2018年5月19日土曜日

置き方の価値  「組」展を観て

   MA2ギャラリーで開催中の展覧会『組』を観た。複数のアーティストの作品が展示されているので、グループ展のように見えるが、それら作品はデザイナーの猿山修氏のセンスによって選択され配置されている。そのため出品作家も自分の作品がどのように置かれてるのかは、当日まで知らないのだという。
   展示初日は夕刻からレセプションが開かれ、それは「BAR さる山」と称して猿山氏とアーティストを交えたトークガイドツアーとなっていた。

   降りる駅を寝過ごして、目黒駅から恵比寿のMA2まで歩いた。都会の住宅街はバリエーションが区画ごとに変化するので、なかなか楽しい。
   ギャラリーに着いた時はすでにトークが始まっていた。細身で長身の猿山氏は長く黒い髪を肩まで垂らし、それが黒いシャツ、黒いズボン、黒い革靴と続くので、何か黒い一本線のような潔い存在感を放っていた。入って正面奥の壁には、四角い紙が2枚。その斜め上にカンカン帽が掛けてある。左の壁には古そうな木の板が掛けられているが、よく見ると古いまな板だとわかる。その手前に運搬型のイーゼルが立てられ作家の絵画が置かれる。右の壁には小さな具象画が掛けられ、正面壁との角には古い木箱が積み重ねられ、そこにスコップの作品が置かれている。他にも、アルミのスツールに見える作品や、丸い回転台の上に人間の脚が生えたコケシの作品が置かれていた。よく見ればわかるが、作家の作品とアンティーク品とが組み合わされている。それらの古物は、猿山氏の選択で置かれ、購入することもできるようだ。
   配置は実に心地よく、例えば壁面展示にしても、余白と物との間隔が十分に取られているので、視覚的にリラックスできる。展示空間全体としてはミニマルな傾向である。
   作家の作品は古物と同様に捉えられ、猿山氏のセンスによって再構築されていた。それは堂々としていながら繊細さを感じさせる。後で作家から聞いた話だと、この配置は綿密に組まれたものではなくほとんど即興に近いものらしい。その場で作品と空間を見て、感性に従って置かれたそれらは、水墨画や毛筆の達筆を感じさせる。
   ガイドツアーではほとんど猿山氏が展示について解説していて、時折ギャラリストや作家がそこにコメントを挟むものだった。四角い紙と丸いカンカン帽の壁面の解説の段では、氏はその紙の作家の筆さばきの技量を褒めちぎった。遠くから見ているとその紙に何が描かれているのか全く見えないが、後で近づくと筆で等間隔の斜線がいくつも引かれていた。一方でカンカン帽の配置については「特に何か意味があるわけではない」と言ったものの、「無理に意味づけするなら、紙の作品を雨と見れば帽子は太陽と言ったところか」と付け加えた。それを聴きながら、言葉はつくづく危険だと思った。きっと、意味などないが本心なのだろう。その配置が美しいから、だけなのだと思う。しかし、聞く方が納得するように言うならと、そこから無理に物語を探すと雨と太陽というありきたりな文言に辿り着いてしまうのだ。
   左壁面のまな板とイーゼルに絵画の配置は、本来なら絵画が飾られる場所にまな板を置くことでその従来の意味合いを取り外すとともに、絵画作品との関連性を提示することで、存在価値の拡大に成功している。もし、ヒエラルキーを見るなら、まな板の価値の引き上げの足場に絵画作品が使われている、と映るかもしれないが、そう感じてしまう根底にはまな板のものとしての価値の潜在的なポテンシャルを認めていない価値観の固定があるのだろう。
   床置きの作品としては、丸い回転台に置かれた脚のあるこけしがある。こけしの脚は、上半分はこけしそのものから彫り出されている。作品そのものに笑いの要素があるが、それがレトロな回転台に置かれているので、そこはかとなく昭和のおもちゃ売り場を思い出させる。回転するという全方位性を活かすように、それは空間の中央に置かれている。

   階段を上って2階の展示場は、照明が落とされ白熱灯色のLEDで作品がスポットされている。どうやら2階のテーマは祈りである。ここには、実際、仏像のような作品や、燃焼の動画などがあって日本人にとっての祈りの印象が強調されていた。その中で、最も印象的だったのは、アルミ鋳造の壁掛け鏡の作品だ。鏡面部分が研磨されているが、完全な鏡面仕上げにはなっておらず、ほとんど反射しない。しかも、鋳造ムラが色の変化として現れている。それが薄暗い空間で橙色の光に浮かび上がると、何か異界を映し出す窓のように思えてくる。子供の頃に信じていた怪しい世界の記憶が引き出される感覚がした。
   誰かが、「鏡そのものが作品になるのはあまり知らない」と言っていた。この作家は、鏡という物と言うよりむしろ、それが映そうとしている世界や空間、場、を表そうとしているのだろう。
   2階の展示の別の特徴は、天井から吊るすというものだ。それも吊るされている物がほとんど床に着きそうな低い位置にある。そうされることで、物の浮遊感が強調されつつそれを可能にしている吊るし材の顕示や、下をくぐれないし上もまたげないという存在箇所の独占など、在ることを強調して見せていて興味深い。

   さらに、階段を登って3階とそこからロフトになっている4階まで展示がされている。

   4階ロフトの壁面には、洋書が数冊、面置きされている。近づくと本に見えるが中はガラスである。きっと誰もが驚くだろうが、同時にそこの左下の床に普段は見ないような箱が縦積みされていて、不思議なほどに存在感を放っている。ところが、実はこの箱は、ガラス本を収納する箱で本来は展示品ではないという。それが、猿山氏のセンスで置かれると、主人公の作品を喰ってしまうほどの存在感を放つ。

   全く、置き方によってこれほどまでに物の印象や意味合い、そして魅力が変化するという事実に驚きである。置き方の力、重要性を強く再認識させられた。これは、立体物を空間上に設置する彫刻家にとっては、実制作と同様の重要性させ持つものだと思う。どうしても、作家は物作りの技術に偏重してしまうので、置き方、設置については、重要性を低く見積もってしまいがちだが、それだけでは十分ではないことが、この展示で明らかとなった。ガイドツアー時に、「今度からは展示は猿山さんに任せたい」とある作家が思わず言っていたが、よく分かる。美術大学などでも、作品の作り方は教えても、展示については深く示すことはない。だから、若い作家などは展示方法については頓着していないこともままある。私も今後は、展示や物の置き方、置かれ方について考えたいと思う。

   なんにせよ、プロは凄い。置き方で価値、意味を変えてしまうのだから。

 展示は5月26日(土)まで。

 置き方が空間と物の価値、意味を変容させるダイナミズムはその場でなければ体感できない。









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