2016年1月2日土曜日

輪廻

 宗教や死生観について考えていたわけではないのだが、ふと思い至ったので記録しておく。

 ピカソの絵は、「幼子の落書きのよう」と「凄い絵」としての高価値とが共存している。そのまか不思議さを納得させるためか、「あんな絵を描いていたけど本当は凄い上手なんだよ」というセリフもよく聞く。10代の頃のアカデミックなデッサンと共に。このセリフは、デフォームしたピカソの絵を全く理解も認めもしないという告白であることを、話している本人が分かっているのかどうかは知らないけれど。
 ピカソが少年期にアカデミックなデッサンを習得していたのは事実だ。そして、デッサンを学んだ人なら分かるように、それは指導者の言うとおりに進めていけば大体誰でも習得できる類のものである。この手の見間違いは言わば、スキーなどテレビで見たことしかない人が、パラレルで滑れるというだけで「上級者だ」と思ってしまうことに近い。ピカソはアカデミックな技術を習得したが、その様式だけに乗っ取ることをやめようとした。それはとても意識的な行為であって、幼子の落書きと同じような意識的手順を踏んで出てきたものではない。実は、この事こそがピカソの”凄い”ところなのだろう。ピカソは幼子のような絵を目指したというより、幼子のように世界をもういちど見たいと欲したのだ。しかし、私たちは成長し様々なことを知ってしまうと、もう知らなかった頃には戻れない。だから、幼子のような「純真無垢」とは何であったか、あらたに探求せざるを得ないのである。無意識を意識で探求するという、この矛盾的な行為の表現的軌跡が、ピカソのモチベーションの1つにあったかも知れない。いずれにしても、そういった試みは成功し、鑑賞者にも受け入れられるものとなった。私たち鑑賞者という「意識的になってしまった大人達」は、そうであっても、再びあの「純真無垢」的な世界を見ることができる可能性をピカソの表現によって知らしめられたのだ。これは単に絵画表現の多様性の発見に留まらず、我々人類の意識の成長をさえ指し示すような、全人類的な発見とさえ言えるのである。つまり、ピカソによる絵画表現の革命は、ピカソ1人によって成し遂げられたのではなく、それを感受し認めることができる我々鑑賞者もあって、始めて成り立ったのだ。
 ひとつの例としてピカソを取り上げたけれども、上記のような事柄は、芸術に限らず、様々な領域で人類誌的に起こってきたのである。そういった「意識の改革」が、我々を現代の状況へと導いてきたとも言える。
 しかし、それが人類的な発見であったとしても、それによって人類の意識改革が一気に起こるはずもない。多くの人に伝わり認められたとしてもなお、私たちは容易にそれ以前の意識状態へと戻ってしまう。ピカソの例のように、それが芸術表現に関してであれば事は穏やかだが、より生活に密着した宗教観と結びつくと、時には考えの違いを乗り越えることができずに力に訴える事になりがちである。誰もが意識では分かっている。我々は「幸せのために、争う」という矛盾を。だから、それを意識的に改善し「幸せのために、争わない」という当然をかなえようとも努力しているのだ。
 理想を目指す意識的な行為と、しかしそれを拒むかのような様々な矛盾たち。しかし理想を目指す行為をやめなければ、何らかの変化は起こるだろう。それが本当に理想の答えに近づいているのかは分からないけれども。この一連の活動は、ぐるぐると輪を描くように始まりからまた同じ場所に立ち帰るように見えながらも、スタートとは違うところへ我々を導いていく。

 この様こそが、輪廻ではないか。ふと、そう感じた。

 輪廻とは、一般的な感覚として生まれ変わることのイメージがあるが、それだけでなくとも、様々な段階での輪廻があるのではないか。意識が理想を目指し修正を繰り返しながらそこへと向かうさまは、短いサイクルで見れば同じ場所を巡っているだけに映る。しかし、より長いスパンでそれを見るなら、上を目指す螺旋を描いているのかも知れない。その螺旋の頂点にあるのが、究極の理想としての解脱である。ただここでの解脱とはイデアのようなもので、決してたどり着く事はない。
 理想への道のりは、真っ直ぐの一本道ではなく、正しいと思っていても簡単に誤ってしまう。それでも、向きを修正し歩みを止めず、再び進む。それの繰り返し。1人の人生でもそれはあり、人類全体もそれをし、生物としても本能がそうしてきた。
 これを輪廻と呼べるなら、それは自己相似的に大小さまざまなスケールにおいて見られる、言わば生命現象のひとつの型なのかもしれない。

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