2017年3月21日火曜日

冨井大裕 個展 「像を結ぶ」を観て

 新宿で、冨井大裕氏の個展を観た。個展会場のギャラリーは、マンションの一室を改築したもので、外からは全く分からず、案内などで開催を知っている人しか訪れることはないであろう場所である。その、決して新しくはないが大きなマンションの鉄扉を開けると、壁面が真っ白な空間に、作品の色彩が際立って見えた。入ってまず正面に四角く面取られた柱状の立体作品がある。それは店でもらえる紙袋を重ねて作られている。両側の壁には、ノートのページが切り取られたものがピンで留めてある。同様の作品が横並びに複数留められていて、さながら絵画やデッサンなどの平面作品のようである。入ったドアのすぐ左にも1点紙袋製の立体作品が置かれている。白い空間内に、このような既製品でそれも使い捨てられるような、一般的には”無価値”に分類する物が、作品という”価値あるもの”として展示されているので、鑑賞者としての私は、一気に自分の感受性のチャネルを切り替えなければならなかった。ただし、その切り替え作業は「無理に」でも「どうにかやっと」行えたというのではなく、むしろ自然に切り替えられたような感覚だ。何かとても自らの日常感覚を研ぎ澄まさせるような気分で、実際に、足元の床に飛び出ていた真鍮製の構造物でさえ、作品にように感じられたほどだ。そうして見ると、この空間はまるで寺院のようであることに気付く。両側の壁のノートページ作品は脇侍で、正面の紙袋作品が本尊といったところだ。この感覚は、その場に足を運ばなければ感覚することはできない。決して個々の作品を画像で見ても伝わらないリアルなものだ。

 ともかく、まず正面の”本尊”を見る。白い台の上に乗せられた大きな紙袋は目一杯広げて、本来の四角形の形を見せている。紙袋が本来の形で現れることが実生活で果たしてあるだろうか。それだけでも面白いけれど、ここではそれが縦に4段に積み重ねてある。下から2段目は横向きで、しかし袋の口はもう1つの袋が逆さに入れてあって、その底面によってふさがれている。最下段と3段目の袋は同じ種類だが互いの口側が向き合うようになっていて、その持ち手が2段目の横向き袋をちょうど挟み込んで支えている。最上段だけは黒い紙袋で、天地が逆に置かれている。この配置によって、紙袋ではあるが、開いている口は一切表面に現れていない。その閉塞性が、内面の虚の空間を隠し、まるで大きな角材であるかのような存在感さえ与えている。
 私の中で、本尊として分類してしまったからか、この作品が人体に見える。いや、そうでなくとも、人類であれば、これを人体として見るのではないだろうか。縦横の比率もちょうどそれっぽく、一番上が黒いのも頭部を彷彿とさせる。それが頭髪をイメージしているというより、体構造で頂点にある頭部は特別な部位として感じ取られるからだろう。縦に4段という構成も、上から頭部、胸腹部、腰部、脚部として分けているように見えもする。それに、紙袋という”同じ要素”を繰り返すことで、全体として成り立つというのも人体を含む脊椎動物の分節構造を思い出させるのである。
 私たちが存在している3次元空間をベクトルで示し、それに面を与えると立方体になる。だから四角形は概念で思い浮かぶ、最も単純かつ強力な3次元形状だと言える。互いの角度が直角であれば視覚的な立体感が最も明解で、それは空間認識の誤りの確立を少なくさせ、その経験は私たち人類に直線や直角を好ませる傾向を作り上げただろう。
 実際、この作品も矩形が持つ形状の力強さを放っている。しかも、紙袋であることから表面にはしわが寄り、辺の線も有機的に歪んでいる。これらが、真っ直ぐや真っ平らではない所に、生命的な乱雑さを感じ取る。また、素材の紙袋を通して、私たち、もしくは作家の日常性という生命活動とも繋がって行く。

