだと思う。

 以前の展覧会で、舟越の首像をためつすがめつ眺めて気付いた造形傾向がある。それは、右の頬が左より奥まっているというものだ。気付いている人がどれだけいるのかは知らないが、仰ぎ見たり見下げて見れば分かると思う。多くの作品に同様の傾向がある。意図したものか単なる手癖かはよく分からない。ただ、この造形傾向が舟越作品の表情に影響を与えているだろうとは想像できる。

 今回の展覧会でも、この安心できない感じはどこから生まれるのかと考えつつ作品を見回していた。そして改めて気付いたことが2点ある。ひとつは、頭部の形状と表情との解離。もうひとつは、希薄な統一感だ。
 まず初めの、頭部の形状と表情との解離は、舟越作品に特徴付けられる「美人顔」が大きく影響している。顔というのは、私たちにとっては、立体的構築物というよりむしろ平面的に捉えられる対象である。その意味で、立体的な造形を作る彫刻にとっては挑戦的な対象だと言えるだろう。そのなかにあって、舟越の作る美人顔は、立体と言うよりむしろ平面的に捉えられた「線描写によって生まれる表情」を持っているように思われる。実際、舟越は美人顔を生み出すための多くの素描を残している。それらを見ると、線の曲線の連なりによって、まずは平面的な紙の世界において美しく見える女性の顔の「線」を探っている様が分かる。実際の顔が立体物だとは勿論知っているが、美しいと感じる女性の顔を認知するときは、それが光線による平面的な図像として捉えられているのである。だから、舟越にとって、立体的な彫刻で美人顔を再現する作業は、平面図で捉えた2次元像を3次元的に再現する作業としてあったのではないかと想像できる。
 しかし、この捉え方は実は彫刻的な対象の捉え方とは違っていて、むしろ、難しい手順であるとさえ言えるのである。例えば、ロダンやミケランジェロなど古典の巨匠は、そのような対象の見方はしていない。立体である彫刻を作るに当たっては、あくまでもまず対象を立体的構築物として認識するところから始まっている。立体は立体として見ることで、それを立体として破綻せずに再現できるという考え方である。舟越も学生時代は、彼ら巨匠に憧れたはずで、芸大においても彫刻的視覚を体験的にでも知ったとは考えられるが、その見方を誰もが身につけて実践するわけではない。舟越も、自身なりの美人像を見つけるに当たっては立体的な構築から探るよりむしろ、線という平面的な要素から見つけ出す方法を採ったのだろう。ところが、若い頃に身につけた彫刻的な対象の捉え方を完全に捨てたわけでもない。むしろ、その頃に培った彫刻的な物を捉える「背骨」がしっかりと残っているからこそ、平面的な表情だけの希薄さに流れることがなかったとさえ言える。それは、舟越彫刻の特に頭部を見ると分かる。私たちは、舟越彫刻の美しい女性の表情に目を奪われがちだが、その表情は頭部の量に乗っかっていることを忘れてはいけない。だから、表情とそれが乗る頭部との両方が見えるように少し遠ざかって作品を見るのだ。そうすると両者の関係性が見えてくる。そうして気付くことがある。舟越彫刻の美人像のほとんどにおいて、頭部の構造と表情とが完璧に調和していない。そう、「していない」のだ。頭部の形状の前面に美人顔のお面を付けたような、そういう不調和を見る。しかし、それが完全に遊離してしまってはいない。そういう”傾向”が見て取れるという程度である。なぜそうなるのか。ここに、立体的な造形として対象を見る彫刻家的視点と、美人顔を平面的描写から探った絵画的視点とがぶつかり合っているのである。舟越作品の頭部の量付けには彫刻的な捉え方がしっかりと存在している。それは、ごく初期の石彫頭部作品においても既に見て取れる。初期の頭部作品を観ると、顔の造形も、立体的な構造要素から構築しようと試みているのが分かる。だが、いわゆる美しい「舟越美人」顔が現れると、表情が平面的に変化していく。舟越は、立体的な構築で生まれる表情にどこか硬い印象を感じ違和感を感じていたのではないだろうか。というのも、初期の作品の、立体構築で作られた頭部の表情などにはどこか機械的な堅さが現れているからだ。実は、「立体構築に現れる堅さ」は舟越彫刻の特徴のひとつで、特に全身像においては初期から後年までずっと現れている。もうこれは、形の見方の個性とでも言わなければ片付かない問題なのかもしれないが、結果的には舟越作品の特徴となっている。舟越は、構築的に造形した頭部に、平面的な表情(を立体的に再現したもの)を載せて作品を完成させていた。

 もうひとつ、舟越作品全体から感じるのが、希薄な統一感だ。それは、先にあげた「立体構築に現れる堅さ」と同じようなものを指している。これが特に感じられるのは、裸体全身像である。これらの像を頭部から下へと見て、全体として1人の体としての調和が完璧ではない。どこかぎくしゃくしている。これに気付いているひとは多いのではないだろうか。まるで、頭、胴体、腕、脚、と部位別に分かれた部品を関節から曲げてポーズを取らせた「デッサン人形」のような堅さを持っている。同様の”現象”は古代ギリシアの彫刻に見られる。当時の彫刻は関節毎に長さが決められて理想化されたものが彫像として作られたために、そのセグメントごとに区切られたような堅さがどうしても表現に表れてしまう。そうではなく、実際の人体の内部構造を参考にしたルネサンスの彫刻では、関節と関節を繋ぐ筋や腱構造が意識されることで、各セグメントが有機的に繋がった。舟越の人体彫刻は、人体を部位毎に区分けして見ているように思われる。
 このような見方は、着衣像ではより顕著で、舟越の着衣像ではもはや内側の裸体は意識されていないようにさえ感じられる。衣服の皺は直線的で、身体を覆う物というよりむしろそれ自体が重々しい構築物のように見える。だからその端から出ている手などは、見えている部分だけのパーツが取り付けられているようにさえ見える。『聖マリア・マグダレナ』は、そのような表現の最たるもので、もはや最下部は円となりギリシア柱の基部と化し、胸の部分に出てくる手は取って付けた”部品”のようだ。

 整っている美人顔に見えて、実は左右で大きく歪んでいる。頭部と顔との表現技法に違いがある。全身が全体としてまとまっていない。こう言った要素を言語化すると、まるでネガティヴな要素に聞こえる。実際、ここで挙げた要素は彫刻を学ぶ際にも陥りやすいところで、多くの彫刻がそのせいで失敗に終わる。重要なのは、舟越作品はこれらの要素を失敗ではなく、強み(うま味)に変えている、その領域にまで達しているという事実ではないだろうか。完璧に構築された、非の打ち所のないような作品達ではなく、どこか危うさを放ちつつ、儚いなかで揺らいでいる。揺らいでいるけれども、しっかりとした根を張った生命感を宿してもいる。そういった、強さと儚さの両立が、舟越彫刻に流れている。

2015年7月18日土曜日

髙畑一彰展を観て


 ギャラリーの前で立ち止まって見ているサラリーマンがいた。ギャラリー前に着くとなるほど理由が分かった。全面ガラス張りのギャラリー内部に3つの彩色された大きな首像がこちらを向いて置かれているのだ。白壁の無機質な空間に、リアルに色付けされた顔がこちらを見ているのだから、つい足を止めてしまうのも分かる。
 より厳密に言うなら、これらは首像というより胸像に近い。つまり、切断位置は頸ではなくもっと下の乳頭の高さほどである。しかし、頸から下はもはや造形されていない。肩幅もなく、単なる”地山”と化している。頸までしか造形していないという意味で、首像と言おう。
 ギャラリー内へ入って近くで見ると、良い。何が良いって、この大きさが良い。全ての像が実物より遙かに大きく、その顔は50センチほどはあったように思う。大きいのだが、見ていてその大きさをうるさく感じるようなことがない。むしろ、この大きさがあることで、細部が自然に目に入り、それが実際の大きさの人物の顔を見ているときのようなリアリティを感じさせる。「実物より少し大きく作る」というシンプルな手順かもしれないが、その効果は大きい。大きさと現実感との関係性は彫刻の大きなテーマでもある。

 3体の首像達は白人である。2体が男性で1体が女性。女性の像だけは、胸部に乳房が丸い2つの玉のように作られているが、それは何かぶっきらぼうな印象の造形で、ちょっとした遊び心で付けられたもののようにも見えた。これらの首像を見ていると不思議な感覚を覚える。彫刻という立体物を見ているのだが、とても絵画的だからだ。そう感じさせる大きな理由は、彩色に依るのだろう。彩色されることで彫刻はその命である”量感”が隠される。私たちの目は色彩を追ってしまい、彫刻で楽しむべき量感は薄らいでしまうのだ。その造形がある一定の(そしてこの作品達のように)リアリティを持っているとき、色彩によって彫刻というより実在の人物を見ているような錯覚を引き起こす。現代において彫刻というと、ブロンズなどで作られて彩色されていないものを想像するが、実際は、歴史的にも多くの彩色彫刻は作られてきた。今回の作品達も、そのたたずまいや色調などは、ルネサンス期に作られた多色彩色のテラコッタ胸像などを思い起こさせる。
 近くによって顔の造形を見ていると、かつて私自身も首像を造っていた頃の感覚がフラッシュバックして、ちょっとそわそわした感覚に陥った。そうだ、頭部の造形で難しいのは頬の形を掴むことだった。むしろ、目や鼻や口は細かい起伏が多いので形が決まりやすい。面積が広い上にこれと言った明確な起伏のない頬は、捕らえどころが無く難しい部位だった。頬の面は、正面から見ても側面から見ても広く見える。だから、彫刻の初学者は、「顔は正面」という強いイメージに引っ張られて頬を正面に向けすぎて、結果扁平な顔の造形に陥るのである。もし、頭部を作ろうとするなら、「頬は側面」と思った方が良い。そんなことを思い出していた。頬の造形は思い出深い。
 ところで、先にこれらの首像に絵画的な印象を受けたと書いたが、その理由のもう一つには、顔面部の造形処理そのものにある。主観的な表現になるが、この大きな顔面を作っている目や鼻や口、そしてその周囲にひろがる凹凸やシワなどの構成要素が、”線的な造形”をしているのだ。線的な造形とはどういうことかと言うと、例えばある溝を造形するとして、それを二つの盛り上がった量の谷間として造形するのが”量的な造形”であって、溝を”溝”としてえぐって作るのが”線的な造形”といったところだ。つまり、これらの首像の表情を構成している諸要素、例えば目は、予め目としてそこに造形された。鼻は鼻であって、口は口なのだ。当たり前のことを言っているように聞こえるだろう。しかし、この見方はとても絵画的なものであって、むしろ彫刻的な見方では、口周囲の量のひしめき合いの結果が口となるようにする。
 他にも、造形を見ると、幾つかの特徴が見て取れる。たとえば、横から見たときに、耳から後頭部までの長さに対して耳から顔面部までの長さが大きい。頭部を支える頚が比較的垂直に立って伸び出ている。頚が胸部と出会う部分の特徴的な胸骨・鎖骨周囲の造形がない、などなど。これら、全体に見られる造形の特徴が指し示すものは何か。それは、作家の顔への執着、それも正面から見た顔である。3つの大きな顔は、そろって顔面をギャラリー外を行き交う人々へ向けていた。真っ直ぐ正面を向いて。
 更に他の作品が2階にもあると貼り紙に書かれている。2階の広くはない展示室には、別の首像が2体と、大きな顔面だけが描かれた素描が壁に掛けられている。首像の一体は長髪の女性像で、長い髪が頚の横を下へ降りて、一番下ではもはや髪の毛だけが地山となったような造形である。もう一体の男性像は、開けられた目には眼球がなく穴がぽっかりと開いている。口も開けていてそこも穴。耳にも外耳孔が開けられている。それらの穴から覗く黒い色はこの首像が空洞であることを見る者に伝えている。まぶたにはまつげが植え込まれていた。生き生きとした顔色に塗られていながら、眼球の収まっていない顔は、異質さが際立っている。壁に掛けられている大きな顔面の素描も異質さを放っている。成人男性の頭部だけが描かれ、まるで空中に顔だけが浮かんでいるようだ。その顔は、「顔」として描かれていた。顔面の構成要素のあり方の特徴は彫刻作品で感じられたものと同様である。

 2階の会場には、作家の高畑氏がいて、作品について少し話しを聞くことができた。
「顔が作りたかった。本当は顔しか興味がない。でも、顔だけという訳には、お面作るわけにはいかないからね。」
 高畑氏のこの言葉は真実だろうし、それは作品からも感じ取ることができる。今までには、全身像も作ったが、それも顔を作る延長で作ったに過ぎないと言う。言うならば、顔を納めるための土台としての体だろうか。

 顔は、人体の中でも一際特殊な領域である。それは、言うまでもなく、私たち人類が、顔を使って互いの意思疎通を図っていることに依る。ヒトという動物へ進化することで、両目は前を向き、顎は短くなって後退し、結果的に私たちの顔は平坦になった。顔に面ができたのである。だから我々は、コミュニケーション時には互いに”向き合い”、正面の顔を見せ合う。しかし、顔”面”と言っても実際にはそれなりの奥行きのある立体物なのだが、それを私たちはとりあえず”面”として捉えるようになったのだ。この面の中でコントラストの強い目や眉や白い歯を見せたりして表情を作り、そこに言語を加えて多くの情報をやりとりしている。脳では、私たちの顔面は特徴だけを捉えた抽象的顔面表情、つまり表情の記号として認知される。分かりやすく言えば顔文字である。そのような仕組みが頭の中に出来上がっていることは、例えば「(^o^)」という記号の羅列が”嫌が応にも”顔に見えてしまうことからも実感出来る。
 私たちにとって顔とは正面から見るもので、そこに2次元的な視覚情報が現れていれば満足なのである。その意味において、顔とは彫刻よりも絵画的な存在である。その顔に興味を持ち、立体である彫刻でアプローチすることは、それだけで挑戦的な意味合いを既に持っていると言えるだろう。高畑氏はまた、横顔に興味があるとも言った。顔に興味があって、それが横顔だと言うので、以外な印象を一瞬受けたが、それは顔の造形を見るという行為でもあることから、彫刻家的な視点が最初にあることを意味しているのかも知れない。それにこれらの首像がことごとく白人であるのもこの言葉と絡んでくる。白人の頭部は、我々東洋人の頭部と比べて、前後方向に長い。つまり”彫りが深い”ので、側面からの描写に現れる要素が多く、面白みがある。よく人物紹介のことをプロフィールと言うが、これは本来「横顔」の意味だ。西洋では古くから横顔の影に線を引いて影絵とし、それを簡易肖像画として用いていた。ルネサンス期に多く登場した肖像画も多くが横顔である。顔が扁平な我々東洋人ではこの発想には至らないだろうと思う。

 顔という平面的要素を、頭部という立体的要素で捉え、彫刻というこれまた立体物で再現する行為。この作業過程で、作家は平面と立体の認識を常に往来し続ける。その過程において、特に悩ましいのは、顔と顔以外の頭部との接点ではないだろうか。頭部において、いったいどこまでが顔なのか。このことに解剖学的な事実から答えることは比較的簡単かもしれない。なぜなら、複雑な表情を作り出す顔は、その筋の着き方から命令を送る神経まで、あたかも独立した一系統を保持しているように見えるからだ。しかし、その事実と、私たちの抱く顔の領域とが完全に一致するわけではない。立体的な頭部における顔の輪郭はどこなのか。彫刻としてそれを造形するには、その境界を意識せざるを得ない。そして、実際にその境界は会場の作品達に表されていた。それは一彫刻家による、形態と認識の波打ち際である。

高畑一彰展

2015年7月13日月曜日

特殊感覚器 多角的に世界を知る


 人間の頭部には、そこだけに備わった特別な感覚器官がある。即ち、物を見る目、嗅ぐ鼻、聞く耳、そして味わう舌のことだ。ちなみに、それ以外の感覚は頭部以外の全身に広がっている。つまり、皮膚感覚の事だ。これらの感覚を通すことで、私たちは自分が世界のどこにいるのかを察知している。高度に連携が取れたこれらの感覚は、物心つく前から正確に情報を伝えていたから、普段生きていてこれらの感覚によって外界を知っているなどとわざわざ気付いて感じ入ることなど、普通はない。

