2009年8月19日水曜日

人類とマトリックス 宇宙への進出

マトリックスという映画があった。主人公が生活している世界は全てコンピューターが作り出した偽物だったという話しだが、そこでは、主人公のいる「偽の世界」のことをマトリックスと指している。日本語では、基盤とか母岩という意味だが、全体を取り囲むものというニュアンスがある。

さて、私たちを含む全ての存在は、それを取り囲むマトリックスから独立して存在することは出来ない。しかし、”動き回れる”動物である私たちは、環境から違う環境へ移動できるために、そのことを忘れがちだ。いや、むしろマトリックスとは関係なく存在出来ると思っている人のほうが多いかもしれない(というか、そんなことは意識もしない)。その点は、”動けない”植物たちのほうが、一見、肝に座っている。なぜ、「一見」かと言えば、植物の多様性を見る限り、彼らも動物とは違う方法で「動き」、環境への適応を計っていると言えるからだ。

私たち人類は、進化を辿れば、かつて水中の生き物だった。そう教育されなければ、全く信じられないような話しだが、実際、私たちの体内には「魚」だったころの名残が各所に残っている。いや、むしろ「魚の変形版」であると言っていいほどなのだ。

私たちが「魚」だったころ、マトリックスは海水だった。しかしやがて、勇気ある者が新天地である陸を目指した。そのとき彼らは、マトリックスである海水を手放す事はしなかった。いや、出来なかった。それを体内に取り込んで、陸に上がったのである。それが体液だ。
そのころの体の作りもそのままに、ただそれを改変することで使い回して来た。エラはあごに。ヒレを手足に。かつて水中で物を見ていた眼は今でも濡らさなければ使えない。水の匂いを嗅いでいた鼻も濡らしたままだ。今や、空気の振動を音として聞いている耳だが、その奥ではわざわざ液体振動に変換しているのだ。

かつてのマトリックスを体内に取り込み、陸上に進出した私たちの祖先。その後、「道具を作り、使う」という能力を得た人類は、肉体的な改変を止めた。進化という時間とエネルギーの膨大なコストを「発明」によって補うことにしたのだ。

人類は、地上の生物として、次のステージを目指している。宇宙への進出だ。そこには、今までの私たちを取り囲んでいたマトリックスが存在しない。しかし、進化という身体の改変を待つ事はしない。宇宙服という道具を身にまとい、その中に、地球上のマトリックスを閉じ込めた。
この部分が、生物が今まで行って来た進化との大きな違いだ。

道具による肉体の延長。宇宙基地という人工的なマトリックス。今、人類が宇宙進出にあたって行っている行為は、進出エリアにマトリックスを広げていくという作業だ。これは、今までの進化のやり方と全く逆を行く新しい概念と言える。
しかし、進出エリアの全ての場所にマトリックスを作らなければならないこの方法は、広いエリアへの展開には不利である。この部分で、今後人類はどういう方法を選択するのか。興味どころではある。

体の内側にマトリックスを取り込んだ今までのやり方。体の外側にマトリックスをまとう新しいやり方。
両者の折衷案がやがて登場するのだろうか。

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