 両側の壁にピン留めされている、切り取られたノートページのコラージュ作品に近寄って見る。ノートは、罫線もあれば格子もあるが、どれも垂直水平に付けられていて、立体作品同様に構築性が際立っている。これらの作品は、その四方に一片が1㎝もない小さな紙辺が取り付けてあって、その小片にピンが刺されている。ピンは虫ピンのような細長いもので、長さの遊びがあるので、物によっては壁から数㎜離れたようになっている。私は(この空間にいることで感覚が鋭敏にされているので!)、この壁から離れている事とピン留めの小さな紙辺にも意味を見出していた。「いた。」と過去形なのは、この後、冨井氏に伺ったところそのようには強く意味を込めていないようだったので。
 まず、ピン留めの小紙片だが、近くによると、これらの存在感がとても強い。つまり、明らかに作品のメインであるノートのコラージュが作品としてまとまりを持っているため、”それ以外”としての小紙片が反って際立つのである。それも、日常生活において、もしノートを壁に留めることがあるとするなら当然直接ピン留めするところを、そうしていないという行為の軌跡がそこにあるので、そこに作家の意志が宿るのだ。しかも、小さな紙を曲がらないようにきれいに貼り付けてある。細かい作業を背中を丸めてしている作家の姿が思い浮かんで、ちょっと親しみさえ沸く。後で、作家に聞いたところ、まずは単純に、作品と非作品部分を分けたいという事であった。確かにそれが正解というところだが、この「寺院」においては、もはやそれだけではなく、むしろ、作品と非作品の見えざる結界の現れが表現されていると読み取れる。実際、私はこれらの作品で最も興味深いのはここ、すなわち、「作品—小片—ピン—壁」で、これらによって、作品と非作品が段階的に移行しているのである。
 そして、もう1つ、壁から若干浮いていることについても、それは作家が意図しているのではなく、紙の吸湿や空気の動きで常に動いているということだ。私はここでも深読みして、壁から離れることで、紙イコール平面という既成概念から離れようとしているのだと思った。もし、これらを「壁に留められたノートの紙」と見るならば、ノート本来の”記述する媒体”の意味合いが勝ることで、この立体的存在は希薄になるだろう。しかし、これらは明らかに、「ノートとしての意味合いを持たされていた紙」として扱われ、今や空間内での存在を誇示しているのである。そのために、壁に密着してはならず(なぜならそれは、紙の立体性を弱める)、壁面との間に鋭い影を落とすことで、その裏側と隠されている壁面との狭間の存在を証明する。紙のように薄いことで、私たちの肉眼では側面の存在は捉えられず、そのため前面と影とが唐突に出会うようになり、強いコントラストを生む。そこに、フォンタナの空間概念を持ち出すまでもない。

 これら壁面の作品群のピン留めの小紙片といい、紙袋作品が置かれた白い台といい、全体の作品の置き方の構成といい、決して斬新さはない。むしろ、今時の現代美術作品の展示では見ないような、オーソドックスさである。先に見てきたように、個々の作品の置かれ方とそこに内在する作品に対する作家の態度も、とてもシンプルなものを感じる。むしろ、この”寺院”は現代におけるそれというより、ラスコー洞窟のように始原的な強さをそこに見る。ノートの紙が、人の心を反射する素材になるのである。それと、転がっている石ころが神の小像となることと、どう違うのだろう。現代人とラスコー洞窟の壁画を描いた人類とは、体構造に違いはない。彼らの感動は私たちの感動と変わりがないはずだ。かの時代の作品の素材は、どれも生活に比較的近いものが選ばれていた(もちろんいつもというわけではなく、大変な労力を払って特定の場所の素材が選ばれ、遠路はるばる運ばれることもあった)。一方、現代の芸術家は、「美術用品」を買い求め、「美術様式」にならい、「美術アトリエ」において、「美術品」を作る。現代の美術は、始まりから終わりまで「美術」というレールに乗っている。そして、鑑賞者は「美術館」や「美術書」に載っているものを美術作品として認めるのである。冨井氏の作品は、自分たちが気付かずにレールに乗っていたことに、ふと気付かせる。さらに、ただそれに気付かせるだけ(別に気付かなくともいいのだから)の押しつけではなく、日常生活とアートという非日常の壁などそもそも存在しないことを示し(と、同時にそれはいつでも作られるということも同時に示している)、何より、私たちに身の回りにアートの素材が転がっているという事実を教えてくれている。ただ、それに気付けるかどうかはまた別問題だが。