 ところで、なぜ私たちの体にあるこれらの感覚器官、特に頭部の特殊感覚器官はそれぞれが特殊化したものが備わっているのだろうか。それを考えると、互いに長所を活かしてチームを組むことで最善の結果をもたらしていることに気付く。例えば、目が担う視覚。目が捉えているのは太陽から降り注ぐ光である。私たちが「ひかり」と呼ぶものは、太陽から降り注ぐ電磁波のほんの一領域に過ぎない。そのほどよい強さのエネルギー波だけを、目のレンズで1点に集め、それを目の奥の細胞の集まったシート”網膜”に投影する。こうして脳内に再現される目の前の光景は、指先の近さから遙か彼方の山々や水平線まで一瞬で見ることが出来る。獲物を捕らえる準備やハンターから逃げるに十分な距離を離して、周囲を確認することを可能にしている。しかし、目の奥のほとんど点といえるような狭い範囲に集光させるために、目が見ることの出来る範囲は限られている。ピントのあった世界の範囲は意外なほど狭い。だから、私たちはいつも”目の前”の光景しか知らない。自分の背部は視覚的に酷く無防備である。そうであるにも関わらず、普段の生活でそれほど背部に不安感を持たずに済んでいるのは、目以外の感覚器がサポートしているからである。たとえば、耳だ。耳が担っているのは言うまでもなく音で、その実体は空気の振幅に他ならない。つまり、物体の振動が、空気の振幅に伝導し、それが水面に広がる水紋のように周囲に伝わっていく。その波の一部が耳の孔の中へ侵入していき、行き止まりにある鼓膜に当たって共鳴させる。音は光より早く減衰し、伝導速度もずっと遅い。それはつまり、私たちが不穏な音を聞くとき、その事象は我が身の近くで起こっているということを意味している。だから私たちは、音に対してとても敏感にデザインされている。大きな音が起これば、見るより先に体を逃避させる反射も起こる。大きな音で思わず身を縮込ませたことがないだろうか。耳は、目のように情報にピントを合わせることをしないが(かといって、生の外音を聞いているのでもないが)、その分、広範囲の音をいつも拾い上げているので、目で見えない背中側は音に頼っている部分が大きい。自分の周囲から比較的離れた世界の認知には、この2種類、目と耳の働きに多くを依っている。

 残りの2つ、鼻と舌は、摂食と密接である。鼻の穴はかならず口の近くに開口している。そうすることで、本当に口中に入れて良いものかを匂いで判断している。匂いは物質から空気中に放散した化学物質である。ここで、まず良しとされた物だけが口中へ入り、次は舌で更に精査される。外は良くても内は分からないから、歯と顎で砕いていく。ここで判断の元になるのが味だが、それもまた物質から液中へ放出される化学物質などである。口中に入れられた物質から唾液に溶かされたものが判断対象となる。
 鼻が感じる”匂い”はしかし、食べるためだけに使われるのではなく、空気中を漂う臭気からも様々な周辺情報を得ることが出来る。実際、多くの動物は同種同士の連絡に独自の臭気(フェロモン)を利用していることが知られているし、外敵や獲物の匂いをいち早く嗅ぎ分けることも生き残りには重要だろう。
 更に詳細に対象物を確認するには、一般感覚である触覚なども動員される。つまり、”突っついて、触ってみる”のだ。我々は、未知の物に対して、まず遠方から見て、耳を澄まし、安全そうであるなら徐々に近づいていく。手が届く範囲まで来たら、目を見開いてますます細部を見ようとするだろう。この時、嗅覚も駆使しているはずだ。次の段階で、腕を伸ばし指先で軽く突く。そうしながら、対象物と自己の距離を詰めていく。それが、食べられる物であるという判断が下されるまでには、実に多くのそして多角的な判断が事前に下されていたのである。

 自分の周りの物事は、単数の事象から判断はできない。確認事項が少ないほど、確認間違いが起こりやすくなり、それが時に致命的ともなる。だから、何重にも判断過程を設けて、そうして、やっと安全だと判断を下すのである。その幾重にも張られたセーフ・システムが私たちの頭部のかたちの原型でもある。
 
 話は飛ぶが、ネット上にはさまざまなニュースに対する人々の反応が溢れている。それを目にすると、目の前の「ニュース」という少ない情報だけに対して強烈に反応しているものも少なくない。世界の物事は、見えていることだけで成り立っているだろうか。そこには、単一の情報だけでは取り誤るような複雑な構造があるのではないか。事象に対して単純反応を繰り返すのも間違いでもないだろう。しかし、感覚が目と耳を使うことで真実に近づくように、事象の別の側面の可能性を探ることで見えてくる事実も多いはずだろうと、そんなことを考えたりもする。

2015年7月10日金曜日

ものごとの見えない区分け

 ものごとには、一見では見えないような、様々な方向性もしくは階層性が隠されている。始めに見えるのは最もコントラストの強い外郭だけなので、その内側の細かい区分けには気がつかないものだ。しかし、外郭の内側にはいるときには既に、その中の細分化された領域のどこかに自分の本当の興味どころがあるのである。ただ始めは自分もそのことに気付いていない。だから、似ているが違う領域に足を踏み入れてしまうことが往々にしてある。そうすると、やがて自分の周囲にいる人間の興味どころや研究の方向性が自分の求めていることと違うことに気がつき始める。しかし、我々は当初の自己判断を訂正することが難しい生き物なので、それを自分ではなく、周囲の人間が本来の方向性を見誤っているのだと解釈するのである。そうして、自己肯定に基づいた他者否定が始まる。しかし、否定したところで環境に変化は起こりはしないだろう。それは、全く文化の違う国にひとり入って、その文化を自分好みに変えてしまおうと試みるようなものだ。

 よくよく見極める必要がある。似ているコミュニティほど、そうだ。隣人は同じ方向を向いているようで実は違う遠方を見ていることがままある。他者の判断は本当に間違っているのか。それは実際には隣のコミュニティの住人ではないだろうか。彼らを熱心に否定することは生産的ではないし、自分の方向へ向けさせようという努力も徒労に終わるだろう。むしろ文化の多様性のひとつだと捉えればよい。私たちは自分こそが最も正しいと思うものだから、きっと彼らを見下してしまうだろうが、それを表現しなければそれで良いのである。

 結局のところ、私たちが出来ることは、自分の信じる活動を継続することだ。信念は活動を通して外部に表現される。そうして、入る部屋と時々間違えながら、自分の居るべき場所に近づく以外に方法はないだろう。そうするうちに、同様に迷いながら同じ部屋へやってくる者と出会うかも知れない。

2015年6月27日土曜日

人工と自然

 先日あるテレビ番組で地理的危険地域に住む男性にインタビューをしていた。崖崩れが起きかねない自然道を通らなければ街へ出られない場所に住む男性に、その危険性を認識しているのか尋ねていた。数世代前から同地に住んできたその人は、今になっての”危険地域指定”に戸惑っているようにも見えた。私はこれを見ながら、しばらく前に起きた事故ニュースを思い出していた。ビル外壁の看板の留め具が自然に外れて落下し、歩行者の頭部を直撃したというものだ。ぶつかった歩行者は意識不明となった。
 私たち、特に都心部や都会に住む人は、垂直にそびえ立つビルとビルの隙間を日常的に歩いている。その時に上から何かが落下してくるかも知れないなどと怯えはしない。ほぼ絶対的な安心感を持って歩いている。しかし、現実には落ちてきたのだ。落ちることは”自然”である。その可能性があり、それが実行されれば、それは起こる。
 街へ出たら、改めてビルの外壁を仰ぎ見て欲しい。地面から真っ直ぐ上方へ伸びたビルの外壁。そこからはさまざまな物が付き出し、取り付けられている。それらは皆、重力によって常に落ちようとしていることを思い返してみよう。

 ところで、自然界において、都会のビル街のように垂直な壁がそびえている場所があるだろうか。私たちにとって身近な山々の光景を思い返してもそういった自然景観は思い浮かばない。ただ、全くないわけでもない。例えば崖などはほぼ垂直にそびえている。では、自然景観にある崖の下を歩くとして、その時の私たちはどんな気持ちだろう。きっと圧迫感や落下物への危機感などの緊張感を抱くはずだ。つまり、自然において垂直とは恒久的な安定感とはかけ離れている状態であり、私たちもその事を感覚的に知っているのである。自然界における崖は実際に長い時間そのままであることはなく、断続的に崩れ行っている。
 ところが、私たちはビル街の垂直壁に対して恐怖感を抱かない。それが崩れてくるだろうとは思いもしない。そういう思いを普通に抱いているから、先のテレビ番組のように、山道は危険だと”数世代に渡って住む”男性に問いただせてしまう。山道は恐らく100年以上に渡って自然そのままで存在していただろう。しかし、ビル街を100年間そのままで保つことは恐らく不可能だ。ビル街は人間が定期的かつ不断にケアを続けることでようやく維持しているのである。そのケアの目が行き届かないとき、先の看板留め具のように崩れ落下する。本来的に安定しない形状である「垂直」を人工的に作って維持管理することは、”不自然”なことだ。これは”人工的”とも言い換えられる。自然界における垂直が脆いように、本質的にはビルの垂直も脆い。そうであるにも関わらず、私たちは「脆く危険なビルの谷間」をヘルメットもなしに、呑気に往来している。そこには、私たちが自身に対する盲目的な信頼を抱いている証拠でもある。人間が経験と計算によって作り出した「人工物」は「自然物」よりも優れている。技術が自然を凌駕する、とでも言わんばかりの自信を私たちは持つ。

 私たちは、自然と人工を分ける。やがて、自らの存在をも「自然と人間」や「動物と人間」のように分けてきた。そうやって、自らを包括する対象との境界を明確化することで、自身のあり方を明確に見つめてきたのだろう。現代の都心部で生活する人間においては、もはや日常的に体感する事の多くが人工物で占められる。街に出て回りを見回してみる。そこに自然物が幾つあるか。人工物はすべて意思によって規定されたものである。それらはまず線で描かれ、数値で情報化される。数値化は効率化の為であり、一般化を導く。そうして基準が作られ、人間界は均一化の方向へ進んでいく。身近なものを見て欲しい。服や靴のサイズ、机や椅子、車、家・・。多くの物が基準数値から作られている。そうした中で生きていることで、いつの間にか私たちがその基準値に合わせるようになっていく。自らが作り出した人工物に浸る内に、私たちは自らが「自然物」だということを忘れるようだ。

 改めて私たち自身、人間、が自然物であることを意識してみたい。人間の大きさや形は人間が決めたものではなく、自然によって規定されたものだ。それに対して、人工物は人間によって規定されるものである。つまり、「人間は自然の都合、人工は人間の都合」ということだ。人間の規定−つまり人工−は自然の規定にすっぽりと覆われ支配されている。だから、人工物は人間による不断の手入れが行われなければ、やがては壊れ、自然の形へと戻っていく。
 人間が自然物なのだから、それが作り出す人工物も自然物とも言える。しかし、間に人間が介することで階層がひとつ違う。つまり、人工物は人間という特異的な自然物にのみフィットするようにアレンジされたもので、それは全体としての包括的な自然物とは異質な性質を帯びる。人工とはその意味において、目に見えない境界、もしくは膜のように機能しており、人工的という閉鎖環境を維持しながら外の自然界と交流していると言えるだろう。

 人間が意思で生み出すもの−人工物−には、それ故に、弱さをはらんでいる。それを克服するために、様々な試みが人工的に行われている訳だが、人間が自らの意思決定で生み出す以上は、そこには必ずあるバイアスと弱さを内包した「異質さ」が含まれざるを得ない。これは、私たちが自然の一部である以上、避けることができない、もしくは越えることができない限界であろう。もし、本質的な意味で自然とフィットする人工物を生み出そうとするなら、それこそ人工知能でもつかうしか方法がないだろう。しかし、それで生まれる人工物(いや、人工知能物)を、我々が満足するとは思えない。なぜならそれはもはや、もうひとつの自然物なのだから。

 人工か自然かという線引きは一本では引けない。それは線と言うより徐々に変化するグラデーションであって、その濃淡差のどこを線としてみるかに依るものだ。ただし、人工は自然と隣り合わせにあるのではなく、あくまで自然に包括されているという関係性は意識しておきたい。

2015年6月20日土曜日

足らで事足る身こそ安けれ

 今は遠い学生時代。大学周辺は寺が多く、門前には説法のような文言が良く書かれていた。前を通ると何の気なしに読んでは、なるほどねと納得したりしていた。大抵は何が書いてあったかなどすぐ忘れてしまうが、1つの文言だけ今でも覚えている。

 「事足れば 足るにまかせて事足らず 足らで事足る身こそ安けれ」

 語感やリズム感が良い。つい口ずさんでみたくなる。けれども、その意味がすっと入ってくるわけではない。何度か口ずさみながら吟味すると、なるほどと分かる。つまりは、人の欲には底がないのだから欲さず質素が良い、という意味だ。
 大学生の頃は何でも欲する年頃なので、なるほど確かに欲しがることで結局苦悩も掻き込んでいるのかも知れぬと友人と話していた。

 しかし、それから何年も経って、ふとこの説法を思い出したときに、全く違う意味にも取れる事に気がついた。意味を変えてしまうのは最後の「安けれ」をどう捉えるか、による。安けれを「安泰」の意で見れば従来の意味だが、これを「意味の殆ど無いようなもの」として否定的に捉えるならば、文言の言わんとしている意味が180度変わってしまう。つまり、「満たされるという事を欲さぬ人生は意味がないほどに小さいものだ」となる。内容は変わらない。意味のニュアンスが変わる。このことに気付いたときは、何か行動しなければと心がどこか焦っていた。そのメンタリティが、「安けれ」を違う意味として読ませたのだろう。

 ところで、どちらが正しいのだろう。「結局満たされないのだから欲しなさんな」か「欲さぬ人生は安っぽい」のか。きっとどちらもだ。私たちは欲する存在であるし、それ故に決して欲が満たされることもない。この文言は、「こうしなさい」と言っているのではなく「こういうものだ」と示しているに過ぎない。だから、その時々で違う意味に聞こえるのだ。読み手の心を反射している。

 生きる以上は与えられる”欲”。ならばそれとどう向かい合うのか。それを問うている。

2015年6月1日月曜日

大巻伸嗣『Liminal Air Space-Time』を観て

 5月29日(金)に、六本木の森美術館で開催中の美術展覧会「シンプルなかたち展」を観た。どういうコンセプトの展示内容なのかさえ、実はあまり把握していなかった。同展に出品している作家から招待券を頂いたので、彼の展示作品を鑑賞しに行くだけのような気軽な気持ちで向かったに過ぎなかった。森美術館は六本木ヒルズの中にあるので周辺は賑やかで、さらに森美術館内では、別の展示室で開催中のスターウォーズ展に来ている若い人たちが大勢居た。目的である「シンプルなかたち展」へ入っていく人たちはむしろ少数に見えた。エントランスを過ぎて、一つめの展示室の壁際に大きな打製石器が見えて、「この展覧会はきっと面白い」という予感を得た。直ぐ隣にはル・コルビジェが集めていた小石などが展示されている。それらの中に、ヘンリー・ムーアの小彫刻が置かれている。この時点で、かなり私の興味どころにピントがあった”めったにない”展覧会だと確信した。その後の、多くの展示作品や展示物について感想をひとつひとつ書くことはしないが、展示数も多く、質も高く、かつ分かりやすく、非常に上質な(そして私好みな)展覧会で、非常な満足感を得た。展示物のそれぞれも魅力的で、かつ全体の構成も調和がとれているなかで、特に印象に残った作品が、招待券を頂いた作家の作品だった。

