2018年10月20日土曜日

言葉の刃

   言葉は概念を切る刃物だ。現代人は誰もがその扱いを習うが、かと言って誰もがその刃物を巧みに振れるわけでもない。記述された言葉はその刃の斬り跡ということになるが、読み手が必ずしもそこから振りの程度を推し量れるわけでもない。SNSによって誰もが自由に言葉の刃物を振り回す時代になり、その切り跡も稚拙なようで鋭いものから、巧みに見えてその実でたらめなものまで多様である。「読み書き」と言うが、たしかにその順序でリテラシーは重要で、それも従来になくその能力の重要性が問われる時勢である。「読む」とは、単に文章を認識できることではなく、文脈との適合性のみならず真意をも汲み取れなければならない。
   SNSのように個人的かつ断片的となるとその難易度は長文よりむしろ高くなる。特定の伝達相手を想定しない文章を他者に開示するなど、人類史において、かつて無かったことに違いない。記述文章の果たす役割はこの十数年で今まで誰も見たことのない進化を遂げるのかも知れない。だとするなら、今はその真っ只中であろう。

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