 冨井氏のバックボーンは彫刻である。だから、この展示に見られる作品の在り方は、彫刻的な要素が強い。それは、上でも述べたように紙袋の四角形であったり、浮いているノートであったりするところだ。しかし、典型的な彫刻が色彩に乏しいのとは対照的に、これらの作品は色彩が豊かである。また、作品を俯瞰してみると分かるが、選ばれている色は偏りがあって、パステルカラーもしくは蛍光色よりの鮮やかで軽い印象の色が多い。作家の好みと言ってしまえばそうなのだろうが、色彩による作家性の統一があり、また、この明るい色によって作品たちに軽やかさが付与されている。時にそれは、彫刻の特徴のひとつである量感を打ち消そうとさえしているかのようだ。軽やかで物質感さえ希薄になっていくこれらの作品は、物から情報へと重要性の重みが偏るばかりの現代によく合っている。
 また、多くの芸術作品との大きな違いは、作家の手による造形度合いの小ささである。ただこれが新しいというのではなく、いわゆる「もの派」的な作品との印象の違いを生み出しているのは、作品が訴えている事のオーソドックスさにある。それは、個々のサイズにも表れている。どれもハンディだ。作家がどのように作品の大きさを決めているのかは分からないが、どれも小さなアトリエや机の上で作れる大きさで、それが現代都会生活者の扱える空間やサイズを表象している。いや、むしろ、これからの作品は冨井氏に限らず、ますます小さくなるかも知れない。それは精神の萎縮を示しているのではなく、サイズ感からの脱却を意味する。かつて、物質優勢の時代にあっては、大きいことが優であり小さいことは劣であった。しかし、情報優勢の現代では、必ずしもそうとは言い切れない。これは情報には物質的サイズが存在しないことと関係しているだろう。情報は、それを映す媒体によって、つまり物質化する段において自由にそれを選ぶことができる。冨井氏の作品にも、それと似たサイズレスの感を受ける。

 良い本を読み終えた後を「読後感が良い」などと言うが、この展示は「観後感が良い」ものだった。その場でなければ感じることのできない一回性の強い展覧会であった。芸術は直接的に感情へ訴える強さが需要である。VR(仮想現実)やAR(拡張現実)が良く言われる現代でも、それは変わらない。現場でしか得られないものがある。芸術は常にその代表格であって、そのことを改めて実感した次第である。

冨井大裕「像を結ぶ」
Motohiro Tomii “Connecting Images”
会期:2017年2月1日(水)- 3月11日(土) 12:00 – 19:00(休:日、月、祝日)
会場:Yumiko Chiba Associates viewing room shinjuku


2017年3月16日木曜日

”疑似博物館” インターメディアテク

 東京駅の丸の内側と直結する複合施設KITTE内にあるインターメディアテクは、国内でもとても珍しい展示施設と言えるもので、一言で言うなら「疑似博物館」である。疑似と付くとまやかしの響きを帯びるが、その全てがにせものというのではなく、展示物の多くは実物である。それらが、いかにも博物館然として鎮座しているので、実際に博物館だと思っている来場者も多いことだろう。だが、並べられている物が何かをよく知ろうとしても、それについての説明書きなどはほとんどない。展示物の並べ方も、どこか雑然として、おおざっぱな印象がある。つまり、ここは展示物が主役なのではなく、展示会場そのものが1つの見世物として機能しているのである。そのコンセプトはもちろん博物館で、しかし現代のそれではなく、もっと古い、戦前くらいまでのイメージで構成されているように思われる。
 博物館という言葉がそもそも「博く(ひろく)物をあつめた館」であるように、その起源は、西洋の貴族らが世界の珍奇な物品をひたすら収集した物を陳列した部屋である。それらを扱う学問としてかつては博物学と呼ばれたが、それが知識の集積と共に分化と深化が進んで、現代の生物学や地質学や人類学などがあるわけだ。現代の博物館はそれらの領域別に分けられているのである。だから、現代の博物館で例えば植物学の部屋へ行けば、あらゆる植物の標本が並んでいて、その体系を一望するには分かりやすい。その一方、その植物が生きている環境、例えば土壌や気候、そこに棲む動物などは全く見えてこない。つまり、現代の博物館は、現代科学がそうであるように、全てが関連しあって成り立つ自然界を、分類で断ち切った標本が並べられているのである。科学的分類と関連して並べられているのだから、それは合理的である。しかし、趣味で博物館へ来るような多くの普通の人にとって必ずしもそれがベストとは言い切れない。むしろ、理路整然と並べられた物品は、そこの展示者の明確で強い意志があって、見る側の遊びを一切許さないような冷たさが漂う。私たちは、雑多とした空間のほうがより安らぐし、そういう空間から自分なりの興味どころを探り出す楽しみもある。例えば雑貨店などは、わざわざ店内の商品を散らして、客の導線を複雑にしたりするものだ。