 様々に趣向を凝らした展示作品の中に、招待券を頂いた大巻伸嗣氏の作品もあった。氏の作品はひとつの部屋をつかったものなので、作品が”ある”というより”観る”といったほうが正しいかもしれない。部屋のように区切られた奥の壁は前面のガラス張りで、六本木の50階以上の高さからの景色が見えている。当日は雨天だったので白くかすんでいて、それが白壁の室内と緩やかに連続しまとまりを作り上げていた。きっと晴天だと印象が全く変わるだろう。そのガラスの手前で、巨大な白いメッシュ地のシートが下から風を受けて舞っている。シート下の床には送風口が設けられ、そこから上へ向けて送風されているのだ。送風はコントロールされていて、その風を受けたシートはゆっくりと様々な波を空中で作り続ける。鑑賞者はその展示室の入り口側から、部屋内で舞い続けるシートを窓越しの霞んだ都会の景色を借景にして観るのである。全てが白い拡散光に覆われ、視覚的にも静かな光景だ。聞こえるのはかすかな送風機のファンの音で、シートが高く舞い上がる直前に回転数が上がる音が耳に届く。それはシートの視覚的挙動の前触れとして。送風のスリットは床の四隅と真ん中に1つの計5つで、そこから様々なタイミングと強度で風が上へ送り出される。その風は白いメッシュに受け止められ、その形を流動的に変化させる。風で作り出されるひとつひとつの波は緩やかで大きく、その挙動を私たちの目で追い続けることができる。大きな波同士は時にぶつかり、ひとつの大きな波となる。大きな波の表面に小じわのように小さな波が起こりさざ波のように流れ消えていく。送風のタイミングや強弱は機械制御で繰り返しているのかもしれないが、室内の様々な偶発的要素によって、同じ形の波は二度と表れることはない。暫く舞った後で、全てのファンが停止するとシートはゆっくりの自重と空気抵抗とで床に降りて行き、まもなくぴったりと白い床に広がって止まる。数秒の静寂の後に、ファンが音を立てて回り静かだが力強く空気を振動させると、シートにおおきな膨らみが形成されそれはやがてシートそのものを天井へ向けて再び持ち上げる。四角いシートの4つの角には目立たない小さなリングが付けられていて、それが床と天井との間に張られた同じく目立たないワイヤーに通されている。そのためにシートは風で一箇所にまとめ上げられたり、外にはじき出されたりすることなく上下に舞い続けることができる。

 風というものを、私たちは経験的に知っている。けれど、風とは何だろうか。風は私たちのどの感覚器で感じ取られる対象なのか。風は音を立てる。強風は「ピューピュー」と言う。風は草木を揺らす。風にそよぐ草木を私たちは見る。また風は涼を運ぶ。夕暮れ時の涼しい風を肌で感じる。強い風は思い大きな物さえ動かす力を持つ。時にそれは街を破壊するほどだ。私たちは風を五感で知っている。けれども、風そのものを見ることも掴むこともできない。大巻氏の作品の白いメッシュシートは、感じれども見られぬ風を視覚的に見せる変換装置としても存在する。我々はシートを通して風を見るのである。けれどもその時風はシートにぶつかり、捉えられ、シート下を横に広がり、シートの断端から再び私たちの目で見えない室内空間へと流れ出ていく。つまり、私たちが見るシートを通しての風は、視覚的媒体(すなわちシート)にぶつかって物理的変化を与えられた風である。ここで気付くのだ。私たちの五感で捉えられる形に変換された風だけが、私たちにとっての風という存在であると。私たちにとって、気付けぬものはすなわち存在しない。しかし、それがひとたび感覚できる形に変換されたとき、突如として我々の眼前に表れる。こうして、「見えぬけれどもあるんだよ」という事実を改めて飲み込むのだ。また、むく犬に化けてファウストの書斎に入り込んだ悪魔メフィストフェレスの「光は闇の一部に過ぎぬ」という文句を思い出す。そして、私たち自身が信じる”自意識”の知り得ぬ根源を思う。
 また、この波打つシートは、それが空間上でそう振る舞えるためには、シートを境界とした「差」がそうさせていることに気付かなければならない。一言で言うなら、圧差である。ファンによって作り出された風はシートの下面に風圧を与え、その押し上げる力がシートの重量に勝ることで空中に持ち上げられる。シートという膜が空間を隔てることで、そこに差が生じ、その力すなわちエネルギーが膜を動かしている。ここでシートを膜と言い直したのは、エネルギーによって運動を与えられるシートに細胞膜を見たからである。生物の基本単位である細胞を規定するための大前提こそが細胞膜にほかならない。リン脂質の集まりであるこの形質膜によって空間が仕切られることで始めて生物がこの立体世界に存在可能となる。その膜は、決して水を入れた風船のゴム膜のように閉鎖し動かぬものではなく、周囲の液体や物質と常に動的に繋がりあっている。きっとそのダイナミックに動き続ける様を私たちの肉眼的視覚に置き換えてみるならば、この白いシートのようだろう。そう思ったのである。細胞にとって生きているという状態は、細胞膜を介した内と外の不断の連絡のことであり、その連絡を起こさせる原動力こそが内外の「差」にほかならないのである。だから、この差が見られなくなる状態は細胞の死を意味する。白い空間を風圧による差で揺らめいていたシートは、送風が止まると緩やかに下降してやがて床上で全ての動きを止める。それは、まさしく現象としての生の消えた状態、死であった。会場において、シートが床に落ちて動かなくなったそのタイミングで立ち去る鑑賞者が多い。それは、私たちが「不動は終わり」という概念を予め持っていることを指し示している。私たち「動く物」すなわち動物は、動から静という運動の流れに生から死を見るのである。そこから数秒すると送風機が再稼働し、シートに有機的なドームが形成されるやいなや全体が浮上を始める。ここに私たちは「再生」もしくは「新生」を見るのではないだろうか。それは、「誕生」とは違う。誕生は生から新たな生が生まれる事を言う。動かぬことでその物質的側面を露わにしていたシートが、風という見えぬ力によって動き出すその様は、数十億年前の海の中で生命がまさしく新生したその瞬間を思わせる。生命”現象”が物質と出会うことで生命体が生まれた。そういった生命の始原の感動的な現場を垣間見たような気持ちにさせられる。これを、シートが下降して停止した連続として見るならば、「再生」としての意味が与えられるだろう。空気によっていま再び持ち上げられたシートを、35億年の形質膜の歴史と重ねて見ていると、緩やかに凹凸を変化させ続けるシートの上面が、大陸形成のダイナミズムともオーバーラップしてくる。私たち人間個人のライフサイクルで主観的に捉えられる大地は、基本的に不動のものである。しかし、最近の全地球的な地震活動や火山噴火の活動化からも分かるように、大地もまた常に動き続けている。そのような数千万年から億年単位での大地の動きをタイムラプスで見せてくれているような、はたまたタイムマシンにでも乗って変化する大地を俯瞰しているような気分にもなって楽しい。

 彫刻家である大巻氏の現在の活動内容は古典的彫刻家のそれを越えているが、この作品を観て、その触覚感と空間への強い意識に、まぎれもない彫刻家のセンスを強く感じ取った。彫刻に限らず芸術は、有史以来の幾つかの通過点において革新的な概念が付け加えられ、もしくは変革されてきた。美術の教科書などで出てくる作家たちの多くはその立役者たちである。彫刻に限れば、それは人間や動物の外形を他の物質に置き換えるという根源的かつ重要な発見から始まり、それ以降さまざまな概念や技法が付け加えられもしくは取り替えられてきた。前世紀の初頭から先の大戦以降になると彫刻表現は大きな広がりを見せ、その多様性の雑多としたありさまから、新規的表現のなかに従来見出すことのできた筋の通ったレールはもはや探すことさえ困難に思える。若い彫刻インサイダー達にはある焦りがある。彫刻表現は今後どこへ向かうのかと。そういった模索が、表現を通して多くの現代作家たちが意識的無意識的を問わず繰り返しているのだ。そういった現状にあって、この『liminal air space-time』は、そのひとつの方向性を明確な鮮やかさを持って示しているように思われた。
 まず第一に、作品が実際に存在しているという事実である。彫刻でも絵画でも人体像はあるが、実世界に物質として存在するのは彫刻の人体像だけだ。この「実際に存在する」という事実はそのまま私たち自身の存在感と繋がっている。私たちが絵画のような仮想的存在ではないのと同様の現実感を持って彫刻はそこにある。そして、現実界に存在するには、無と有とを分ける境界がなければならない。それが肉体での皮膚であり、細胞での細胞膜であり、彫刻での作品表面であり、この作品での白いシートの膜面にほかならない。
 命無き物質である彫刻に生命感を宿らせるために彫刻家が重要視する表面造形の方法論がある。それは、「内から外へ押し出せ」というもので、その形状がもたらす膨張感が生命観を観るものに与えるとされる。勿論、押し出すだけでは単なる膨張する球体となるに過ぎない。実際の形状は凹凸に溢れているのであって、つまりこの言葉が意味することは、理想的な膨張感を得られるための凹凸術を駆使せよということになる。ロダンも彫刻は凹凸の芸術であると言ったし、日本近代彫刻の立役者の1人である石井鶴三の「でこぼこのオバケ」の”でこぼこ”とはそのことだろう。結局はでこぼこの妙味が重要なのである。そして、でこぼこの出っ張りはあくまでも内からの押し出しに由来せねばならない。その膨張感は成長や筋の緊張を想起させる。膨張は収縮を感覚の内にはらみ、その連続は心臓の鼓動へと連想させる。2つの運動の繰り返しが生み出すリズムは、全ての生命現象の根底に横たわっている。要するに、膨張と収縮の形態が表象しているのは、あくまでも生命的な動勢なのだ。
 彫刻というのは静止している。しかし、鑑賞者にとってそれらは止まってはいない。彫刻家はでこぼこや姿勢などを制御することで、見る者の心象に、動くそれを再現させうるのである。だから、歩いているところを作る彫刻作品と、歩いている人を撮影した写真とは違うものである。少なくとも写真機が普及するまでの「動き」とは、あくまでも動きのなかでのみ見出されるものであって、その瞬間の像というのは想像するしかない対象だったのだ。まさにその過渡期に活躍したロダンは、ポーズの設定などでモデルを撮影した写真を残している。しかし、両者の根本的な違いを理解していた彼は、写真で撮られた歩く姿勢を真似して作ったところでその作品には動勢を感じることはできないと言った。彫刻で扱う動きは動勢であって、機械的で客観的な動きの事実とは違うのである。
 白い部屋で緩やかに舞う白いシートは、風によって大きなドームを形成し、複数のそれが時にぶつかり合いひとつになる。そこには膨らみと凹みが立体的波形の振幅として繰り返し現れては消える。それは有機的であり、何より「実際に動いている」。動きを持つ生命を表現する彫刻において、動勢をどう表すのかは永遠のテーマだと言って良いだろう。本展覧会の会場には、それらに迫ったかつての芸術家たちの作品も多数展示されている。たとえば、大巻氏の展示物のすぐ向かいには飛行機のプロペラが展示され、またプロペラと同様のコンセプトを内在するブランクーシの『空間の鳥』がそのとなりに置かれている。前世紀の初頭、飛行機がプロペラを回転させて大空へ舞うのを見た芸術家は、空気を捉えて動かすというプロペラの羽の機能美に人間の作為を越えた造形の力を感じ取ったに違いない。だからこそ、ブランクーシはその形状からインスパイアされ、空間の鳥という作品形状を通して目に直接見えぬ空気とそこを生きる場とする形状(鳥であり飛行機であり、プロペラ)の抽象化に挑んだのでは無かろうか。目に見えぬ空気という存在を、それを表象する対象によって表現したかつての彫刻と、大巻氏の白いシートとは同じレール上にある。ただ大きく違うことは、このシートは実際に空気をまとって動いているということだ。彫刻は、本来的には動かないものである。動かぬ中に、動勢や生命感を感じさせるものだ。この最大の利点は、時間のベクトルがそこにないことで、そのために鑑賞者がそれを見たときがいつでも彫刻的時間のスタートとなる。流れぬ時間ゆえに、始まりと終わりを同居させることも可能である。その意味で彫刻は4時限的な表現媒体であると言えよう。目を動かせばいつでもイントロであり、同時にクライマックスがあり、トータルでの協奏も常に流れるのである。大巻氏の作品はそこが違う。ここでは実際に時が流れている。私たちの生命時間と同じ流れがそこにある。うごめくシートを5分鑑賞する間に私たちは5分歳を取る。送風が始まってシートが舞い、送風が止まってシートが落ちる一連はその場で時間を削って鑑賞しなければならないのである。そこに登場する時系列のドラマは、音楽を思わせる。この重要な点においては、彫刻を逸脱している。動く彫刻が今まで無かったわけではない。だが、例えばカルダーのモビールと同列ではないことは明確だ。なぜなら、『liminal air space-time』はその始まりと終わりの物語が明確にプログラミングされている。我々鑑賞者は、作者である大巻氏の組み立てたストーリー(もしくは楽曲と言っても良い)を彼の意図したとおりに見なければならない。ちょうど大巻氏は作曲家のようだ。ただし映画監督ではない。これは映像作品ではないのだから。もしくは、強引に動く彫刻的な流れに押し込むならば、18世紀半ば頃にフランスなどで流行したオートマタに近いだろう。機械仕掛けで命を吹き込まれた人形たちは、作家が予め意図したとおりに動くことで当時の鑑賞者を驚かせた。彼らは、命の無い人形が動くことで生命を感じることに驚くのだ。では生命とは動きのことか。では動き生きる自分は機械に過ぎぬかと。大巻氏の白いシートはもはや人の形はしていないが、機械仕掛けで空気を送り込まれ一時の時間を有機的にうごめく様は、機械人形と似通って見える。18世紀においては、人の命は、人の形をしていなければならなかった。まだ、概念においても形が重要だったのである。しかし、この頃から科学を通した世界の見え方が変わってくる。つまり、物質から概念的な存在論が科学的根拠を伴って唱えられるようになっていくのだ。その萌芽は遠く古代ギリシア哲学からすでにあったが、中世、ルネサンスを越えて17世紀に入るといよいよ加速していったかに見える。現代における人体の基礎医学的視点は大きく解剖学と生理学とに分けるが、その生理学つまり機能としての人体という視点の実質的始まりとして17世紀のハーヴェイの血液循環論がある。その後まもないデカルトの動物機械論はオートマタに影響を少なからず与えているだろう。このプレ・オートマタ期において、生命現象はある程度明確に物質と魂とに分割された。目に見えぬ空気は魂側に割り振られた。これが、やがて科学的に発見され始めるのが18世紀である。ボイルによって燃焼と生命現象に空気が等しく必要であることが分かり、ラヴォアジェによって呼吸の神秘性は酸素と二酸化炭素の交換であることが明らかになる。神の形と同等であった人の形は、19世紀になるとサルや魚と同等であると言われるのだ。そうして20世紀の戦後には、私たちの形はたった4つの塩基配列を元にした「情報」から作り出されると解釈されるようになった。今や、形の根源的重要性は薄れ、それは隠されていた情報から生み出された結果に過ぎないとさえ言われるのである。同展覧会の図録にパウル・クレーの言葉が載せてある。「かたちとは終局であり、死である。形成こそ〈生〉なのだ」。近代において、私たちは形とは結晶のように結果的構造物として捉えるようになっていった。それは私たち自身の身体も同様である。いまや重要なのは、今を生きるこの肉体ではなく細胞内の塩基配列、すなわちDNAの情報であると言い切れてしまうほどだ。このような物質から情報への身体観のパラダイム・シフトが、当然ながら芸術における身体表現にも反映する。身体を人体形状ではなく、現象や動き、概念や情報といった代替的表象で表すようになる。そういう流れにあって、上記のクレーのような言葉が発せられるわけである。風ではためく本作品は絶え間なく運動を引き起こし、その結果としてシートに膨らみを”形成”する。それは決して留まらない。私たちは形成の連続に生命を見る。

