2018年5月19日土曜日

置き方の価値  「組」展を観て

   MA2ギャラリーで開催中の展覧会『組』を観た。複数のアーティストの作品が展示されているので、グループ展のように見えるが、それら作品はデザイナーの猿山修氏のセンスによって選択され配置されている。そのため出品作家も自分の作品がどのように置かれてるのかは、当日まで知らないのだという。
   展示初日は夕刻からレセプションが開かれ、それは「BAR さる山」と称して猿山氏とアーティストを交えたトークガイドツアーとなっていた。

   降りる駅を寝過ごして、目黒駅から恵比寿のMA2まで歩いた。都会の住宅街はバリエーションが区画ごとに変化するので、なかなか楽しい。
   ギャラリーに着いた時はすでにトークが始まっていた。細身で長身の猿山氏は長く黒い髪を肩まで垂らし、それが黒いシャツ、黒いズボン、黒い革靴と続くので、何か黒い一本線のような潔い存在感を放っていた。入って正面奥の壁には、四角い紙が2枚。その斜め上にカンカン帽が掛けてある。左の壁には古そうな木の板が掛けられているが、よく見ると古いまな板だとわかる。その手前に運搬型のイーゼルが立てられ作家の絵画が置かれる。右の壁には小さな具象画が掛けられ、正面壁との角には古い木箱が積み重ねられ、そこにスコップの作品が置かれている。他にも、アルミのスツールに見える作品や、丸い回転台の上に人間の脚が生えたコケシの作品が置かれていた。よく見ればわかるが、作家の作品とアンティーク品とが組み合わされている。それらの古物は、猿山氏の選択で置かれ、購入することもできるようだ。
   配置は実に心地よく、例えば壁面展示にしても、余白と物との間隔が十分に取られているので、視覚的にリラックスできる。展示空間全体としてはミニマルな傾向である。
   作家の作品は古物と同様に捉えられ、猿山氏のセンスによって再構築されていた。それは堂々としていながら繊細さを感じさせる。後で作家から聞いた話だと、この配置は綿密に組まれたものではなくほとんど即興に近いものらしい。その場で作品と空間を見て、感性に従って置かれたそれらは、水墨画や毛筆の達筆を感じさせる。
   ガイドツアーではほとんど猿山氏が展示について解説していて、時折ギャラリストや作家がそこにコメントを挟むものだった。四角い紙と丸いカンカン帽の壁面の解説の段では、氏はその紙の作家の筆さばきの技量を褒めちぎった。遠くから見ているとその紙に何が描かれているのか全く見えないが、後で近づくと筆で等間隔の斜線がいくつも引かれていた。一方でカンカン帽の配置については「特に何か意味があるわけではない」と言ったものの、「無理に意味づけするなら、紙の作品を雨と見れば帽子は太陽と言ったところか」と付け加えた。それを聴きながら、言葉はつくづく危険だと思った。きっと、“意味などない”が本心なのだろう。その配置が美しいから、だけなのだと思う。しかし、聞く方が納得するように言うならと、そこから無理に物語を探すと“雨と太陽“というありきたりな文言に辿り着いてしまうのだ。
   左壁面のまな板とイーゼルに絵画の配置は、本来なら絵画が飾られる場所にまな板を置くことでその従来の意味合いを取り外すとともに、絵画作品との関連性を提示することで、存在価値の拡大に成功している。もし、ヒエラルキーを見るなら、まな板の価値の引き上げの足場に絵画作品が使われている、と映るかもしれないが、そう感じてしまう根底にはまな板の”ものとしての価値“の潜在的なポテンシャルを認めていない価値観の固定があるのだろう。
   床置きの作品としては、丸い回転台に置かれた”脚のあるこけし“がある。こけしの脚は、上半分はこけしそのものから彫り出されている。作品そのものに笑いの要素があるが、それがレトロな回転台に置かれているので、そこはかとなく昭和のおもちゃ売り場を思い出させる。回転するという全方位性を活かすように、それは空間の中央に置かれている。