 ともかく、現代の博物館が捨ててしまった、薄暗くて雑多で、なにやらよく分からないものが大量に陳列されている空間が持つ魅力の再現を試みているのが、インターメディアテクである。だから、ここでは、個々の展示品自体が主役ではない。それらは空間を引き立てる一役者に過ぎない。そういった意味で、ここは「疑似博物館」である。
 インターメディアテクのような、言わば「知」をテーマとした娯楽施設は希有で、それが東京駅から直結した一等地にあるのは、私が持つ日本の印象からすると、ほとんど奇跡的である。それも、入館料を取らない公共事業として!
 ここが、とてもわくわくさせる空間であることは間違いないのだが、同時に、何か満たされない気持ちも膨らんでくる。その理由もまた「疑似である」ことに由来している。古い博物館内を散策しているような気分になるほど、しかしこれは作られたものだ、という真実が同時に強くなる。この「らしさ」に憧れるのは、ほとんど日本人の特質のようなものだと私は思う。特に明治の開国後は、西欧諸国に憧れ、文化から技術から様々なものを輸入した。しかし、西洋が長い時間を掛けて少しずつ積み重ねることで出来上がったそれらの言わば表層だけが、外から覗く日本人には見えるわけで、その表層だけを輸入してしまうとそれは「らしさ」になるのである。もちろん、「らしさ」という中身のない”張りぼて”から脱却しようと、本質的な導入もしているわけだが、いかんせん始まりの向きが逆であることに変わりはない。では、この施設は表面的な見た目だけの、アトラクションに過ぎないのかと言うと、決してそうではない。
 確かに、近代日本は西欧の真似から始まったとは言え、時間と共にそこから蓄積されるものから、独自の新たな系譜が生まれるだろう。また、西洋式の手順を模倣することで日本が得られるのはそういった独自性にならざるを得ないとも言える。今や、それを否定的に捉えていても仕方がない。批判的視点は持ちつつも、半分は開き直ったようなつもりで、私たちなりの現在を作らなければならない。インターメディアテクには、これまでと現在の日本のありようを見つめ直した上で、今できること、ここから始まる何かへ向けて創設されたように感じる。
 むしろ、明治以降に用意されたスタート地点から、あたかも我々も西欧的科学誌を共有し続けていたかのように振る舞って前だけを見つめていた今までから、ここでは過去を振り返るという行為を積極的に形に起こしているというのは、日本が”少し大人になった”証しなのかも知れない。

2016年12月14日水曜日

科博『ラスコー展』感想

 科博で開催している『ラスコー展』。平日午後に行くと空いていた。展示内容は、有名な壁画をただ羅列して見せるというものではなく、発見の経緯や調査技術と関わった人物なども展示することで、子供が見つけた古い壁画が人類の遺産となる経緯も示されている。洞窟の内側はレーザースキャンされ、縮小模型として出力された。それらの展示は、洞窟の壁を1枚の層として、その外側がまず目に入る。細長い様はいびつなヤマイモか何かのようだ。鑑賞者はその両側に開いた穴から、巨人のように洞窟内をのぞき込む。ラスコー洞窟の壁画という言葉の響きや、褐色で描かれた動物の姿は日本人にも有名だが、その洞窟そのものがどういった形の空間なのかはあまり意識されない。洞窟の縮小模型はそれを意識させるために置かれたのだろう。その次に、本展示のメインである、壁画の実物大再現エリアが始まる。主要な壁画の壁そのものが立体的に再現されている。そのユニットが幾つか連続的に続き、さながら洞窟内のようでもある。数分眺めていると部屋が暗転しブラックライトが点灯すると、壁面を引っ掻いて描かれている線描が緑色に光って浮かび上がる。これは素晴らしいアイデアだし、実際、色彩部にそのような線描が刻まれていることなど知らなかった。壁画を含む壁面の再現度は高い。もちろん実際を知らないのでその限りではあるが、一見、本物のように見える。とは言え、洞窟全体がトンネルのように再現されているわけではないし、そこに描かれている動物画も絵画そのものとしての強さが”売り”というのでもないから、そこはかとない白々しさを感じてしまう。それは、皮肉なことに壁面レプリカの再現度が高いゆえなのだ。ラスコーのリアリティは、その現場に立たなければ感じることはできないだろう。