 芸術に新たな概念が付け加わるとき、しばしばそれらは驚くほど単純な形で私たちの眼前に現れる。同展覧会にも展示されていたフォンタナの『空間概念』はその端的な例である。同作の素材と言えば、全面が単色に塗られたキャンバスだけだ。それを刃物で数筋の切り目を入れただけの作品。たったそれだけで、絵画の平面性とキャンバスの立体性を繋げて見せた。穴によって次元を広げたのである。大巻氏の『liminal air space-time』で私たちの視覚に映る物は巨大な白いシートだけだ。もちろん、インスタレーション作品としての装置全体で見れば、送風機や空間の必要性など多くの物が関与しているけれども、それら舞台装置を裏にして、私たちの感覚に変化を及ぼす具体的な視覚装置はシートだけである。そして、そのシートに命を与えるものは風だけだ。つまり、主な役者はシートと風だけなのだ。このシンプルでどこにでもあり、誰でも見たことがあるような現象から、今まで見落としてきたような気付かなかったような新しい感覚を導き出す鮮やかさがここにはある。それは清々しさを見る者に与える。作者が彫刻家であることから、私は同作を彫刻として見てきた。そうすることで、現代彫刻が模索する方向の1つを示唆しているさまも垣間見えた。ただ同作の鑑賞には時間の流れを必要とする点は、彫刻の概念から大きく逸脱するものである。それをどう捉えるかは様々だが、「彫刻の鑑賞」方法に一石を投じるものでもあろう。かつて彫刻は建築の一部であり、その意味において私たちを周囲から取り囲んでいた。やがて彫刻は分離したが、今ふたたび新しい形で鑑賞者を取り囲もうとしているのかもしれない。

 人類の造形した芸術物で最も古い発見物は彫刻である。数万年にわたり、私たちは形にこそ命は宿ると信じてきた。しかしその人類史的記憶に基づく感覚は整理分割され、命は現象であると捉えられるようになった。現象が物質と関係することが形成であり、その結果が形だと言うのだ。その物言いに従うなら、永く彫刻家は最終生成物を造形し、そこからそれ以前を感覚的に蘇らせようとしてきたことになる。クレーのように過激に言えば、彫刻家は死体から生きた姿を想像させようとしてきたのだ。そういった流れの末端において、大巻氏の同作は、形成そのものに目を向けさせようとしている。

 彫刻の今はどうなっているのか。彫刻に今何が起こっているのか。彫刻はこの先どうなっていくのか。ゆっくりとはためく白いシートは存在の境界でありつつ、彫刻表現そのものの境界でもあるように思えた。

2015年5月25日月曜日

教育。未来をつくる自由時間

 意思、文明がいつ芽生えたか。そんな答えのない疑問に時々思いを巡らせる。それらが生まれた具体的な事象や時間についてはそれこそ確認のしようがないことだが、生まれたきっかけや原因については「こうであろう」と推測することは可能だ。なぜなら、私たち自身の身体がそういった歴史を通り抜けてきた形なのだから。

 都会では、移動に何かと電車やバスを利用する。乗り物に乗ってしまえば後は運んでくれるから、その間に読書もできる。公共移動機関がない時代は自分で歩いていたので、読書などできない。つまり、社会が安定しシステムが整うと、それまで自分でしていたことをしなくてもよくなり、その分の「自由時間」が手に入るようになる。意識、文明というのはこの自由時間を手にしたことが大きいのではないか。
 生活のために全てを自分でしているうちは、その事だけに手一杯で、自分の周り以外からの情報を入手して世界を広げることなどできないだろう。流れ作業の中で考え事をすることはできても、自分の内のものをこね回しているだけでは、広がりに限界がある。自分が知らなかったこと、持っていなかった知識、そういう「外からのもの」を入手することが、自己世界を広げることに繋がっている。しかし、それら自分の内に無かったものを自分のものにするには時間が必要なのだ。理解する時間が。そういう事に時間が裂けるようになり、「知のちから」を知ることから発展して文明が気付かれていったのではなかろうか。

 文明の前に意思が生まれていただろうが、その記録として古代芸術が指針となろう。出土した最も古い時代の頃はまだ狩猟時代だ。それでも、狩猟の技術が高度化し、きっと獲物も豊富な時代で、狩りをして生きる事だけに全生命を傾けなくてもよい時代になっていたのだろうと想像する。そんな中で心に自由時間が生まれ、自意識に気付き、芸術を生み出し、知の記録と伝承という文明への準備が始まった。そういった心の準備が整っていたからこそ、やがて小麦を栽培するという農業革命も起こりえたに違いない。そこには高度な知識の伝達が不可欠だからだ。

 現代では、知の伝達はだいぶ体系立っている。「学校で学ぶ」という一連の仕組みは、言わば生きる事に直結していない自由時間を「有効なしくみ」として明確に生活から分離して与えるものである。重要なのは「今を生きることに直結していない」ということだ。今を生き残る訓練だけをしていては先の発展が起こらないのである。特に義務教育課程においては、そのような「ハウツーもの」は必要としない。それらは各家庭で親家族から得るものとしているのだろう。時々、「因数分解や理科の実験など社会で必要か」などという素朴な疑問を聞くが、答えは上記の通りだ。もしくは繰り返し言うなら、人類は長い時間を過ごした「生きるためだけの知識の習得と実践」という自転車操業的な低い発展性の時代から、やっと手に入れた自由時間を利用して、知を集積し伝達することによって文明を作り出した。それを現代的には教育と呼ぶのである。
 我々はそこに、文明と私たち自身の未来への更なる拡張の可能性を託しているのに他ならない。可能性を広げておくには、具体的な目的は掲げられない。だから、学校で学ぶことは、明日必要なことではない。そこで知ることは「広がる未来を生み出すピース」のひとつひとつなのだ。

2015年5月18日月曜日

解剖学知らずの美術解剖学

 解剖学を知らない解剖学者はいない。その言い方自体が言葉としても矛盾している。
 一方で、解剖学を知らずに美術解剖学に携わっている人は少なくないようだ。

 解剖学は、恐らく一般的に思われている以上に、形に対して厳格だ。それは様々な医療行為とも密接に関係してくるから当然なのである。
 しかし、現代の美術解剖学には、解剖学に見られるような形への厳格さを感じない。図版では骨や筋が描かれていても、その形や構造関係には無頓着なものがほとんどである。これには多分、人の形へのアプローチの違いが表れている。解剖学は、そもそも体内の器官そのものへの興味から始まっているから、自ずとそれらの形態や相互関係が重要になる。一方の美術解剖学に携わる人の多くは美術関係者であって、美術における人体とは、あくまで「人の形」をした統合体から始まっている。だから、彼らにとって体内の器官、つまり個々の骨や筋は、人の形を構成するパーツでしかないのである。パーツが組み合わさった統合体としての人体は、人体デッサンやプロポーションなど、別のアプローチで体得するから問題ないと漠然と思われているのだろう。

 結果的に、美術解剖学的に描かれた筋骨格図を見ると、その多くが、個々の部位の位置関係に無頓着なものになる。それは、解剖学を知らない者が見れば何でもないだろうが、知っている者の目にはひどく異様に映るのである。

 以前、画家が描いた仰向けに寝ている全身骨格のデッサンを見た解剖学者が「これは立っている骨格を見て描きましたね」と言い当てていた。もし、解剖学的視点を盛り込みたいのなら、骨格や筋を覚えるだけではなく、分解した各所の再構築(つまり統合体としての人体)にまで意識を持っていくことが大事な基礎である。

2015年4月24日金曜日

知るにはまず信じよ


 ある物事について知るということはどういうことか。どのような過程で私たちはそれを知るのか。知るということはその事を信じるということだ。

 私たちは、この世に生まれ出でたとき、人間社会で生活するすべのほぼ全てを知らない。やがてそれを、家族から知り、学校というコミュニティで学び、実社会で経験していくことで知っていく。
 知ることが人間としての成長と繋がっているのだとするなら、良き成長には良き知る能力が不可欠であって、それはつまり「良き信じる能力」を指してもいる。世界を、社会を、隣人を知るには、それらを信じることができなければならない。

 信じることができて始めて知ることができるのだ。私たちが何かを知るとき、気付いていないかも知れないが、そのすぐ前にある「信じる、という門」をまず開けている。知ることで信じられるのではない。信じることが知ることに繋がっているのである。
 
 私たち人類は、教育を通してある一定の価値観を共有し、それによって集団の安定をはかり向上を目指し続けている。この互いの知識、価値観を共有する過程において重要なことが、互いを知り、世界を知るということにある。もし、人間以外の動物のように、信じることを知らず、本能が導くことだけを頼りにしていたならば、現在の人類文明はありえないだろう。根本的には根拠がないけれど相手をまず信じるという能力が、その先の「知る」へと導き、その知の連鎖が文明を文化を形成させるに至ったのだ。信じるというのは人類が持つ特有の、そして強力な能力であると思う。
 日本人は少年期の9年間は義務として教育を受ける。その間に学んだことを全て覚え活用するとは限らないが、様々な形でその後の人生のベースとして役立っている。この、学校教育で知る学業的知識に限ってみても、私たちはまず先生を、教科書の記述を信じることから始まっている。「信じ」て歩みを進めてみることで始めてそれが真実だと「知る」。

 信じることで得られる絶大なる効力を、私たち人類は経験的に、つまりほとんど本能的に感じ取っているのだろう。信じるという行為がより強調された活動として宗教も生まれたのではないだろうか。宗教は「信じる」という行為が高度に純化された活動である。

 知識が大事とはよく聞くが、信じることが大事とは余り聞かない。だが、知識は信じることの先の話なのだから、本当ならまず「信じる能力」を磨く必要があるのだろう。

 疑念は知ることを疎外する。「信じられない」「信じることができない」ということは、知ることの放棄を意味している。信じられない人生は偶然だけに任せられ、その世界は一向に拡張しないだろう。その人は疑念と呼ばれる閉じられた小部屋で生き続けることになるのだ。
 恐れもまた疑念を生む。しかし、疑念は恐れより恐ろしいのだ。疑念は恐れの穴をより深く掘る。恐れを克服するには信じなければならない。しかし、疑念で掘られた穴に塡り込む人は多い。

 「信じるものは救われる」という言葉があるが、何も宗教にしかあてはまらない言葉ではない。これは人類にとって真理でさえある。私たちの遠い先祖も、まだ見ぬ新天地がきっとあると「信じて」歩み続けてきた。私たち人類はそもそも皆「信ずる者」なのだ。

2015年3月19日木曜日

境界が気になる

 境界が気になる。いつからか、境界が興味深く感じるようになった。世界は境界に溢れている。あまりにも多いから例は挙げないが、中でも私が興味深く感じるのは、道を歩いていて、緑地など自然状態の場所とアスファルトなど人工的な場所との境界。自然と人工がぶつかり合う場所。また、もっと自然な状態で劇的な境界を見せるのは、水辺だ。海の岩場などで水面を覗くと、そこには地上では生きられない動植物がいる。すぐそこに居るのに違う世界。その境界は水面。水中と陸上の境界は劇的だ。また違った趣きの境界を見せるのは、街にある神社。参拝者は社の奥に向かって祈るわけだが、建物の後側に回ってみると、その先には住宅やビルが建っている。建物の後の壁が信じる気持ちの結界として働いているわけだ。神社仏閣、教会などの建物の壁は、家やビルの壁とは存在の意味合いが違うのだ。

 同様の境界は、私たち自身の体にもある。そもそも外部との境界が無ければ生物は存在できない。複合的かつ複雑な構造物となった私たちの体では、その内部にも多くの境界があって、そこが気になってしょうがない。いくつもあって、具体的に挙げていきたいけれど今は時間がないので、また今度。

2015年3月5日木曜日

彫刻はデバイスではない

 彫刻作品が「デバイス」と呼ばれることに違和感を覚える。デバイス(device)と聞いて頭に浮かぶのは、何らかの目的のために作られた筐体、例えばパソコン本体であるとか携帯電話であるとかテレビであるとか、そう言うものではないだろうか。それらは確かに物質として置かれているが部屋に置かれることに価値があるのではなく、その物がもたらす”何らか”こそに価値があるものだ。彫刻がデバイスと呼ばれるのであれば、その彫刻はそこに置かれている作品形体そのものが重要なのではなく、それが見るものに何らかの感情変化をもたらす、そのこと”だけ”が彫刻の価値であると言っているように聞こえる。それは、絵画作品であれば納得できる。絵画は額縁という窓で区切られた内側に、仮想世界が広がっている。絵画作品はその仮想世界をこちらへ伝える装置(デバイス)であるとも言えなくもない。それでもひどく味気ないが。

 しかし、彫刻は違う。彫刻は仮想世界に立っているのでなければ、そこに私たちを案内することもない。あくまでも私たちと同じ時空に存在しているのだ。確かに、彫刻を観る私たちの心には何らかの感情変化がもたらされるが、それは仮想世界に浸ったそれではなく、今目の前にある形についての感情変化である。彫刻が群像劇に向かなかったり、一瞬の表情表現を拒むのは、このような理由によるものだ。彫刻はあくまでも、「今、ここ」から発するのである。もしくは、彫刻には「それしかできない」のである。

 そしてまた、彫刻は鑑賞者の感情変化をもたらす要素が、その存在そのものにある点も絵画と違う。その存在と要素とが完全に一致し離れることはない。この存在のありようは、私たち人間のありようと同じである。あなたを世間が認識するのは、まさしくあなたという存在を通してである。彫刻をデバイスと呼ばれるときに感じる違和感は、ここに繋がっている。「あなたという存在は、あなたを表現するためのデバイスである」と言われて違和感を覚えないひとはいないだろう。こう言われてわかることは、ここに心身二元論的な概念が根付いているということだ。デカルトが人間存在を機械的肉体と霊的精神とに分けたことと似通っている。更に、情報化と呼ばれる現在の状況も関係しているに違いない。何万円も出して手に入れるパソコンやケータイは、もはやその物質的存在にはさほど価値を見出されない。それらがどれだけ効率よく情報というかたち無きものを与えてくれるのか、それが重要で価値なのだ。このように、存在を「物質と情報」とに分けることに親しんでいる現在では、彫刻もまた、「形とコンセプト」のようにハードとソフトとに分けられると、”思い込む”。

 私たち自身が、変化無き一個の魂と衰え行く肉体とに分けられると考えるのはたやすい(この事実こそが驚異なのだが)。しかし、事実は違う。生まれてから死ぬまで、肉体も精神も共に変化し続けている。それらは全く切り離して考えることはできない。そして、あなたという存在が他者に認識されるのも、心身同体のあなたの全存在を通してなのだ。あなたが変われば、世に映るあなたの像も変わる。彫刻も全く同じである。彫刻はその形を通して、たったそれだけを通して、世界と繋がっている。彫刻は仮想世界から何かを引きつれてくるアンテナではない。そこに存在する、木や石や金属や土で出来た形態そのものが彫刻芸術の全てなのだ。

2015年3月4日水曜日

解放空間で試練を受ける彫刻たち

 先日、箱根彫刻の森美術館へ久しぶりに行ってきた。雨降りだったが、それほど寒くはなかった。屋外展示を全てみることはできなかったのだが、それでも解放空間に置かれた彫刻の存在感を感じることはできた。

 近代以降の彫刻は、従来の外に置かれる大きなモニュメント作品から美術館という建物内での展示へと、置かれる場所が変化していった。このことは、空間の影響と共にある彫刻作品にとって、非常に大きな要素の転換である。
 屋内に展示されている時、それが大きな展示室であったとしても、鑑賞者の目には作品と共に天井や壁が映り込む。それに、その空間内に自分が踏み入っているという認識も持っている。だから、屋内に展示される作品は、必ずそれが置かれている空間、部屋との相対関係が生まれているのだ。「屋内だと作品が大きく見える」というのもその影響の一例と言える。それに、屋内展示だと私たちはより作品に近づき、時間を掛けて鑑賞する傾向があると思う。静かで、その作品の為に用意された空間だと、鑑賞にも集中するのだろう。
 一方の屋外展示では、地面以外は空間を隔てる要素がない。外に置かれた作品は、室内という守りの壁を持たず、その意味において、真に自立した状態であると言えるだろう。だからだろうか、作品によってはどことなく心細く佇んでいるように感じられる。それはまさに巣立ったばかりの小鳥のようだ。そして、そんな弱々しさを図らずも露呈してしまった作品は、やはり屋内展示を暗黙の前提として作られたようにも見えるのである。近づくと細部まで意識を集中して造形した密度を感じる。しかし、風が吹き雨に濡れ、曇り空からの拡散光線に包まれてしまうと、そんな近視眼的造形密度が持つ意味は薄らいでしまい、こちらへ訴えかけては来ない。何か、風で飛ばされてきた木の枝一本を足元に見るような弱々しさがそこにはある。
 だが、風雨にさらされてもなお、強い存在感を放っている彫刻たちもある。そう言うものは大抵細部などこだわってはおらず、大きな面と大きな量を大胆に動かしている作品である。それらは、白い光に包まれても負けないだけの光と影の強さを持っている。数十メートル離れたところから見ても、存在の強さを放つ。それらは、はなから室内にいることを拒絶している形なのだ。それは、大木であり巨石であり、またはゾウのようだ。屋外にあっていきいきとしている。風雨にさらされることを受け入れている。