   階段を上って2階の展示場は、照明が落とされ白熱灯色のLEDで作品がスポットされている。どうやら2階のテーマは”祈り“である。ここには、実際、仏像のような作品や、燃焼の動画などがあって日本人にとっての祈りの印象が強調されていた。その中で、最も印象的だったのは、アルミ鋳造の壁掛け鏡の作品だ。鏡面部分が研磨されているが、完全な鏡面仕上げにはなっておらず、ほとんど反射しない。しかも、鋳造ムラが色の変化として現れている。それが薄暗い空間で橙色の光に浮かび上がると、何か異界を映し出す窓のように思えてくる。子供の頃に信じていた”怪しい世界“の記憶が引き出される感覚がした。
   誰かが、「鏡そのものが作品になるのはあまり知らない」と言っていた。この作家は、鏡という物と言うよりむしろ、それが映そうとしている世界や空間、場、を表そうとしているのだろう。
   2階の展示の別の特徴は、天井から吊るすというものだ。それも吊るされている物がほとんど床に着きそうな低い位置にある。そうされることで、物の浮遊感が強調されつつそれを可能にしている”吊るし材“の顕示や、下をくぐれないし上もまたげないという存在箇所の独占など、”在る“ことを強調して見せていて興味深い。

   さらに、階段を登って3階とそこからロフトになっている4階まで展示がされている。

   4階ロフトの壁面には、洋書が数冊、面置きされている。近づくと本に見えるが中はガラスである。きっと誰もが驚くだろうが、同時にそこの左下の床に普段は見ないような箱が縦積みされていて、不思議なほどに存在感を放っている。ところが、実はこの箱は、ガラス本を収納する箱で本来は展示品ではないという。それが、猿山氏のセンスで置かれると、主人公の作品を喰ってしまうほどの存在感を放つ。

   全く、置き方によってこれほどまでに物の印象や意味合い、そして魅力が変化するという事実に驚きである。置き方の力、重要性を強く再認識させられた。これは、立体物を空間上に設置する彫刻家にとっては、実制作と同様の重要性させ持つものだと思う。どうしても、作家は物作りの技術に偏重してしまうので、置き方、設置については、重要性を低く見積もってしまいがちだが、それだけでは十分ではないことが、この展示で明らかとなった。ガイドツアー時に、「今度からは展示は猿山さんに任せたい」とある作家が思わず言っていたが、よく分かる。美術大学などでも、作品の作り方は教えても、展示については深く示すことはない。だから、若い作家などは展示方法については頓着していないこともままある。私も今後は、展示や物の置き方、置かれ方について考えたいと思う。

   なんにせよ、プロは凄い。置き方で価値、意味を変えてしまうのだから。

 展示は5月26日(土)まで。

 置き方が空間と物の価値、意味を変容させるダイナミズムはその場でなければ体感できない。









2018年5月5日土曜日

コンポジション — モノが持つルール — 展を観て

   有楽町駅からすぐの無印良品の店舗に初めて入ったが、広く、階段状に上階へ展開する店内でとても都会的。個人的には90年代のはじめの頃がなぜか思い出された。まだ日本が元気だった頃。あの頃と違うのは客に外国人が多い事だ。日本がまた元気になりつつあるのかと感じた。広い二階フロアーに上がると、ゆるやかに区切られたカフェがあり賑わっている。書店コーナーもあるが、駅前スーパーのそれとはもちろん置かれている本の種類がちがって文化的指向が強い。他にもなんらかのテーマで区切られたエリアが散在しているので、目的の展示エリアはどこだろうかと見渡すと壁に面したそこを見つけた。

   ATELIER MUJIと書かれた展示エリアに置かれた冨井大裕氏の作品は、店舗内空間とよくマッチしている。それもそのはずで、作品は全て無印良品の商品が使われている。空間が通路で区切られているからいいが、そうでなければ積み置かれた商品と思い込んだ客が手を伸ばしてしまうだろう。白い壁に白い床の展示エリアに、模様などない白い色の商品を組み合わせた作品が置かれるとモノトーンの印象になる。視覚的に静か過ぎると感じられたからか、天井から赤や黄色などの鮮やかな色の帯が垂らされ作品の背景色になっている。