 壁面レプリカのコーナーを越えると、息抜き的な展示が少し続いて、別の部屋へ移ると、次のハイライトがあった。古代人の石器と共にさまざまな芸術的加工品である。私は壁画レプリカよりずっとこちらに目を奪われた。なぜならそのほとんどが実物なのだ。残念なことに日本の博物館展示はとにかくレプリカのオンパレードが当然なので、私はいつも「どうせレプリカだろう」と思いながら冷めて鑑賞する癖が付いている。そんなつもりでアクリルケースを覗くと古代美術の書籍で有名な「体をなめるバイソン」が置かれている。しかし、刻まれた描線の影にキャスト特有の”ぬるさ”がない。キャプションにもレプリカの文字がない!何と、実物が来日していた。半レリーフ状の小品だが、輪郭はバイソンの形に切り出されている。前側から見ると厚みはないものの縁は丸く削られ、裏側も動物の胴体の丸みへの造形配慮が成されていた。隣りのアクリルケースには、殿部突出型ヴィーナスの実物まである!殿部突出型ヴィーナスと言えば「ヴィレンドルフ・ヴィーナス」が有名だが、実際は数多くの同系像が発見されている。これもその1つで、サイズは切手ほどしかない。きれいな半透明の茶色い石を加工してある。透過する素材と像のサイズは考慮された可能性を感じる。それにしてもこの小ささが愛らしく、護符として身につけていたのかも知れないなど想像が拡がる。他にも、トナカイなどの線描が刻まれた石版や骨などの実物が数多く展示されており、素晴らしい。
 その中に、不思議な人物の横顔があった。右を向いた頭部は、鼻と口つまり吻部が突出している。頸は頭部の真下に落ちている。小さな耳が頭部側面に描かれている。頬には縦線が幾筋も彫られている。目頭から鼻へかけて線が引かれている。つまり、この頭部は半獣半人なのだ。どういう訳かキャプションにはその事には全く触れていないが、ほぼ間違いない。もう一つ別に、同様のモチーフが刻まれている物がある。バイソンの細長い骨(棘突起か)に人物が縦に2人。両端は欠損しているがどうやら同じ人物画を繰り返しているようだ。その頭部は鼻面が長く、縦の縞模様が刻まれる。首輪と腕輪をしている。横から描かれた胴体は腹背に広く四足動物の様でありながら腰椎の前弯も表されている。腕は上腕が短く前腕が長く、これもネコ科など四足動物を彷彿とさせるけれども人のように分かれた指を持つ。脚も脚部が短く踵から先が長そう。「長そう」と憶測なのは、足の途中で骨が終わっているため描かれていないからだ。足首には足輪が描かれている。脇の下には垂れて伸びたような乳房がある。背中にはたてがみのような描線がある。このように、全身に渡って半獣半人の特徴が描かれている。それも顎の出たネコ科の風貌はライオンであろう。ライオンと人間女性の特徴を併せ持った何かが崇拝対象だったのか。図録にはもう一つ『ヒトの頭蓋骨の彫像』と名付けられた骨製小品が載っている。これは会場には無かった。キャプションには頭蓋骨とされているが、両耳が作られているので頭蓋骨ではない。両目は窪みになっているので眼窩に見えるが、思うにここには別素材の目が入れられていたのではないか。そして、鼻と口の部分は人間の様には造形されておらず両目の間からハの字型に下へ拡がって吻部を形成している。つまり、この頭部もまた半獣半人である。