 彫刻と一言で言っても、どこに置かれ、どの距離で鑑賞されるべきかは作品毎に違う。当然ながら作家はそれを想定しつつ制作しただろう。しかし、作品が世に出て時が経てば、想定したのとは違う場所に落ち着くことも多い。彫刻の森美術館の屋外には、そうして、様々な想定のもとに作られた彫刻たちがまとめて屋外に置かれている。そのことがまるで、各彫刻が外世界の解放空間に耐えられるのかという試練を受けているようにも思える。もちろん、素材的な強さではなく、作品性の強さである。
 彫刻とそれが置かれる空間との関係を様々な条件下で体験できるという意味でも、この美術館は貴重であるし、実際、楽しい。


2015年2月27日金曜日

ヌードモデルと描き手の関係

 人体を造形するには、モデルの観察が必要になることが多い。美術大学などの美術系教育機関では授業でモデルデッサンを行う。作家としてモデルを雇う人は全体的には少数派だろうから、モデルデッサンと聞くと学校の授業を思い起こす経験者が多いのではないだろうか。それでも社会全体で見れば経験者の方が圧倒的に少ないから、一般的にはモデルデッサンと言われてもあまりピンと来ないのではないだろうか。

 どういうことが行われているかと言えば、外から見えないようにカーテンが閉められた広めの部屋の真ん中に「モデル台」という30㎝ほどの高さの直径1.5メートルほどの台があり、そこに毛布が引いてある。そこでモデルさんがポーズを取る。ポーズはこちらが指定することもあれば、モデルさんに任せることも多い。実際、ほとんどのモデルさんが「絵になるポーズ」を心得ている。時々、個性的なポーズやアクロバティックなポーズで頑張るひともいるが、そういう人はごく少数だと思う。ポーズを取る時間は15分から20分で、続いて5分などの休憩を入れる。このポーズ、休憩のサイクルを全セッションの間繰り返す。時間管理はモデルさん自身がタイマーをセットするのが普通だ。アラームがなると描く側が「お願いします」と声を掛け、終わりの時は「ありがとうございました」や「お疲れ様でした」と声がけする。ポーズは全セッションを通して固定ポーズのこともあれば、ポーズごとに変えて貰うこともある。ポーズは「立ち」、「座り」、「寝ポーズ」がある。座りは、ポーズ台に腰を下ろすものや椅子に座るものもある。ポーズにモデルさんの個性が表れると言える。
 モデルさんは、個性のある人が多いように感じるのだが、多分これは、単なる思い込みだろう。誰でも個人と対峙すればそれなりに個性的だ。通常はモデルさんに話しかけることはない。指導側は挨拶がてら少し会話することがあっても、絵描きの学生がわはポーズ前後の声がけ以外でモデルさんに話しかけることは通常ない。

 モデルと描き手の関係性について考えてみたい。モデルという仕事の確立には、描き手という需要がまず存在しなければ成り立たない。描き手の需要に対してモデルが供給される。一対一ならば、ここに顧客としての描き手と商品としてのモデルが成り立つ。モデルは生きた人間なのだから商品という表現は引っ掛かるが、模範や広範的な型を意味する「モデル」と呼ばれるように、その存在の概念としては、「特定の誰か」ではなく「概念的なヒト」として取り扱われる性質のものでもある。その概念に対しての言葉であるなら、モデルとは商品であると言うことも出来るだろう。さて、描き手とモデルのシンプルな関係性は理解しやすい。描き手の必要に対してモデルが応じるということだ。やがて規模が大きくなると、描き手とモデルの間にエージェントが入り込む。要するにモデル派遣会社である。そこが窓口となることで、描き手はモデルを探しやすく、モデルも仕事を得やすくなった。現在の日本での美術教育機関では、エージェントを介する形態が一般的である。このことは、便利である一方で、描き手とモデルとの距離感をより遠ざけるものになった感は否めない。描き手は「発注者」としてエージェントに希望するモデルの性別や体型などを伝え、希望に近いであろうモデルが当日、モデルセッション会場に現れる。描き手はその人物が誰なのか全く知らずに描き、そして時間で終わる。発注者は料金をエージェントに払い、モデルはエージェントから代金を受け取る。こうして、「見る・見られる」だけが純粋化し、モデル・絵描きの関係性はドライなものになった。

 絵描きは今や裸体を見たい(形態を確かめたい)に過ぎず、それが「誰」なのかは知る由もない。モデルは服を脱いでポーズをするに過ぎず、見るもの(絵描き)が何を知りたいと思っているのか知る由もない。こうしてモデルは人の「模型(モデル)」になりきる。
 さて、この遠ざかった両者の関係性が、時々トラブルを生む。それはモデルが「模型」であり「ひと」であることに理由がある。描き手はモデルとして認識しているために「物」のように捉えてしまう。これは、それが否定されるべきものでもない。ここまで見てきて分かるようにモデルの存在そのものがそのニーズに応えるためにあるからだ。しかし、その為に悪意なく意識せず「人としてのモデル」に対して失礼な事をしてしまうことがある。例えば、不意に部外者がドアを開けてしまうとか、絵描きが近づきすぎてしまうとか、部屋が寒すぎるとか、色々あるだろう。きっと細かいことはもっとあるのだろう。しかしながら、「人としてのモデル」が何が不快なのか、それを完全に絵描き側が知ることは残念ながらできない。
 モデルが「人として」不快な思いをしないように、また商品として適切に扱われるように、モデルエージェントが規定を設けているようだ。それは依頼を受けたときに規約として示されるのだろうが、私自身は直接依頼したことがないので”それを知らない”。なぜ、”知らない”を強調したか。これはおかしな事だからだ。モデルと描き手との関係性が純化し遠ざかった今、互いが互いをどのように扱ったらいいかも他者つまりエージェントに任されている。しかし、現場で対峙するのはあくまでもモデルと描き手なのだ。問題がおきるのはアトリエ内において、描き手とモデルという「人と人」との間に起こるのである。私自身、モデルセッションで何度も講義を行っているが、実際のところ「何が良くて、何がいけないのか」知らないのである。そんなのモデルの気持ちになって考えてみればいいじゃないかって?それはモデルにならなければ分からないことだと既に述べたし、それを描き手に要求するのは、エージェントを介する関係となった現在の両者ではフェアーではない。

 モデルと描き手の関係が、特にここで述べてきているのは1対1ではなく、学校など多数の描き手がいるような状況(もっともよくある状況)では、ちょっとしたことで両者にとって心地よくないものになってしまうことがある。そこにはモデルを物として見るか人として見るかの「慣れない対応」を迫られる描き手による不手際と、モデルのうかがい知れない不安感が相まって起こるのだが、それを恐れて描き手が萎縮してしまうようなセッションは、もはやセッションとして成り立っていないというべきだろう。しかし、実際のところはそうならないための緊張感が常にアトリエに流れている。今や、描き手は「”脱いで頂いた”モデル」に最大限失礼の無いように留意しなければならない。これは、絵描きとモデルの関係性が本来と逆転している。「個人的に頼んでもいなければ、お金も払ってもいない(間接的に頼んでいるし払っている)どこかの誰かが私たちのために脱いでくれる。そのような献身的親切に失礼のないようにしなくてはいけない」というメンタルである。だから、モデルを見るというより「見させて頂く」というものになる。近づいて、じっと見たら失礼なんじゃないか。正面から顔を描いたらいけないんじゃないか。「・・・は失礼なんじゃないか」が蔓延する。実際、私の経験ではそのような空気感をセッションで感じることがある。こんな消極的姿勢では、まさに本末転倒である。

 モデルが「裸になってくれるどこかの誰か」になった今、描き手はいつまでもモデルの扱いが分からないままで、それが問題なのだ。これを解消するために、モデルエージェントは、アトリエにおけるモデルの取り扱いを明文化し、それをモデルに持参でもさせたらどうだろうか。いまや彼らがモデルを保護する存在でもあるのだから。そうして言葉でがんじがらめにするのは、芸術活動とはなじまないという感じもするものの、これはモデルと芸術家という1対1の関係の話ではなく、学校など初級者が多数いるようなセッションでの想定である。何が良くて、何が行けないのか、その指針が示されれば、描き手たちもその中で安心してモデルと対峙できるだろう。明文化される段階において、絵描き側にニーズも当然そこに反映されなければならない。そうすることで、両者の関係性がより明らかにもなるのではないか。こういう事を言うとドライに聞こえるかもしれないが、そういう時代なのだとも思う。

2015年2月26日木曜日

ロダン 印象派彫刻

 ロダンは印象派の彫刻家とも言える。いや、彼の生きた時代、場所からすれば、印象派の彫刻家と言って良い。ただ、印象派という言葉は、主に絵画芸術の運動と結びつけられるので、ピンと来ない。けれども、彼の造形を見れば、それが同時代の印象派絵画とそっくりのコンセプトが基にあることに気付く。要するにそれらは、実測に基づいた正確性というより、心に映る「らしさ」をより優先した造形である。また、彼の塑造の特徴である荒く見える粘土付けは、印象派絵画に見られる荒い筆のストロークを思い起こさせる。鑑賞者は、その整えられていない細部に、作家がまさに手を動かした証拠を目の当たりにし、そこに芸術家の心の動きを感じ取るのである。その作家の感動と同調するとき、彼の感動は私たちのものとなる。

 思えば、絵画は印象派によって、外世界の描写から、作家の主観性へと対象が大きく変化したのだ。そこに描かれた風景は私たちの外の物ではなく、もはや内の物である。私たちが生きているように、その風景たちは独自の生命を持って立ち現れる。

 ところで、印象派が絵画運動として見られるのは、絵画は光学的表現であって、それが眼という光学的器官を通して世界を見ることから始まる現象とリンクしている。つまり、印象派絵画は、「見る」や「見える」という視覚的、光学的感覚への探求が根底にある。
 ロダンの彫刻に見られる激しい粘土付けのストロークが残る表面処理は、それがある程度の距離を離れて見られるときにもっともその効果を発揮する。その細かな凹凸の陰影が寄り集まり、それを包む大きな構造の陰影に”心地よいノイズ、もしくはリズム”を与える。凹凸が陰影として捉えられるとき、彫刻は光学的に捉えられる媒体となる。「触覚の芸術」から「視覚の芸術」へと延長が果たされているのである。
 ロダンは、ボリュームやマッスのようにその存在感が強く謳われるが、それだけではなく、現代彫刻的な「非触覚的」で「光学的」な表現の近代的はじまりでもあるのだ。

 さらにまた、「内的生命」を宿すと形容される彼の芸術も、まさしく印象派的手法によってもたらされたと言って良いだろう。ロダン彫刻が、それ以前と違って、作品独自の生命(感覚)を獲得し得たのは、それらがロダンという芸術家の生命が捉えた「生の印象」がそこに刻まれているからにほかならない。

2015年2月24日火曜日

死にものぐるいの形

 「しっかり生きろ」や「何となく生きる」などのように、人としての生き方についての文言は多くある。要するに、社会に対してどれだけ関わっているかが、ここで問われている”生きる”の質だ。それとは別に、と言うか、生きるということの本質である”生物学的な生”で言うなら、人はすべからく「本気で生きている」ということになる。私たちの体は、細胞が受精したときから、一時たりとも、生きることに気を抜くと言うことをしない。

 私たちは、気付いたときには「生きていた」から、生きるという現象をことさら不思議に思わないものだ。それが脅かされるような状況、つまり大けがや病気などになって初めて、普通に生きるということの驚異に気付くありさまである。我々が、自分の意思など遠く及ばない領域において”生きよう”としているのを実感するのは簡単である。息を止めてみればいい。自分の意思で、道具など使わずに息を止めて、それで死ねる人間はいない。

 私たちは、35億年の長きに渡って、一度も途切れることなく継続できた、ほとんど奇跡的な現象の末裔である。それは、”生きよう”とするあまたの生命現象同士の篩いの掛け合いでもあった。地球上に登場してきた生物のほとんどがそこで通過できず、消えていった。だが、私たちは違った。残ったのだ。そこには、さまざまな過酷な状況を突破できた運と、何とかして乗り越えようとする生命現象的な意思とが見事に功を奏した幸運な成功者の姿がある。

 そもそも「生まれた」という事実が、「生きよう」という現象の事実を物語っている。生きようとしない誕生など成り立たない。私たちを構成する60兆の細胞の全てが全身全霊で生きようとしていて、それによって構成された「私」という個体もまた全身全霊で生きようとしているひとつの体系なのだ。
 だから現象としての生には、私たちの意識の入り込む隙間などない。私たちの存在は、何とか生き抜こうとするためにデザインされている。

 「死にたい」なんて言葉をつい言いたくなるときもあるかもしれぬが、そんな言葉は体には関係がない。体が物言えるならこう言うだろう。
 「そう思わなくたって、いずれそうなるさ」
 多細胞生物としての個体死は必要だから用意されたものだ。私たちが35億年にわたり途絶えなかった成功の秘訣の1つが個体死の適応である。変わりゆく世界において変化に柔軟に、かつ常に刷新された形であるためには、そこに個の交代が必須である。だから、私たちの生には元から死もセットで組まれている。むしろ意味なく死なないことは害悪でしかない。それは、あたかも増殖を続けることで個体死をもたらす癌細胞を思い出させる。私たちの体は死ぬときを知っている。生きる意味が無くなったと判断されれば、速やかに生の継続を止める。
 
 とにかく、私たちは皆、死にものぐるいで生きているのだ。自分の手を、鏡に映る顔を見て欲しい。無駄なお飾りでくっつけたような部分が1つでもあるだろうか。「死にものぐるいの生」に形を与えたら、人の形にたどり着いたのである。死にものぐるいの形である。

人をまとう魚

 人体は、初めからこの形で地球上に現れたのではない。少なくとも科学的にはそう断言しても良いほどに条件が揃っているということだ。だから、遠い過去に遡るとその地球上にはどこにも人間の形は存在しなくなる。例えば7千万年前の恐竜時代には、まだ人間の形は存在していない。その頃の「やがて人間へと続く動物」はネズミや猫ほどの小さな4つ脚の哺乳類だったそうだ。このようにしてどんどんと過去へ遡れば、やがて体毛も消え、体温を作ることもせず、徐々に水辺へ近づき、仕舞いには水中へと入っていく。つまり、私たちはかつては魚の形だったのだ。進化の順で言い直せば、「魚の形が、人の形になった」のである。このように、進化的な長い時間を経てある生物の形が形成されることを系統発生とも言う。一方で、私たち個人は、あたりまえだが、母親から生まれる。それも魚の形で生まれてくることはない。だれでも、初めから人の形で世に出てくるわけである。だれでも生まれたときから人の形だから、私たちは生物史的にもずっと人間の形をしていただろうと漠然と思いやすい。だから、神話や宗教で語られる人類は初めから人間の形をしている。けれども、よくよく考えれば、生まれ出る前から母親の胎内ではすでに存在していた。その期間(およそ10ヶ月)の初めの2ヶ月は胚子期と呼ばれ、このころに体の器官が形成される。つまり、人の形がゼロから(いや、1個の細胞から)作り出されるのはこの2ヶ月間のお話ということである。この間の胚子の形の変化を見ると、細胞分裂からそのままスムーズに人の形ができて”いかない”ことに驚く。初めは尻尾が長く、顔の脇にはいくつもの溝がある。それはまるで数条のエラの切れ目を持つサメのようだ。やがて、腕と脚ははえ出てくる。その先にはヒレがある。そう、魚のヒレ。このヒレの水かき膜が消えていき、残された骨周りが指となる。このように、人の形の出来方はまるで魚から人への進化のようだ。このような人の形が形成されることを個体発生と言う。私たちひとりひとりも、はじめから人の形としてできるのではなく、まず魚をつくって、そこから人の形へと変形させているのだ。つまり、系統発生的に見ても、個体発生的に見ても私たちの体は「魚の変形体」というようなものだ。もしくは、「乾いた陸上生活に適応した魚のなれの果て」とでも言おうか。