画像は無印良品のサイトから

   はじめに目につくのは、逆さにした樹脂製のファイルボックスをいくつも交互に重ねたもので、商品下に開いている穴に丸棒が一本通されている。棒が全体を貫いて支えているのだが、重ねた結果、上に行くに従って左に傾いている。この傾きが作る曲線が、直線的な会場に有機的な要素を与えていて興味深い。その右奥には同様に左に傾いた金属製の棚の作品がある。組み立て式の棚の4辺をずらして組んでいる。会場内に目を配ると、同様の傾きによる斜線構造がいくつも目に入る。それは直線と直角とで構成される商品の並べ替えによるのだから当然のことなのだが、工業製品が直線を求めたところに、作家はそこに足りない要素として斜線を求めるという、両者の対比関係が明らかに見られる。なんにせよ、人は足りないものを補いたくなる。足りないと感じるものを見つけるのであろう。展示作品の他の特徴としては、同一作には同一商品が用いられている。さらに、そのいくつかは反復的な配置から構成されている。同じ物から新しい物を構成するもっとも単純な手段が反復、つまり同じ物を連続的に繰り返すことだ。つまり、これは素材を元にした最小限の改変のバリエーションが提示されているのだと言える。
   マス目のルーズリーフの1ページにカッターで何本も切り込みを入れた作品が壁に掛けられている。金具を通す丸穴に向かって切り込みが走っている。切り込みは何度も繰り返され、鋭い影を作っている。指示書を見ると、タイトルが『大降り』とあり、切り込みは丸穴に向かうように書かれているから、それらを雨粒とその軌跡に例えているのだろう。
   “同一品で最小の改変“、”繰り返し“といったルールだと分節性が際立った形になりがちである。またその素材の性質からも縦より横に広がる向きが強い。その中にあって際立っていたのが、壁掛け式の金属製スタンドを縦に複数繋げた作品だ。それもただ上方へ繰り返すのでは無く、向きを変えるだけで斜め上方向へと視線を誘導し、一見すると単純な構造の繰り返しに見えない。さらに金属板が後ろの壁に落とす影は幅広で、それが実物と相まって何かソリッドな存在にさえ見えるのである。組み方をわずかに変えた2つが横並びに置かれた様はモニュメンタルで、これが10メートルの高さでも良いように思われた。
   
   全ての作品の近くにはA4サイズほどの紙が貼られており、作家の手書きで各作品の展示方法が記されている(正確にはそのコピーである)。ちょうど組み立て式家具について来る指示書のようだ。字が小さいので全てに目を通す人は多くないかも知れない。撮影可だと言うのでケータイで撮ってから目を通した。するとこれが面白い。一見、厳密に記されているようでいて力が抜けている。それも、力を抜いていいところがそのように記されている。例えば「グッ」、「ガバッ」、「フワッ」、「クシャッ!」、「ギューッ」、「ヒョイッ」という擬音語が当てられていたり、指示も「できる限り」や、「ほぼ」のように曖昧。更には「後は成り行き」と書かれていたりするのだ。完成を成り行きに任せる工業製品はあまり聞いたことがないから、やはりこれはアートのための指示書である。

   作家はこう言っている。「私は作品をつくった後に必ず指示書(組み立て説明書)を残します。作品をつくる時に私が大事にしていることは、目の前にある「もの」ではありません。ものに込められた人間の創意工夫―――「こと」です。」
   
  “もの”つまり物は物質だから目で見える。一方の“こと”は現象であり、それだけで存在することはない。“こと”がそれだけで存在できるように感じられるのは人間が現象を概念化することができるからだ。そのことから、富井氏はここで自らを“コンセプチュアル・アーティスト“だと明示していると言える。だから、情報としての”こと“が残されていれば、その作品は再現可能なのだ。今回の展示は、”もの“の素材として無印良品の商品が用いられたが、それによって作家の独自性が失われることはない。重要なのは”もの“ではなく”こと“なのだから。

   通常、展覧会では、最も重要な展示品はケースに入れられたり複製品が用いられる。この展覧会場で貼られていたのは指示書はコピーつまり複製品だった。つまり、鑑賞者のほとんどが組み合わされた商品が作品だと信じるのとは裏腹に、本展覧会で最重要な展示品は壁に貼られた小さな指示書なのである。
   
   本展に置かれている作品の“素材”は工業製品で、全てが複製された物である。また、作家の手書きに見える指示書も複製だ。だから芸術作品を貴重なものにする要素としての物質的な希少性はここには存在しない。しかし、これらは消費される商品とも異なる。そういう存在に変容している。一体、その変換の境界はあるのか。商品から作品への物質的転換(変換ではなく)の過程は指示書に余すことなく記されている。
   アーティストは答えを提示していない。作品の答えのように丁寧に書かれ記されているものは、私たちの認識の再確認を促す世界への入り口を示す、標識なのだろう。
   
   

コンポジション — モノが持つルール — 展

  • 期間 : 2018年4月20日(金)〜2018年6月24日(日)