 他にも多数、数万年前の人々が作り出した古代芸術の実物が展示されている。カタログを見るとこれらのほとんど全てが東京会場のみの限定展示である。他の会場ではこれらはレプリカ展示となってしまう。何という不平等!ともあれ、非常に貴重な機会なので、むしろこれらを見るために同展(東京会場)へ足を運ぶことをお勧めしたい。

 同展の売り文句のひとつが「芸術はいつ始まったか」である。当然ながらこれら洞窟壁画の古さがそう言わせるわけだが、この言葉は見る人たちを誘導してしまう危険性がある。つまり、これら壁画や小品たちが「人類の芸術活動の最初期のもの」であるという錯覚を抱かせるのである。この思い込みは、「初期のものだから稚拙である」という見方にも繋がる。例えば、「ラスコーは素晴らしい!」という発言の裏には「現代人より劣っている割りには」という但し書きが隠れているだろう。展示会場には、クロマニョン人の復元模型が置かれている。それを見ると、彼らが現代人と全く同じ外形をしていたことが分かる。ショーウィンドウのマネキンに毛皮の衣装を着せただけに見えるのだ。それほどに3万年前の人間は既に我々と同じであって、同じ構造をしているのであればその機能もまた同様であるに決まっている。同じ彼らが生み出した芸術がもし稚拙に見えるのであれば、それは現代の私たちもまた稚拙であるということであるし、彼らの芸術が原始的であるというなら現代の芸術も原始的であると言わざるを得ないだろう。しかし、こんな逆説的な言い方をする必要はもちろんなく、つまり、ラスコーや古代芸術は「既に古くなく、稚拙でもない」のである。別の言い方をすれば、既に芸術行為としての完成を済ませているのである。ラスコーや古代芸術が私を驚かせるのは正にこれで、3万年前に既に今と同じ創作行為とそのための思想が完成していた、という事実である。だから、これらは決して芸術の起源を示す遺産ではない。

 それにしても、2万年前の人物が、真っ暗闇の洞窟内へランプの灯火だけを頼りに侵入して、あれだけの大きさの壁画を描き続けた事実には畏敬の念を抱く。これらの壁画が始めて描かれてから、描かれなくなるまでの期間がどれほどだったのかは分からないが、もしかすると、数万年は開いているかも知れない。引っ掻き傷の線描と色彩描写は違う時代背景を彷彿とさせる。壁画と呼ばれるが、いくつかはほとんど天井画である。それも手を伸ばして描ききれるサイズではない。はしごを動かしながら描いたことだろう。助手もいたのかも知れない。そうやって想像を巡らせることは楽しい。彼らが洞窟から出ても、そこには道路も自動車もなく、食べる物もパンさえまだ発明されていないのだ。この時代、牛は私たちが思う牛ではなかった。ライオンは”大型のネコ科動物”ではなかった。線や色は光学現象ではなく、女性は性別ではなかったのである。そういった、同じであっても全く違う世界に生きた人々の感性の記録がこれら古代芸術には封入されている。

