2015年6月20日土曜日

足らで事足る身こそ安けれ

 今は遠い学生時代。大学周辺は寺が多く、門前には説法のような文言が良く書かれていた。前を通ると何の気なしに読んでは、なるほどねと納得したりしていた。大抵は何が書いてあったかなどすぐ忘れてしまうが、1つの文言だけ今でも覚えている。

 「事足れば 足るにまかせて事足らず 足らで事足る身こそ安けれ」

 語感やリズム感が良い。つい口ずさんでみたくなる。けれども、その意味がすっと入ってくるわけではない。何度か口ずさみながら吟味すると、なるほどと分かる。つまりは、人の欲には底がないのだから欲さず質素が良い、という意味だ。
 大学生の頃は何でも欲する年頃なので、なるほど確かに欲しがることで結局苦悩も掻き込んでいるのかも知れぬと友人と話していた。

 しかし、それから何年も経って、ふとこの説法を思い出したときに、全く違う意味にも取れる事に気がついた。意味を変えてしまうのは最後の「安けれ」をどう捉えるか、による。安けれを「安泰」の意で見れば従来の意味だが、これを「意味の殆ど無いようなもの」として否定的に捉えるならば、文言の言わんとしている意味が180度変わってしまう。つまり、「満たされるという事を欲さぬ人生は意味がないほどに小さいものだ」となる。内容は変わらない。意味のニュアンスが変わる。このことに気付いたときは、何か行動しなければと心がどこか焦っていた。そのメンタリティが、「安けれ」を違う意味として読ませたのだろう。

 ところで、どちらが正しいのだろう。「結局満たされないのだから欲しなさんな」か「欲さぬ人生は安っぽい」のか。きっとどちらもだ。私たちは欲する存在であるし、それ故に決して欲が満たされることもない。この文言は、「こうしなさい」と言っているのではなく「こういうものだ」と示しているに過ぎない。だから、その時々で違う意味に聞こえるのだ。読み手の心を反射している。

 生きる以上は与えられる”欲”。ならばそれとどう向かい合うのか。それを問うている。

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