2018年5月3日木曜日

実感 言語と非言語

   私たちは、自己の経験や思考を互いに伝え合い、理解し合うことができる。しかし、それが伝えられるものは非常に限られているはずだ。例えば言葉で伝えるなら、言葉になるものしか伝えられないのだから。いや“行間を読む”と言うではないか・・。しかし、行間をどう読むのかは読み手に委ねられている。言語は伝えるべき内容の輪郭を、それが正確かどうかは別として、非常にはっきりと見せる。そのために、私たちは日常的な言語のやり取りで意思が伝わらないもどかしさを感じる事はほとんどない。そうとは言え、一体、どれだけ伝えたい事の本質が相手に届いているのだろう。
   言葉で他者に情報を伝える。これが実務的な内容ならば、さして難しくはない。しかし私たちのやり取りは、感情なきマシン同士がやり取りしているのではなく、そこには感情がある。では、感情をそのまま“伝える”ことなどできるだろうか。「まだ恋を知らない子供に、それを話し伝えることはできない。」と言うが、実際それは本当のように思われる。たとえ理解はできても“腑に落ちる”ことはなかろう。つまり実感が伴わないのである。そして恋愛に限らず、それ以外のあらゆる感情もまた、それを体感し実感した者にしか分からないはずである。
   そうなると見えてくるのは、実感のスイッチを入れる役割としての言葉である。言葉は特定の状況を想起させる。その時同時に、体の中では言葉に対応した実感が沸き起こるのだろう。つまり、その実感はあくまでもそれを知っている(持っている)本人の自前である。人生経験の多い年長者が共感や包容といった感性により親密なのは、そのせいもあるに違いない。

   方や、「非言語的」伝達がある。文字通り、“言葉にならない”伝達のことだ。これは、言葉で示せないのだから、伝達に間違いが生じやすいのではないかと感じられなくもない。しかし、それはおそらく間違いで、より深く、相手の“腑に落ちる”形で伝達できるのは、むしろこの非言語的伝達であろう。人間にとっての代表的なそれは顔の表情である。表情は顔の皮膚を筋肉で引っ張って歪ませることで作られる。その筋肉をコントロールする脳の部分は感情と深く結びついているので、感情に伴ってほとんど瞬間的に表情が作られる。さらにそれは文化による影響を受けない。笑顔、泣き顔、起こり顔、困り顔といった感情に即した表情は人類共通である。つまり、言語のように決まりごとを学ぶ必要もない上に、伝達間違いも起こらない。人類は感情伝達を顔面部へと集約させたが、とは言え首から下の全身も用いられないわけではない。それは幼い子供ほど顕著である。彼らは喜んでは飛び上がり、怒っては地団駄を踏む。大人になるとだいぶ大人しくなるものの、手は今だに顔の次に表情を語っている。ただしこの伝達制度は、“指差し”の人差し指を除いて、顔とは比べ物にならないほど曖昧となる。
   視覚芸術としてまとめられる古典的な芸術、すなわち絵画や彫刻は、この非言語的伝達を扱っている。中でも西洋彫刻は、人体表現から表情を取り除かれる傾向があり、全身の姿勢によってそれを伝えようとする。そのため表情が描かれる絵画以上に、伝達内容が曖昧とならざるを得ない。それは言い換えれば、「何を伝えたいのか分からない」ということになる。絵画が持つ、親しみやすい物語性をそこに期待すると、何を読み取ればいいのか分からない。美術館では彫刻作品は絵画と比較して鑑賞時間が短い傾向が見られるのは、そういう理由もあるだろう。彫刻は絵画とは全く異なる性質を持つ表現だが、私たちはどうしてもそこから言語化できる物語性を欲してしまうのである。言語優位性は人間の本能とさえ言えるものだ。作品を前にしても、まずタイトルとキャプションを読まなければ不安に感じるのも同じ理由であろう。

   芸術が感情と親密だと言われるのは、それが上記のように非言語的だからで、それゆえ文化や時代を超えて訴えかける伝達媒体であることを示してもいる。しかし、同時に言語の即時有効性が身に染みてもいる私たちは、芸術にも言語的伝達を常に持ち込もうと試みている。しかし、その本質はあくまでも非言語性であり、たとえ表現が論理的側面を強めたとしてもなお、その行間にどれだけ豊かな非言語的”実感“を想起させ得るかが重要であることに変わりは無い。芸術にとって言語は看板文句に過ぎない。そして、芸術家(とその愛好者)は、世界は言葉にならないもので満ちていて、それこそが生きる世界に”色を与えている”ことを知っているのである。