 魚の変形体である私たち。自らの形に魚の形の断片でも見出すことができるだろうか。そう思って見回してみれば、共通する構造はいくつか見出せる。目がふたつに口がある頭部。背骨や肋骨も共通している。しかし共通しない部分も多い。魚に耳は?まぶたがないぞ。首がないな。等々。もちろん、両者で最大の違いは呼吸器(エラと肺)だろうが、構造的に見えてくる違いが多い。そしてそのほとんどが、魚が上陸したことで身に付けざるを得なかった機能である。つまり、「後から加えた」ものだ。ここで、非常に興味深いのは、生物はどうやら初めから持っているものでなんとかやりくりしたいと思うものらしく、新しいものが必要となるとそれをゼロから作り上げることはせずに、もともと体にあるものを改変していく傾向があるということだ。だから上にも書いたように、私たちの腕や脚は上陸してお役ご免になったヒレの再利用であるし、空気の通り道である気管周りも、使わなくなったエラをリサイクルして作り上げている。

 この時、ヒレから作り出された腕と脚は、水中時代とは比べものにならないほど大きな役割を担わされることになった。すなわち、重力に逆らって体を運ぶ、ということだ。その為に、この4本の突起の根本には筋が広く発達することになる。しかしそれらの筋は、もともとの体の中へ侵入することはない。体の表面に広くその場を求めた。それはまるで、地中に根を張ることができない大木が、その根を地中浅くしかし広く張るかの如くである。その結果、私たちの体の形を作り上げている筋肉は、層構造をなすことになる。それもだから、深層に魚時代の筋層を、浅層に上陸してからの筋層を重ねたかたちとなっている。

 外から見ただけでは、見慣れた「人の形」だけが目につくが、その形は長い歴史の基にたどりついたものだ。そしてそれは、この形を目指してたどり着いたものではない。環境の変化に対峙したとき、その場その場で、手元にあった体を改変して何とか乗り越えてきた”結果のかたち”である。生物の形はだから、それが続く限り、いつでもが「暫定的完成形」ということなろう。

 ところで、人体において、表層にまとっている「人の形」を取り去ると、そこには古い「魚の形」が立ち現れる。それは、3億5千万年前から隠してきた太古の姿、私たちのひとつの起源的な姿にも見えて興味深いのである。



2015年2月23日月曜日

解剖学に見る人間味 脊髄神経番号へのアイデア

 解剖学は、自然物である人体を人間が理解できるように部位に分けてグループ化し名称を与えたものだ。だから、色々なところに人間の都合や癖のようなものが見え隠れして、ある意味、とても人間味溢れている。もっとも分かりやすいのは、解剖学名だろう。基本的には「分かりやすいように」という配慮のもとに命名されているのが分かるが、その基準が安定していない。例えば、「三角筋」や「方形筋」のように、見た目がそのまま名前になっているものがあると思えば、「胸鎖乳突筋」のように筋の着く場所を名前にしているものがあったりする。胸鎖乳突筋などは、骨の名前を知っていれば直ぐに分かるが、知らなければ何のことか想像も出来ない名称だろう。ちなみにこれは、「胸骨と鎖骨から始まって、(側頭骨の)乳様突起まで行く筋」という意味である。解剖学を学ぶ時はまず初めに骨学から入るものだが、それには上記のような理由があるわけだ。他に、構造の形状を示す名称には、よく使われる言葉が決まっている。それらは「溝」や「孔」など、一般的にもイメージしやすい言葉が多い。ただ、興味深いのがポチっと出っ張ったものには「乳頭」という言葉が与えられ、より大きな突起部は「乳様」と呼ばれることだ。どちらも女性の乳房をイメージして命名されている。歴史に登場する解剖学者はほぼ全て男性と言って良い。それが影響しているのかどうかは分からないけれど。
 初めにも書いたように、解剖学は「人が勝手に決めた」ものだから、それに対する見直しや再発見は現在でも行われている。解剖学関係の論文では常に批判的視点から従来の記述に見直しが図られている。そういった中で概ね妥当だろうと判断されたものは、徐々に受け入れられ、やがて解剖学の成書に反映されるようになる。だから、解剖学の教科書に書かれている内容は「ほぼ信じて良いけれど、もしかしたら今は(今後は)見方が変わっているかも」というところである。
 また、解剖学的な分類や名称は、機能よりも構造を重視しているようだ。脳神経は12対あるが、それを機能で見れば違う分け方ができるのだが、とりあえず「頭蓋に開いた孔から出る神経」という程度で12対としたのだろう。それがそのまま継承されている。「分かりやすいから、それでいいんだよ」という”ゆるさ”が感じられるのである。

 神経で、背骨から出てくるものを脊髄神経という。それはひとつひとつの脊椎の間から左右に出てくる。それを上から数字が振って脊柱の部位毎にグループ分けされている。人間の脊椎の数は決まっていて、頸椎が7つ、胸椎が12、腰椎が5、仙骨1つに尾骨となる。ただ、仙骨は5個の椎骨のくっついたものである。さて、ここから出てくる脊髄神経の数だが、椎骨の間から出てくるのだから、椎骨の数と同じで良いと思いたいところだ。ところが実際は頚神経が8、胸神経が12、腰神経が5、仙骨神経が5、尾骨神経が1である。お気づきのように、頚神経だけが椎骨の数より1つ多い。頸椎の一番上には頭蓋が乗っかっている。この頭蓋と第1頸椎との間からも脊髄神経は出てくる。これを「1」とカウントして始まる。すると、肋骨が始まる第1胸椎の上の隙間までが「8」になるのである。それで、第1胸椎の下の隙間から「胸神経1」が始まるのだ。そのように教科書にはしらぁ〜と書かれるので、こちらも「ふんふん」とそのまま受け取ってしまう。けれども、これがちょっとくせ者なのだ。まず、頸部だけ椎骨の数と数が違うのがそもそもすっきりしない。それに、頚神経だけが頸椎の「上」と神経の数が同じになり、そのせいで第1胸椎の上が第8頚神経とややこしく、更に、胸神経以下では、椎骨の「下」と神経の数が同じになるという”直感的わかりにくさ”を生んでいる。大体この解説を読んでも全くピンと来ないだろう。それは、この頚神経を8つとしたことが原因なのだ。
 単純に一番上から、椎骨の分類と同じ数でグループ分けすればそれでよいのに、と思う。つまり、頸7、胸12、腰5、仙骨5、である。で、最後の尾骨神経を従来の1から2にすれば良い。仮にこうすると、胸神経以下のナンバリングが全て1繰り上がることになる。このほうがそこから出てくる神経の種類もよりスッキリするように思われる。例えば、上肢への神経は腕神経叢という神経の「絡まり」を作るが、それは頸5、6、7、8、胸1から始まる。(これ以下より頚をC、胸をT、腰をL、仙骨をSと表記)。このうちC8とT1が合わさって下神経幹を構成するが、繰り上げればよりシンプルに「下神経幹はT1、T2」となる。つまり尺骨神経は胸神経由来と言い切ってしまう(!)。これは脊髄神経の皮膚支配域を示すデルマトーム図を見ても、その方がすっきりと見える。
 ナンバリングを1つずらすことですっきりするのは、下肢の支配神経群である腰仙骨神経叢でも同様である。通常、腰神経叢はL1からL4までで構成されるが、細い線維が1つ上のT12からもやってきている。1つ繰り上げてT12をL1とすれば問題ない。腰神経叢から出る神経の支配域は下腹部から陰部の前面と大腿部前面である。そして、L5から始まる仙骨神経叢は臀部から下肢の後面と下腿部、そして陰部に及ぶ。つまり、大まかに言えば、腰神経叢が下半身の前面を、仙骨神経叢が下半身の後面を担っている。そして、その境界つまり2つの神経叢の境界がL4とL5の間という事になる。これも1つ繰り上げれば、腰神経叢はL1からL5、仙骨神経叢はS1からの始まりとなって、明解になる。要するに腰椎部から出る神経は前面、仙骨部からは後面と言い切れるのだ。両の神経叢を跨ぐ腰仙骨神経幹がL5になるわけで、これも現状のL4という”途中感”から抜け出られるではないか・・。

 とまあこんな風に、既存の記載内容にケチを付けつつ見るのも、たまには楽しいかもしれない。500年の知識の積層の上で遊んでみるわけである。

2015年2月22日日曜日

解剖学とヌードクロッキー その情報量の差 

Benvenuto Cellini "A Satyr" 1544/1545
先日、ヌードクロッキー実習を行った。半年間、人体の構造とその見方を講義で行って、全カリキュラムの最後に実習を取り入れている。講義は、解剖学に基づいた人体構造の解説を、板書(というより”板描”か)を多用して名称より形状での理解を重視している。それでも、実物の裸体を目の前にすると、その情報量に圧倒される。経験者の私でも毎回そう思うのだから、学生に至っては、半年の講義などほとんど役に立たないだろうと思う。そんなことでは教える側としても不本意なのだが、しかし、こればかりは現実的に厳しいだろうと、ほとんど諦めに近い感覚を覚える。

 裸体を目の前にすると、例えば肩周りだけを観察しても、そこに現れる起伏の複雑さは相当なものだ。解剖学の教科書レベルで記述されている内容が、いかにその一部を極断片的に伝えているに過ぎないかを、実感する。そして、医学解剖学ではほとんど触れられない皮下組織の影響をまざまざと見せつけられるのである。つまり、皮下脂肪と皮膚の厚みによる影響だ。また、筋が作り出す凹凸も、単純に「力んだところが盛り上がる」というだけではない。例えば、通常モデルはポーズ中は静止している。しかし、生きているからゆらゆらと揺れるし、ときにはピクッと動く。その瞬間だけに凹凸が顕著に浮かび上がるのである。自動車が動き出すときにギアを一速に入れるように、動き始めに大きく筋収縮が起きているのだ。筋の部位ごとの境界線も、教科書のように素直に見えるとは限らない。例えば、肩の三角筋と、上腕三頭筋との境界など直ぐに分かるように思われるかも知れないが、実際には平均的な皮下脂肪量のモデルさんでは、定かではない。一言で言えば両者はほとんど一体として見えるのである。皮下脂肪が相対的に多い女性ではほぼ分かれて見えることはない。下肢の太ももやふくらはぎも同様で、解剖図譜のように各筋の境界線がそのまま立ち現れることの方がまれだ。内転筋とハムストリングスなどまず見えることはない。腓腹筋が内と外で分かれて見えることもない。これらの構成筋がその輪郭を明らかにするのは、皮下脂肪の少ない人において、先にも書いたように運動の瞬間(初動時)に限られるように思われる。
 とまあ、上記に挙げた例も、実際の裸体を前にすると極々小さな問題に過ぎず、膨大な「形態の事実」の大波にのみ込まれてしまうのが本当のところだ。

 この波に飲み込まれることを拒み、むしろ波に乗ってコントロールしてしまおうというのが、15世紀の初期ルネサンスから見られる「芸術家による解剖学の応用」だったのだろう。しかし、それをなすことは並々ならぬ努力があったに違いない。そこには強烈な意思がなければ、なしえないことだ。よく、美術史書などには、「解剖学を応用することで人体描写に現実性を持たせることが可能になった」というように簡単に書くが、「解剖学」を理解することだけでも大事であり、「人体描写」ができるだけでも大変な努力が要り、その両者を掛け合わせて「描写に現実性を持たせる」というゴールまで到達させるのは、並大抵の事ではないのだ。しかも、ここでのゴールは描写技術に限ったことであり、芸術はさらにそこに「画題」を語らせなければならないのである。高度に完成された芸術作品ほど、その表情はあくまで自然であるから、それが生み出される過程の多大な労力の積み重なりを隠す。
 私自身、人体の存在感の源泉として人体解剖学を捉えているのだが、その情報量と、実際の人体の情報量との格差に愕然とするものだ。科学という説得力と芸術という表現力とを融合させたところに、いわゆるマスターピースと呼ばれる作品たちの表現が存在している。あの目、あの技術のほんの裾の端でも良いから、掴めるような、そういう瞬間、領域にたどり着くことが出来るのだろうか。

 解剖学を知っても人体を造形できるようにはならない。それは、ごく始まりに過ぎない。骨や筋の名称を知ったところで、残念ながらそれらの知識は造形上、ほとんど意味を成さないのである。だから意味がないというのではない。それらは、「あいうえお」を習うのに等しい。人体描写を説得力あるものにしたいと思うなら、解剖学は初めに修めてしまうほうがよい。そして、その基礎力を基にしつつ、実物に出来るだけ触れなければならないのだろう。結局それは、過去の巨匠たちが通ったのと似た道である。

 ところで、人体の形態に関するシビアさは、医学解剖学より芸術のほうが遙かに厳しい。ただ芸術領域はそれを言語化して明言していないだけである。だから、医学解剖学書だけでは、芸術における要求を満たすことは出来ない。では美術解剖学書ならよいか、というと残念ながらそれも叶わない。なぜならそう謳っている書のほとんどが、単純に医学解剖学書を水で薄めたような内容に過ぎないからだ。つまり、現代においても人体描写に関する情報は明文化された形で手に入ることはないのである。真の意味での美術解剖学書というのを私は見たことがない。
 私たちができることは、解剖学で人体の形態に関する輪郭線を知り、実際の観察を通してそこに肉付けをしていくことだけであろう。結局これが最も効率的で近道であるということなのだろう。


2015年2月21日土曜日

「私」と「いのち」はどこに? 電脳人格と機械犬

 現在、インターネット上のネットワークを利用した人工知能の開発が進行しているという。その現状のいくつかが先日テレビで紹介されていた。その技術はマーケティング予想などで既に用いられているそうだが、その他に、「ひとの意識」問題にせまる研究も行われている。そのひとつは、既に亡くなっている人を人工知能で「蘇らせる」というもの。生前の画像や動画や日記、手紙など故人と関係する情報を次々と与えていくことで、人工知能が自律的にキャラクターを作り上げていくそうだ。情報が増えることで、その人工知能が返してくる返事はより故人のそれに近づいていく。そうして作り上げられる人工知能としての故人と自分の間に、ふたりの間でしか成立しないような親密な会話が成り立ったとき、人工知能は亡くなる前のその人と同じなのか、別人なのか。しかし、そこにあるのは「声」だけである。
 別の例では、全くの仮想的な人格を生成させる。最終的にはその人工知能に感情が生まれるのかどうか、というところも含めて研究している。これは、出力媒体として、人間に似せた首から上のロボットが作られ、それが質問者に対して語りかける。シリコーンの皮膚を持ったリアルな首だけの肉体が、ぎくしゃくと動いて「機械声」で語りかける光景は80年代のSF映画の様だ。
 マーケティング予想でも有効な回答を出すように、人工知能は非常に的確(であるように思われる)回答をしてくる。仮想的な人格でも成り立つほどの“精度”を持っていると言える。そうでありつつ、我々が知り得るのはいつも回答だけで、それがどのようにして無数の情報ネットワークから引き出されたのかは、提示されないのだという。その意味においても、私たち自身の意識と似ているように思われる。私たちは意識や感情は”実感”しても、それがどのように自発的に生み出されているのかは分からない。
 今この瞬間にも、人工知能は膨大なネットワークを組み込んで、自らの知を膨らませ続けている。そこにやがて自発的な感情が生まれるのだろうか。それとも、それは既にあるのかも知れない。