2016年12月10日土曜日

「今」を紡いで作られる物語

 どんな人生だったとしても、死によって終わる。それは究極的な平等のようにも感じられる。そして、死は生とは異なる現象にも見える。もちろん人生で出会う他者の死(家族や身近な者の死も含めて)は特別な意味を持つが、ここでは主観的、つまり一人称の死について記述する。死は全てを奪うと言われる。ここで奪われる全てとは、記憶のことだ。私たちが今ここに居ると実感するのは、その瞬間までの記憶に基づいている。その記憶に基づいた上に現在を実感するが、その現在の認識もまた直前の事象の記憶に他ならない。そうして継続された記憶と直前の記憶を足がかりにしてこれから起こるであろう未来を想像する。生の実感とはこの内的な物語に由来する感情のことだ。この実感は強力で、そのお陰で私達は自分が疑いなく生きて存在しているのだと信じ切れる。この記憶に基づく生の実感が死によって失われる。記憶は情報に過ぎないのだから実体はない。未来も過去も私たちの主観世界に作られた虚像という意味で同列である。過ぎた事から未来までを同様に感じられるのはこのような性質の同一性によるのだろう。現象として起こっているのは、瞬間瞬間の「今」だけであり、それを紡ぎ合わせて作り上げた記憶の物語が、自分が今ここに存在する実感を生み出している。強調すべきことは、瞬間瞬間の「今」には、何らの継続性や物語性が存在していない事だ。たとえば、朝に顔を合わせた家族が夜に帰宅して再び会うことは当然に思われるが、それは目の前のコップから目を反らせて再び見たときに相変わらずそこにあることの当然性と本質的には同列で、「さっき存在したのだから、いまも存在する」という物語は我々が作り出している。目の前のコップの存在継続性を納得させるものとして物理学などを持ち出すこともできるだろうが、それを知らずともコップが存在し続けることは記憶という主観が担保してくれるのである。ところで、朝に顔を合わせた家族は目を一瞬そらせたコップより不確実性がはるかに高い。つまり、朝に顔を合わせた家族とその晩に再び顔を合わせるとは限らず、何らかの理由で再び会うことがなくなるかもしれない。そうなった時、見慣れた室内はそれまでとは違って見えるようになるだろう。だが、物理的な世界そのものは変わってはいない。世界を感じ取る我々が変わったのである。この様に、生の実感をもたらす主観的な世界は決して不変ではない。物語は世界には無く、それは私たちの中にあるのだから。一人称の死はその物語の消失を意味する。すなわち、死は全てを奪うと言うよりむしろ人生の「語り部」の消失を意味する。奇妙に聞こえるが、物質的な側面から言うなら私たちは死後の世界にそもそも存在しているのだとさえ言い換えられよう。生は、瞬間瞬間の「今」しかない死の世界の事象を紡いで作り上げられる形なき、そしてかけがえのない一度きりの物語なのだ。

モチーフとモデルの所在(12月2日・造形大・ラフ)

 美術のモデル。造形において作家が参考とする物。その物自体ではなく代わりとして置かれた物、言わばそっくりさんである。美術で用いられるモデル(それがリンゴや椅子であってもヌードであっても)は、形の参考として見られる。画家はそこに置かれたモデルその物を描くことが目的ではない。描きたい”主人公”は画家自身の内にあって、モデルはそれを誠実に引き出すための参考物である。言わば主人公の代替物ということになる。美大の授業で用いられるヌードモデルもこの類である(注1)。
 写真にもモデルがある。写真のモデルは被写体のことで、対象は何でもなり得る。写真は光学的対象を「切り取る」行為であって、彫刻や絵画のように何も無いところから造形する行為と異なる。それでは撮影行為は、彫刻絵画と違うのだろうか。まず、写真家の中にある対象の印象「らしさ」を、実物「モデル」から感受しようという行為の発端は同じである。ファインダーを覗けばそこに光学的に正しい対象が映し出されているという点が異なるが、シャッターを押せば「らしさ」が捉えられる訳ではなく、陰影や構図など様々な構成要素をコントロールすることで「らしさ」に近づけていくという点では、彫刻や絵画と同様である。

 反対に作品から作家がどのようなモデルとして対象を見たのかを推測できる。人体表現に絞って見ると、発見されている人類最古の彫刻の1つであるヴィレンドルフ・ヴィーナスの姿勢や変形には作家の強い意志が感じ取れる。よく似た姿勢と変形の女性小像が複数発見されていることから、この像の特徴的なスタイルはたったひとりの古代の芸術家のセンスというより、確立された様式美である。3万年以上前に女神のような理想の存在があり、そのモデルとして女性が見られていた事が想像できる。古代ギリシアでも、神の理想形態のモデルとして人体は見られた。中世ヨーロッパでは、人体は単純化され言語や記号のように扱われていた。人体がモデルとして再び重要視されるイタリアルネサンスでは、人体解剖学が発展し芸術の人体表現に応用された。フィレンツェ派の掴めるような実在感は体表のみならずその内側の構造まで明確に認識しているという自信の表れでもある。解剖学が人体を統一する新しい根拠となり、関節をまたいだ骨の両者を腱で繋ぐことで彼らが理想としていた古典的人体像が持たなかった有機的調和を手に入れた。長い間モデルとしての人体は形態的な基盤として揺るぎのない地位にあったが、これが近代では変化する。恐らくは写真機の普及によって個人的感覚だった視覚経験の他者との共感が可能となり、また私たちは写真のように視覚するという感覚が根付いた。それを批判するように間もなく印象派が起こる。これが表現を人体形状から解き放つ契機となったのである。ロダンの作る人体像は表面が激しく波打ち、その作品たちは古典的な彫刻と違って、特定の個人のように見える。ひとつひとつは、ギリシア的なプロポーションや解剖学的なマニエラの呪縛から逃れて自由である。ロダンは「モデルを見なければ作れない」と言ったが、彼にとってのモデルとは代替物ではあっても、もはや形態的基盤ではなく彼が”感受するための”対象であった。