2018年4月23日月曜日

診察の質 耳鼻科を受診して

   土曜日の夜に左の耳鳴りが強くなり、日曜日に診療してくれる耳鼻科として紹介された福原耳鼻咽喉科。ネットで調べると“おじいちゃん先生の古い病院”とある。はじめは別の診療所も紹介されたのだが、そちらへ電話すると実は休日診療は行なっていないなど、いくつかの電話先で断られて結局ここにたどり着き、電話をすると症状も名前も聞かずに「どうぞ」と言う。行ってみると、診察も含めて素晴らしい経験となった。

   最寄りの北池袋駅は、東武東上線で池袋のひとつ隣りだが、こちらへは全く行ったことがない。たった一駅だというのに池袋とは打って変わってのどかな住宅街で、ホームからは今では懐かしいような木造アパートがいくつも見える。小さな駅から出ると住宅街の商店街だが日曜だからか人通りはまばらだ。道を歩くと古い昭和風と現代的な建物とが混ざり合っている。池袋中学校と小学校の建物は出来たてのピカピカさでモダンだ。きっと昨年だったらアンティークな校舎を見ていたのだろう。住宅街をしばし歩いて、福原耳鼻咽喉科にたどり着く。



 門などなく、住宅街の家と家の間にある一軒家で、そのドアも普通の家の玄関ドアに過ぎない。つまり、誰かの家におじゃまするような感覚で入口のドアを引く。入ったところで靴を脱いでスリッパに履き替える。そういえばそうだ。かつてはどこでもこうして靴をスリッパに履き替えたものだった。いつから靴のままが一般的になったのか。待合室に広い一つの空間などないが、ベンチ式のシートが壁沿いにあつらえてある。壁には油絵の風景画がいくつも額に入れて飾られている。ローマ字のサインを見るに院長の作だろう。水彩の植物画もあって繊細な描写である。ベンチにはアジア系外国人が2人で座っている。受付はカウンターではなく小窓を介する形で、その窓は大きく腰を曲げなければならないほど低い。待っている間に、奥では幼児が診察を受けて泣き叫んでいる。叫び声のあいだには大人の女性のあやす声が混ざる。やがて出てきたのは3歳ほどの女児と母親だった。そうしている間に外国人たちは帰り、若い男性が1人入ってきた。座るなり鼻をかんでいるので鼻炎だろう。
   やがて名前が呼ばれて診察室に入る。と言っても、ドアなどなく、白いカーテンで区切られているだけだ。今ではドラマでも見ないような、アンティークな診察椅子が一つあって、そこに腰掛けるように言われる。座った左手側にある台には診察器具が置かれているが、今時のクリニックで目につくディスポーザブルな物ではなく、何度も使い回しているような古い器具が目につく。茶色のガラス管を曲げたものにゴムの袋が取り付けてある道具は一体何に使うのだろう。院長はその左側の壁ぞいの机に向かって座っていて、受付の人が書いた私の情報のカルテに目を通している。時折壁に丸い光が動く。院長が頭につけている額帯鏡のライトである。白衣を着た院長はこちらに向きを変えて私に状態を聞く。
 院長は小柄な老人で、顔を見る限り80歳を過ぎて見える。とは言えその肌は健康的であった。私から状態を聞き終われば、おなじみ聴力検査をして終わりだろうと思っていたが、院長はおもむろに台の上から音叉を取り出して顔の前へ運び、これがどう聞こえるか教えてくださいと言うや指でそれを弾く。純音が響く。ひたいの中心、右耳、左耳と場所を変えて試す。それだけではなく、次にはその音叉の底を額の中心に当てるのだ。それで鳴らしてどこに音が聴こえるのかを尋ねられる。もうそれは当てられた中央に感じられるのでそう言うと、そうですねという感じで確認している。次に見たことがない短くて幅のある音叉を取り出し、親指と人差し指でその両はしをつまんで弾くように放すと耳鳴りのような高音が発せられた。澄んだ音色である。これがどう聞こえるかと左右の耳で確かめられた。
 全く、このような検査は、イニシエーションのようである。今時のクリニックでこんなことをされた記憶はない。今はなんでも機械にかけてその結果を読み上げるだけだ。それがここでは、音叉という単純な道具を通して、患者の状態を医師が読み取っているのである。そうだ、医師とはこういう人だったのだ。聴診器で体内の音を聞き、身体に触れ、押して、軽く叩いて、そういう単純な行為から見えない変化を読み取り、その情報からその人の状態を推測できる人が医師だった。しかし、私自身かつては気付かなかったが、患者には一見何をされているのか分からないこう言った診療行為は、ある種の魔術のように作用して来院者を“本当の患者”にしてしまうのであった。謎の高音を発する若干サビが浮いた器具を額に当てる行為など、水晶の球や謎の道具を用いた呪術さながらである。もちろん、その行為が“信じられない”という意味ではない。非日常的で、理解が追いつかないという意味である。