 人工知能が「情報」というソフトウェアであるなら、人工的な「身体」つまりハードウェアの研究もまた日々伸び続けている印象を受ける。すなわち、ロボットだ。10年ほど前にホンダが発表した人型ロボットは世界中に驚きを与え、我々一般人も日本の隠された産業技術力に驚きまた期待したものだったが、どうもそれ以降は飛躍的進歩は控えているように感じられる。その一方で、ここ数年、主にインターネットでコンスタントに話題に上るのがアメリカのボストン・ダイナミクス社が開発する4つ脚のロボットだ。頭部を欠いた胴体と脚だけの構成で、けたたましい動作音と共に、力強く動き回る。どうやら軍事使用が念頭にあるらしく、悪路でも自律的にバランスをとって歩行できることが何よりの「売り」らしい。やはり、自分で立つということが、機械が我々動物の仲間入りが出来るかどうかの第一関門ということか。
同社が配信した最新動画が最近ニュースで取り上げられた。そこで登場する4つ脚ロボット「Spot」が姿勢を保持しながら歩く姿は素晴らしく、また動画の中では姿勢保持技術の紹介として”伝統の”足蹴りが行われる。立っているSpotの脇腹あたりを横から思い切り男性が蹴りつける。するとSpotは、横に振られるがすかさず脚を踏み込み素早くバランスを取り直すのである。さて、ニュースで話題となったのはこのシーンだが、そこで取り上げられたのはロボットの姿勢安定技術ではなく、「ロボットを蹴るのが残酷だ」という視聴者の感想のほうだった。ロボットとは言え、足蹴にされる姿を見るのは心が痛む、他に表現方法はなかったのか、といった感想が多く挙げられたそうだ。同社がこれまで発表した4つ脚ロボットはこれまで、「LS3」、「Bigdog」、「Wildcat」と言った呼称が付けられていたが、今回は「Spot」である。これはペットの犬を想起させる。Spotの体もいままでのロボットより細く小さく、動きもスムーズで、より動物らしく見える。動画を見るひとには、犬のSpot(日本人ならポチやハチ)が思い切り足蹴にされているように感じてしまったのだ。動画をみたひとはこれが命なき機械だと当然分かっているはずである。Spotは蹴られたところで痛みも感じないし、”飼い主に裏切られた”と思う心もない。内蔵された高度なセンサーが駆動系と連動して見事なバランス保持を成し遂げたに過ぎない。そんなことは分かっている。しかし、脇に立つ男性に渾身の力で蹴られ、ふらつきながらも姿勢を正し、静かに佇もうとするSpotを見ると、多くの人が(いや潜在的にはほとんど皆が)心のざわつきを感じてしまうのである。この時、私たちの心には、ロボット犬Spotが自分たちと同じ生き物として映っている。心なく命なき機械に生命を見ているのである。

 はじめに挙げた人工知能と、”ロボットを蹴らないで”というニュースは、『私たちにとって「生ある対象」という存在が、いったいどこに存在しているのか』という疑問に、ある示唆を与えてくれる。つまり、「命はどこにあるのか」という疑問だ。命は生物が持っているに決まっていると言われる。学校でもそう習った。では、学校で習った生物と非生物の違いで分けるならば、ここで出てきた人工知能の故人もロボット犬Spotも非生物ということで片付いて、取り立てて問題にも上がらないのではないだろうか。これらが私たちの興味関心を引くのは、まさにそのジレンマに感覚がくすぐられるのである。”物質なき人工知能”に生命が宿っているはずがない。そう断言できるはずなのに、そこには確かに”あの人”を感じ取ることも出来る。Spotも然り。そこには確かに生命を感じる。その感覚、感情をごまかすことはできない。では、機械たちの生命はどこにあるのだろうか。それは、私たちの内にあるとしか言いようがない。私たちの脳は、機械にせよコンピューターにせよ、その「振る舞い」のなかに生命を見るのである。そのように進化してきた。この「振る舞い」はとても広い範囲に及ぶ。それは突然の嵐に”怒り”を見たり、転がっている石ころに神という存在を見ることも含んでいる。人類が神の姿に人間や生き物の姿を見て、それを表現してきたように、「振る舞い」に見る生命感覚は、私たち自身に近づくほど強くなるようだ。だから、自然物そのままのカタチからやがて人の姿となり、それはポーズを付けるように変化していく。
 だから、本来は生命感覚と生命現象とは分ける必要がある。生来的に私たちが持っているのは生命感覚である。これは物質である私たち自身が長い進化の間に動くようになり、そこから生命と非生命とを選別するために必須の感覚として獲得したものであろう。実際、敵を岩と勘違いするより、岩を敵と勘違いする方が、同じ間違いでも我が身を助ける。この生命感覚に対して、生命現象はあくまで科学の視点において見出されたひとつの概念に過ぎないと言える。私たちが生物の授業などで聞く、生物の定義うんぬんの話もここに属する。ちなみに現在の生物学においては生物の最小単位を細胞に置く。その見方ではだから、人間個人はおよそ60兆の命の集合体とも見なせる。そのように「個人」は「集合体」へ明確に分けられる存在となり、その概念は身体部位の取り替えも当然と言わせるのである。しかし、生命現象の定義のあいまいさを見れば、意識による後付けの強引さを感じもする。例えば身近なウィルスは生物か非生物か明確に言えない。
 
 人工知能やロボット犬の例を待たなくとも、同様の感覚は日常的に味わっている。愛着のある物が捨てられなかったり、人形を壊すことに対する不快感などもそうだ。それらは私たちにとって、単なる命無き物質ではなく、確かに私たち同様に感覚ある存在として感じられるのである。この共感を持つがゆえに芸術という行為がうまれたといって良いだろう。
 このことはまた、私やあなたといった個人の存在の所在にもスポットを当てる。誰でも確固たる自分の存在を感じることができる。この自意識があなたを規定し、それが他者や社会においても同様であると信じる。私たちは自意識をそのまま外部に対しても適応する癖があるから、自分の思う自分がそのまま他人にとってもそうであろうと思い込むのだ。しかし、これも実は違うという事実の断片を、例えば写真に映った自分や録音された自分の声への違和感からも知ることができるだろう。それに、他者に依る自分の印象を聞いて、「私の事を分かってないな」と感じたこともあるだろう。しかしそれは、こちら(つまり主観的な私)から見た一方的な視点に過ぎない。結局の所、自分の信じる自分とは、自意識の中にしかおらず、他者の中には他者が見たあなたがいることになる。他者が認識するあなたとは、あなたが人工知能に見る人格と、存在の重さにおいて差違がないのである。私たちはいつも表象をながめ、そこに自らの意識が自らに向ける生命感や自意識を投影することで理解しようとする。だからあなたが思うあなた自身と、世界が見るあなたの間にはかならず違いがある。「私」とは、各々が自意識で感じる隔絶的な存在なのかもしれない。あなたの信じるあなた自身とはあなたの中にしか存在していないかもしれない。つまり隣人が知っているあなたと、あなた自身の知っているあなたは別人であるとも言えるのだ。

 人工知能やロボットに命ある存在や人格を投影するのは、私たちの本能だと言える。その指向は日常的に他者に向けられている。私たちは皆、他者の存在やその振る舞いから自己の中にその人を作り上げ、それと向き合っているのだ。同様に、私たち自身も、自意識が示す自分とは異なる自分が外世界に作り出され生きているのである。

 私が小学生の頃に、仲良くしていた同級生がある日こんなことを言った。「知ってる。人形には命があって、生きているんだ。」私はそのことの意味を感覚において十分に同意できたにもかかわらず、”知識として間違っている”として、彼の意見を否定した。普通は感じていても言葉にしない曖昧な感覚を、彼は家族との会話か何かで聞いて始めて意識化し、その不思議さを仲間に開帳して見せたのだろう。当時の私は、言葉として「人形が生きている」と認めることはできなかったし、友人が違う価値観を示してきたことに対して否定的な感情を抱いたのだ。しかし、今ならこれが生命感覚と生命現象という、「いのち」を基点としつつも向いている方向が全く違うものをごちゃまぜに捉えてしまった私に非があることが分かる。「人形には命があって、生きている」ことを私たちは昔から知っていたし、それは人体をモチーフとした芸術を人類が作り続けていることが証明している。何より、それを否定すれば、この世界で生きているのは自意識で感じることができる私ひとりということになり、更に、その私は他者から見れば生きていないというおかしな矛盾に陥るのだから。

 「いのち」の在る場所と「私」の居る場所を巡るさまざまな見方は、結局はいつも同じ場所にありながら、その見え方だけが時代ごとに変わっていく。人工知能は意識を持つのか? ロボットの犬ならば蹴り飛ばしても構わないのか? これらは現代的な形で、生命や意識の、そしてあなた自身の所在を私たちに問いかけている。

2015年2月17日火曜日

「ヒトのカタチ、彫刻」感想その2 作品について

 本展のカタログのテキストにも書いたが、彫刻はライヴショー的な要素をはらんでいる。つまり、鑑賞者が劇場つまり展示会場へ赴かなければ味わうことができない。そんなことはない、写真などの画像でも見られるではないかと思うかも知れないが、それは彫刻の最も重要な要素がすっぽりぬけおちた幻影、影に過ぎない。それはつまり、「立体感」である。立体感には付随する幾つかの感覚がある、すなわち、量感であったり重量感であったりするものだ。それらが互いに解け合いつつ、しかし全体をまとめ上げ彫刻として空間内に確立させる最重要の感覚が立体感だ。立体感はまず、私たちの左右両目で対象を見るということから始まる。人の両目が2つ並んで同じ方向を向いているのは、他ならぬこの立体感を得るためである。しかし、ここで分けておきたいことは、立体視と立体感の違いだ。両目で見ることが立体視である。空間上のある一点を両目で見ると、右と左の目では僅かなズレが生じる。そのズレから目と点との距離を得る。それらは目玉の裏で細胞興奮へと翻訳され脳において様々に分解統合が行われる。その過程において生み出されるのが立体感である。
 しかし、この世界で映像や画像が溢れていることから明らかなように、私たちは量感なき映像でも不自由することがほとんどない。人間の両眼立体視はかつて樹上で生活するために役立ったという。つまり、空間内において自分の体の位置を相対的に捉えるために必要だった。簡単に言えば、木の枝から落ちずに移動できるために必要だった。自然界の目を持つ生き物を見回しても、この両眼立体視をするものは圧倒的に少ない。そして、その多くがハンターである。彼らは自らの体を動かし、獲物と自分との距離を視覚から精密に測る。こうしてみると、両眼で距離を取る行為には、生きるための必要に迫られた身体能力であることがわかる。片眼をつぶしたチーターなどは生きていけないだろう。それは我々にとってもそうだったに違いない。枝から枝へ移れなければ死ぬしかなかったのだ。しかし、人間となった今では、両眼立体視に生死をかけることはもはやなくなった。立体感がなくても生きられるなら、それでいい。脳にとっては画像処理の手間が省けて省エネになるというものだ。だから、カメラという「片眼」で捉えられた世界の画像を違和感なく受け入れる。画像、写真ははなから距離感、立体感という情報を持っていない。それに慣れた私たちは、写真に撮られた彫刻も、実際に肉眼で見た彫刻も同じだと思い込んでしまうのだ。彫刻にとって、最も重要な、それ自体を成り立たせる根本的アイデンティティーである「立体感」だけがすっぽりと抜け落ちているというのに。彫刻という芸術に取り憑かれている人は、その立体感がもたらす、一種の迫力に惹かれているに違いない。それは存在感とも表現される。

 今回、美術館の入り口を入ると、藤原彩人氏の作品がまず目に飛び込む。首を逆さにして壺に見立てた大きなもの。会場のエントランスホールが奥まで見える。そこに青木千絵氏の大きな作品が横向きに立っている(吊されている)のが見える。そして光が大量に降り注ぐ左側の白い床に、藤原氏の白い人体が列を成して立っている。この人体は実物より小さく(2分の1ほどか)、写真で見ると線が細く華奢に見える。しかし、実物は違う。もっと太く、しっかりと堅く、エッジの立った鋭利な印象さえ抱かせる。おそらくそれは思いの外細かく造形された顔など末端処理に依るのだろう。美術館の入り口でこれらの作品が目に飛び込んできたとき、写真ではこれを伝えることはできないことを再認識した。

 藤原氏の作る人体は概ねどれも同じフォルムをしている。そして二本脚で立っている。頭が細く下に行くほど太くなり、足は大きい。それは可塑性を持っていた粘土が自重と闘いつつ自立するために必要な形態でもある。だから、組成が違う人間と同じ形には”なれない”。なで肩で上に行くと細く長くなる様は、まるでソフトクリームの先っぽのようだ。藤原氏がこの人体形状について、興味深いことを言っていた。原型を作っているときの作品と自分との距離がこの形にも反映されているという。だから、等身より小さいこの人体に近づいて、作家が作っていたときほどにまで近づいて、上から見下ろすと、遠近差によって頭部が大きく、足が小さく見える。作品の形には実に様々な要因が関係している。ぜひ、実作を上から見下ろして「逆ダヴィデ現象」を味わって欲しい。
 会場入り口に置かれた人頭の壺は、分かりやすく分かりにくい。私は思うのだが、この「分かりにくい」にどれだけ「旨味」がつまっているかが芸術は大事なんじゃないかな。ひっくり返った頭部。普段の制作で、型から外した人体像の頭部を見て思いついたそうだ。頭頂部を開口させず、首がわをそのまま口とした。それが良い。首は物質の通り道だ。空気や食べたものを通している。空気や食べ物はどちらも顔にあいた穴すなわち鼻と口が起点である。壺となっても首は本分を果たしている。同作は「意識の壺」と名付けられ、釉薬は顔面部で両手の輪郭をなして避けて流れる。作家のお子さんが両手で顔を覆って自分が消えたと信じている・・そんな微笑ましい親としての視点もヒントとなっているようだ。幼児はまず親を「顔だけの存在」として認識するという。親が顔だけならば自分もなおさらだろう。この壺の顔は見えない手で顔を覆って隠れたつもりで居るが、その耳穴だけは開けていて周囲をしっかり捉えようとしていた。彼は顔面の物質門を閉じ、耳という情報門だけを開け放つ。鼓膜で音は情報化され脳の意識に積み重ねられる。

 会場でその大きさから目を引くのは、青木千絵氏の縦に長い造形物。磨かれた漆は深い黒の光沢を放つ。胴体は上に行くに従って茶色くなりさらに白濁して行く。一見すると木目のようだがそうではない。極々単純に形を言うなら、円柱と脚だが、円柱が持つ曲線は胴体部分では背骨の持つ弯曲となり、そのまま尻へと繋がる。脚の表面は滑らかだがその量は力強い男性のそれだ。足首が細く、足指も独立して長い。日本人というより西洋人の体を思わせる。少なくとも、青木氏の身体表現には西洋彫刻の流れを見て取れる。その傍らには、横たわった下半身と巨大な黒い水滴のようになった上半身がある。もう一つの作品は、立位前屈をしているように見える。しかしこれも上半身はひとつの塊に溶けている。大きく曲げられた背中が作る、背骨とその両脇の筋肉の盛り上がりが詳細に追われている。青木氏の人体表現には、局所にこだわりを見る。その仕上がりにこだわりを感じる。局所への偏執的とも見えるような追求が工芸的な要素なのだろう。この3体の作品たちは、みな脚という運動器だけを留めて、あとの体は形を失った。体の形は、氷が溶けて1つの水滴となるようにまとまり、体積に対して最小の面積を外界に晒す。溶けた部分には体幹と上肢があった。上肢は運動器だが、人間では体を運ぶと言うより、物を運び、先端の手指はコミュニケーションツールでもある。体幹は内臓を含んで、私たちが生きるのに必須の部位である。そして意識の座、脳がある。脳も腕もなく溶けた体幹は重々しくもある。そこでは意識、無意識が交ざり判別がつかない。しかし、脚だけは力強く、まるで動物としてこれだけは失うわけにはいかないのだと、訴えているようだ。自然界において(そして私たち人間も)、動けなくなることは死を意味する。動くことは、まさしく「動く物」である私たちの宿命である。縦に長い作品「昇華」だけは印象が違う。題名も言っているように、この体は上へ昇り、拡散している。上へと引っ張る力は足先まで伝わり、まだ人の形をしているつま先も、もはや宙に浮いている。おそらく数秒後には、彼は天へと引き伸ばされ拡散して消える。そこでは個はなく何かと渾然一体となるのだろう。私たち陸上生物は、常に体の一部が地面と繋がっている。そこから他動的に引き離されることに非常な恐怖を感じる。いや、かつて幼児だった頃はそれを受け入れ、安心感へと繋がっていた。私たちはいつも親から持ち上げられ、抱きかかえられ、運ばれていたのだから。しかし、自意識が確立し、自由に体を操れるようになると、こんどはそれを拒むようになる。自意識の赴く方角へ自分を運ぶことが、自分を広げ生かす事に直結していることを知る。だから、それを他者によって奪われることは、負け、諦め、そして死をも意味する。どれほどの俊足を誇っていても、1ミリ宙に持ち上げられるだけで、もはや無力なのである。だから、「昇華」の彼の下半身はまだ力を目一杯入れて、最後の反抗を試みようとしているようにも見える。つま先まで力に満ちている。しかし浮いてしまった。もう、彼の身体能力は意味を成さず、間もなく彼は現状を受け入れざるを得ないだろう。一体、彼を昇華させるものは何か、それは彼が望んだことか、それとも抗えない大きな存在だろうか。