 人体は変わらなくても見方が変わると表現が変わる。視覚は写真とは違う。眼に入った光学刺激は網膜の段階で情報処理が始まり、それが脳へ届いてから諸要素に分解された後に様々な付加情報と共に再合成されたものが視知覚として意識に上る。つまり視覚は「見える世界を作る」能動的行為であって、視覚は写真の様に世界を捉えてはいない(注2)。印象派の芸術家だけではなく、実はこの事実を私たちは経験上よく知っている。それは、小さな頃に描いた家族の顔。紙いっぱいの顔面に目と口や輪郭全体に髪の毛といったものだ。あの奇妙に誇張された顔が、あの頃そう視覚していたことを示しているのである。必要な視覚情報だけが強調され、それらが私たちの行動のきっかけとなっている。行動のきっかけとなる特定の外部情報を行動生物学でシグナルと言うが、視覚は光学的シグナルを受容する器官だと言える。乳児は始め実際の母親をシグナルとして反応するが、やがて思い起こした内なる母親像に対しての反応もするようになる。この時の母親像をシンボルと言う。また「母親」という単語を目にした時、私たちは自分の母親を思い起こす。この時、母親という単語をサインと言う。私たちは様々なシグナルをシンボル化して扱う事に秀でている。例えば、「汲み取る」という行為がシンボル化する結果、汲み取る手段は手でもコップでも大きな葉っぱでも良くなり、さらには「話しの意図を汲み取る」のような使い方も可能になった。
 モデルはシグナルとして作用し、芸術家はそこからシンボルを形成する。単純な写真はシグナルの出力に過ぎず、印象派の芸術家が反発したのはそこである。シンボル化を経ている芸術作品は下位構造であるシグナルも含み、鑑賞者は更にそこからサインを読み取ることもできるだろう。芸術作品からシンボルやサインを受け取る事ができるのは人間だけである(注3)。


(注1)モデルの事をモチーフと呼ぶことがある。Motifは本来なら「主題」だが、同時にMotiveつまり「動機、原動力」の意味もあって、これらの意味合いが投影された物体としてモデルと同義に扱われているのだろう。

(注2)歴史的に見ても視る行為がずっと受動的行為として考えられていたわけではない。プラトンは目から出た光が世界を捉えると考えた。眼球の解剖をしたレオナルド・ダ・ヴィンチはそれが光学的器官だと直感したが、視覚を得るのは脳室における魂の働きと信じていたし、デカルトも魂の所在地が松果体へ移ったものの考え方は似ていて、どれもが視覚に「視ようとする」能動性が根底にある。それとは反対の「眼は世界を写真のように写す」という受動的な感覚を強めさせたのは、やはり写真の一般化が関係しているように思える。私たちの眼の焦点距離は決まっているのに、様々な焦点距離の写真を違和感なく認識していることも、私たちが写真のように世界を見ていない事を証明するひとつの事例と言える。


(注3)シグナルをシンボル化できる人間の能力をハイデガーは「(シンボル体系の)世界への超越」と言い、人間たらしめる行為とした。世界のシンボル化、サイン化はシグナル世界(生物学的世界とも言い換えられるか)からの超越であり、それを示す芸術は鑑賞者にそれを気付かせる可能性を秘めている。そう見れば芸術は、本質的には私的行為というよりむしろ公の認識可能性をおし拡げる行為であり、哲学に近い。哲学が諸科学の種であるように、芸術は広く人類の知的行為の種である。