 音叉の検査の後に、もう少し細かく検査しましょうと言われ、さらに奥へ誘われる。そこには電話ボックスのように区切られた小部屋があって聴力検査室であることは明白だった。その壁にはヘッドフォンが3つ掛けられており、その耳当てには白いガーゼが覆い被せられている。ヘッドフォンから壁に開けられた小穴まで、青や赤の繊維で覆われた太いケーブルが絡むようにたわんで通っている。このヘッドフォン掛けの壁にも小さな油絵の風景画が掛けられていた。院長はドアを開けたままで使い方の説明をする。左右の耳ごとに音を出すこと、聞こえたら手元のスイッチを押すことなどだ。さらにまず試しをしてから本番に移るという丁寧さである。この音が、始め小さな音が聞こえてから少し大きくなる。これによって、聞こえる大きさと高さの両方を確認しているのだろう。この調査時間も、近所の“今時の耳鼻科”とは比べ物にならない。さらには、別のヘッドフォンに変えて、これは骨伝導で確かめるという。片耳は耳介の後ろに当てて、もう片耳はザーッという雑音が流れている。右耳が終わると、中年の女性の助手−受付の人−が代わりに検査室のドアを開けて、左耳の検査を行った。すみませんね、これ耳が少し痛いですよね、と丁寧に。しかし実際は痛いということはなかった。これが終わって、その助手に言われるまま、もとの診察室へ戻って待つ。
 診察椅子に面するスツールに座り、椅子をまじまじと見る。実に博物館にでも展示されているような古色然とした物だ。その後ろの壁に設えられた棚やその中の器具も、全てが博物館の展示品の様である。院長が開業した時に揃えた什器なのだろう。この全てが院長の、この小さな診療所の、歴史と共にある。このような空間に居られることに嬉しく思う。再現された空間ならば博物館などにあるだろうが、それらは“標本”に過ぎない。一方で、この空間は生きている。それも、アンティーク好きが揃えたのではなく、ここで時を重ねた真実の古色である。空間の構成物は古いが、汚くはない。床なども掃き清められている。
 やがて、院長が両手に比較的今風な、つまりプラスチックの筐体の、診察器具を持って現れ、もう一度奥へ来てくれと言う。再び聴力検査ボックスに入り、片耳にイヤフォンを差し込まれる。その際、ちょっとこれを持っていてくださいと言われ検査器を患者が支えるこの風景は、どこかのどかで古い銅版画で、いやノーマン・ロックウェルでありそうな光景だ。院長がスイッチを入れると高音域で音程を変えながら聞こえる。聞こえます、聞こえますと言うと、言わなくていいですと院長。両耳を終えて再び診察室へ戻る。この検査が何を探っていたのかは分からない。助手の女性に診察椅子に座っているように言われそうしていると、院長が検査結果の紙を持ってやってくる。聴力検査の紙には折れ線グラフが2色で書き込まれており、耳の左右を表している。そのグラフの折れ線はボールペンによる手書きである。折れ線の下にはカタカナのコの字が書かれ、それは骨伝導を示すと言う。結果は左がわずかに悪く、高音域で一ヶ所大きく落ち込む。実は、見せられたこのグラフはiPhoneアプリで自己検査したものとほとんど変わらない。しかし、そのグラフから何を読み取るのかまではアプリは関与しないことに注意すべきだ。院長は左手に用紙を持ち、右手にはゾンデのような器具を持ってその細い金属を横に当てて説明した。私の目はグラフよりその器具を見つめていた。先端はねじれている。そこに綿を絡めたりするのだろうか。
 これで終わりかと思う頃に、院長がもうひとつ検査したいと言い出す。検査“したい”と言った。つまり、これは院長自身の欲求によるものとも言える。部屋の隅に、別の今風の機材があり、そこに移る。院長の額には額帯鏡がずっと乗せられたままで、光を発するライトはちょうど鼻の頭の位置で、それを少し押しつぶしている。院長は私の耳穴に器具を当ててスイッチを入れる。少し大きめの音が出ますと院長。いくつかの音域の音が鳴る。筐体には液晶モニターがあり、リアルタイムでグラフが描かれていく。これは鼓膜の動きを調べるそうで、真ん中に垂直線が引いてあって、そこに最も高い山が来ると理想的だと言う。まず健常な右耳をやり、次に左耳をやる。両方のグラフはほとんど重なるほど似たものだった。院長はこれを見て、見てください、ほとんど一緒ですね。鼓膜は全く正常なのです。つまり、神経性の異常だと言うことです、と。この時にも、“これは私がしたくてやったのですけど”と前置きしていたのが印象的だ。とは言え、私にとってもこの最後の検査は、原因が明確に絞られる良いものだった。院長は、「つまり、突発性の難聴ということになります」と結果をまとめた。これが、治る、治らないは口にしなかった。ステロイド系の薬を処方するから、それを1週間試して、その結果次第でまた耳鼻科を診察してくださいと言われた。うちに来なさいとは言わなかった。
 待合室に戻るとき私が、付かぬ事をお聞きしますが、と前置きして、壁に掛けられている絵は先生が描かれたのですか、と聞くと、額に大きな額帯鏡を付けたままにっこりと顔を歪めて、まあまあ趣味で、と語尾を濁らせて机へ戻られた。