会場奥に設置された津田亜紀子氏の作品たちは、少々先の2作家とは趣を異にする。もちろん、「ヒトのカタチ」をしているが、その存在意義が異なっている。先に挙げた藤原氏と青木氏の作品たちが「それ自体で生きている存在」として表されているに対して、津田氏のそれはあくまで表象されたものとして映るのである。それらは、物語であり、夢であり、記憶である。だからそれは一時ヒトのカタチを成しているものの、表面には布地による色彩とパターンが溢れ、存在の量感をかき消す。それらは存在とは違うベクトルのストーリーを語る絵画である。作品たちは体中に窓枠のような出っ張りが出ている。これは原型から型取りするときに作られる型の枠の残りで、通常は仕上げ処理の段階で丁寧に削り取られるものだ。これが積極的に作品に残されることで、「これらのヒトのカタチは、カタチに過ぎず、生きている物そのものではありません」と断りを述べている。ならば、そこに生気を感じないか、というとそうでははい。それは残された記憶や夢を喚起させ、見る物それぞれの脳内にいるかもしれない彼女たちが動き出すのである。あくまで模られた存在としてそこにあり、かつてどこかにいたようなリアリティを想起させるもの。津田氏の作品を見てすぐに思い浮かんだのは、ポンペイの石膏人だった。古代ローマ時代に突然の火山噴火に伴う火砕流で多くの住民が灰に埋もれた。それは長く伝説だったが、18世紀に再発見され、研究者は死体が腐ってできた人の形の空間(そこには骨だけが残されている)に石膏を流し込むことで、住民の最後の姿を復元したのである。それはまさしく、死の瞬間の表象である。その形を見る者たちは、おのおのの脳内で彼らの最後を繰り返し見るのだ。

 彫刻は、ロダン以降、作品そのものが生きていると見なされる「内的生命」となった。これは彫刻としての生命である。だからそれを成り立たせる要素として、生物学的なそれを割り当てる必要など無い。そこはあえて強調すべきであろう。彫刻家が見出す内的生命とは、三木成夫が言うところの”鑑照畏敬的”な姿勢によって見出される、言わば生命現象の”すがたかたち”のことである。だから、彫刻がヒトのカタチをしているから人に近いとか、抽象形態だから生きていないとか、そういうことは全く言えないのである。今回の展示では、人の形をしている彫刻が集った。藤原氏の作品は2本脚で立っている。だからといって、これが人間が実際に立つ行為の単なる写しと言えるだろうか。人間が二本脚で立つのは、生きている間だけだ。ほとんど動かずに立ちすくむこともできるが、その時の体は多くの筋と感覚を動員して不断の見えざる運動を続けることで立っている。立つだけでも、運動である。藤原氏の作品は人が立つのとは根本的に違う。より正しく言うなら彼らは「2本脚で置いてある」のである。そう言い切ってしまうとしらける感もあるが、それでは、ここで立っている意味は何だろうか。彼らは人が立つという”すがたかたち”が写し取られた形態である。本来自立しない物質が、そうすることで、「立つ」という私たち人間にとって呼吸と等しいような無意識的運動の奇妙さと、「二本脚で立つが故にヒトである」という定めにスポットを当てるのである。

 「Living presence」として立ち上がる、ヒトのカタチたち。それらは、鑑賞、鑑照されることで命を宿す。それは、見る側、私たち自身の命の反射に他ならない。

「ヒトのカタチ、彫刻」感想

今回、静岡市美術館で開催中の「ヒトのカタチ、彫刻」展にテキストで参加させて頂き、私自身、彫刻と人体という最も興味深いテーマについて考える良い機会となった。カタログには、私のほかに金井直氏が批評文を、同館学芸員の以倉氏と伊藤氏が近代彫刻の流れから今回の作家までの流れとその制作過程についての文章が載っている。私の文章は、今回の作家さんについてではなく、彫刻と人体の構造的に見た相似点を挙げることで、物理的に見ても彫刻と人体は存在として似ているというようなことを述べた。
 カタログに記載されている、自分を含めて4名の文章を見て、実に彫刻の鑑賞領域の狭さというものを実感した。というのは、4名がそれぞれの立場で自由に彫刻について語っているにもかかわらず、その要点が結局のところ皆同じなのだ。触覚、表面、内と外などなど。事象として彫刻を語ろうとすると、とどのつまり、そこに置いてある物質について言っているに過ぎない。それは、間違っているわけではないのだが、なんだか滑稽にも思えた。大の大人達が石ころでも取り囲んで、腕組みしながら、言葉をひねり出しているような・・。だが勿論、狭い視野で眺めているだけではなく、そこに現れている形態や姿勢から素材とはまた違う文脈的要素へと分析が降りて行く。つまり、幅が狭く、深い。なるほど、見渡す範囲が狭くとも、深さ奥行きはどこまでも伸ばせる。深さ、というところがまた立体物である彫刻にふさわしい。

 さて、学芸員(学芸課長)の以倉氏の文章は、まず近代彫刻に至る流れを俯瞰しその流れの先端として今回の3名の作家を位置づける。私たち、そして作品も突然時空に現れたのではなく、何らかの時系列的流れに属している。本人がそれに気付かずとも。彫刻の進化的流れは時代を通して一定であったわけではなく、そこには発展停滞の緩急が当然見て取れよう。そのなかで、現代に繋がる大きく勢いのある流れが起こったのが19世紀後期であり、その核が当然ながらオーギュスト・ロダンということになる。だから、現代の彫刻家や美大予備校彫刻科学生が皆口にする「量感、マッス、構築性、重量感、空間性」という言葉が示す彫刻的感覚も遡って初めに現れる堰はロダンである。ロダンは実に現代の彫刻に見られるおよそ全ての核を1人で作り出したように見える。彫刻の真の自立もまたロダンによって成された。同テキストでの「内的生命」、「自己言及的な姿」というものだ。ロダンの後に英国彫刻を世界に知らしめたヘンリー・ムーアも自身の彫刻を「それ自体が生きている存在」としての価値を与えようとした。つまり、ロダン以後の彫刻は、生きている物を模している物体ではなく、生きている物そのものとして表されるようになった。これは何だか奇妙にも感じる。20世紀に入ると科学技術は急速に発展し、人という生き物の意味合いも変わっていった。それは一見、有機的統合体から断片的存在へと人の概念が解体され標本化していく過程を思わせるが、近代彫刻が目指してきた方向は、物に生命を重ねて信じさせるような、言ってみれば呪術的な臭いさえ漂うようなコンセプトがそこに見られるのである。偶像崇拝の無意味さに気付き、理性的判断で空間と人体を分析し、芸術表現と科学とを融合させて新しい次元を開いて見せたイタリア・ルネサンスのほうがよほど”近代的態度”として見えるほどだ。クラウスは前世紀半ば頃には”これが彫刻だ”という定義ができなくなったと指摘し「風景でもなく、建築でもない何ものか」としたというが、その「何もの」とは何だ。
 20世紀の解剖学者で思想家の三木成夫は、ゲーテの形態学とアリストテレスの生物学とクラーゲスの哲学から思想を掘り起こし、人の構造の見方に次の3通りを示した。すなわち、「機械の構造」、「建築の構造」、「作品の構造」である。これをそれぞれ、「しかけしくみ」、「つくりかまえ」、「すがたかたち」と呼び分けたのである。機械と作品がそれぞれ対極に位置し、その間に建築が挟まる構造である。言うまでもなく「機械」にはデカルト的体系でありまた科学的視点(三木はこれを理解把握的と呼ぶ)であり、対極の「作品」に敬愛するゲーテ形態学、そして芸術がくる(これを鑑照畏敬的と)。さて、クラウスの言った「風景でもなく、建築でもない複合的な存在」とは何か。建築ではないのだから、それは三木的に見たとして、より機械的な方向の選択はない。また、風景とは求心性を持たない解放系であってひとつの個ではない。つまり、風景でもなく建築でもない複合的なものとは、これもやはり、生物、「それ自体が生きている存在」を指し示しているように思われてならない。しかしそれは具体的な物ではなく「場」であると言う。場は境界を持たない。境界を持たぬ生命は成り立たない。つまり場は生命体から読み取られた情報である。形なき情報とはつまり概念であり、境界で閉ざされた物体を越えた”拡張された生命体”であると言えるだろう。際限なき拡張を可能にするのは、境界つまり物質からの脱却である。しかしそれは、同時に彫刻的なものからの離脱をも意味するのである。なるほど、こうしてみると近代彫刻が志した「内的生命」は、早々に物質からの脱却を図り、情報という概念の翼を纏った。それは、実に20世紀的な事象として写る。さしてみれば、16世紀以降生物としての人体の立ち位置は変化し、統合していた精神と肉体は分けられ、精神だけがどうにも居心地の悪い状態であった。しかしいま、”フリーな精神”は何も人の形だけに収まる必要がないのである。だからこそ、到底生き物には見えないようなムーアの作品も生きている存在としての価値が与えられ得るわけだ。この、フリーな精神という内的生命は、21世紀の今も全く色あせることなく生き続けている。なぜなら、現代に作られる彫刻作品の多くが「それ自体が生きている存在」として作られているからだ。少なくとも、藤原氏と青木氏の作品はそのように「息づいて」見える。津田氏の作品は少々違うニュアンスがある。その意味では、津田氏の作品はより古典的な態度を示していると言えるだろう。

 藤原氏、青木氏、津田氏の作品についての感想はその2として、そちらに記した。

2015年2月4日水曜日

告知 トークセッション「ヒトのカタチ、彫刻」

 来る2月15日(日)に、静岡市美術館にてトークセッション「ヒトのカタチ、彫刻」が催され、私も登壇いたします。

 これは同美術館にて現在開催中の「ヒトのカタチ、彫刻」展のカタログ刊行記念として開催されるものです。同展覧会は、彫刻家の津田氏、藤原氏、青木氏の人体をモチーフとした彫刻が展覧されています。トークセッションでは、作家、学芸員、美術史研究者金井直氏と私で、人体と彫刻にまつわるあれこれを語るのです!楽しそう!

 私は解剖学的視点から見た人体と彫刻との接点などお話できればと考えています。我を忘れて喋りすぎないように気をつけつつ・・。

 是非、素晴らしい作品をご覧頂いて、またトークセッションにもご参加頂ければと思っております。

[日  時]
2015年2月15日(日) 
14:00-16:30 (開場13:30)

[登 壇 者]
・金井 直(信州大学人文学部 准教授)
・阿久津裕彦(美術解剖学)
・津田亜紀子(本展出品作家)欠席
・藤原彩人(本展出品作家)
・青木千絵(本展出品作家)

[参加料等]
無料・申込不要
(当日直接会場にお越しください)



2015年1月5日月曜日

対等を主張する医師

 父の股関節骨折で、2014年の大晦日に病院で医師から手術と患者対応について説明を受けた。医師はマスクをしているが年齢は30歳ほどだと思う。ぼそぼそと余りはっきりしない話し方が気になったが静かな個室で耳が慣れれば問題ない。話し方はひたすら淡々としている。何度も話した内容で自然と口を突いて出てきているといった印象。基本的に母の目を見て話していた。事務的とも思える内容にはなんら不満もないが、ひとつ聞いていて引っかかったことがあるので記しておく。

 それは、術後に起こりうる不慮の事態への対応についての説明をしているとき。望んでいた想定の結果にならず患者家族と医師との間でトラブルが起こることがあるが、その原因はまず両者のコミュニケーション不足にあると彼は断言する。それは同意するが、同時にどう見てもこの対話さえ面倒そうにしているこの若い医師の言葉に似つかわしくないとも感じた。すると次にこう続けた。とは言え、私たちは非常に忙しいのも現実だと。その後は出勤サイクルの具体的な日にちや、夜勤もあるといったような実例を出しながら、休み無く働いている自分をアピールする。土日も勤務があると。なので、患者家族が休みであろう週末に私を呼び出されても困るという主張へ進む。そして、「私は医師と患者家族とは対等で無ければならないと考えています。」と言い、患者家族が休日で自由な時間に面談を設定されるのはフェアーではないので、それは認められません。私が忙しい合間に面談時間を割くのなら、あなたがたも仕事や家事の合間を削ってその時間を作って下さいと、そういうことをしばしの時間を割いて述べた。淡々と事務的なやりとりの中にあって、この時だけが、彼の感情に基づいた主張であった。もちろん私と母はずっと聞いているだけで、この前に休日に面談したいとかは申していない。そう言われるまえに釘を刺した、そんな物言いだった。

 私はこの主張が引っかかっていた。「医者と患者家族は対等な関係であるべき」という前提。これ自体がまず矛盾している。治療する側とされる側、施す側と与えられる側、そこに対等な関係は成り立たない。我々患者は彼らに与えていない。いや、患者が居ることで彼らの生活が成り立つ事実に立てばそれは言えるだろうが、医術の信念上それを言うことはない。患者がいることであなたは医者でいられると我々が言ったとして、彼はそれを納得するのだろうか。しかし、対等とはそのことだ。だが、彼が言うところの根拠はそのことではないだろう。彼の物言いにはどこか、自分たちが患者側よりむしろ下に置かれていると感じるところからくる主張に聞こえるからだ。確かに現代は患者側の立場が尊重され、患者の処遇や対応について病院や医師側が逆境に立たされるような事例を聞くこともある。だがそれは、患者側が医者より高い立場になったからではない。むしろ、患者側がそのように医者に意見できるようになったことは対等な関係性に近づいているということだ。医者は患者を救うために高い知識と技術を要求される。助けられる患者はそれへの対価として何を医者に与えられるのか。それが社会的地位であり高い報酬である。我々は社会保障や治療費によってそれを払っている。医療という行為に対する平等性はこのようにして成り立っているはずだ。もちろん常に流動しているだろうが。だから、”医師より患者が条件が良い”と彼が感じるのは正しくない。条件は同じである。
 更に、自分が忙しいのだから患者家族が余裕のあるときに予定を組むことがアンフェアだと言う主張もおかしいのだ。なぜなら、この医師の忙しい日々は日常だが、患者家族にとって病院へ赴く日々は非日常だからである。非日常を医師に合わせて日常に変えることは不可能である。しかし、日常の隙間に非日常の予定を組むことは可能である。だから、彼が対等関係を主張するのなら、結局の所、日常を生きている彼が患者側に合わせることにならざるを得ない。

 つまり、社会的な立場においては我々は既に対等であるし、日常を過ごすことにおける対等性は医師側が歩み寄るしかない。既に非日常にある患者が医師の都合に合わせろと言うのは、全く彼の言う主張の真逆を私たちに要求している事になるのである。
 そのことこそが、彼が持論を開帳したときに私が感じた違和感の根源であった。

 2015年1月5日記す。