   待合室に戻って、そこに掛けてある風景画たちをしばし見る。遠方に雪を被った鋭い連峰があり近景はのどかな田舎の風景だ。長野かどこかだろうか。細部まで描くというより筆のストロークを残すもので、スタジオで描いたものと言うより戸外で描かれたものに見える。一方で水彩の植物画は繊細なタッチの描線に淡い色彩で、患者に対するものと同様の細やかさが感じられた。
   待合室には小さな子供を連れた夫婦が待っていた。他にも1人男性が待っている。受付の窓の上には、たくさん手書きの紙が貼られ、その1枚には、午前9時前の早朝診療も行なっていると書かれている。対象は、お子さん、学生さん、通勤の方とある。つまり、ほとんど誰でもである。そして日曜日も、毎週かは分からないが、診療している。この日々を何十年と、ここで続けている。そうでありながら、診察に感じられる“好奇心”にも見える積極的態度が維持されているのは、全く驚きである。私自身そうありたい、またそうあれる対象と向き合っていたいと思わされた。この院長の診察態度は、単純に真似できるものではない。仕事への熱意というものは結局のところ、それに心を奪われているか否か、で決まるのだろう。
   薬局で処方せんをもとに渡された薬は、日毎に数を減らしていくように処方されていた。このような患者の状態を考慮した処方は初めてである(そもそも受診経験も少ないが)。  

   私のように、病院に赴く者のほとんどが“患者初心者”である。一方で医師は、同様の患者を数え切れないほど診てきただろう。院長のようなベテランともなれば患者の扱いは手のひらの上で転がすようなものかも知れない。実際、私は最初の音叉テストですっかり術中にはまってしまったのだから。しかし、それこそが重要なのだ。患者は結局のところ癒しを求めている。傷口に絆創膏を貼るだけが医療ではない。「もう大丈夫だよ」そう言って欲しいのだ。   
   いくつもの機器で繰り返し検査を行って症状を探っていく院長の姿勢に、私は癒されていたのだと思う。その意味において医療行為は宗教的でさえある。

  昨年末に耳鳴りが起きてからここを受診するまでに2つの耳鼻科に行ったが、そのどちらもが、今思えば診察と言えるようなものではなかった。“耳鳴りは治らない”、“耳鳴りは一生物”、挙句には“私も耳鳴り持ちなんです”。患者の癒しどころか、インターネットで散々目にする情報を繰り返すだけのクリニック・フィジシャン。EBM(根拠に基づく医療)を実施すれば事足りるという姿勢の診療は、いずれ近いうちにAIで置き換えられるだろう。   

   福原耳鼻科で経験したことは診察の本質に近いのだと思う。それは人と人のつながりなのだ。その事を、すっかり体験しなくなって忘れ去っていた、この感覚を思い出した。現代の医療は、それが抱えるさまざまな実務的問題から、機械的となり人間味を失いつつあるのかも知れない。それは医療側だけの問題ではなく、治療を受ける患者も含めた総体的で構造的な現象であることは明らかである。   福原院長による診察がいつまで続くのかは考えたくないが、患者の心を掴む“診察術”を持ったフィジシャンは減っていくように感じられるのは残念である。ただ、最近では“オーダーメイド医療“という言葉も聞く。従来の症状だけで判断する画一的な医療から、患者ごとの違いを反映させた治療方針への転換を謳うものだ。画一的な診療レベルの確保にEBMは効果を発揮しただろうが、それは患者個人を見過ごすことにもなってしまったのだろうか。レディメイドからオーダーメイドへと謳うそれが、私が今回経験した”医師の業(アート)“に依るものと全く同一ではないにせよ、人が人を診る基本的行為への回帰を促すものであれば、とも思う。   

   いずれにせよ、人と人が向き合う現場としての“診察の質”は、現代ではどのように考えられているのだろうか。そんなことを思った今回の診察体験であった。

2018年3月10日土曜日

さいころ

 サイコロの事を「乱数を発生させる道具」と言い換えると何だか人類の凄い発明品に見えてくる。例えばサイコロを知らない人にそう説明したら随分と大げさな機械などを想像するかもしれない。サイコロの働きは1から6までの数を理論上では完全にランダムな確率で示す。サイコロがいくつの目を出すのかは1/6の確率内で予想できない。
 サイコロは、振って出た目の数によって自然のランダムさに意味を与える。その目が出る以前には、その数の概念は宇宙に提示されていなかったと思えば、その意味は大きい。どの目が出るか分からない偶然性は宇宙の全てを満たすそれを同一である。言ってみれば極小分子が見せるランダムな振動と同じなのだ。それら自然現象の偶然性は振れ幅がほとんど無限にあるため、そこに特定の意味や概念は見いだすことができない。サイコロは、その膨大な偶然の可能性を6という数に限定して区切る。サイコロを振ると、台の上で跳ねて短い時間素早く回転してから止まるが、その回転している刹那に無限から1/6にまで可能性が集約されている訳だ。

 どうして人間はサイコロを発明(発見?)したのか。それが私たちの意識と関係していないはずがない。意識によって脳裏に浮かぶ判断はいつも”決定済み”と言った顔をして現れる。それは頭の中で1から6までの好きな数字を”無作為に”1つ選び出すことができないことで分かる。自分の頭で思いついた数を「ランダムに導かれた数」とは言えない。もし、そう言い切れてしまうと、それは“心の病”だとされる。私たちは、自分の肉体(と精神)から離れた現象を使わなければランダムを手にすることはできないのである。

   無作為の決定を下そうとするとき、人類はサイコロを手にするより以前は、どのような手段を用いたのだろうか。石や動物の小骨などを用いたりしたのかもしれない。実際、ヒツジの足首の骨である距骨は古代ギリシアではサイコロとして用いられていたことは分かっている。しかしながら、骨では出る目に著しい偏りが生じるので、一度に複数を投げてその確率を散らしていたようだ。やがて、立方体のように、全て同じ長さの辺で構成される面では、出る目の確立が分散される事に気付いたわけだが、これはまず経験的に導かれたように私は思う。羊の距骨のような直方体から発展したとして、残りの2面を活かそうとするなら長さを削ればいい事は、何度も放っていれば自然と気付く。
   ところで、無作為の判断でもっとも単純なものは、表か裏か、といった1/2の決定であるから、サイコロが発明されるよりずっと以前からその方法があったのではないかと想像できる。今ではコインを放って表か裏かで判断する“コイントス(coin toss)”だが、原始の頃は平らな石や葉を落としていたのかもしれない。

   サイコロの出た目に従う事、つまり自分の意思ではない現象を受け入れるという姿勢は、抗えない自然現象を受け入れるものと近い。「そうなってしまった事実」は受け入れざるを得ない。そういう強いメッセージ性がある。それは自己決定とは異なる場所からのメッセージである。その意味でサイコロを放る行為は呪術的行為と近い。
   むしろ、放って出るサイコロの目がランダムであるという数学的事実が発見されるまでの長い時間、目の出方には、何らかの意味合いが含まれているかもしれないと考え続けられていただろう。実際、現代でもゲームでサイコロを振る時は狙いの目が出るように“念じて”しまうものだ。

   サイコロは、私たちが自らの決定は全て意識に基づいて決定していると直感しているからこそ作り得た発明品であり、人間が意識に基づく自由意志を完全に認めている動物であることを示す物でもあるのだ。